Firefly Rainy 前




奇跡みたいだと思った。また、アイツに会えるなんて。もう二度と、会えないと思っていたから。これが夢だとしたら、覚めないで欲しいなんて思うくらい、嬉しくて仕方なくて。
だけど、ちゃんと分かってた。夢は覚めるもので、現実は俺の目の前に広がっているんだって。



Firefly Rainy 前



「どうしようどうしようどうしようどうしよう! メフィスト!」
「………扉は乱暴に開くものじゃないと、何度言えば貴方は分かるのですか」

バンッ、と激しい音を立てて扉をブチ破る。途端に飛んでくる文句。無視。どうしたのです、と優雅に椅子に座ってコーヒーカップに口を付けるメフィストにずんずんと近づいて、がしっと肩を掴む。へ、と間抜けな声を上げるメフィストを、そのままがくがくと揺らした。

「とにかく! どうしようメフィスト! 俺、アイツに会っちゃったよ! どうしよう!」
「ちょ、ちょ、ちょっ、と、お、ち落ち、落ち着き、な、なさい! コーヒが、こ、零れます!」
「ほ、ほんと、おれ、どうしたらいいっ? ま、また会いたいって言われちゃったよ、ど、どうしよう、俺、おれ、むりっ絶対無理っ!」
「あぁもう! いいから落ち着きなさい!」

乱暴に俺の肩を掴んで引き離したメフィストは、一つ息を吐いた。持っていたカップの中身の無事を確認して、傍の机に置くと、それで、と体勢を立て直した。

「もう一度、最初から、ゆっくりと、説明をお願いします。いいですか、最初から、ですよ」
「お、おう………」

何度も念を押すメフィストに圧されて、俺は頷きつつも、最初からことの顛末を話した。




しばらくの間俺の手を握り締めていた『ゆきお』は、そっと名残惜しそうに手を離した。正直、ずっと手を握られててドキドキしていたから、少しホッとした。ちょっと残念に思ったけれど、これ以上握られていたら、俺の心臓の音が『ゆきお』に聞こえてしまいそうだったから。
『ゆきお』は、手を離す代わりに、じっと俺の目を覗き込んできた。

「ねぇ、燐。………燐は、この辺りに住んでるの?」
「えっ? あ、や、その、うん……。そう、だけど……」

正直、湖のあった場所に建つ、あのマンションに住んでいる、とは言えなかった。こくり、と小さく頷くと、『ゆきお』はそっと目を細めて、そっか、とだけ呟いた。それがほんの少し嬉しそうに見えて、俺はどぎまぎする。

「だったら、さ。せっかく再会したんだし、これっきりにしたくないから、また、会えないかな?」
「え?」
「だめ? 燐は、僕ともう会いたくない?」
「そっ、そんなこと、ねぇ、けど………」

不安そうに揺れる瞳が嫌で、とっさに首を横に振る。するとあからさまにホッとした顔をしたから、つい、ドキリとしてしまった。こんな綺麗な顔が、俺の一言で変わるのが、少し不思議だ。だけど、それは嫌なんかじゃなくて。むしろ、ちょっと、嬉しい。

「ね、燐。今度こそ『約束』だよ。一週間後、あのマンションの前で、待ってるから」
「………―――」

『約束』。
その言葉に、昔の光景がフラッシュバックする。
淡い蛍に照らされて、水面がまるで星空みたいに輝いて。幼い『ゆきお』の綺麗な笑顔と、そして、ただ唇を触れ合わせるだけの、拙いキス―――――。

「燐?」
「っ! なに?」

呼びかけられて、ハッと我に返る。『ゆきお』を見やると、なんだか複雑そうな顔をしていた。なんで、そんな顔をするんだろう。不思議に思っていると、『ゆきお』はまた俺の手をぎゅっと握り締めてきて、どくん! と心臓が大きく高鳴った。

