please not chocolate




人はなぜ、チョコレートを食べるのか。


―――んー? とーぶんせっしゅ? 
ふざけんな、砂糖でも食ってろボゲ。

―――えー、じゃあ、なんでだよ。
俺が知るか。

―――なんだよそれ! お前が聞いてきたんだろ! っていうかさ、それを言うなら「どうしてバレンタインにチョコレートを贈るのか」の方が正しくない?
あぁ、そうだな。それもそうか。……なんでだろうな?

―――さぁ? わかんない。んー………。あぁ、でも!


―――理由は知らないけどさ、たぶん……――――。



please not chocolate


俺は一年の中でこの時期が一番嫌いだ。ここぞとばかりに菓子コーナーにはアレが並ぶし、菓子コーナー以外にも特設コーナーとか言って店の一角をアレが占める。その中を、まるで餌に飢えた獣みたいな目をした女子たちが、我先にと群がる姿を横目に、俺はいつも呼吸を止めてその場を去る。あの、甘ったるいなんとも言えない匂いが微かにしただけで、気分も機嫌もどん底まで落ちるからだ。
なんだよ。なんでアレなんだよ。なんでアレを贈る日なんていうものがあるんだよクソ。ブツブツとそんな悪態をつく。

俺は、チョコレートというあの黒い物体が嫌いだ。心の底から、嫌悪している。

あの甘い匂いも嫌いだし、口の中で溶けてどろどろする感じも嫌い。そしてなにより、――チョコレートに関して、いい思い出が全くないからだ。

あれは、俺がまだあの黒い物体を「食えなくもないが好んで食べようとは思えない物」としか認識していなかった頃のこと。二月一四日の、早朝での出来事だ。
俺は、いつものように小学校に登校しようと家を出た。いつも通りに歩いて、いつも通りに教室に入った。―――のに、教室はいつも通りじゃなかった。
甘ったるいチョコレートの匂いが充満した教室内で、女子はいつも以上にうるさいし、男子はそわそわと落ち着かない様子で女子の方を見ていて、いつもはボロボロの半そで半ズボンを着て校庭を駆け回っていた奴も、なぜか一張羅を着て背筋伸ばして机に座っていた。
なんだか、異様な空間に放り出されたような気がして茫然としていると、女子の一人があっと声を上げた。その声につられるように女子が一斉にこちらを振り向いて。

「やっと来た! 影山くん!」

ぱあっと表情を輝かせた女子達が、一気に俺に向かって走り出した。正直、その勢いに圧倒されて、俺はその場から逃げ出した。のに、女子達は諦めずに俺の後を追ってきて、しかも廊下を走るたびにだんだん人数が増えていった。

「待って影山くん! これ、受け取って!」

背後から甲高い声がするけど、俺はそれどころじゃなかった。ちらりと振り返ると、まるで獲物に襲い掛かろうとする猛獣のような目つきをした女子達が、赤やピンクでラッピングされた物を片手に俺を追いかけていた。
―――なんの罰ゲームだこれは。
俺はとにかく、必死に逃げた。追いつかれたらきっと、俺の中の何かが終わる。そんな気がして。そうして、逃げて、逃げて、俺が最終的に逃げこんだのは、バレーをして怪我をしたときにお世話になっている保健室だった。
慌てて逃げ込んできた俺を、事情を察した保険の先生が、優しい顔で出迎えてくれた。大変だったね、と微笑まれて、この人は神様かと、拝みたくなったくらいだ。
そして、どうにか女子達を巻いたとホッと一息ついた俺に、彼女は神様みたいな笑顔を浮かべて。

「そうだ、これ、食べる? 今日、バレンタインだもんね」

そう神様が差し出したのは、真っ黒な色をしたハートマークの、チョコレート。
にこにこ。悪気は一切ない笑みに、俺は意を決してそのチョコレートにかじりついた。が。……それから先は、あまりよく覚えていない。全速力で走ったあとに、若干トラウマになりかけていたものを口に入れたせいで、俺は気を失ったらしい。気が付けば、保健室のベッドで放課後を迎えていた。

その日から俺は、バレンタイン、及びに黒いアレが大嫌いになった。




という話を、バレンタインの日の放課後に、義理チョコの入った紙袋を片手に「お前はおれにくれねーの?」と言って来た日向に話すと、何故かしょっぱい顔をされた。影山って、モテるんだよなぁ……と、いつもは元気いっぱいに跳ねている癖っ毛を心なしかしょんぼりさせて、ぶつぶつ呟いている。
モテる? 俺が? いつ? 首を傾げると、ジトっとした目で見られた。

