だめって言っても





誰もいない、昼休みの体育館。一人でサーブ練をしていたはずなのに、いつの間にか日向が来ていた。最初は並んでサーブ練していたのに、サーブが苦手な日向は、何度かサーブを失敗していた。途端、チラチラとこちらを見て、落ち着きがなくなっていく。うざったい視線。無視していたら案の定、トスをねだり始めた。

「なぁなぁかげやまー、トスくれよトス! な? 一本だけでいいからさぁ」
「うっせぇボゲ日向。 あとにしろ」
「いーじゃんか、一本くらい!」
「そう言ってこの前、あと一本あと一本っつって、結局十本も上げてやっただろうが!」
「うっ、た、しかにそうだけど……っ」
「今日は上げてやらねぇかんな」
「うー……」

ボールを両手で持ったまま、日向は分かりやすくしょんぼりと肩を落とした。心なしか、ふわふわした癖っ毛も元気がなくなったような気がする。気のせいか。いや、気のせいじゃねぇな。
肩を落として、しぶしぶサーブ練に戻る日向の背中は、元気がない。いつも無駄に元気がいいくせに、トス上げねぇって言っただけでこれだ。俺が悪いことしたみてぇな顔しやがって。……ちょっと可哀想になって、いやいやダメだダメだ。慌てて考えなおす。
別に、上げてやること自体が嫌ってわけじゃない。…………むしろ、ちょっと、楽しい。日向との連携は、俺の全てを捧げているといっても過言ではない。高さ、速さ、タイミング。全てがぴったりにならなければならないトスは、普通のトスを上げるよりも多くの神経を使うし、疲れる。けど、その分、決まったときの快感も人一倍だ。だから、日向との練習が嫌だと思ったことは一度もない。けど。

「なーあー、かーげーやーまー、上げてってばー」
「だめだ」
「おねがいー」
「いやだ」

しつこい。だめだって、いやだって言ってるのに、人の話なんて聞きやしない。貴重な昼休みの練習時間なんだ。一分一秒だって無駄にしたくないのに。いい加減、苛立ちも限界に達していた。今度上げてって言ったら、投げ飛ばしてやる。舌打ちしつつ身構えていたら、ジャージの袖を引っ張られる感触がした。来た。ここぞとばかりに怒鳴ってやろうと日向の方を向いて、真っ直ぐにこちらを見上げる日向の瞳に、飛び出しかけた怒声が喉で引っかかった。

「なぁ、かげやま。ほんとにいや? だめ? おれに上げるの、いや?」

大きな瞳が、瞬きもせずにじっとこちらを見ている。「なぁって、影山」服の袖を引いて、俺の答えを待っている。けど、その聞き方は、卑怯だと思った。日向にトスを上げることが嫌だなんて、俺は思ってない。それなのに、そんな聞き方されたら俺は「………いやじゃ、ねぇ……」としか、言えないじゃないか。

「じゃあなんで、上げてくんねーの」

むっと日向が唇を尖らせる。「ちょっとでいいって、言ってんじゃん」と拗ねたように。俺が悪いみたいな言い方されて、カチンと来た。ギロリと睨みつければ、日向は途端にウッと怯んだ。

「あぁ? んだとこのボゲ日向……、テメェのちょっとはトス十本かコラ。あ? だいたい、俺はいまサーブ練してんだ。邪魔すんなボゲ」
「う……、この前のは、ちょっと悪かったかなって思うけど……。でも! 今日はいいだろ? おれにトス上げんの、いやじゃねーんだろ? な? 一回だけ! ほんとーに、一回だけでいいからさ!」
「………」

お願い! と懇願されて、ぐらぐらと心が揺らいだ。ちらりと時計を見やる。昼休みも、もう終わってしまう。このままじゃ結局、サーブ練をしたとしても満足にできずに終わりそうだ。だったら、日向に一本上げてやっても、いいかもしれない。俺は深く、ため息を吐く。

「……………いっぽんだけだぞ」
「! いいのっ!? マジで!?」
「っ、オラ、さっさとやんぞ!」
「おう!」

やったー! と嬉々として定位置に付く日向。まるで、ボールを追いかける犬だ。あるはずのない尻尾が見えたような気がする。はやく! はやく! と瞳を輝かせて俺のトスを待つ、小型犬。……いや、違う、コイツは。
日向がボールを上げる。ふわりと上がったボールは、放物線を描いて落ちてくる。考えるよりも早く、体はボールの落下地点へと動いていた。同時に、視界の端で日向が走ってくるのが見えた。ひゅ、と風を切る音と、残影を引く橙。焦げ茶色の瞳が、鋭く、射抜くような光を帯びて――――、俺を見る。
一瞬、ぎくりと体が強張る。だが、すぐに気を取り直して、落ちてきたボールに両手を翳す。触れるのは、一瞬。腕の力で跳ね上がったボールは、俺の思い描いた線の通りに、日向の手元へ。そしてそのまま、吸い込まれるようにに日向の手のひらへ落ちたトスが、今度は勢いよくコートの向こう側へ消えていく。ライトのサイドラインギリギリの床へ、ダン! と叩き付けられた。