「な、なに、ゆきお………?」
「燐、お願い。約束して?」
「っ」
「燐」

お願いだよ、と低く切ない声で囁かれて。触れた手が、熱くて堪らなくて。
俺はいつの間にか、小さく一つだけ、頷いていた――――。




「っていうことがあったんだけどよ。って、なんだよその顔」
「…………、いえ」

ことの顛末を全て話し終えると、メフィストはしょっぱい顔をしていた。何ともいえないその顔に、文句あるのか、と聞けば、首を横に振られて苦笑された。

「文句はありませんよ。ただ、話を聞くかぎりでは、貴方もその『ゆきお』君に会いたかったのでしょう? それなら、また会う約束をしたところで、何も問題はないじゃないですか」
「問題はあるんだよ! あーっ、もう! どうすりゃいんだよ!」

ぐしゃぐしゃと頭をかき回しながら喚くと、うるさいですよ、とメフィストの冷静な声。

「一体、なんの問題があるんです? 貴方がそこまで会うのを迷う人間なんて………って、あぁ、もしかしてその『ゆきお』くんは、例の教会のお子さんだったりするんですか?」
「っ」

ビンゴだ。言葉に詰まると、それで悟ったのか、メフィストはやれやれと肩を竦めていた。

「なるほど。それなら貴方がここまで駄々をこねるのも納得できます。全く、会いたくないなら会いたくないで、はっきり言えば良かったものを」
「……、だって」
「だってじゃないですよ。今回は貴方の自業自得です。諦めて会いに行くか、それとも約束を破る覚悟で会いに行かないかのどちらかしかないでしょうね」
「そ、そう、だけど……」

昔に一度約束を違えてしまった俺たちは、きっとお互いに『約束』に怯えてる。それでもあの時『約束』と口にした『ゆきお』のことを思うと、どうしても、破ることなんてできそうにない。
だけど、でも………!

「俺はアイツに会う資格なんて、ないんだよ………」
「………。珍しいですね、貴方がそんな消極的なことを言うなんて。……よっぽど、その『ゆきお』君のことが好きなんですね」
「すっ、すきとかじゃねーよ!」
「はいはい」
「おい! 聞いてんのかよ! す、すきとかそういうのじゃなくて、えっと、そ、そう! 友情だ! loveじゃなくてlakeの方!」
「lakeじゃなくて、likeですよ。頭空なんですから、無理に英語使わなくていいですよ。それに、どっちにしろ好意を寄せているのは事実でしょう?」

確かに。Loveだろうがla……likeだろうが、好意には違いない。
しゅん、と勢いを失くした俺を、メフィストは苦笑するとそっと手を伸ばしてきた。ゆるゆると頭を撫でられる手つきは、暖かくて優しい。格好は変な奴だけど、基本的にメフィストは優しい。何やかんや言いながらも、俺の言葉を聞いてくれるのだから。

「とにかく、『ゆきお』君に会うまであと一週間はあるんでしょう? ゆっくり考えたらどうです? 今は再会したテンションでパニックになっているかもしれませんが、落ち着いて考えてみれば、また違った答えが出るかもしれませんよ」
「………ん。そうする」

そうだ、考えなきゃ。どうしたら『ゆきお』を傷つけずに済むのか。ちゃんと、考えなきゃ。悶々としていると、意識の外で呆れたように笑うメフィストの声が、聞こえた気がした。




「そんで? どうするかは決めたんか?」
「………全然」
「アホやな」
「なんとでも言えよ」

ちくしょう、と悪態を付いて机に伏すと、あ、奥村は馬鹿の方やったな、なんて冷たい言葉が返ってきた。なんだよ、自分はちょっと頭がいいからって、とムッとしたものの、俺とソイツの学力の差を思い出して、口を閉ざす。墓穴を掘りそうだったからだ。
昼下がりの大学の、ある講義室。まだ講義の開始までは時間があって、そこで同じ大学に通う友人たちと相談会を開いていた。
その友人の一人、目つきが悪い(その割に面倒見はいい)勝呂は、はぁとこれみよがしにため息を吐いた。

