Dislike of Love

僕は、兄さんが嫌いだ。


Dislike of Love


「なぁなぁ、ジジイ。何作ってんだ?」
「あー? ガキにゃ分からねぇもんだよ」
「なんだよそれ! 気になるじゃん」

ぶぅ、と頬を膨らませる兄さんに、神父さんは苦笑しながら、そっと作業していた手を止めて、さりげなく兄さんの視界から隠した。僕はそれを横目に、兄さんには分からないよう、手のひらを握り締める。

神父さんが作っていたのは、悪魔を祓う薬だ。
いつか、青焔魔の仔である兄さんには、毒になるもの。………今はまだ平気かもしれないけれど。

神父さんは少し困った顔をしながら、見せろと強請る兄さんをのらりくらりと誤魔化して、最終的にはその意識を別のものに向けさせた。
僕はそのやりとりを、本を読みながら聞いていた。内容なんて、全然入ってこなかったけれど、顔を隠すのにはちょうど良かった。

……―――何にも、知らないくせに。

神父さんが、どんな思いでその薬を作っているのか。どんな願いを込めて、戦っているのか。
何一つ知らないくせに、兄さんは無邪気に神父さんを困らせる。
それなのに、神父さんは兄さんを大事にする。その思いが兄さんには届くことなんてないのに。
理不尽だ。そんなの。

僕は、満面の笑顔を神父さんに向ける兄さんを、本の影で睨みつけた。



何も知らない兄さんは、小学校、中学校と進学するものの、いつも一人だった。人よりも違う力を持った兄さんは、どこに行っても浮いてしまって、そんな兄さんを誰もが奇異の目で見ていた。
いつも、学校に行くフリをして、どこかへと行ってしまう兄さん。一応学校へ行くフリをするのは、神父さんが心配するからだ。そして、通学路の途中で、明らかに学校とは違う方向へと向かう。そんな兄さんの背中を、僕はいつも見送った。どこに行くの、と聞きながら、黙ったままどこかへ行く兄さんを、僕はほんの少し同情した。だけど、心のどこかで、自業自得だという声がする。
相変わらず、僕は祓魔師の仕事をしながら、学校に通っている。神父さんも、出張だと嘘を付いて、任務に出かける。そんな僕たちに気付きもしないで、兄さんは、最近のジジイは出張多くないか? もう年寄りのくせに、と笑っている。
いなくて清々する、と言いながら、だけど神父さんが帰ってくる日には、ほんの少し豪勢な夕食が出来上がっていた。
そして、帰って来た神父さんがそんな食卓を見て、嬉しそうに顔を綻ばせて、今日の晩飯は豪勢だな、と笑う。そして兄さんの頭を撫でるのだ。兄さんは兄さんで、嬉しそうに口元が緩んでいるくせに、それを知られたくないからか、無理やり不精面を作って、変な顔になっていた。

そんなやりとりを見るたびに、心のどこかが焼け付くような、焦げ臭い匂いがした。



「どこに行くの、兄さん」
「………」

今日も、兄さんは学校には行かない。ふらりとどこかへ向かうその背中に、いつもの問いかけをする。当然、返事は帰ってこない。どうせ、どこかの公園とか神社で居眠りをして暇を潰すんだろう。それを迎えに行く僕の身にもなって欲しい。内心で文句を零しながら、だけど、兄さんを本気で止めることはしない。

どうせ今日は、午前中で終わりだ。先生たちの研修会があるらしく、授業は早く終わる。
昼間に迎えに行ったら、兄さんはどんな顔をするだろう。驚いて、なんでいるんだよ、なんて言いそうだ。

その時のことを想像して、小さく笑う。あの大きな青い瞳が、驚きに見開かれる姿を思うと、何だか小さな悪戯を仕掛けているような気分になる。

早く、授業が終わらないかな。
そうしたら、早く兄さんを迎えに行けるのに。

そんなことを考えながら、学校への道のりを、ほんの少し急いだ。



放課後。
僕は急ぎ足で、兄さんがいるであろう神社へ向かった。今日は天気もいいし、日当たりのいいあの神社で、気持ち良さそうに寝ているに違いない。
どうやって起こそうか。僕は授業中、そんなことばかり考えていた。爆睡しているであろう兄さんが、僕の声で飛び起きる様を思い浮かべて、ウキウキした。ガラにもないことを考えていると自分でも分かっていたけれど、でも、とにかく僕は兄さんを驚かせることが楽しくてしょうがなくなっていた。

