ずっと君に恋してる

「そういえば、奥村君の初恋って、いつなん?」

いつもの祓魔塾。もう講義も終わって、後は帰るだけ。でも今日は雪男の用事が早く終わるから、教室で待っていて欲しいと言われたので、坊たち京都三人組と一緒に雪男を待っていた。京都三人組はだいたい講義が終わると少し教室に残って宿題をしているらしい。その輪の中に入って一緒に勉強(という名の雑談)をしていると、突然志摩がそんなことを言い始めた。
俺がきょとんとした顔をすると、志摩はニヤニヤとした笑みを浮かべながら、机に頬杖をついてこちらを見つめていた。

「何でいきなりそんなこと聞くんだよ」
「だって、気になるやないの。奥村君の初恋の君がどんな子か。年下?それとも年上?」
「あー……」
「志摩!お前、ちゃんと勉強せぇよ!もうノート見せへんぞ!」
「ままま。ええやないですか。休憩中ですよ、休憩中。……それで?どんな子なん?」
「志摩!」
「まぁまぁ、坊。今まで志摩さんもえらい頑張ってはったから、少しくらいならええんやないですか?」
「さすが子猫さん!分かってる!さぁ!奥村君!子猫さんの許しも得たことだし!ずずっと話してもらおうやないか!」
「な、なんでそこまでテンション高いんだよお前。……。えーっと、初恋、かぁ……」

俺は脳裏に、ある人物を思い浮かべた。
小さな頃に一度だけ会った、あのひとを。




十一月二十九日。
この日にある「おまじない」をすると、未来の伴侶に会えるらしい。

本当にそんなことがあるのだろうかと、今の俺なら疑うだろう。だけど、まだ小さかった頃の俺はそれを本当に信じた。サンタクロースはいるのだと無邪気に信じていたように。そして、知る術があるというのなら、と、自分の未来の結婚相手が誰なのか、無性に知りたくなったのだ。
可愛い子だろうか?それとも綺麗な人?優しい子がいいな、とか、その程度のことしか、そのときは考えていなかった。


「なぁなぁ、雪男!本当に「おまじない」をすると将来結婚するひとと会えるのか?」
「う、うん……。でも、きっと迷信だよ。「おなじない」したって、きっとそんなひと現れないよ」

言葉を濁して、どこか雪男は協力的じゃない。どちらかと言うと、「おまじない」をすること事態を、拒んでいるようにも見える。

「そんなことないって!絶対会える!雪男もやってみろって」
「いいよ、ぼくは。何だか怖いもん」
「雪男は怖がりだな」

俺がそう言うと、雪男はきゅっと眉を寄せて険しい顔をしていた。なんでそんな顔をするのか分からなかったけど、俺はそんな雪男とは対照的に、とてもワクワクしていた。
未来の結婚相手が気になるのはもちろんのことだけど、いつもとは違うことが起きるというのは、まるで遠足の前の日みたいにドキドキする。

「兄さん。ほんとに、やるの……?」

不安げな雪男の声。きゅっと強く握り締められた小さな手のひらと、怯えたような雪男の瞳。それを見て、少し心がぐらついた。こんな顔をする雪男に、俺は滅法弱かったからだ。
だけど、今回ばかりは好奇心の方が強くて。

「うん。もう「おまじない」も覚えちゃったもん」

難しい言葉ばかりで、何かを覚えること事態苦手だったけれど、それでも一生懸命覚えたのだ。その労力を無駄にはしたくない。
こくん、と俺が頷けば、雪男はゆらり、とその瞳の奥を揺らした後、そっと目を伏せた。どうやら俺を説得することを諦めたらしい。
俺はそれを感じ取って、内心でガッツポーズを取る。そしてそのまま、「おまじない」をする体勢に入った。
十一月二十九日の日に、「おまじない」を唱えつつ、ベッドに仰向けに倒れる。すると、未来の結婚相手が現れる、らしい。なので、ベッドの端に座って、そっと瞼を閉じた。