「気付いてなかったの? つか、バレンタインに女子から追いかけられたんだろ? なんで女子達が追いかけたのか、分からなかったのか?」
「なんでって……。アレ、渡すためだろ?」
「そうそう。それって、そんだけお前がモテてるってことじゃん」

唇を尖らせて、日向が拗ねたように言う。モテる奴って毎度あんなふうに追いかけられるのか、そうなのか。よく分からないけど、へぇ、と適当に相槌を打ったら、深々とため息を付かれたので、イラッとして日向の頭を掴んだ。いたい! いたい! と抗議の声が上がって、少し満足する。

「あのさ! 何かあるとすぐおれの頭掴むの止めてくんない!? あーもう、ぐしゃぐしゃになったじゃんか」
「元からぐしゃぐしゃだろ、お前の髪」

爆発したような髪を撫で付ける日向に呆れつつ、ぐしゃぐしゃでも俺は嫌いじゃないけどな、と言ったら、日向は真っ赤になっていた。

「………。なんだよもう……。無意識って怖い……」
「? なにが」
「気付いてないならいいよ、別に。あーそっかぁ、影山、チョコ苦手だったんだなー……」

そっかぁ、それならしょうがないな、と日向は笑っていたが、やっぱり心なしか元気がない。日向はチョコが欲しかったのだろうか。今さらとはいえ、用意していなかったことがなんだかいけないことだったような気がして、居心地の悪さを覚えた。

「んだよ。ほしいならほしいって、言っとけよ。そしたら、用意しといたのに」

つい、日向を責めるような口調になってしまった。けど、日向は気にした様子もなく、笑いながら夕日で赤く染まった空を見上げていた。

「んー、そういうのってさ、催促して貰うようなもんじゃねーんじゃねーの? それに、チョコ嫌いなのに無理して用意してもらっても、うれしくねーし」
「けど、お前は欲しかったんだろ」
「そりゃそうだけど……」

口ごもる日向に、俺はだんだんと苛立ってきた。バレーしているときにはグイグイ来るし、普通のときもグイグイ来るくせに、こういう時には引いてみせる日向が、なんだかもどかしい。なんだよ、もっと来いよ。俺からチョコ欲しかったって駄々こねて、なんで用意してねーのって怒れよ。じゃねぇと、俺、本当に悪いことしたみたいになるじゃねぇか。
腹が立って、自然と眉間に皺が寄った。

「んだよ、俺がチョコ用意してなかったのが悪かったんだろ? なら、なんで怒らねぇんだ。お前、チョコ欲しかったんじゃねぇのかよ」
「まぁ、ほしかったけど……別にそうでもねーって。っていうか、影山、なんか怒ってる?」
「当たり前だろ」

欲しいと思っているのに、それを素直に言わないお前に苛立ってしょうがない。いつもは俺に、スナオじゃねーな、とか言うくせに。素直じゃねぇのはどっちだよ。むしゃくしゃして、いつものように日向の頭を掴もうとしたら、警戒したのかびゅっと後ろに飛んで俺の手から逃げた。

「だーから! なんで頭掴むんだよっ!」
「掴みやすい位置にあるからだろ」
「ぐぬぬ………! いつかぜったい影山のこと見下ろしてやる!」
「いや無理だろ」
「無理じゃない! おれ、高校に入って一センチ伸びたんだ! この調子でぐんぐん伸びればいつかぜったい……!」
「俺は1.5センチ伸びたけどな」
「なんっ、っ、っ、……、おれは次、二センチ伸びるもんね!」

悔しげに唇を噛みながら、だんだん! と地面を踏みつける日向。手に持っていた義理チョコ入りの紙袋がガサガサと音を立てていて、そんなに揺らして大丈夫なのかよ、と思っていると、案の定、袋が破けてその場に可愛らしいラッピングの袋が散らばった。

「あっ! ヤバ!」
「ばーか。んな振り回すからだろ」
「うるさいな!」

わたわたとチョコレートを拾う日向に、手伝ったほうがいいだろうか、と考えて、いやでもアレだぞ、と足元に転がったピンク色の箱を見下ろした。触るどころか、見るのも嫌なのに?
ピンクやら赤、オレンジといったカラフルなラッピングが、威圧的に見上げている。日向を意識しているのか、やけに鮮やかな色が多いそれらを見下ろして、俺はすぐさま視線を外した。
むりだな、と結論付けて日向のつむじを見下ろしていると、ふと、転がった袋の中に、真っ黒な袋があるのが目についた。鮮やかな色が並ぶ袋の中で、その黒は特に浮いて見えて、俺は何となく手を伸ばした。その袋だけは何か、嫌な感じがしなかったからだ。
拾い上げてみると、白いカードが添えられていた。『影山へ』。

