Flavor Of Life SAMPLE






**Flavor Of Life**
人間、怖いものがないときが、実は一番こわいのだと知った。
あの頃のおれが、まさにそれだ。怖いもの知らず。なにも考えずに、ただ突き進むだけでよかったあの頃、ある意味でおれは一番強かった。
―――いっしょに暮らそう。
ガタガタと震えそうになる体を抑え込んで、一生分の勇気を振り絞って言った、十文字にも満たない言葉。だけど、断られるとは微塵も考えていなかった。半分、やけっぱちだったっていうのもあったけれど、何故かおれはそのとき、断られることはないだろうな、と変な自信だけはあった。予感にも似た、確信だった。
そして、おれのその自信は、影山の返事で確証を得た。

「いいぞ」
影山は、なんにも考えてなさそうな顔で、こくりと頷いた。その瞬間、おれは、頭の中で盛大にガッツポーズを決めた。まるで、スパイクを決めたときのような爽快感だった。
一仕事終えて満足したおれは、最初の緊張が解けたのもあって、気が大きくなっていた。いまのおれは何でもできる! ぐらいの調子で、まるで自分が世界の王様になったような気分だった。
だからおれは調子に乗って、影山に告白した。ぜんぜん、これっぽっちも言うつもりもなかった、高校三年間ずっと抱き続けてきた想い。
――――お前のことがすきだ。おれと、付き合ってほしい。
一緒に住むなら、と欲が出たのはしょうがないことだと思う。
それに、影山の性格からして、嫌いな奴とは一緒に暮らしたがらないだろうから、一緒に暮らすことにOKを貰ったおれは好かれているんだろうな、とワケの分からない答えに辿り着いて、おれは勢いで自分の思いのたけをぶつけていた。
結果。

「俺は、そういう意味でお前を好きにはなれない」

すっぱり、だった。それはもう、あっさりと。一呼吸の間もなく、影山は一息にそう言った。振られた、と実感するのにしばらく掛ったほど、それはもう、あっさりしたものだった。
え、と言うまもなく、影山は「話はそれだけか? 帰るぞ?」といつも通りの顔で首を傾げて、くるりと背を向けた。
去っていく背中はピンと真っ直ぐに伸びて、真っ黒な黒髪と学ラン姿が、桜吹雪の向こうに消えるのを、おれは呆然と見送ることしかできなかった。

怖いもの知らずだったおれが、初めて本当の意味で怖いものを知った、高校最後の春だった。



ピピピピ、と耳元で甲高い機械音が響く。うるさいな、と独り言ちる。もうちょっと寝かせてよ、と心地いい毛布に包まって抗議の声を上げると、そんなおれを許さないとばかりに、勢いよく毛布がはぎ取られた。
途端に、ひゅうと吹き抜ける冷たい風。その冷たさに全身の鳥肌が立って、一気に頭が覚醒した。

「さみぃ! な、なにっ!?」
「やっと起きたか、日向ボゲ」

勢いよく体を起こした途端、上から降ってくる罵倒。覚えのある低い声に、ぎぎぎ、と壊れた人形みたいな動きで顔を上げた。果たしてそこにあったのは、おれの中で最恐クラスの思い出のある、あの顔で。おれの唇が自然と、引きつった笑みをつくる。「か、かげや、」

「テメェ、いま何時だと思ってやがる」
「え?」
「時計、見てみろ」

影山に促されて、枕元に置いてある目覚まし時計を見る。九時。針が無情にもその時間を指しているのを見て、サァ、と頭から血の気が引いていく。

「昨日の自分の言葉、忘れたわけじゃねぇよな?」
「う……、お、覚えて、マス」
「そうか。俺も覚えてんぞ。テメェは昨日、俺にこう言ったよな? 『明日は講義の時間が早いから、おれが先に起きて飯作っとく』って。間違いねぇよな? 俺の勘違いでもねぇよな?」
「ハイ。間違いないデス……」
「そんで? その飯はどこにあんだ?」
「………」

