Memorial Address SAMPLE




俺と夜が任されたのは、樹海に住むという上級悪魔の正体を調べることと、もしその悪魔が危険なものであれば抹殺するというものだった。
ある県境に存在するその樹海は、昔から神が住んでいると言われ、地元の人間から聖域として崇められていた場所だった。
しかし時代が進むにつれ、その存在は忘れ去られた。そして最近、その樹海で人が消えるという事件が多発していた。森林浴に来ていた家族の中で、子どもが居なくなったり。たまたま近くを通りかかった恋人たちのどちらかがいなくなったり。そんなことが立て続けに起こり、とうとう祟りではないかという噂が立った。
忘れ去られた神が怒り、樹海に入った人間を浚っているのではないか、と。
そして、正十字騎士団に依頼が入り、俺たちに任務が回ってきた、というわけだ。
だが、俺はその任務自体に疑問を持っていた。確かに、忘れ去られた神や仏が暴走し、人に悪影響を及ぼすケースはある。現に、俺の使い魔であるクロがそうだ。クロもある地方で養蚕の守り神とされていたが、人から忘れ去られ住処を奪われ、悪魔化した。
しかし今回の場合、大本となる「神」が何なのかさえ不明瞭だ。その他にも、不明な点が多すぎる。何より、そんな危険な任務に、小部隊二組で行けというのが、どうも腑に落ちない。
だから俺は反対した。行くのはいいが、もう一組部隊を出して欲しい、と。だけど、上司であるあのキテレツピンク野郎は楽しそうに微笑んで。
「今回は、この部隊だけで行ってもらいます。何、そんなに難しい任務じゃありませんよ。それに今回は、お試しの意味もあるのです」
「お試し……だと?」
「そうです。あの第三部隊の、ね」
ニヤリ、と笑ったメフィストに、俺はハッと目を見開いた。
「第三部隊を出すつもりか!? あいつらはまだ祓魔師になったばかりだぞ! しかもまだ、候補生の奴もいる! 正気かメフィスト!」
「ええ、私はいたって正気ですよ、奥村君。というより、彼らは少々危険な目に合ったほうが勉強になりますよ。貴方が候補生の頃は、今以上に厳しい訓練や実戦を積んでいたじゃありませんか」
「……ッ、昔と今は違うだろ!」
見透かすような瞳に、グッと言葉に詰まる。それでも負けじと声を上げれば、はぁと呆れたようなため息を吐かれた。
「違いませんよ。確かにあの頃に比べて祓魔師の人数は増えましたし、研究が進んで危険度はグッと低くなっています。ですが、全く危険がなくなったわけではないのです。まだ未熟なうちに経験を積んでおくことは、大切でしょう? 現に、貴方と共に戦ってきた同期生たちは、歴代の祓魔師たちの中でも特に優秀な実績を残していた。………貴方の弟さんを筆頭に、ね」
「………何が言いたい」
キッとメフィストを睨めば、やれやれと呆れたように肩を竦めていた。
「貴方は弟さんのことになると、元々低い沸点が更に低くなるのが難点ですね。まだ、話していないのですか?」
「……―――」
メフィストの質問には答えずに、俺はそっと目を伏せた。そして、ぐっと手のひらを握り締める。
……―――言えるわけねぇだろ。

お前の前世は、俺の双子の弟だったんだ、なんて。














「燐。………お前、やっぱりアイツに話さないつもりか?」
「……お前も大概しつこいぞ、夜」
部隊から少し離れた場所まで来ると、さっそく問い詰めてきた夜に、俺は眉根を寄せた。暗に言うつもりはないのだという意思を見せれば、夜はどうしてだ、と首を傾げていた。
「お前、アイツを意識してるだろ。アイツだってそれに気づいている。気づいて、何か訳があるのかと探ってる。だからお前にいちいち関わってくるんじゃないのか?」
「意識なんて、してねぇよ。あれはアイツが勝手にしてくるだけだ」
「……相変わらず、嘘が下手だな、燐」
ふ、と馬鹿にしたように吐き捨てた夜に、カッと頭に血が上る。その胸倉を掴み上げて、木の幹へと押し付けた。
「テメェに何が分かる! アイツに……雪男に似た奴がいきなり現れて、ソイツが実は生まれ変わった雪男で。でも俺のことなんて全然覚えてなくて、アイツはもう、雪男じゃないのに、アイツに『雪男』を押し付けそうな自分が、嫌なんだよ……!」
ちくしょう、と悪態をついた。それは、卑怯で弱い自分に対してだった。

あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。
こんな風に、暑い夏の日だった。胸騒ぎを覚えて目が覚めた夜更け。急に鳴り出した電話。その向こうで震える、シュラの声。