「え?」
「あっ」

なんで俺? と首を傾げていると、日向がぎょっと目を見開いて声を上げた。素早く手の中にある袋を取り上げようとしたので、頭上に掲げて取れないようにする。

「っちょっ、それっ、返せ!」
「いやだ。つーかこれ、俺宛のじゃねぇか? なんでお前が持ってるんだよ」
「う、いや、それは、その……―――」

ごにょごにょと口の中で言葉を濁す日向に、俺は袋を見上げた。『影山へ』と書かれたカードの文字には、見覚えがある。少しだけヘタクソな、まるっこい字。これって……。

「、お前が用意したのか………?」

俺宛への、チョコを。

日向を見下ろせば、僅かに俯いていた。だけど、癖っ毛の隙間から覗く耳頭が真っ赤になっていて、顔が見えなくても何となく日向がどんな顔をしているのかが分かった。
うー、と小さく唸った日向が、やけくそ気味に抱きついてきて、ぐりぐりと俺の胸に頭を押し付けた。

「………夏が、さ。父さんへのチョコレート、母さんと作ってて。毎年のことだから、あーまた作ってるなーって見てたら、―――その………影山のこと、思い出して。お前にあげたら、喜んでくれるかなーって。そう思って、二人に混じって、作ってみた、んだけど……」

お前、チョコレート苦手なんだろ?

ぽつり、ぽつり、と頭を押し付けたまま、日向はくぐもった声で呟いた。俺はそれを聞いて、ぐぅっとよく分からない感情が胸の奥から込み上げてくるのが分かった。
日向が。
俺のために、作ってくれた。俺のためだけに。
それは、とても、とても――――うれしい。
俺はなんだか苦しくなってきて、掲げた袋ごと、日向の頭をぎゅうっと抱きしめた。日向がよく、俺にしてくれるみたいに。
抱きしめた日向からは、太陽の匂いがした。その匂いがすきで、俺は顔を埋めた。すると、日向もふっと肩の力を抜いて、俺の頭を抱きしめ返してきた。

「影山、えっと、その、ごめん」
「……なんで謝る」
「だっておれ、お前がチョコ苦手って知らなくて。見るのもいやなんだろ? そういうの、ちゃんと聞いておけばよかったって思って」
「………ぼげ」

ごめん、と謝る日向に、俺は小さく悪態をつく。謝らなくていいのに。俺は、こんなにもうれしいのに。なんで謝るんだよ、ばか。
小さく笑って、そして、袋を握る手に力を込めた。

「俺、食うぞ」
「へ?」
「これ、食う」

苦手だし、嫌いだし、見るのも触るのもいやだけど。でも。
日向、お前が作ったものなら。

「えっ、えっ、でも、おまえ、嫌いなんだろ? 食べたら気絶しちゃうくらい苦手なんだろ? いいよ、無理しなくて」
「いやだ、食う」
「だめ! おれのせいで影山が気絶するとか、ぜったいだめ! だめだかんな!」
「うるせぇ、食うって言ってるだろボゲ」

ぐぐっと力を込めて離れようとする日向の頭を押さえ込んで、俺は袋に手を掛けた。かさかさと袋が音を立てて、開くと途端に甘い匂いが漂ってきた。その匂いに一瞬怯んだものの、意を決して袋に手を突っ込んで、中から一つ、チョコを取り出した。いびつでちぐはぐな、全然綺麗じゃない、たぶん、ハートの形になりたかったであろう、それ。だけど、嫌な感じじゃない。俺はそっと口に入れて、ころん、と転がす。途端に、とろりと溶け出した、甘いあじ。久しぶりに口に入れたチョコに、しかし、体は正直なのか、途端にぶわりと鳥肌が立った。本能の部分で拒絶しているのか、指先が震え出す。口の中はもちろん、鼻の奥にまでチョコの匂いが充満してきて、だけど、吐き出すなんて絶対にいやで、俺はぐっと手のひらで口を覆った。

「…………っ、ぅん」

心では食べたいと思うのに、体が拒絶する。なんだか悔しくなってきて、じわり、と視界が滲んだ。せっかく、日向が作ってくれたのに。チョコレートを食べたいって、初めて思ったのに。まるで、コートから下げられたときみたいに悔しくて、それでも必死に飲み込もうと何度も喉を鳴らした。だけど、体はチョコを入れることを拒んで、なかなか飲み込んでくれない。

