こがわりなうそつき

最近、兄さんの様子がどこかオカシイ。
どこがどう、というわけではないけれど、妙にそわそわして落ち着かない。かと思えば、ちらちらと僕を見て、笑いを堪えている。
一体なんだというのだろう?首を傾げるものの、兄さんが僕の考えつかないことを考えるのは常だから、つまり僕は兄さんに対して深く悩むのは無駄ということで。
僕は気になりつつも、どうせくだらないことだろうと結論を付けて、放っておいた。

そうしているうち、今度は兄さんの帰りが遅くなり始めた。
本来なら、兄さんは塾が終われば夕飯の買い物をして帰ってくる。そして兄さんの夕飯が出来上がった頃に、僕が帰ってくる。それが僕達の基本的な生活の流れだった。
それなのに、最近では僕よりも遅くに兄さんは帰ってくる。そして僕が先に帰っていることに気づいて、慌てて夕飯の準備をする。
どこに行ってたの、って聞いてみても、塾の奴らと勉強してた、なんて見え見えの嘘を付く。一体、どうしたというのだろう?これまで放っておいたものの、やっぱり気になるので、僕は独自に調査を開始した。


祓魔屋にて。

「あ、こんにちは、雪ちゃん!今日も薬品の受け取り?大変だね。……え?り、燐?……うーん、塾が終わったら、すぐに帰っちゃうよ?うん。そ、そうだよ」


図書館にて。

「あ、若先生。こんにちは。先生も本を借りに?先生は勉強熱心ですなぁ。……あはは、そんなことあらしまへんよ。奥村君だって、一生懸命やってはりますよ。………え?あー………、ぼ、僕は知りまへんよ。はい。え?隠すって……、若先生に隠すことなんて何もありませんって。あ、ぼ、僕はこのあと坊たちと約束あるんで……すんませんけど」


廊下にて。

「あ、奥村先生。こんにちは。次の授業の椿先生が私用でお休みされるそうなので、代わりに授業をお願いします、だそうです。はい。……は?アイツのことなんて先生が一番知ってるんじゃありませんか。私は、別に………。あ!朴が呼んでるんで、失礼します」


中庭にて。

「どうもこんにちはぁ、奥村先生。いい天気ですなぁ。こんないい日には、きっと素敵な出会いがありますよ。……え?奥村君ですか?えー……っと、まぁ、彼にも色々とあるんじゃないですか?や、俺は何も知りませんよ!?ほんとに!全然!何も!……それより、俺、今からナンパしに行くんで、忙しいので、じゃあ!」


…………。
おかしい。
何が、というわけではないけれど、どことなく、おかしい。
聞き込みをした塾生たちも、どこか挙動不審だ。もしかしたら、兄さんについて何か知っているけれど、僕には言えないことだから黙っている。そんな気がする。
だけど……僕に言えないことって、何だ?
何だか妙な胸騒ぎがしつつも、更に調査を開始した。


任務帰りにて。

「お疲れさん。お前さ、今日はどっか心ここにあらずって感じだったけど、どうかしたのか?あ、あれだろ?未だに進展なしのビビリ眼鏡君のことだから、大好きな兄さんのことでも考えてたんだろ?にゃはは!……って、なんで反論しねーんだよ?あ、もしかして図星?そりゃ悪いことしちまったにゃあ。……え?燐の帰りが遅い?………そりゃー、あれだよ。あれ。お前には酷かもしんないけどさ、恋人でもできたんじゃねーの?燐だってオトシゴロなわけだし。……あれ?雪男?ちょ、おい、大丈夫か?目がマジになってるぞ?」


理事長室にて。

「お疲れ様です、奥村先生。今日の任務は危険度の高いものだったのですが、ものの数分で片付けてしまったそうで。さすがですね、奥村先生。一緒に同行した祓魔師から、どっちが悪魔か分からなかった、との報告が上がっています。まぁ、お兄さんに恋人ができてむしゃくしゃする気持ちは分からないでもないですが、っと、これは禁句でしたね☆」


………。
疲れた。
本当に、疲れた。
何もかもがどうでもよくなりそうだ。

僕はベッドに倒れこみながら、ちらり、と兄さんのベッドを見やる。
そこには誰もいなくて、真っ暗な室内が広がっているだけだ。

「………にいさんに、こいびと」

ぽつり、と呟いて、ぐっと胸が痛んだ。それが嫌で、枕に顔を埋める。
兄さんに、恋人ができた。
それは、たぶん、弟からしてみれば、喜ぶべきことなんだろう。今までずっと、寂しそうな顔をしていた兄さん。その人ならざる力ゆえ疎遠されてきたあの人を、受け入れてくれる人ができた。
悪魔だろうが、人間だろうが、関係ない。
兄さんを大切に想って、兄さんもその人を大切に想う。そんな人ができた。それは神父さんが望んでいたことで、僕だって、喜ばなきゃいけないことだ。

