人はそれを、


人は悪魔になれる。





「お、これちょー便利だよ!」

ありがとねスグロクン、といけ好かない男は、俺に向かってそう笑った。
気に食わないと思っていた男からの無邪気なそれに、何となく気まずい思いをしつつも、おぅ、と返す。
それと同時に、少し驚いた。こいつは、こんな顔をするんだ、と。
いや、双子の弟やいつも一緒に居るあの女には、よくこんな顔を向けていたかもしれない。気に食わないと思いながら見ていたから、よく覚えていないけれど。

少し大きめの髪留めを前髪に止めて、額が露になる。そうすると、少し幼い印象になる。やや吊り目の瞳が、俺を見て小さく笑った。それを見て、ほんの少しだけ心拍数が上がるのを感じて、何やコレ?と首を傾げた。



「俺のことは気にすんな」

そう言って、いけ好かない男は一人で飛び出して行った。正直、無茶だ、と思った。たった一人で、あの悪魔に向かっていくなんて無謀だ、と。
それでも、その背を追っていけなかった。もう1体居たし、恐らくこの場を何とか乗り切らなければ、俺たち全員がお陀仏になるのは目に見えていたからだ。
俺は必死に詠唱を唱えつつ、脳内で一人で去っていった男を思う。早く、早く、コイツを片付けて、助けに行かなければ。

『 耐えざらん! 』

最後の詠唱を唱え終え、俺はがくりとしゃがみ込んだ。同時に入口からひょっこりとあの男が現れて、無事?何て言っている。
それはこっちの台詞じゃボケ!と思いつつ、俺は男を盛大に殴っていた。
男はよく分かっていなさそうな顔をしていたものの、俺たちが無事だと分かると、安心したように笑った。
その笑みに、ピリリとした痛みを覚えた。だけどそれが何なのか、分からなかった。



「大丈夫だ!先に行け!」

そう言って、またあのいけ好かない男は、一人で残ろうとした。たった一人で戦おうとした。
それが無性に腹立たしくて、俺は気づけば怒鳴っていた。

「助ける!」

その言葉を聞いて、男はきょとんとした顔をした。自分が何を言われているのか理解していない顔だ。
どうして、そんな顔をする?助けるのは、当たり前のことじゃないのか。

「ありがとな」

助けた男は、そう言って笑った。借りを返しただけだ、と俺は言ったけれど、男は終始嬉しそうな、それでいて少し寂しそうな顔をした。
その表情の意味が、俺には分からなかった。



「兄さん、これは罠だ!」

いけ好かない男の、弟がそう叫んだ。俺は飛びそうになる意識と頭が沸騰しそうなほどの怒りの中で、それを聞いていた。
いけ好かない。気に入らない。
たった一人で傷ついて、たった一人で戦おうとする、その在り方に。
どうして、と思わずにはいられない。頼ってくれないことが、もどかしい。
畜生、畜生、なんだって、こんなに気に食わないんだこの男は。

男は、そんな俺たちを見下ろして、ごめん、と言う。
そうしてたった一人の弟に向けて、もう一度ごめん、と言う。

「俺、嘘ついたり誤魔化したりすんの、向いてねーみてーだ」

そう言って、真っ直ぐな目をして、男は背負っていた剣を手に取る。
遠くで、兄さん、と叫ぶ声がする。
俺は意識が遠のきそうになって、霞んだ瞳であの男を見た。
その、瞬間。

煌く、青い炎。

どさり、と身体を開放されて咳き込みながら、俺はあの男を見上げた。俺を拘束していた「地の王」は、嬉々として男に襲いかかっていた。
ゆらり、ゆらり、と青い炎が揺らめく。
あの忌まわしき青い炎が、ゆらり、と。
俺は呆然と、その炎を目で追いかけていた。