どくん、どくん、と自分の心臓の音がやけに大きく聞こえた。じわり、と耳が熱を持つ。
そして、「おなじない」を唱えるために、口を開いた。


【あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である】


そして、ぽすり、とベッドの後ろへと倒れこんだ。
その瞬間。

ぼふん!と、何かが破裂するような音が聞こえて、俺は慌てて閉じていた瞼を開く。すると視界一杯に広がる煙に何が何だか分からずに飛び起きようとして。

「あ、……―――」
「!」

唖然としたような、ひどく驚いたような顔をしたおとこのひとと、目が合う。そのひとはベッドに倒れこんだ俺に圧し掛かるような体勢で、こちらを見下ろしていた。
真っ黒な髪と、少し色素の薄い青の瞳には黒縁の眼鏡が掛けられている。頬に二つ、口元に一つホクロがある。

俺よりもずっと大人で、ずっと綺麗な顔立ちをしたおとこのひと。
彼は俺の顔を見て、ハッと目を見開いた。そして。

「にッ…………、――――、燐?」

確かめるように呼ばれたその声に、俺はどくん!と心臓を高鳴らせた。
耳の奥に響くような低い声で名を呼ばれた瞬簡に、俺は理解した。

そのおとこのひとこそ、俺の未来の結婚相手なのだ、と。

俺がぼんやりとそのおとこのひとを見上げていると、彼はもう一度、燐?と俺を呼んだ。ずっと大人なはずなのに、どこか言いにくそうな、舌足らずのようなその口調に、俺はカッと顔が熱くなるのを感じつつ、こくこくと頷いた。
すると、どこか納得したような、安心したような顔をして、彼は小さく笑った。その笑顔でさえ、何だか妙に胸がドキドキした。

「そっか……、あの時の……」

彼はぐるりと周囲を見渡して、どこか納得げな表情。そんな彼を見上げて、何か言わないと、と思うけれど、ぱくぱくと開閉する口からは、何の音も発しなかった。
そんな俺に気づいたのか、彼は少し心配げな顔をしてこちらを覗き込んできた。

「大丈夫?びっくりさせちゃったみたいだね」

起きれる?と優しい声で聞かれながら、差し出された手をそっと握る。俺よりもずっと大きくて、固い手のひら。その固さといい、体温といい、どこかジジイの手のひらと似ているような気がした。
彼は俺の手を握りしめると、ぐいっと引っ張った。そのままの勢いで、彼の胸へと飛び込む形になってしまって。

「あ……っ」
「燐………」

切ない声で俺の名を呼んで、ぎゅう、と抱きしめられた。温かな腕の中に閉じ込められて、目を白黒させた。だけどそんな俺に構うことなくぎゅうぎゅうに抱きしめてくる腕に、徐々に息苦しさを覚えて、俺は彼の胸を叩いた。

「あ、あの……!く、苦しいんだけど……っ」
「あ!ご、ごめんね!」

慌てて俺を解放した彼は、そっか、まだこのときは覚醒してなかったんだった、と意味の分からないことを呟いた。そして、じっと俺を見つめて。

「改めて。こんにちは、燐」
「あ、えっと、こんにちは。……お前は、その……」

俺がちらりと伺うような視線を送ると、彼は全て分かっているような顔で頷いた。

「そう。僕は燐の未来の恋人だよ。……男だから、びっくりした?」
「え?あ、そっか……」

俺は唐突に理解した。そうだ、男の俺に、男の結婚相手なんて可笑しいんだって、最初に気づくべきだったんだ。だけど、彼の顔を見たら必然的に納得している自分がいて、何の違和感もなかったのだ。

