悪ノ兄弟。



兄さんは、悪魔。
そして僕は、人間。

兄さんを守る。
その為ならば、僕は悪にだってなってやる。





十二月二十七日、僕たちは生まれた。『青い夜』と呼ばれる、その忌まわしき夜に。
たくさんの人が死んだのと同時に生まれた、僕たち。だけど、僕たちの未来は、二つに裂けた。

兄さんは、物質界アッシャーの敵であり、虚無界ゲヘナの王、サタンの炎を受け継ぐ者として。
そして僕は、そんな悪魔を祓う祓魔師としての道を選んだ。……兄さんを、守る為に。

『雪男!』

例え、世界の全てが、兄さんの敵になったとしても。
僕が、兄さんを守る。その為に祓魔師になって、強くなった。
だから、兄さんは平和なその場所で、笑っていて欲しいんだ。




「……危ない!」

兄さんの焦った声がする。同時に、何かが焼け付くような、嫌な匂いが鼻を付いた。
ハッと我に返った僕が目にしたのは、腹を押さえて蹲る兄さんの姿と、そんな兄さんに襲い掛かろうとする悪魔の姿。
その瞬間、思考が真っ白になって……―――。

「―――……ちゃん、雪ちゃんッ!」

次に我に返った時、煩いくらいに耳鳴りが頭の中で木霊していた。そして、僕に向かって必死に呼びかけるしえみさんの震える声と、酷い硝煙の匂い、そして、荒い自分の呼吸音が、ごちゃまぜになって僕を襲う。

「雪ちゃん、もう、大丈夫だよ」

そっと、しえみさんが銃を握る手を握り締めてきた。温かなぬくもりに、自分の手がひどく冷えていることに気づく。
そして、足元に転がる、ぐちゃぐちゃになった、ソレ。

「……あ」

ソレは、兄さんを傷つけた。
そしてソレを、僕が殺した。

「大丈夫だよ、大丈夫」

何度も、確かめるように、しえみさんがそう言う。
僕は次第に、自分が何をやったのか、思い出し始めた。そして、それが何によって引き起こされたのかも、全て。

「に、兄さん!」

兄さんは!?と急に慌て出した僕に、しえみさんはビクッと体を震わせたものの、すぐに落ち着いて、燐は大丈夫だよ、と笑う。

「すぐに霧隠先生が手当てをしてくれたから、命に別状はないって。……それよりも、雪ちゃんも傷だらけだよ?早く手当てしなきゃ」
「……そう、ですね」

僕が肩の力を抜いて頷けば、しえみさんはホッと安心したように笑った。そして、戻ろう?と促すので、僕もそれに続こうとして。
僕の足元に転がっている、元は悪魔の形をしたソレを、見下ろした。
そして、その横に転がる人間だったモノを見て、僕は小さく笑った。

「……、残念だけど。僕は兄さんを傷つける存在を、許さない」

笑いながら、僕は自分の頬が濡れていることに、気づいていなかった。



その日の任務の内容は、あまり内容の良くないものだった。それは、悪魔落ちしてしまった祓魔師の追跡と、捕獲。その任務に当たったのが、僕とシュラさん、そして兄さんとしえみさんだった。
当初、僕は兄さんやしえみさんがこの任務に当たるのを反対した。まだ祓魔師になったばかりの二人に、この任務は酷だ、と。
だけど上の命令には逆らえない。そして何より、兄さんをこの任務に当たらせることで、本当に騎士団に忠誠を誓っているのか図ろうとしているのが見え見えで、吐き気さえした。
そして、ようやく悪魔落ちした祓魔師を見つけて、捕獲しようとしたその時、祓魔師がしえみさんに向かって攻撃を仕掛けてしまい、それを兄さんが庇った。自分の体を、盾にして。
僕が何度言っても、兄さんは自分の体を盾にすることを止めない。今回も、それは変わらなくて。
兄さんを傷つけられて、頭が真っ白になった僕は、単身で悪魔に向かっていった。そして、祓魔師もろとも、悪魔に向かって銃を放った。何度も、何度も、それこそ元の原型がなくなるほど、何度も。

僕は祓魔師にんげんを撃つのに、なんの躊躇いもなかった。
ただ、その祓魔師は神父とうさんがいた頃からの知り合いで、何かと気に掛けてくれた人だった。とても尊敬していたし、何でこの人が悪魔落ちをしてしまったのだろう、と今でも思うような人だった。
だけど、例え知り合いで尊敬していた人だろうと、兄さんを傷つけたことには、変わりない。
だから、撃った。
僕が、殺したんだ。