「だいたい、伯父さんも言っとったやろ。『会いたくないなら、最初から約束するな』って。ほんまその通りやと俺も思うわ。約束したからには、ちゃーんと会わないかんやろ」
「でもさぁー」
「でもじゃない。これは常識や」
「うううう」

にべもない。辛辣。ニワトリ頭。ブツブツと文句を言うものの、虚しくなってきて止めた。勝呂は真剣に、俺のことを考えて言ってくれているのだと分かるからだ。
俺だって、別に好きで悩んでいるわけじゃない。というか、悩むなんて性に合わないことしてるなって自分でも自覚してる。だけどしょうがないじゃないか。頭を使うことは、苦手なんだ。
うぅ、なんだか悩みすぎて頭が痛くなってきた……。
うんうん唸っていると、隣に座っていた子猫丸が優しい声で。

「奥村君自身は、どう思ってはるん? その人に会いたい? それとも、会いたくない?」
「…………。あい、たい」
「なら、もう答えは決まってはるやないですか。会いたいなら、会うべきやと思いますよ」
「そう、かな」
「そうですよ。それに、相手さんも会いたいって言うてくれてはるんやろ? そして奥村君も会いたいって思ってるんやったら、迷う必要なんかどこにもあらへんよ」

柔らかく、諭すようなその言葉に、そうかなって気がしてくるから不思議だ。さすが、というべきか。俺が顔を上げて子猫丸を見ると、うんうん、と笑いながら頷いていた。
う、子猫丸の笑顔が菩薩に見える………!

「そりゃあ、坊主ですから」
「ちょお待て、なんで子猫丸にはそないな態度やねん。俺にも感謝せえよ」
「えー、だって、勝呂は坊だし」
「意味分からんわ!」

吠える勝呂と、笑う子猫丸。その明るい雰囲気に、俺の悩みも晴れていくような気がした。
そうだよな。少しくらいなら、いいよな。一度。一度だけでいい。会って、元気かって聞いて、そんで、元気でやれよって笑顔で別れられたら、それでいいじゃないか。
なんだか前向きな答えが出て、自分で満足した。そうしたら、今まで悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきて。

「よーっし! 俺の悩みも無事解決したし、久しぶりにどっか飯食いに行こうぜ!」

がたり、と勢いよく席を立てば、ちょいまち、と勝呂に止められた。なんだよ、と抗議すれば、呆れたように見上げられて。

「アホ。忘れたんか? 明後日は、杜山さんを祝う言うてたやん」
「あ、そっか……」

忘れてた。というか、『ゆきお』のことがあって、すっかり失念してた。俺は席について、そっか、と呟く。

「しえみのこと、すっかり忘れてたよ。ヤベー、俺、何あげよう? 勝呂はもう決まったのか?」
「もちろんや」
「子猫丸も?」
「はい。坊と一緒に買いに行きましたから」
「えっ、じゃあ、俺だけ?」
「たぶん、未だに準備してへんのはお前だけやろ。志摩は一番に準備しとったし、神木と朴さんもこの前買いに行ったちゅう話聞いたし」
「ま、マジで……?」

ヤベ、ほんとにどうしよう?

また新たな悩みが生まれてしまった俺は、講義が始まってもうんうんと唸って、勝呂に怒鳴られた。(もちろん、怒鳴った勝呂は先生に怒られていたけれど)
何がいいだろう? どんなものをあげれば、喜ぶだろう? 俺は脳裏に、優しく笑う女の子の、幸せそうな顔を思い浮かべて、そっと微笑んだ。




結局、プレゼントは花束にした。しえみは植物が好きだし、何より花束が似合うと思ったからだ。花屋さんに頼んで束ねてもらったけれど、可愛いベルみたいな花と小さな白い花が束になったものができあがった。なんだっけ、サンダーソニア? っていう花らしい。俺は花には詳しくないけれど、しえみなら分かるだろう。
花束と、それと、ささやかだけどお菓子を焼いてきた。しえみ、食べるもの好きだから。
燐の作ったご飯、私大好きだよ。そう言ってくれたことを思い出す。きっと、喜んでくれる。