言葉をなくしているおれの後頭部に、影山の容赦ない言葉が撃ち込まれる。振り返るのが怖くて見れないけれど、きっとあの晴れやかな笑顔を浮かべているに違いない。それが逆におれの恐怖心を煽る。影山が暗雲を背負って笑うときは、ガチでキレているときだ。普段の、ボゲ! だの、アホ! だの、怒鳴っているときの非じゃない、本気のお怒りモードだ。
背中を汗なのか何なのか分からないものが、だらだらと流れていく。ごくりと唾を飲みこんだおれは、これ以上 影山が怒りのバラメータを上げる前に、先手を打つことにした。振り返りざまに勢いよく頭を下げて、ぱんっと両手を合わせる。

「ご、ごめんなさい! ほんっと、ごめん! ちゃんと起きるつもりだったんだけど、昨日の夜、電話掛かってきちゃって………」
「電話?」

ぴくり、と影山の声の調子が変わる。しばらくの沈黙のあと、あぁ、と低い声。

「そういや、夜中に何かごそごそしてたな」
「そうなんだよ。同じ講義取ってる奴からでさ。んで、話し込んでたら遅くなっちゃって……。ほんっと、ごめん。すぐ作るから」

そそくさとベッドから起き上がろうとしたら、「いや、もう作ったからいい」と淡々と言われた。さらに焦るおれ。ヤバい、作らなかったうえに作らせたとなれば、そりゃ影山はお怒りモードのはずだ。
恐る恐る影山の顔を見上げれば、瞳孔が開いた目と、目があった。上げていた頭を再び下げる。ヤバい。今回は、本気でヤバい。けど、ここで何を言っても逆効果のような気がして、おれは極寒の地に立たされているかのように、唇を震わせるしかなかった。
黙り込むおれをどう思ったのか。頭上で、深いため息が聞こえた。

「お前、最近ちょっと気が緩みすぎじゃねぇの。チームの練習にも、用事ができたとか言って来やがらねぇし」
「そ、れは……。おれにも、いろいろ事情ってもんがあんだよ。付き合いだってあるし、断れねーじゃん」

一瞬、ぎくりとする。
なんとなく、いつか言われるだろうなと思っていた話題ではあったけれど、不意打ちのようなタイミングで言われて、震えそうになる声を何とかごまかした。……影山のことだから、気づくことはないだろうけれど。おれが、わざとチームの練習に行っていない、なんてことは。
大丈夫だろうと思いつつも、ちらりと影山の顔を見やって――――、あれ、と目を瞬かせる。一瞬だけ見えた、影山の顔。けど、影山はすぐにおれに背を向けて、「顔、洗って来いよ」と言うと、寝室を出て行ってしまった。
ばたん、と閉じられた扉を見て、おれはようやく肩に入れていた力を抜いて、ぽすりと布団に顔を埋めた。

「………―――、はー………」

深いため息が漏れる。
だめだな、と思う。こんなこと、思っちゃいけないって、分かってるのに。なのに、影山のあんな顔を見たら、思わずにはいられない。
あんな―――――傷ついた、みたいな、悲しそうな顔をされたら。
怖いもの知らずだったあの頃みたいに、おれが居るぞ、って言いたくなってしまう。昔のように、なにも考えずに。
だけど、喉まで出かかった言葉は、未だに喉の奥で閊えたまま。

「ほんっと、おれって意気地なし……」

自嘲気味に呟く。
こうして一緒に過ごしていると、嫌でも自覚してしまう。
おれは、今でも。

「…………――――、すきだ」

お前のことが、すきなんだ、影山。
呟いた言葉は埋めた毛布の向こう側に消えて、誰にも届くことはない。でも、これでいいんだ。これはおれの独りよがり。おれが勝手に影山のことをすきになって、玉砕して、怖がっているだけ。
ただ、それだけのことなんだ。

「オイ日向! テメェ、二度寝してんじゃねぇだろうな!」
「ッ、起きてるよ!」

容赦なく飛んでくる罵声に苦笑を漏らしながら、おれはそっと自分の心に鍵を掛けた。