「……雪男」

任務が終わり、傷だらけだった僕は、しばらくの休養を言い付かった。ベッドに横になりながら、もう既に回復している兄さんが、気まずそうに僕を見下ろしていた。
多分、兄さんは兄さんなりに、僕のことを心配しているのだろう。僕はそんな顔をして欲しくなくて、そっと兄さんの頬に手を伸ばした。

「大丈夫だよ、兄さん。こんな傷すぐに治るよ」
「……うん」

僕がそう言って笑うと、兄さんもいつものように笑ってくれて。

「今日の晩御飯は、お前の好きな魚料理、作ってやるよ」

そう言って無邪気に笑う兄さん。そんな兄さんが、僕は大切だった。



なのに。



『奥村燐は、サタンの青い炎で人を傷つけた』

しまった、と思ったときにはもう、遅かった。
僕が任務で出ていたときに、別の任務にかかっていた兄さんが、青い炎を出して人を傷つけてしまったらしい。
勿論、そんなの言い掛かりだ。兄さんはきっと、また誰かを守ろうとしただけなのだろう。兄さんを良く知る人なら、誰もがそう言うはずだ。
だが今回は運悪く、任務に同行していたのは僕やシュラさんではない、他の祓魔師たちで。
嵌められた、と思った。そう都合よく、僕やシュラさんに兄さんと別の任務が与えられるはずがない。きっと兄さんを快く思わない誰かが、兄さんを嵌めたに違いない。
だけど、もう一刻の猶予もない。全てが後手に回りつつあって、僕たちがいくら頑張ろうと、兄さんの処刑は免れそうにない。


兄さんが次に捕まったら、確実に処刑だろう。
だったら僕は、あえてそれに逆らおう。


しえみさんたち、兄さんと同じ塾で習った塾生たちや使い魔であるクロが、兄さんを守ろうとしてくれている。
そしてそんな兄さんを捕縛しようと、上級の祓魔師たちが追ってくる。
逃げて、逃げて、正十字学園内の奥地に建てられた教会へと逃げ込んだ。
この教会の場所を教えてくれたのは、フェレス卿だ。兄さんを連れて逃げると言った僕に、何かを悟ったのだろう、声を上げて笑いながら。

『いやいや、やはり君たち双子は面白い。……いいでしょう。特別に、私が結界を施した場所へ逃げるといい。多少は、時間稼ぎになるでしょう』
『……、ありがとうございます』

僕が頭を下げて、フェレス卿に背を向ける。背後でフェレス卿は、相変わらずの飄々とした態度で。

『……藤本が生きていたら、きっと今の貴方を見て怒るでしょうね』
『だとしても、僕は兄さんを守ります』

揺るがない僕の返事に、フェレス卿は肩を竦めたようだ。振り返らなかったから、真意は定かではないけれど。


僕がそのやりとりを思い出していると、突然、ぱぁん!という乾いた音が響いた。恐らく教会の外で、誰かが発砲したのだろう。だけど、教会はどこも傷ついていない。
さすがはフェレス卿、と関心しつつ、だが、それも時間の問題だろう。
何故なら、フェレス卿は『多少は、時間稼ぎになるだろう』と言っていたのだから。いつかこの結果も綻びるだろう。

僕は振り向いた。
兄さんを守るようにして、塾生の皆が兄さんを囲っている。その真ん中で、兄さんは悲しげな顔をしていた。多分、僕や塾生の皆を巻き込んだことを、悔やんでいるのだろう。
心優しい兄さん。
優しくて、温かくて、いつでも僕を守ろうとしてくれた。

だから。

……―――今度は、僕が貴方を守る番だ。


「兄さん」

僕は、兄さんに向かって笑いかける。
大切に、大切に、想いが伝わるように、優しく。
そして、ゆっくりと兄さんに近づいて、その青い瞳を覗き込む。ゆらり、と揺れる青に、僕はもう一度、兄さん、と呼んで。

バサリ、と羽織っていたコートを脱いだ。

このコートは、祓魔師の証だ。このコートを始めて背負った日のことを思い出して、僕はほんの少しだけ、目を細める。これは、僕の決意の証だった。
兄さんを守る、という固い決意の。
だから、僕は今、コートを脱ぐ。そして、呆然としている兄さんに、そっとコートを羽織らせた。