「先生」

全てが終わった夜。俺の病室にいけ好かない男の弟がやって来た。

「具合はどうですか」

いつも通りの声、いつも通りの笑み。だけどそれは顔に張り付いた仮面みたいで、俺は目を逸らした。

「大丈夫です。それより……」

アイツは。そしてアイツの持っていた刀は。
そう言おうとして、口を閉ざす。先生は、奥村君なら無事ですよ、とだけ淡々と告げた。

「……、奥村が魔王の仔なのは分かりました。だけど、それならどうして、この塾に居るんです」

少し、非難するような声が出たと思う。先生はそれを気にすることもなく、小さく笑って。

「……兄さんが、選んだ道だから、かな。僕は反対だったんだけどね。悪魔の仔として覚醒してしまった以上、普通の生活は難しいし、兄さん自身がこの場所を選んだんだから、僕がとやかく言うことはできないよ」

そう言って、先生は穏やかな笑みを浮かべた。あの男のことが、とても大切だということを隠しもせずに。
俺はその笑みに、軽い苛立ちを覚えた。

「……先生は、どうして祓魔師になったんです?まさか、アイツを」

殺すためか。
俺はそう考えて、自分で否定した。この弟が、あの兄を殺す光景を俺は想像できなかったからだ。
常に冷静で同じ年のはずなのに俺たちの「先生」でいるこの男が、あの兄の前ではただの「弟」であり、「同じ年の男」だったから。

「……、強く、なりたかったから、かな」

そう言って、ぐっと男は手のひらを握り締める。固い決意を宿した、一人の男の目をして。

「兄さんは、僕の憧れだった。それは多分今も変わらない。……僕は、兄さんを守るために、強くなりたかった。ただ、それだけだよ」

ただ、それだけ。
その言葉に、どれだけの労力と時間を費やしたのだろう。この、同じ年の男は。
俺はザワザワと騒ぐ心を落ち着かせるために、一つ息を付いた。
だけどそんな俺を見透かしたように、眼鏡の奥の瞳が俺を静かに射抜いて。

「……君が、いや、君たちがこれから兄さんにどういう態度を取ろうとも、兄さんは変わらないよ。僕だって同じだ。僕が、兄さんを守る」

だから、君たちはそこで見ているといい。兄さんは、立ち止まらないから。

それだけを告げて、彼は席を立った。その背に、その言葉に、俺はぐっと唇を噛み締めた。

サタンは、許せない天敵。倒すべき、憎き悪魔。
アイツは、そんなサタンの息子で、忌まわしいあの青い炎を受け継いでいる。
その事実に、俺はどこか裏切られた気分になっていた。
サタンを倒す、とその決意を笑わなかったのは、アイツが初めてだったから。
それよか逆に、サタンを倒すのは俺だと、言われたのも。
なんて馬鹿な野郎だと思った。だけど、そんな風に言い切ってしまえるアイツが、ほんの少し羨ましかったのに。

アイツは、そのサタンの、息子。人間じゃない、俺たちが今まで対峙してきた悪魔の何の変わりもしない存在。

許せない、と思った。どうして、とも、思った。
なんでお前なんだ、とも。
未だにパニックになった心は落ち着かなくて、ただ、アイツに裏切られたのだと、それだけは感じた。

そんな俺の心境を、この弟は見抜いていたのだろうか。
だけど、だったら尚更。

「一つ、聞いてもいいですか。……何で、」

俺なんですか。
その先の言葉は、振り返った男の笑みに、打ち消された。

「兄さんは、君のことをかなり尊敬していたみたいだから、かな」

にこり、といつもと同じ笑みで、でも、どこか冷たい印象を与えるソレで。
男はそう告げて、部屋を出て行った。
俺は、詰めていた息を吐いて、だらりとうな垂れた。

「とんだ兄弟や……。兄が悪魔なら、弟も同じかいな」

たとえ、能力や身体的なモノが人間でも。
人は、悪魔になれる。
もしかしたら、あの男はそれを望んでいるのかもしれない。
たった一人の、兄のために。

「……気に食わん」

何もかもが、気に食わない。
俺はそれを全部、サタンのせいにした。
そうでなければ、この息苦しさの意味を、理解しなければならないから。

「……ッ」

奥村、俺は……―――。






END

人はそれを、恋と呼ぶ

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