かさかさと花束を揺らして走る。お菓子を焼いていて、少し手間取ってしまったのだ。もう店にはみんな集まっているらしく、勝呂から、早よ来い! と催促の電話がかかってきてしまったくらいだ。
もうすぐだ。あの、直線を走りきれば、店にたどり着く。スピードを上げると、店の前でイライラした様子の勝呂がきょろきょろと周囲を見渡していた。

「勝呂!」
「おま、奥村遅い! 何やってたんや! 俺らだけならええけど、相手さんも待ってはるんやで!」
「ご、ごめんって、ちょっと色々予定が狂っちまって……!」
「あー、まぁ、ええわ。とりあえず、息整えろや」
「お、おぅ……」

ぜいぜいと荒い息をする俺に、勝呂はピリピリしていた空気を和らげた。俺が持っている花束を見て、色々と察してくれたらしい。
ふーっと最後に大きく息を吐いて、あらかた息を整える。落ち着いた俺に、勝呂も一つ頷く。そして二人して、店の中へと入った。どうやら奥にある個室を予約していたらしい。ずんずんと進んでいく勝呂の後に続いた。

「よし、なら行くか。みんな、もう席に着いてるで」
「その………、しえみの、………も?」
「あぁ、俺よりも早く来とった。よう出来た人や。年は俺らとそう変わらんみたいやけどな」
「ゲッ、マジで? ちょ、俺、緊張してきちゃったよ」
「なんでお前が緊張するんや。ワケ分からん」
「だ、だって、俺らと同じ年のヤツが結婚するっていうだけでもびっくりなのに、相手も同じくらいって、なんか、変な感じするじゃん」
「アホ。いまどき、学生結婚なんてよくある話や。高校卒業して結婚するやつもおるくらいやし、別に普通やろ」
「え、マジで?」

世の中、すごい奴らがいるんだな。感心してしまう。俺なんてそんな相手なんていないし、考えたこともない。

「でもま、まさか杜山さんが一番やなんて、思わんかったけどな。相手さんはこの間医師免許を取りはった人らしいし、将来は安泰やな」
「そ、っか………」

医者になる男が相手なら、そりゃ納得だ。一体どんな奴なんだろう。もしかして、インテリ眼鏡だったりして。想像して、でもしえみとは似合わねぇな、と思う。
眼鏡といえば、『ゆきお』も眼鏡をかけたっけ。黒縁眼鏡。あぁ、アイツなら白衣とか似合いそうだな。うん、絶対似合う。

「ほら、ついたぞ奥村。しゃんとせえよ」
「ぅ、おう! 分かってる!」

ぼんやりとしていたのがバレた。勝呂に活を入れられて、ぴんと背筋を伸ばす。目の前には仕切りのカーテンがあって、向こう側で志摩の声が聞こえた。さて、どんな相手なんだろう? ちょっとワクワクしながら、カーテンを引いた。

「や、悪い悪い、遅れちまって―――…………っ!」

ぐるり、と席を見渡して、絶句。
え、なんで?

「遅いで奥村君! 待ちくたびれたで!」
「時間厳守って言ったじゃない、全く。ほら、早く席に付きなさいよ」

志摩と出雲の声が、どこか遠くに聞こえる。だけど俺は、ある一点に目が止まって、動けずにいた。
どうして? なんで? なんでお前が、ここにいるわけ? どうして、しえみの隣に座ってるわけ? どうして………―――。

「……………、燐」

呆然と俺を見つめて、そいつの唇が小さく動いた。声さえも、聞こえてきそうだった。全ての音が止んで、視界さえも消えて、そいつしか、目に入らなくなる。
どうして………―――。

「奥村?」
「っ、あ、な、何?」

どうして?

「何ぼけっとしとるんや、はよ席付け」
「あ、ご、ごめん……」
「そんじゃ、気を取り直して。杜山さんと………藤本雪男さんの婚約、おめでとうございまーす!」

乾杯! とはじけるグラスを音と、皆の笑顔。

どうして?

その言葉だけが、ぐるぐると、頭の中で回っていた。










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