「ほら、僕の服を貸してあげる。これを着て、逃げるんだ」
「ゆき、お……?」
「大丈夫、僕たちは似てないけれど。ちゃんと双子だよ」

だから。

「きっと、」


この青い炎が誰のものかなんて、誰にも分からない。


呆然と兄さんが見上げる。その青い瞳に揺れる、青い炎。
これは、僕が正十字騎士団にも、兄さんにも内緒にしてきた秘密。
兄さんが覚醒してしまった、あの日。あの日から少しずつ、僕の体は変化していた。
徹夜をしても、全然だるくない。多少の無理をしても、疲れない。
それまで伸びていた身長が止まり、逆に体力が有り余るようになったり。
そんな変化を、僕はただ、受け止めた。
毎日の検査に、いつ引っかかるだろうか、と怯えながら、それでも『異常ナシ』の結果に安心して。ついにこの日まで、正十字騎士団には知られることはなかった、僕の真実。

兄さんは、悪魔でサタンの炎を受け継ぐ息子。
そして、僕は人間で祓魔師だった。

僕たちは双子で、兄さんがあくまだと言うのなら。
僕だって、同じ血が流れている。

この、青いは、ちゃんと流れているんだ。


「兄さんは、生きて」

僕は兄さんに向かって笑いかけながら、かけていた眼鏡を外す。
悪魔として覚醒した時に視力も回復していたから、これはもう必要のないものだ。
だけど、今の兄さんには、カモフラージュのためには必要で。
僕は外した眼鏡を兄さんに掛けてあげて、そっと兄さんの隣にいたしえみさんを見た。
しえみさんは僕の青い炎を見て驚いていたけれど、僕の顔を見て何かを悟ったのだろう。そっと頷いて兄さんの腕に抱きついた。
僕はそれに頷き返して、そっと兄さんに背を向けた。ようやく我に返ったのだろう兄さんが、しきりに僕の名を呼んでいた。だけど追ってくる気配はない。きっと、しえみさんや他の塾生たちが兄さんを抑えてくれているのだろう。

「雪男ッ!だめだ!行くな……!雪男ッ!」

何度も、僕を呼ぶ兄さん。
大丈夫だよ、と振り返って笑い返したいけれど、そんな時間はもうあまりないから。

たとえ、世界の全てが兄さんの敵になろうとも。
僕が、兄さんを守るから。

だから、兄さんは、どこかで笑って、生きていて欲しいんだ。


僕は、教会の扉の前に立つ。そして、一度だけ振り返った。
塾生たちや強大化したクロに抑えられながら、必死に僕に手を伸ばす兄さんに向かって、小さく笑って。

「だいすきだよ、兄さん」

一生告げるつもりもなかった想いを、告げて。
扉を、開け放った。

同時に広がる、黒の群れ。
教会を包囲していた祓魔師たちは、僕の姿を見て目を見開いた。青い炎を纏う、僕を。

「奥村燐!ただちに投降しなさい!そうすれば、他の祓魔師たちの処分は免除にする!」

黒の群れの中の一人が、僕に向かってそう叫ぶ。僕はそれにゆっくりと口元を吊り上げた。
そして、手のひらの中にあるソレを見つめた。ソレは、銀色に鈍く光る、小さな鍵だった。
この鍵はこの教会のモノで、フェレス卿から貰ったものだ。

……神隠しの鍵。

如何なる物も、如何なる場所へ隠すことができる鍵だ。
僕はそれを、教会の鍵穴に差し込んだ。

「……―――、雪男ッ!」

教会の中で、兄さんが僕を呼ぶ。
その声を振り切るように、僕は扉を閉めた。

バタン、と扉の閉まる音が、やけに大きく響いて。
僕は鍵に手をかけて、迷いなく回した。
ガチャリと鍵のかかる音がして、鍵を穴から引き抜く。そして、握り締めた鍵をバキリ、とこなごなに砕いて。

これで、大丈夫。
これで、兄さんを守ることが出来る。

僕はホッと安心しながら、ゆっくりと空を仰いだ。
どこまで澄み切って、目が痛いくらいの青が視界に広がって。
カァン、カァン、と教会の鐘が鳴り響いた。

兄さん、と小さく囁いた僕の声は、ぱぁん!という甲高い銃声にかき消された。


兄さん。
たいせつな、僕の片割れ。

無邪気なその笑顔も、僕を呼ぶその声も、全部抱えて、僕は逝くから。
だから、どうか。

どうか、幸せに。
幸せに、生きて、い、て……―――。




兄さんは、悪魔。
そして僕も、悪魔。

兄さんを守る。
その為ならば、僕はあくまにだってなってやるんだ。







END

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