「ふ、……っ、ぅ」

ぐぅと変な音が鳴って、体が震えた。力が入らなくなってきて、日向を押えていた腕の力が緩むと、日向が勢いよく顔を上げた。口を押えて、泣き出しそうになっている俺を見上げて、日向は少し苦しそうな顔をした。

「ほら、無理して食わなくていいから。べーってしていいよ」
「んぅっ」

いいから、と背中をさすってくる日向に、いやだ、と首を横に振る。いやだ、ひなた、俺は、食べたいんだ。お前の作ってくれたものを、ちゃんと。そう目で訴えると、日向は大きな瞳を緩めて、嬉しそうに笑った。

「影山、おれ、うれしいよ。お前が、おれの想いに応えようとしてくれて。すっげぇうれしい。………でも、それで影山が苦しい思いをすんのは、いやだ」
「っ、」

ちがう。ぜんぜん、くるしくねぇ。こんなの。本当にうれしいんだ。必死に首を横に振って訴えるけれど、日向は笑ったまま俺の頬に両手を伸ばした。俺のトスを打つ日向の手が、触れて。

「ね、かげやま。くち、開けて?」
「ぅ………、!」
「だいじょうぶだから」

こつん、と日向が額を合わせてくる。口を覆う手の強張りを解くように、ひとつ、ひとつ、柔らかな唇が触れて、冷たくなった指先が触れたところから体温を取り戻していく。だいじょうぶ、と何度も囁かれて、俺はとうとう我慢できずに、覆っていた手のひらを外した。ひなた、とその名を呼ぶ前に、日向が唇を重ねてきた。ぺろりと唇を舐められて口を開けば、舌が入り込んでくる。日向の舌は、俺の口の中にあるチョコを舐め取るように動いていて、俺はその動きに翻弄されるだけ。ちゅ、くちゅ、とチョコなのかお互いの唾液なのか分からない濡れた音がして、縋るように頬に添えられた日向の手に手のひらを重ねた。

「ん、ふ………あ、ひな、」
「……は」

息が苦しくなってきて、お互いに唇を離す。頬を染めた日向の口の横にチョコがついていて、どきりと心臓が高鳴った。日向は荒い息のまま、かげやま、とその唇で俺を呼ぶ。

「口んなか、甘いね」
「っ、と、うぜんだろ……チョコ、食ってたんだし……」
「ん、でも、おれが味見したときより、あまい」

なんでだろうね、と口の端についたチョコを舐めとりながら、日向が笑う。舌なめずりする獣みたいな顔をした日向に、ぞくりと背筋が震えて、内心で舌打ちする。

「んなの……しるか、ぼげ……」
「えー? おれ、なんとなく分かる気がするんだよね。影山とキスするとき、いつも甘いから。たぶんそのせいなんじゃないかなって」
「っ、んなわけねぇだろっ……!」
「ほんとだって。なんなら、もっかいしてみる?」

ちゅっと音を立てて軽く唇を合わせた日向が、へへ、と笑う。いちいち恥ずかしいんだよボゲ。アホ。日向のくせに。そんな悪態を付こうとして、でも、喉の奥で甘い何かが絡んで、出てこない。
くそ、それもこれも、ぜんぶ。

「ひなた」
「ん?」
「………………………―――、まだ、のこってる、から………」

くちんなか、と僅かに舌を出せば、日向はきょとんと目を丸くしたあと、ニッと太陽みたいに笑った。

「ん、りょーかい。ぜんぶ、きれいにしてやるよ」

そうして触れ合わせた唇は、いつも以上に甘かった。







人はなぜ、チョコレートを食べるのか。


―――んー? とーぶんせっしゅ? 
ふざけんな、砂糖でも食ってろボゲ。

―――えー、じゃあ、なんでだよ。
俺が知るか。

―――なんだよそれ! お前が聞いてきたんだろ! っていうかさ、それを言うなら「どうしてバレンタインにチョコレートを贈るのか」の方が正しくない?
あぁ、そうだな。それもそうか。……なんでだろうな?

―――さぁ? わかんない。んー………。あぁ、でも!


―――理由は知らないけどさ、たぶん……――――チョコレートって溶けるじゃん? そのなかに「すきだー」って想いを込められるからじゃないかな。
…………んだよそれ。はずかしいやつ。



HAPPY VALENTINE!


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