Trick or Treat？
「とりっく おあ とりーとぉおおお！」
お菓子くれ！と無邪気な笑顔と共に差し出された手を見つめて、僕は盛大にため息をついた。
「兄さん、今日は英語の発音の勉強をしようね」
「んだよそれ！」
俺日本人だから英語なんて出来なくてもいいの、何て、よく聞く皮肉を言いながら、兄さんは唇を尖らせる。しかし未だに差し出した手は引っ込めていない辺り、兄さんの執念深さが伺える。
全く、誰の入れ知恵なのか知らないが（多分、お祭り好きの某理事長だろうけど）、迷惑極まりない。僕は内心でため息を付きつつも、キラキラと期待に目を輝かせている兄さんに、にっこりと笑いかけて。
「Trick！」
「へ？」
「だから、Trick、だよ。兄さん」
ぽかん、と呆気に取られる兄さんに、僕は再度「Trickだよ」と言い聞かせる。でも兄さんは呆然としていて、何を言われているのか理解していない様子。
それもそうだ。きっと兄さんは、某理事長から「今日はハロウィンですので、お菓子をもらえる日ですよ」くらいにしか言われていないはずだ。その意味も理解していないに違いない。
「えー、っと……。はっぴーはろうぃん！じゃ、ねぇの？」
「うん。Trick、だよ」
たどたどしい発音でそう言った兄さんは、僕の答えにきょときょとと視線を彷徨わせる。どうしよう、という兄さんの戸惑った様子が伝わってきて、内心で苦笑する。本当、しょうがない人だ。
「兄さん。ハロウィンの意味、ちゃんと知ってる？」
「そ、そのくらい知ってるし！お菓子貰える日だろ！」
「まぁ、それも正解だけどね。元々ハロウィンっていうのは、ケルト人の宗教的行事が始まりで、まぁ、簡単に言えば日本のお盆と一緒なんだよ。ほら、日本のお盆では死んだ人が還ってくるっていうでしょ？それと同じで、昔は一〇月三十一日に死んだ人たちが還ってくるとされてたんだよ」
「ふぅん？外国にもお盆ってあるんだな」
「外国ではお盆とは言わないけどね」
「でも、それがなんでお菓子貰える日になるんだ？」
「まぁ、それには色々と通説があるんだけど。本当はハロウィンには仮装して、近所を回るんだよ。そうすることで、悪霊を脅かして祓うっていう謂れがあってね。それがいつの間にか、子供たちが家を回って訪ねた家の人に、『Trick or Treat！』って言って、お菓子を貰う風習になっちゃったってわけ」
「へぇ？それで、家の人は『はっぴーはろうぃん！』って言って、お菓子を渡すわけか。……ん？じゃあ、さっきの雪男の答えは？どういう意味なんだよ？」
何々、と興味深々に聞いてくる兄さん。青い瞳を輝かせて無邪気に聞いてくる兄さんに、僕はにっこりと笑って、その頬に手を伸ばす。
「それはね、兄さん……―――」
いたずらして、って意味なんだよ。
そっと囁いて、その頬に、ちゅ、と唇を落とす。
「ふ、え……？っ、っ、は！？」
呆然としていた兄さんは、自分が何をされたのか、理解したらしい。真っ赤になって、目を白黒させていた。
「ん、な、な、ななな、何……っ？」
「だから、『いたずら』だよ。これは『Trick or Treat！』の英訳が『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ！』って意味だから、
Trickか、
Treat か、どっちなの？って聞いてる意味になるんだよ」
「そ、それで……、な、んで、ほっぺに、ちゅー……なんだ、よ！」
「ん？だって、その方が兄さんがびっくりするでしょ？」
ね？と笑いかければ、真っ赤な顔をしたままの兄さんが、むっとした顔をして。
「ず、ずりぃ！」
「え？」
「俺が先に聞いたんだぞ！「とりっく おあ とりーと」って！」
「まぁ、そうだけど……」
「なのに、なんで雪男が俺に悪戯すんの？！ずりぃ！」
「えーっと……」
兄さんはよっぽど悔しかったのか、ばたばたと尻尾を揺らして怒っている。むすくれた兄さんに、さてどうしようかと悩んでいると、力強く腕を引かれて。
ちゅ、と。
頬に、柔らかい感触。
何、と思う間もなく、柔らかいソレは離れて、僕が呆然としていると、目の前の兄さんは赤い顔のまま。
「『とりっく』」
仕返しだ、と兄さんは笑う。そして照れたように視線を外してしまった。その、耳まで真っ赤になった横顔に、僕の方こそ顔が熱くなるのを感じて。
僕が真っ赤になっていると、兄さんはそれこそ悪戯が成功したような顔をして、ばーか！と叫びながら部屋を出て行ってしまった。
その背中を、呆然と見送って。ぴたり、とまだ柔らかな感触の残る頬に、手を伸ばして。
「……。兄さん、これじゃ、
Trickじゃなくて、
Treat だよ」
ぽつり、と呟いた。
甘い甘いお菓子をあげる。
アレ？君は悪戯をご所望かい？
それなら、とびきりの悪戯をしてあげよう。
あまい、あまい、いたずらを。
Happy Halloween！