だけど、でも………――――。

僕だって、ずっと兄さんを見てきた。
悪魔だろうが、人間だろうが、ずっとずっと、兄さんだけを見てきた。
その気持ちは、誰にも負けない。それなのに、兄さんの無邪気な笑顔を、僕以外に向けられるというのか。

「…………、くそっ」

むしゃくしゃしつつ、僕は疲れたのもあってか、すぐに眠気が襲ってきて、瞼を閉じた。




「………あ、雪男?って、寝てるし……」

ふわふわと夢見心地の中、兄さんの声が聞こえた。うっすらと瞼を開くと、兄さんがこちらを見下ろしていた。僕の視線に気づいたのか、ちょっと困ったように笑いながら、遅くなってごめんな、と言う。
どうして、兄さんがそんな顔するの。兄さんは恋人ができて、その恋人に会うために、遅くなっているんでしょう?
だったら、悪いのはその相手なのに。なのに、兄さんがそんな顔するなんて、やっぱり、兄さんはその人のことが本気ですきなんだ。

「………ごめんな」

そっと伸ばされた兄さんの手のひらが、僕の髪を撫でる。その手つきが優しくて、暖かくて。
もしかしたら、これは夢かもしれない、と思い始めた。僕に都合のいい、僕の夢。
じゃなきゃ兄さんはこんなふうに、笑ってくれないだろうから。

「………にいさん」

ぼくは、

「………、」

にいさんのことが、すきだよ。

手を伸ばしてその腕を掴むけれど、結局、その言葉は音にはならなかった。
……夢の中でさえも、僕はうまく言葉を伝えられないらしい。

シュラさんの、ヘタレ野郎だにゃあ、と笑う声が聞こえた。僕は苦笑しつつ、再びまどろみの中へと、身を投げた。

僕は本当に、怖がりの嘘つきだ。




ここしばらくの間、よく眠れなかったせいもあって、僕は朝まで一度も起きることなく眠っていたらしい。
目を覚ますと、太陽の光が眩しい。久々にゆっくり寝たせいか、体はすっきりとしていた。
心の中までは、すっきりしないけれど。
僕は小さくため息を吐きながら、兄さんのベッドを見やって………息を呑む。
綺麗に畳まれている布団があって、中身は空っぽだ。僕は慌てて時計を見ると、朝の六時だ。
兄さんが、こんなに朝早くに起きれるわけがない。ということは、つまり?

…………。

ザーッと、血の気が引く。
これは、どういうことだろう?え、もしかしてこれって………。
嫌な予感がする。
僕が途方に暮れていると、ちょうどタイミングを見計らったように、ガチャリと扉が開いて。

「あ、雪男?起きてたんだ、おはよう」
「……にいさん」

爽やかな笑顔と共にそう挨拶してきた兄さんは、学生服を着ていた。今日は四月一日で、日曜日だ。つまり学校は休みで、学生服を着ることはない。それなのに、兄さんは学生服を着ている。
ということは、昨日からここには、帰ってきていないということで。

「なんだよ、ぼーっとして。随分疲れてるみたいだし、まだ寝てたら?」

目の下の隈、ひどいぞ。と苦笑しつつ伸ばされた手を、僕はとっさに、払っていた。
ぱし、と乾いた音がその場に響く。大きく目を見開いた兄さんの顔が、妙に焼き付いた。
だけど、それよりも不快感の方が、勝って。

「………、ごめん」

払われた手を見て、兄さんが呟く。
どうして、兄さんが謝るの、と苦々しく思いながら、僕は黙ったまま布団を被った。これ以上、醜い嫉妬をしている自分を、見られたくなかった。

「………」

戸惑ったような兄さんの視線が、布団越しでも伝わってきた。だけど頑なに目を閉じて黙っていると、兄さんは少し迷った素振りをしたあとに。

「じゃあ俺、用事があるから出かけるな。……ゆっくり休んどけよ」

ごめん、ともう一度謝って、兄さんは出て行こうとした。また、恋人のとこに行くの。そんなに、家に帰ってきてもすぐに出て行かなきゃならないくらい、会いたいの。
ぐ、と込み上げてくる何かに押されるように、僕は飛び起きた。
何、とまた驚く兄さんの腕を掴んで、ぐい、と引き寄せる。こちらに倒れこんできたその肩を、強く抱きこんで。

