キッチンで影山がたまご茹でてる




影山がウチのキッチンでたまご茹でてる。
割と大きめの鍋で、大量のたまごを茹でてる。

「あ、わり、ガス代はちゃんと払うから」

ガス代とかじゃねーんだけど。



キッチンで影山がたまご茹でてる



金曜日の夜、部活は終わり、今日は家で一人。母さんは近所の人と、父さんは会社の飲み会があるらしくて、夏は叔母さんの家にお泊りだ。兄ちゃんも一緒に、って言われたけど、部活があるし、一日くらい家で一人でいても平気だったから、断った。ちょっと夏が拗ねてしまったけど、なんとか説得した。兄ちゃんも寂しいけど、おれには部活という大事な使命が、とかなんとか言って。そしたら最後には、兄ちゃん、ひとりがこわかったらでんわしてね! なんて満面の笑顔で言われてしまった。なんだろ、この複雑な気持ち。世の中の妹を持つ兄はみんな、こんな感情を抱くのだろうか。

とにかく、そんなことがあり、今日は家に一人だ。
帰ったら何しようかな。やっぱり、この間録画してたパイ○ーツでも見ようかな。あれ、何回も金曜ロードショーに登場してるけど、つい内容忘れちゃうんだよなー。この間のはなんだっけ、タコが出てくる話だっけ? ま、見れば分かるか。
オレンジジュース片手にのんびりパイ○ーツを見る自分の姿を想像して、なんだか楽しくなる。いつも映画とか見てると、勉強したの? って聞いてくる母さんはいないし、見せ場のシーンで、兄ちゃん眠いよーって懐いてくる夏もいない。別に二人が悪いってわけじゃないんだけど、人が映画観てるときはちょっと黙っててほしいっていつも思ってたから、今日はのんびり観れる。嬉しい。幸せだ。
鼻歌混じりに家のドアを開けて、さぁいざハッピーフリータイム! って思ったその瞬間。
むん、と鼻に付く、異臭。なんだろ、これ、えーっと、こう、腐ったたまご、的な匂いが……。
おれは慌てて靴を脱いで、中に入る。途端に強くなる匂い。うわ、すごい。なんだこれ。異臭のする方へ向かうと、キッチンに黒い人影。

「………」
「あ、おかえり」

キッチンで影山がたまご茹でてる。
キッチンタイマー片手に、たまご、茹でてる。

「あ、わり、塩使っちまったけど、あとで返すから」

あの、塩とかじゃねーんだけど。

「…………」

え、なにこれ。どういうこと。え、なにこれ。なんで影山ウチにいんの? っていうか、なんでたまご茹でてんの? つーか、どうやって入った。
言いたいことは山ほどあるけど、声にはならない。ちょっと待ってくれよ。おれ、ついさっき影山と別れた気がするんだけど。また明日って手を振った気がするんだけど。なんだか頭の中が混乱して、キッチンタイマーを真剣な表情で見つめる影山の横顔を見て、おれ、なんか悪いことしたっけ? なんて過去に思いを馳せた。………。だめだ、影山の後頭部にサーブをブチ当てたときの最恐の記憶がよみがえって、冷や汗が背中に伝った。

え、え、ほんと、これ、どんな嫌がらせ? つーか、嫌がらせなのか? ぐるぐると思い悩むおれに、影山はキッチンタイマーから顔を上げて。

「あ、俺のことは気にすんな。風呂にでも入って来いよ」

この状況でのん気に風呂なんて入れるわけねーよ。
ツッこもうと口を開きかけたおれを遮るように、影山はにい、とあの怖い笑顔を浮かべて。

「ちょうどさっき沸いたところだし」


おれは、戦慄する。


影山に親切にお風呂を沸されてる。
帰ったらすぐ入れるように、お風呂、沸されてる。あの、影山に。
え、なに、これほんとどんな罰ゲーム? おれ、やっぱりなんかやっちゃった? じゃなきゃ、あの影山がウチに来てわざわざ風呂なんて沸すか? いいや、絶対沸さない。むしろ、風呂沸せって偉そうに言う方だ。絶対そっちだ。
え、じゃあ、この状況は一体なに?

固まるおれに、影山は不思議そうに首を傾げて。

「おい、早く入って来いよ。……――あぁ、一番風呂は譲ってやるから」

や、二番風呂はやらねぇけど。
つーか。そのどや顔やめろ。





ぐるぐるしながらも、影山の風呂入れコールが煩いので、風呂に入る。温度は熱くもなくぬるくもない、ちょうどいい温度だ。

「ふぃー………」

のんびりと湯に浸かりながら、おれは少し冷静に考える。
部活の間も、学校から出るときも、別れる時も、影山は普通だった。普通におれにへたくそって怒鳴って、ボゲ! って怒鳴って、 でも楽しそうにトスを上げてた。どこをどう考えてもいつもの影山で、こんな奇行に走る素振りなんて見せなかった。
と、いうことは。
今、ウチにいてキッチンでたまご茹でてる影山は、…………―――もしかしたら、影山じゃないのかも………。果てしなく影山に似た、別の誰か、だったり………?
そう考えて、ぞっとする。背筋に冷たい何かが駆け抜けて、暖かい風呂に入っているはずなのに、ぶるりと震えた。
えっ、ちょ、ちょっと待って。ま、ま、まさかそんな、え、や、ない。それは、ない。絶対、ない。ないから………!
嫌な考えを振り払うように、おれは満タンに入っている湯の中に潜った。