「っしゃー!」

日向がガッツポーズを取る。俺はその姿を、酷い心臓の高鳴りと共に見ていた。
………日向は日に日に、強くなって来ている。一つ、一つ、確実に。へたくそで素人同然だったのに、試合中、ここぞという時にはとっさに日向のことを思い浮かべてしまうくらいには、日向は強くなったと思う。他のチームの奴らが、「あの十番すげぇな」と言っているのを聞くたび、誇らしいやら嬉しいやらで、むずむずしてしまう。「どうだ!」と大声で叫び出したくなる。
……そんなこと、本人の前では絶対に言わないけど。

「すっげぇドンピシャ! やっぱ気持ちーな!」
「そうかよ」

興奮交じりの声に、俺はできるだけそっけなく返事をする。トスを求められて、スパイカーにとっての一番のトスを上げる。そしてそれをスパイカーに喜ばれることは、セッターにとっては嬉しいことだ。……昔は知らなかったけれど、烏野に来て、俺はその快感を知った。
けど、素直にそれを喜ぶのは癪で、緩みそうな口元をきゅっと引き締めた。のに、だ。日向は俺の顔を見て、目尻を下げてニヤッと笑った。嫌な予感がして、一歩後退りしたのに、日向は一気に俺との距離を詰めた。あっと間もなく、ジャージの胸の辺りを急に引っ張られて、日向の顔が目の前に迫っていた。唇に、ふにっとした柔らかな感触。驚きすぎてどうしたらいいのか分からないまま、両手が宙に浮いたまま固まる。両手を挙げて、まるで、降参しているかのようなポーズになってしまった。
混乱している俺をどう思ったのか、日向は早々に唇を離すと、ニッと笑った。

「すきだぞ、影山!」
「は?」
「いま、むしょーにそう思った!」

照れ臭そうに、それでも臆することなく日向は口にする。満面の笑顔で、なんの躊躇いもなく。
その瞬間、俺は無性に負けた気分になる。悔しいから、絶対認めたくないけれど。でも、俺が言いたくても言えない言葉をさらりと言ってのけてしまうコイツには、いつだって負けてしまう。だったら言えばいいのにって、自分でも思うけど。それができたら、誰もこんな悔しい想いはしてねぇって話だ。
ムッと唇を尖らせていると、日向はこてん、と首を傾げた。ふわり、と橙色の髪が揺れる。

「かげやま。な、もっかい、してい?」
「はぁっ? ぼ、ボゲッ! ここ、どこだと思ってンだ! いやに決まってんだろ!」
「えー、いいじゃんいいじゃん」
「よ、くねぇって……!」

ぎゅうぎゅうと腰に抱きついて来て、いいだろ? いいよな? としつこく聞いてくる日向を、俺は必死に引きはがそうとする。けど、小柄な体のどこにそんな力があるのか、引きはがそうにも引きはがせない。前は軽々とその体を投げ飛ばせたのに。また、悔しいと思うものを一つ、見つけてしまった。
あまりにも俺が嫌がっているのが分かったのか、日向は俺の腹に顔を押し付けて、もごもごと呟く。

「影山は、おれとキスすんの、いや?」
「………」
「おれは、お前のことすきだから、キスしたいって思う。でも、影山がだめって言うなら、………がまん、するからさ」

ふへへ、と日向は気の抜けたような声を漏らした。俺はその橙色のつむじを見下ろして、――――ばかだな、と小さく、罵倒する。
ほんと、ばか。そんなんだから、いつまでたっても、日向はボゲなんだ。
お前が、俺のことがすきで、キス、してぇっていうのなら。

「ボゲ日向。お前、わかんねぇのかよ」
「かげや、」

俺だって、お前がすきだから、キス、してぇって思うんだって、どうしてわかんねぇんだ。

俺の腹から顔を上げた日向が、俺の顔を見て、顔を真っ赤にする。「かげやま、おまえ、すげぇかお、してる」日向が手を伸ばして、俺の頬に触れる。そういうお前の方が、すげぇ顔赤ぇけど。文句を言おうとして、でも、勢いよくくちびるが塞がれて、言えなかった。
やわい日向の唇が、噛みつくみたいに、覆いかぶさってくる。

「っ、ん、ぅ、」
「かげやま、―――すき。だいすき。ねぇ、すきだよ。だいすきだから、このまま、して、い?」

吐息まじりの日向のこえ。ちくしょう。悔しい。日向のくせに。そんなこと言われたら、俺は。

「―――――っ、だめって、言ったら、」

やめられんの、と問いかけた俺を遮るように、日向はまた、キスをした。
そんなの無理に決まってんじゃん、と余裕ない声が聞こえたような気がして、俺は、やっぱりボゲ日向じゃねぇか、と内心で笑ってやった。






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