「……ゆき、お………?」

どうした、と心配そうな声が耳元で聞こえる。少し震えたような、小さなその声に、堪らなくなって。

「僕は……―――兄さんのことが、すきだよ」

すきなんだ、と強く抱きしめる。この想いが伝わればいいと、そう祈りながら。
だけど、びく!と兄さんは大きく体を震わせたあとに、ぐい、と僕の体を押しやって。

「にい、さん………?」
「………っ、」

どうしたの、と俯いた顔を覗き込もうとして、その前に、勢い良く顔を上げた兄さんの表情を見て、驚いた。
ひどく傷ついたような、泣き出しそうな、そんな、顔をしていて。
どうしてそんな顔をするのか分からなくて戸惑っていると、兄さんはぐっと唇を噛んだ後に、ぽつりと呟いた。

「俺は………、嫌いだ」

震える声で、

「俺は………、大嫌いだよ」

兄さんは、きっぱりそうと言い切った。

音が、止まる。
息が、できない。

ぱたり、と僕を押しやっていた兄さんの腕が、ベッドの上に落ちる。
僕達は黙ったまま、ただただ、向かい合っていた。



兄さんに、嫌いと言われた。
好きだと告げて、嫌いだと返された。それを世間では、失恋、というらしい。
あ、そっか。僕は、失恋したのか。

何だか、胸にぽっかりと穴が空いたみたいだ。
僕は呆然と自分の胸に手を当てながら、ふぅ、とため息を吐いた。
あのまま一緒にいるのはさすがに息苦しくて、逃げるように出てきてしまった。
もうこうなってしまった以上、一緒にはいられない。失恋したけれど、嫌いだと言われたけれど、僕はまだ、兄さんのことがすきだから。
これ以上一緒にいたら、僕の身が持たない。

フェレス卿に言って、部屋を別にしてもらおうかな。

どんよりとそんなことを考えていると、偶然通りかかった中庭に、見知った顔を見つけた。目立つ髪形をしているので、すぐに分かる。
声を掛けようかと思ったその時、隣にはさきほど別れたはずの兄さんがいて、ぎくりとした。

兄さんは俯いて、肩を落としていた。その隣で、寄り添うようにただただ傍にいる彼。
僕はとっさに、近くの茂みに隠れた。ぼそりぼそりと声が聞こえて、そっと耳を傾ける。

「………、ら…………って……れた」
「……か。でも、………か?」
「………、……い」

少し遠くにいるせいか、聞こえづらい。
僕は迷ったものの、気になって二人の傍に近づいた。

「………、なぁ、俺、どうしたらいい?」

「………っ」

僕は、息を呑んだ。
まるで甘えたように、彼に向かってそう言った兄さんの声。そっと影から二人を覗いて見ると、兄さんは縋るように彼を見上げていた。
ゆらり、と揺れる青い瞳。それはどこか切なくて、甘い。

「そんなん、自分で決めろや。俺には、それしか言えへん」
「………勝呂」

ふい、と視線を逸らした彼、勝呂君に、兄さんは少し途方に暮れたような顔をしていた。
だけどすぐに、小さく笑って見せた。

「だよな……勝呂に聞いたって、そんなの、分かんないよな」
「そういうことや」

突き放す言い方をしながらも、決して、立ち去ろうとはしない。そのことを兄さんも気づいているんだろう。ほんの少し、嬉しそうな顔をしていた。

「………」

僕は二人の様子を見ながら、少し、納得した。
もしかしたら、彼がそうなのだろうか。
確かに彼なら、納得できる気がした。
兄さんが悪魔だろうが、仲間だと言ってのけた、彼なら。

「………はは」

僕は笑いながら、その場にしゃがみこんだ。
どうしようもなく胸が痛んだけれど、それでも、笑った。
泣きたいのに笑ってしまうなんて、僕はどこまでも素直じゃない。

そう、自分でも思いながら。
もうこれ以上二人を見ているのが辛くなってきたので、僕はゆっくりと後ずさる。決定的なところを見てしまったんだ。これですっぱりと諦めなければ。
そう思いつつも、僕は一度だけ二人を振り返った。その、時。

「俺、やっぱり勝呂のこと、嫌いだな!」
「あぁそうか。俺もお前のことは嫌いや」

にっこりと満面の笑顔で言い放つ兄さんと、少し嫌そうな顔をしつつも同じ言葉を返す勝呂君。

え?

い、今、この二人は何て?

僕はとっさに、立ち止まった。
聞き間違えだろうか?いや、でも確かに今……―――。

「に、しても。お前、いくらエイプリルフールだからって、そないに堂々と嫌いやなんて言えるなぁ。尊敬するわ」
「え?だって別に、好きだって面と向かって言うよりは恥ずかしくないだろ?」
「それはそうやけど……。もしかしたら奥村先生、気づいてへんかもしれへんやろ?今日がエイプリルフールだって」
「ないない!雪男に限ってそんなこと」

晴れやかに笑って否定する兄さん。え、ちょっと待って。
えいぷりる、ふーる………?