……―――雪男は、死んだよ。

濡れた頬の感触も、まるで違う世界に放り出されたような孤独も、魂の半分が消えてしまったような空虚感も、全部。
全部、覚えている。忘れるはずがない。だって、毎晩のように夢に見るのだ。あの、夏の日を。そしてそれまで二人で歩いて来た、思い出も。
暖かくて、あまりにも暖かすぎて、その思い出が痛かった。
それでも不思議と、忘れようとは思わなかった。何度も古ぼけたアルバムを捨てようと思ったけれど、結局捨てられなかったように。
写真の中の俺は、無邪気に笑っていた。その隣で、雪男も笑ってた。もう、そんな笑い方さえ忘れてしまったけれど、それでも、捨てられずにいる。
そんな俺の前に、アイツが現れた。
雪男と同じ魂を持つ、存在。俗に言う『生まれ変わり』。
……―――藤本、雪男。
何の因果か、ジジイの生まれ変わりである「藤本獅郎」の実の息子として生まれたアイツは、前世と同じように生まれながらにして悪魔が視えたという。そして前世と同じように「藤本獅郎」の助言を得て、祓魔師を目指しているらしい。
ジジイは、これも運命って奴さ、なんて笑っていたけれど。冗談じゃないと俺は思うのだ。
俺のせいで、普通の医者になるという夢を叶えられなかった雪男。本人は、医者にはなるよ、と笑っていたけれど、その前に、死んでしまった。
だからもし、雪男が生まれ変わるとしたら、今度こそ普通の人として、どこかで幸せになっていてくれたら、と願っていたのに。
カミサマはいつだって残酷だ。信じてなどいないけど、時折、居もしないソイツに詰め寄りたくなるときがある。
『燐。息子に会ってくれないか』
ジジイの記憶をそのまま持つ「藤本獅郎」は、真剣な顔でそう言った。ジジイに息子ができたことは純粋に驚いたし、嬉しかった。前世では一人身だったから、今回こそはって思っていたから。
『あぁ、いいけど?』
俺はその時、軽い気持ちで返事をした。ジジイの息子というのがどんな奴なのか、興味が湧いたからだ。
だけど、すぐに後悔した。ジジイに連れられてやってきたソイツは……―――、死んだ雪男と瓜二つだったからだ。
『初めまして。今度、正十字学園、及び祓魔塾にお世話になることになりました。藤本雪男です』
少し緊張しているのだろうか。黒縁眼鏡の奥の瞳は、まともに俺を見ていなかった。アイツからしてみれば、正十字騎士団の祓魔師、しかも聖騎士相手に挨拶をするだけでも、いっぱいいっぱいだったのだろう。
だけど………俺は気づいてしまった。その瞳の奥の奥に潜む、その感情に。

それは、悪魔に対する怯えと、嫌悪だった。

「アイツは「雪男」じゃない。そんなこと、分かってる。でも、アイツの何気ない仕草だとか、声の調子だとか、そんな細かいところで「雪男」を探して、期待してる自分が惨めなんだよ……!「雪男」はもうこの世界のどこにもいないんだって思い知らされて、苦しいんだ……!」
分かっていても、彼の中に「雪男」を探す。そして「雪男」と同じところ見つけては、もしかして、なんて期待して。
だから、関わるのが嫌だった。そんな自分を見せ付けられるのも、そして、「雪男」と彼は違うのだと思い知らされるのが、怖かったから。
「………―――、だとしても、アイツがお前の知る「雪男」じゃなくても、お前の声はアイツに届くだろ?」
静かな声が、俺の耳に響く。ハッと夜を見れば、夜は寂しげな顔をしていた。
「お前は贅沢だ。回りに沢山の人がいるのに、自分には誰もいないと言い、独りだと言う。お前の養父も、弟も、そして、仲間たちでさえ、今のお前の回りにいるというのに」
「……ッ、でも、アイツらは……!」
「魂は同じだ。たとえ違う人間だったとしても、魂はお前の傍にいる。………俺は、お前が羨ましいよ、燐」
「夜……」
夜の大切な人は、未だに生まれ変わりをしていないらしい。もしかしたら魂の輪廻を望まずに、天国で静かに暮らしているのかもしれない。
それが一番だ、と夜は笑うけれど、やはり寂しさは残るのだろう。
「手が届くなら、声が聞こえるのなら、怖がらないことだ」
胸倉を掴む俺の手を突き放しながら、夜は笑った。そして、俺の頭をポンポンと数度撫でると、ひらひらと手を振って部隊へと戻って行った。
俺はその背中を見送りながら、いつの間にアイツはあんなに人間らしくなったんだ? と苦笑を漏らす。
そして、ごめん、とぽつりと呟く。
心配をかけている自覚はある。だけど……―――どうしようもないんだ。
なぁ、夜。怖がるな、とお前は言うけど。
でも、伸ばそうとした手を振り払われたら、その先は、どうすればいいんだろう?



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