ちょっとのぼせ気味になりながら、おれは恐る恐る風呂から上がる。着替えて、そーっとキッチンを覗くと、そこに影山(仮)の姿はなく。

「あ、あれ…………?」

慌てて周りを見渡しても、影山の姿はない。一体、どこに、とキッチンを改めてみると、そこには書置きが一つ。チラシの裏に書かれた、ちょっと崩れた字。見覚えのある、影山のくせのある字だ。

『冷蔵庫ん中、見とけ』

「見とけって、文面まで偉そうだな………」

でも、おれの知ってる影山だ。おれはなんだかホッとして、それまでぐるぐる悩んでたことはすっぱり忘れることにした。そうだよな。別に、影山がウチのキッチンでたまご茹でてたって、別にいいじゃん。うんうん、と頷くおれ。別におれに実害があったわけじゃないし。ちょっと部屋がたまご臭くなったし、風呂に入った気が全然しないけど。でも、そう細かく気にすることでもないし。そうそう、だいじょうぶだいじょうぶ。
さーてと、ちょっと狂っちゃったけど、パイ○ーツ観ようかなー。あ、でもその前に、冷蔵庫の中、見とかなきゃ。

「でも、何があるんだろ?」

ちょっとわくわくしながら、冷蔵庫の扉を開けて……―――。

「…………」

影山にゆでたまご、おすそわけされてる。
ボウルに無造作に入れて、おすそわけされてる。
こんもり盛られたゆで卵には、張り紙が一枚。

『半熟たまごにしておいたから、ありがたく食え。PS.先週のパ○レーツはタコの話じゃねーぞ』

……………―――。
あ、ちょっとまて、ガス代もらってねーんだけど。



















おまけ

影山飛雄はその日、上機嫌だった。表情では分かり難いが、とにかく上機嫌だった。なにせ、家に帰れば今日の夕食は好物であるポークカレー(しかも温卵のせ)だ。温卵が作るのが面倒だからと、母親がめったに作ってくれないそのサブメニューが、今日の夕食には並ぶ。
それだけで、分かり難いがコート上の王様は上機嫌だった。幸せすぎて、この幸せを誰かに分けてやりたいと思うくらいには。
だから、今日の部活では日向にいつもよりも多くトスを上げてあげたり、日向に対してボゲだとかへたくそだとか言う回数も減らした。影山本人、自分の幸せを分けてやる相手が日向限定だということに全く気付いていなかったが、とにかく影山はその日一日幸せな気分だった。

部活も終わり、さぁ、帰宅しようとなったとき、今日の夕食に思いを馳せていた影山の耳に、日向と田中の会話が聞こえてきた。

「おれ、今日は家で一人なんですよ」
「へぇ、親は?」
「それが、会社の飲み会とかでいなくって、妹も叔母さん家に泊まりに行くって言ってて」
「んじゃ、家で一人のびのびできんな!」
「はい! だから、この前あってたパイ○ーツの録画見ようかなって思ってて。あの、タコのやつ!」
「あー、あれか! あれ面白いよなー。ジ○ック・ス○ロウめっちゃかっこいいもんな!」

なんて、いつものくだらない会話かと思った影山だったが、ふと、今日は日向が家に一人だということを知って、機嫌の良かった影山は考えた。
………―――俺が幸せな時間を過ごしている間、アイツは家に一人か。
それは、なんだか、自分だけ幸せになるような気がして、不公平だ。

影山は、ジ○ック・ス○ロウの話で盛り上がる二人の会話を意識の外にやって、ぐっと手のひらを握りしめた。

そうだ、俺の幸せを、アイツに分けてやろう。





影山飛雄は日向の家からの帰り道、上機嫌だった。やはり表情では分かり難いが、とにかく上機嫌だった。家に帰れば好物のポークカレー(温卵のせ)が待っているし、先ほど、その幸せを日向に分けてきたところだったからだ。
……―――あいつ、喜ぶかな。
そうだ、そうに決まってる。なにせ、影山の幸せをおすそわけしてきたのだから。
………そういえばアイツの好物、たまごかけごはんだったよな。
思い出して、にや、と笑う。分かり難いが、これが影山の満面の笑顔だ。たとえそれが、うす暗くなった夜の闇に不気味に映ろうとも、影山の全力の笑顔だった。
今日は、なんて素晴らしい日なんだろう。影山は上機嫌で空を仰ぐ。こんなに気分のいい日は、滅多にない。
さぁ、早く帰って、自分の幸せを堪能しに行こう。

影山は上機嫌のまま、足早に帰路に付いた。
まさかその時、当人の日向が冷蔵庫を前に呆然としていることなど、知る由もなく。






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