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「王様はさ、アイツのどこがいいの?」
「は?」

いつもの練習。唸るような熱さがむっと充満した体育館で、レシーブの練習をしていたときのことだ。二人一組となって練習をしていた際、月島とペアになった。交替で、打ったアタックをレシーブで返すというやりとりをしていると、唐突に月島がそんなことを言い出した。
正直、何故このタイミングなのかさっぱり分からない。読めない、というか。タイミングが掴めない。この男は、出会った当初からこんな感じだ。

俺が打ったアタックをレシーブで返しながら、月島は、だからさ、とまるで聞き分けのない子どもを相手にするかのような口調で。

「王様はアイツがお気に入りみたいだけど、どこがいいのかなって。どっちかっていうと、ああいうタイプは毛嫌いするほうだと思うんだけどな」
「………王様言うな。つーか、何が言いたいんだよ、お前は」

ワケわかんねぇ。悪態を付きながら、月島のアタックをレシーブで返す。手元に戻ったボールを持って、月島は、そうかな、と意味ありげに笑う。

「本当は分かってるくせに。要するにさ、王様は自分の思い通りになる駒が好きなんでしょ?」「………」
「図星?」

違う。
月島のアタックが自分の足元に飛んでくる。腰を落とし、腕を伸ばして、ボールを拾う。ばん、と腕に当たったボールは、上体を起こすことによって跳ね返る。
跳ね返ったボールは、月島のいる位置から少しずれた場所に落ちた。舌打ちを一つ。転がったボールを見て、満足げに笑う月島に、更に苛立ちは募る。

「あーあ、やっぱりね。王様ってホント単純。ちょっと図星突かれたくらいで動揺しちゃってさ」
「………、るさい」
「自分の思い通りにならないからって睨まないでよ。ほんっと、王様って自己中だよね。そんなだから、『王様』って呼ばれてたんじゃないの?」
「うるさい!」

分かっていた。そんなことは。目の前の男から言われなくても。
蘇る中学時代。最後の試合。上げた先には、誰もいない。下がれと言われた、あの冷たい言葉。ぜんぶ覚えている。
まだ、まだやれる、いけると、思っていた。自分が完璧なトスを上げれば、絶対に優勝できると。もしそれに付いて来られない奴がいたとしたら、それはソイツの技量の問題で、俺は完璧だと思っていた。
―――……それが、酷い傲慢だと知ったのは、上げた先に誰もいない光景を目の当たりにしたときだ。
どうして、と思った。どうして誰もいない? どうして打たない? 俺は上げた。完璧なトスを。それなのに。

お前は、いらない。

言葉もなく、その時俺は、セッターとして一度死んだのだ。
だから。


…………――――、居るぞ!


あの言葉が、あの声が、あの姿が、ひどく胸に響いた。
居る。
上げた先に、居る。俺のトスを求めている奴が、居る。それだけで、俺は、セッターとして蘇ることができた。だから、だろうか。
あの赤みがかかった髪が見えるたび、言いようのない感情が胸に過ぎる。それは感動にも似た憧憬か、それとも。
…………―――、求めて欲しいという、依存か。

「……………―――、ほんっと、ムカつく」

ハッと顔を上げれば、俺を見下ろす目と合った。感情の見えない瞳が、眼鏡の奥でじっとこちらを見据えている。

「『王様』はさ、王様らしくしてなよ。手下の駒なんかに依存してないでさ。使える駒は全部使って、玉座に座っていればいい」
「………、おまえ、」
「今までそうやって来たんなら、簡単でしょ? 王様なら」

ふ、と見事に微笑んでみせた月島は、何ごともなかったかのように踵を返して、元の位置に戻っていく。俺はその背中を睨みつけながら、ぽつりと呟く。

「………―――、俺は、王様じゃない」

一人じゃなにもできない、ただの人間だ。

…………――――、居るぞ!