「いきなり出てきたときはすごくびっくりしたけど、でも、おとこなのにはびっくりしなかったよ!それに、兄ちゃん、すっごくカッコいいし!」
「そっか……」

彼は少し照れたように、嬉しそうに小さく笑った。俺はそれを見て、とても嬉しくなった。

「兄ちゃん、名前は?なんていうの?」
「……、残念だけど、今の燐に僕の名前を言うことはできないんだ。ごめんね?」
「そ、っか……」

しょぼん、とした俺に、彼は少し慌てたように。

「あ、で、でもね?少しの間だけど、燐とお喋りできるよ?それで、許してくれないかな?」

どうかな?と俺の目を覗き込んでくる、困った顔の彼。こんなカッコいいおとこのひとにこんな表情をさせているのが自分なんだと思うと、何だかすごく楽しくなって。
俺は少し胸を張って、こくり、と頷いた。

「許す!だから、いっぱいおしゃべりしよう!」
「うん。ありがとう、燐」

にっこりと微笑む彼。その顔が、どことなく弟の雪男に似ているような気がして、ハッと気づいた。そういえば、さっきから雪男が全然喋っていないことに気づいたのだ。
俺はきょろきょろと部屋を見渡した。すると、大きく目を見開いた雪男が、唖然とした顔で彼の顔を見つめていて。

「に、兄さん……、そ、そのひと………」
「あ、雪男!ほら、やっぱりあの「おなじない」ちゃんと効いたじゃんか!」
「う、うん。で、でも、そのひとって……」

何かを言いかけた雪男だったけれど、すぐにハッと何かに気づいたように口を閉じた。何だ?と首を傾げていると、今度は彼の方が雪男の方を見やって。

「初めまして、というべきなのかな?」

どうだろう?と言いながら、彼は苦笑を漏らす。聞かれた雪男も、何だか複雑そうな顔をしている。

「……ぼくは、今ここに貴方が来たことに対して喜べばいいのか嘆けばいいのか、よく分からないです」
「そうだろうね。でも、僕は手を伸ばしたことを後悔はしていないよ。今の君には、分からないだろうけれど」

雪男と、彼。
彼は雪男が感じていることを理解していて、雪男は彼が誰なのか分かっている様子だった。
何だか二人だけが分かって、俺にはさっぱり分からないことを話されて、少し不機嫌になった。むす、とした顔をしていると、それにすぐに気づいた彼が、燐?と伺うように俺の名を呼んだ。

「どうしたの?ほっぺ膨らませて。……のけ者にしたから、寂しかったの?」
「ち、違うよ!!そんなんじゃないもん!」
「そう?それならいいんだけど……」

ちらり、と彼は雪男の顔を見た。雪男はきゅっと唇と噛み締めた後、しぶしぶという様子で部屋を出て行こうとした。だけど、部屋を出る直前、くるりと振り返って。

「ぼくは、貴方が嫌いだ」

真っ直ぐに彼を見つめて、雪男はそう断言した。
そして、そんな雪男を見た彼は、小さく笑って。

「僕は、君のことを好きになれそうだけどな」

言いながら、俺の手を握り締める彼。俺を見ているはずなのに、どこか遠くを見ているような目を細めて。

「人一倍優しくて、無茶ばかりして、人の言うことなんかちっとも聞いてくれない、誰かさんのおかげでね」

そう言って、彼は雪男を真っ直ぐに見つめ返した。すると雪男は少し悔しそうな顔をした後に、今度こそ部屋を出て行ってしまった。

「怒らせちゃったみたいだね」
「う、うん。でも、雪男のヤツ、どうしたんだろ?兄ちゃんのこと、嫌いって言ってたけど……」
「彼にも色々とあるみたいだしね。そっとしておいてあげよう。……いずれ、彼にもわかることだし」
「?」