僕は脳内に、今朝のことを思い出す。
そうだ、今日は休日で、四月一日で。

April fool。
嘘を付いても、許される日。

……………、と、いうことは………。

「………―――」

僕は、兄さんに向かって、何て言った?
そして兄さんは、僕に向かってなんて答えた?

「………っ」

僕は居てもたってもいられず、立ち上がった。そのまま走って、二人に近づく。

「え?!雪男………?!」

突然乱入してきた僕に目を白黒させる兄さんの腕を、掴む。そして何かに急かされるように、兄さんを連れて走り出す。
え、え、と戸惑っている兄さんの手を、ぎゅっと握り締めて。

「………―――あんなの、嘘に決まってるでしょ。僕は兄さんのこと、大嫌いだよ」

振り返らずに、強がってみる。
すると兄さんは、うん、と小さく呟いて。

「俺も………――――だいきらいだよ」

ぎゅう、と強く、手のひらを握り返してきた。


あぁ、ほんとうに。
僕はなんて、うそつきなんだろう。


そんなことを考えながら、やっぱり部屋は一緒がいいな、なんてことを思っていた。








おまけ


「………」

残された勝呂は、まるで何かに追われるように去っていく二人の背中を見つけて、小さく苦笑を漏らす。
……元はといえば、勝呂の幼馴染であり同郷である志摩の一言からだった。

『とうとうこの時期がやって来たで!エイプリルフールといえば、嫌いという鋭い言葉も好きという甘い言葉に変わる、まさにツンデレの為の日や!』

授業の終わりにそう叫んだ志摩の言葉を受けて、何やら奥村がぶつぶつ呟いていた。大丈夫か、と心配していたら案の定、その次の日に切羽詰ったような顔をした奥村に。

『なぁ、もし、さ。す、すきな奴に告白するなら、さ。エイプリルフールの日だったら、たとえ振られても「嘘だよ」って誤魔化せるかな』

なんてことを聞かれて。
知るか、と思った。だけどそれを聞いてきたのが、塾の教室で。
一瞬、静まり返った教室が、一気に爆発した。

『ちょ、奥村君!なんでそないなこと僕に相談せぇへんの!?この恋愛の伝道師、志摩廉造に聞けば一発解決や!』
『だめですよ志摩さん。そうやって他人の恋愛ごとに首突っ込んだら、碌なことになりませんよ。それに……下手に突っ込んだら先生に何をされるか……』
『……バカみたい。そんなの、わざわざエイプリルフールに言わなくてもいいじゃない。はっきりきっぱり言ったほうがいいわよ』
『り、燐なら大丈夫だよ!きっと!』

応援してるのか、どっちなのか。
まぁどちらにしても、塾の誰もが奥村の「すきな奴」というのが誰か分かっているという状態に、奥村本人は何の疑問も抱いていないのか、そうかな、なんて不安そうな顔をしている。
平和やなぁ、とぼんやりとその光景を見ていた俺だけれど、その内妙な空気になりはじめて。

『でもさぁ。もし失敗したら俺、どんな顔してアイツと暮らせばいいんだ?俺、アイツと一緒に住んでるわけだし』
『大丈夫!絶対成功するから!勇気出して、燐!』
『そうよ。男が告白する前にウジウジ悩むんじゃないわよ』
『そうですよ、奥村君。自分を信じて、頑張ってください』
『大丈夫や!いざとなったらフォローの達人の坊がいるんやし』
『なんで俺!?』

おぉ、さすが坊!と目を輝かせる奥村に、ぐっと言葉が詰まる。
そんなに期待に満ちた眼差しで見ないで欲しい。困る。果てしなく困る。

ダラダラと冷や汗を掻いていると、でもさぁ、と奥村が続ける。

『俺、エイプリルフールまで平気そうな顔できねぇよ。絶対アイツの顔、見れなくなる!絶対前日、変な風になるって!』
『あー、まぁ、確かに。告白前に変な空気になっても、それはそれで気まずいでしょうなぁ』
『だろ、だろ?俺、絶対顔に出る!』
『だったら、エイプリルフールまでできるだけ顔を合わせないようにすればいいじゃない』
『それはええ考えや!だったら坊の部屋にでもお世話になったらどうや?』
『だからなんで俺!?』

という具合に、何故か俺の部屋に逃げ込むことになった。
何故、どうして、と思っても、あの勢いに負けてしまった。
それに………、何となく、分かるのだ。
エイプリルフールという嘘を付いてもいい日に縋ってでも、相手に気持ちを伝えたいと思う気持ちが。
それは皮肉にも……、自分にとっては彼だったということなのだけれど。

「………ほんま、うそつきだらけや」

小さく苦笑しながら、もう見えなくなった二人の背中に、小さく呟いた。




END

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