求めてくれる人間がいないと、生きていくことさえできない、ただの。





ひとりになればいい、と思った。
孤高の王様に。
そうすれば、誰のものにもならない。

精度の高いトス、強烈なサーブ、そしてあの、場を威圧する眼差し。まさに王様という名に相応しい人物だった。
似ている、と思った。どこか、自分に。
僕も、どちらかといえば人と群れることは得意としないし、排球というスポーツはしているものの、チーム一丸となってどうこう、というのに若干苦手意識がある。
そして、あのとき。王様が出場していた、中学の最終試合。

「俺のトスに合わせろ!」

ぞくり、とした。まさしく、民に圧政を加える王様そのものの姿に。
強烈なまでにその姿が目に焼きついて、しばらく消えてくれなかった。高校に入ってまさか同じチームになろうとは、夢にも思っていなかったけれど。

王様は、やはり王様なのだろうか。僕はほんの少し、期待していた。また、あの目が見れるのかと。
それなのに。

…………――――、居るぞ!

たった、一言。たった一度の、スパイク。
それだけのことなのに、王様は変わった。
民を駒としか思わず、自分の思い通りにならなければ怒り、圧政の限りを尽くしていた孤高の王様が。
自分を求めて飛翔する橙色の鳥に、魅入られた。どこまでも高く飛ぶ鳥に依存する、ただの人間になってしまった。

…………それは、ひどい悪夢に、似て。

どうして、そんな顔をする? 楽しいと、トスを上げることが楽しくて仕方ないと言わんばかりのその顔に、僕は苛立ちを募らせた。

どうして。
王様は、独りでいなければいけない。それなのに、どうして………―――。


「おーい、月島?」

呼ばれて、ハッと我に返る。目の前には、目に痛い橙。太陽に似た色。大きな瞳と目が合って、ぎょっとする。

「近い!」
「え、あ、ごめん。なんかぼーっとしてたみたいだったからさ。寝てんのかなって思って」
「立ったまま寝るなんて器用な真似、できるわけないでしょ」

ふぅん、と自分で言ったくせに、どうでもいいという風に返事をする。イラ、とした瞬間には、そうそう、と相手は次の話題に移っていて、苛立っている自分がなんだか馬鹿らしくなる。
ふぅ、とため息を吐けば、隣に座ってきた。普段から小さく見えるけれど、座ると余計に、その体は小さく見えた。本人に言えば絶対、食って掛かってきそうで面倒だから、言わないけれど。

「さっきさ、影山となに話してたんだ?」
「さっきって?」
「レシーブの練習のとき」

僕はあえて、分からないふりをした。本当は分かっていたけれど。そんな僕に気付かずに、日向は大きな瞳でこちらを見上げてくる。
こいつのこの目は、少し苦手だ。まっすぐすぎて、時折、見返せない自分がいる。

「お前と練習してから、影山の様子がおかしいんだ。なんかこう、心ここにあらずって感じ? だから、何かあったかなって」
「…………」

本当に、コイツは苦手だ。
馬鹿で頭が空なくせに、こういうときだけは鋭いし敏い。だけど、それ以上に。

「日向は、」

アイツのこと、よく見てるよね。
そう言おうとして、口を閉ざす。言っても無意味な言葉は、言わないに限る。何? とこちらの言葉の続きを促すその瞳から目を逸らして、なんでもないよ、と眼鏡を押し上げるフリをする。

「おいこら日向! サボってんじゃねぇよボゲ!」
「うわっ、やべ!」

苛立たしげな王様の声に、びく、と隣の細い肩が揺れる。その振動がかすかに伝わってきて、日向が立ち上がるのを感じた。今行く! と言いながら、駆け出そうとした背中が、ぴたりと止まる。

「?」
「あ、そうそう」

言い忘れてた、といつも通りの弾けるような明るい声色で振り返った橙が、すっとこちらを見下ろして。

「………―――、あんまりアイツを苛めてると、」

そのうち、痛い目みるよ?

にっこりと満面の笑顔を浮かべた日向は、急かす王様の声に、分かってるよ! と返事を返して走り去ってしまった。
僕は呆然と、その小柄な背中を見送る。
………―――痛い目にあう、っていうか。

「もう、あってるんですけど…………」

僕は、くしゃりと前髪をかき上げる。笑っているくせに、全く笑っていなかった橙色の瞳を思い出して、弱ったな、と力なく笑う。

………―――ひとりになればいい、と思った。
孤高の王様に。
そうすれば、誰のものにもならない。
………そうすれば、橙色の鳥は空へ羽ばたいて、王様から離れていく。

ひどい妄想だな、と思う。
現に、鳥はいまだに王様の隣にいて、嬉しそうに飛んでいる。
空に在る月には、見向きもしない。

「………なんて、ね」

ばかだな、と誰にともなく、呟いた。

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