遠来カウント




なんてことない、ある夏の日。
昼過ぎから雲行きが怪しくなってきていたのだが、夕方になってとうとう雨が降り始めた。湿気のせいか、髪がしっとりとして気持ち悪い。雨は嫌いじゃないけど、こういうジメジメした空気は嫌いだ。
おれはぼんやりと窓の外を眺めて、唇を尖らせる。

「今日、部活ないんだもんなー。このあと、どうしよっかなぁ」

のんびりと帰る準備をしながら、ぶつぶつと呟く。やだな。部活したい。そう思うけど、コーチが風邪でダウンして、三年生の先輩たちは進路指導の関係で出れないし、二年生の先輩は補習があるらしく、部活できるような状態ではない。ここはぐっと我慢する。ただ、いつも放課後は部活をしていたから、ぽっかりと空いた時間がなんだかもったいないような気がして、おれは何かないかと考えて………、そうだ、と思いつく。
急いで携帯を取り出して、メール画面を開く。宛先は、『影山』。

『放課後、一緒に帰らない?』

内容を打ち込んで、送信。これで、よし。再び帰る準備をしていると、返事が届いた。画面を開く。

『いいぞ』

簡素で短い返事。だけどなんだか胸がくすぐったくなって、くすりと小さく笑う。
影山は同じ部活の仲間で、そしておれの、恋人だ。

いつから、だとか、そんなのはよく覚えていない。ただ、気が付いたらすきになっていた。だからすぐに告白した。そしたら、影山もおれのことがすきだったらしくて、おれたちは恋人同士になった。
手も繋いで、キスもして、それ以上のことだって、たくさんした。男同士だとか、そんなこと全然気にならなかった。だって、おれは影山がすきで、影山もおれがすきで、それ以上、大事なものなんてないような気がするから。

おれはもう一度、画面に目を落とす。簡素な返事。早く教室を出て、昇降口まで駆け抜けよう。
きっと、アイツはそこで待っているはずだから。おれは鞄を担ぐと、教室を飛び出した。




「影山!」
「おぅ」

昇降口に向かうと、やっぱり、影山が待っていた。もうすでに靴を履いていて、いつも思うけど、どうやっておれより先に来ているんだろう。教室からここまで、おれと同じくらい離れてると思うんだけど。
いつか聞いてみよう、と思いつつ、靴を履いて、影山の隣に並ぶ。雨がしきりに降っていて、地面には水たまりがいくつも出来上がっていた。
傘を差そうとして、影山がぼんやりと佇んでいることに気付く。その手に傘はない。

「あれ、お前、傘は? 持ってきてないのか?」
「………悪いかボゲ」

ぶすっとしかめっ面の影山。おれはぶんぶんと首を横に振って、悪くないよ、と返す。

「そんじゃ、おれの傘に入れてやるよ」
「ん」
「なんか、あいあい傘みたいだよな! これ!」
「余計なこと言ってんじゃねぇよ、ボゲッ!」

バシ、とおれの頭を叩きながら、影山は顔を真っ赤にしていた。殴られた頭を撫でながら、おれは影山を見上げる。ちょっと乱暴だけど、その横顔はかわいい。へら、と頬が緩む。だって、好きな子と一緒の傘を差して帰るなんて、ちょっと憧れるじゃん。それが現実でしてるってなったら、そりゃテンションも上がるに決まってる。
しまりのない顔をしている自分が、水たまりに映っているのが見えて、おれは慌てて顔を引き締める。

「すっげぇ雨だよなぁ。朝はめっちゃ天気良かったのに! こういうの、夕立って言うんだよな。でも、なんで夕立って言うんだろ?」
「俺が知るわけないだろ」
「だよね」

にべもなく返されて、苦笑する。影山はバレーはすごいけど、勉強の方は全然みたい。頭良さそうな顔してるんだけどな。

「んでもさー、」

それから、なんとなく会話を続けていると、遠くの方で、ゴロゴロ、という音が聞こえ始めた。おれはハッと顔を上げる。気のせいかな、と思ったけど、もう一度、ゴロゴロ、と聞こえてきて、やっぱりそうだ、と傘越しに空を見上げる。

「雷、鳴り始めたみたいだなー」
「………。あぁ、そうだな」
「雷ってさ、なんかテンション上がるよなー。こう、ピカッて光って、ドーンって落ちるじゃん? あれがなんかこう、胸の奥がザワザワするっていうか、台風来たときみたいにワクワクするっていうか」
「ガキだな」
「んだと! 別にいいじゃん! じゃあ、影山はどうなんだよ?」
「俺は………別に………」
「雷、好きじゃないとか?」
「いや、そんなことは、」

そのとき、ピカッ、と雷光が閃いた。わっ、光った! と思ったら、隣の影山がビク! と大きく肩を震わせた。あれ? と顔を見上げた直後、ピシャア! と大きな音が響く。思いのほか、近くに落ちたみたいだ。雷って、光ってから音の鳴る間の時間で、距離が分かるって言うし。
なんて、のんびり考えていたら、また、ピカッと光った。おれは頭の中でカウントする。一、二、三、………十秒カウントしたあと、ドドーンという音。お、今回は結構遠いな。
また鳴らないかなーなんて思いながら、ふと、影山が黙り込んだままだということに気付く。ちらりと見上げた横顔は、なんだろう、何かに耐えているような顔をしていて。

「影山? どうしたの?」
「………っ別に」
「や、別にって顔してないよ。えーっと、もしかして………雷、苦手、とか?」
「んなわけねぇだろ!」

影山が怒鳴った、瞬間。ピカッ! と雷光。ビク! と大きく肩を震わせた影山の、泣きそうな顔が雷光に映し出されて。
やっぱり雷苦手なんじゃん、とか、それならそうと言えばよかったのに、とか、そうしたら歩いて帰ろうなんて言わなかったのに、とか、色々思ったけど。
でも、今おれのすべきことは、それを言うことじゃなくて。

「あのさー、影山さん?」
「んだよ」
「手、繋ごうよ」
「は? な、何をいきなり………っ」
「いいから、ほら!」

何か色々言いそうな影山の手を、半ば強引に取って、指と指を絡める。影山の手は冷たいくらいで、暑い夏には丁度いい。
だけど、その指先が小さく震えているから。おれは自分の体温が移るようにと、ぎゅっと力を込める。
だいじょうぶ、怖くないよ。その意味を込めて。すると、影山の方からも、縋るように力を込めてきて、胸の奥が苦しくなった。

「おれ、やっぱり雷すきだなー」
「…………なんだよ、それ」

苦々しい顔をして唇を尖らせる影山に、おれはニッと笑う。

だって、こんな風に影山がおれを頼ってくれるなんて、滅多にないことだもん。

それが嬉しいんだ、なんて、絶対に言えないよね。
おれは、なんでもないよ、と誤魔化しながら、雷鳴らないかな、と空を見上げた。
雷が鳴るまで、あと、一、二、三、………―――。






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