見慣れた神社が見えてきた。僕は急いでいた足を緩める。兄さんは音や気配に敏感で、小走りであろうとその足音で起きてしまう可能性があるからだ。
ゆっくり、ゆっくりと神社に近づくにつれ、どこからか声が聞こえてきた。楽しげな声だ。近所で子どもが遊んでいるのだろうか。そんなことを考えていた僕は、しかしすぐに、違和感を覚えた。
学校から少し離れた神社は、寂れていて人が尋ねることはほとんどない。閑静な場所は、だからこそ、声がよく通る。今聞こえて来ているのも、そう。煩いぐらいに響くその声に、僕は覚えがあった。
楽しげに笑う、その声には。

どくん、と心臓が音を立てる。嫌な音だ。僕は一度歩いていた足を止めた。声は絶え間なく聞こえていて、煩い。
ゆっくり、足を進める。近くなる距離と、声。あぁ、煩い。進むたびに重くなる足をどうにか動かして、階段を登る。その、先で。

「ほんっと、お前は変わってんなぁ」
「あはは、それは奥村君も同じだと思うよ」
「どういう意味だよ、それ」

ジト、と睨む兄さんの隣で、見たことのない制服を着た少年が、一人。楽しそうに笑っている。目つきが悪くて、見ているだけなのに怖いと言われる兄さんに睨まれているのに、彼は平気そうだった。
………誰だよ、ソイツは。
苛立ちが募る。誰なんだよ。どうしてそんなに楽しそうなんだよ。兄さんは、一人だったのに。誰からも理解されなくて、修道院にしか居場所がなくて、間違っても、同じ年ごろの人間と馴れ合えるような、そんな人じゃないのに。僕以外には、そんな人、いなかったのに。
胸が、心が、燃えるように熱い。そのまま、僕は二人を鋭く睨んでいた。
すると、視線を感じたらしい、兄さんが顔を上げた。そして、ぎょっとしたように目を見開く。

「雪男ッ? なんでいるんだよ!?」

待ちわびたはずの、兄さんの驚いた顔。それなのに、僕の心はちっとも晴れなかった。むしろ、そんな顔さえも苛立たしくて、僕は用意していた言葉も忘れて、ふい、と視線を外すと、そのまま踵を返した。背後で、おい!? と困惑気味の兄さんの声が聞こえたけれど、無視した。

なんだよ。どうしてだよ。何にも知らないくせに。僕たちが必死で、祓魔師として戦っているというのに。兄さんは何も知らないで、外に繋がりを持とうというのか。
そんなの、理不尽だ。
イライラしながら、ずんずんと歩を進めていると、背後から、雪男! と僕を呼ぶ声が聞こえた。もちろん、無視。振り向きもせずに歩いていると、再び、雪男! と呼ばれて、ぐい、と腕を掴まれた。
その、瞬間。
言いようのない感情が込み上げてきた。嫌悪なのか、それともその熱さに驚いたからなのか。触れたところからジワジワと何かが入ってくるような気がして、僕は鳥肌が立った。それが嫌で、乱暴に兄さんの手を振り払う。

ぱし、と乾いた音がして、かすかに見えた兄さんの青い瞳は、揺れていた。

「ゆき、」
「兄さんは、」

………―――、僕だけを見ていればいいんだ。

咄嗟に。
喉まで出かかった言葉を、飲み込んだ。
今、僕は何て言おうとした? 我に返って、愕然とする。

僕は、兄さんが嫌いだ。笑顔を見るたびにイライラして、楽しそうにしていると怒りを覚える。それは、間違いないはずなのに。現に、こうして僕の行動に傷ついて、瞳を揺らす兄さんを見ると、心のどこかが満たされていく。
それなのに、僕は今、何を言おうとしたんだ?

「…………、何でもない」

結局、混乱したままの僕は、そんな風に誤魔化して、逃げることしかできなかった。だって、分からないんだ。嫌いなのに、僕だけを見てて欲しいなんて、そんなことを思うのか。


そう想うことが、どういうことで。
どういう名を持つものなのか。僕は何も分からないまま。

その日を、迎える。





「いっそ、死んでくれ」





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