意味ありげにそう言った彼の顔を見上げる。懐かしそうな顔をしていた彼だったけれど、すぐに俺を見下ろして笑った。

「さ!時間は少ししかないからね。何を話そうか?」
「あ、え、えーっと……」

そうして、俺と彼はほんの少ししかない時間の限り、話をした。未来のことを聞いても答えてはくれなかったから、日常的な会話しかしていない。どんな会話をしたのかを詳しくは覚えていないけれど、多分、ジジイや修道院のみんなや、雪男のこと。前の日の夕食のことや、楽しかったこと。そのあたりを話したような気がする。
彼はその一つ一つに頷いて、話を聞いてくれた。そんな風に俺を話を聞いてくれる人が、俺の周りには少なかったから、とても嬉しかったのを覚えている。

そうして、とうとうその時間はやって来た。
それまで話を聞いてくれていた彼の身体が、うすぼんやりと薄くなっていくのだ。

「あ……―――」
「もうそろそろ、時間みたいだね」

彼は自分の消え入りそうな身体を見下ろして、悟ったようにそう言った。

「い、いやだ!まだいっぱい話したいことがあるのに!!」

俺は消えそうなその身体にしがみついた。いやいやと首を振る俺の頭を、彼はそっと撫でて。

「大丈夫。今はお別れするけれど、きっと必ず逢えるから」
「……っ、ほんとう?」
「うん。本当だよ。約束だ」
「やぶったら、針千本だからな!約束だからな!」

何度も、約束!と言う俺に、彼は何度も頷いて、約束だよ、と言ってくれる。そっと俺の小指に、自分の小指を絡めて。

「ゆびきり、だよ。ちゃんと僕は燐を迎えに行くから」
「……っ、うん」

約束、と絡めた小指を離すと、彼は俺の頬に手を伸ばして。
ちゅ、と軽い音を立てて、額に柔らかな感触がした。

「すきだよ。………――― い ん……」

うっすらと消えていく彼が、何かを言ったような気がした。
だけど、最後の方だけ聞こえなくて、そのまま彼は消えていってしまった。



たった一つの、約束を残して。











「多分、アレが俺の初恋だろうなぁ……」
「「「…………」」」

ぼんやりと当時のことを思い出しながら、俺は呟く。そんな俺を見つめながら、何とも複雑そうな顔をする京都三人組。

「何だよその顔。あ!もしかして信じてねぇな!?」
「い、やぁー……。何と言うか、その……、なぁ?子猫さん?」
「え?あ、はい。信じる信じないより以前の問題というか……、ねぇ、坊?」
「俺に振るなや」
「んだよ。分かってんだよ、どうせ信じてくんねーって。でも、聞いてきたのは志摩じゃんか!」
「それはそうやけど!でも……まさか、というか、何と言うか。ある意味で、予想通りというか」
「あはは……。まぁ、なるようになった、ということなんやないんですか?」
「俺は予想通りすぎて逆に怖なったわ」

ぶるる、と身体を震わせる勝呂。志摩も子猫丸も、何だか空笑いというか、そんな顔をしていて。
頭に?マークを浮かべていると、ガラ、と教室の扉が開いた。扉の向こうには雪男がいて、俺たちの様子を一瞥した後に、兄さん、と俺を呼んだ。

「ごめんね、待たせて」
「いや、別にそんなに待ってねぇよ。それよりさっさと帰って飯作んないとな!」
「そうだね。どうやらちゃんと宿題もできたみたいだし、今日は二人でゆっくりしようよ」
「あぁ、だな!」

俺は席を立つ。そして雪男の傍に走り寄って、京都三人組にじゃあな!と別れを告げた。雪男も三人を見て、また明日、と別れを告げていた。

そのまま二人で連れだって廊下を歩きながら、そういえば、と思う。

「なぁ、雪男。今日は予定が片付いたんだろ?なら、俺は別に教室で待ってなくても良かったんじゃねぇの?」

何で?と首を傾げれば、雪男はクスリと笑って。

「別に、深い意味はないよ。早く終わるかどうかも分からなかったし。あんまり長い間兄さんを待たせると、何をするか分からなかったから。僕が迎えに行ったほうがいいかと思ってね」
「俺は猛獣か何かか!?ったく!」

んだよ、とぶすくれていると、雪男は笑ったままだ。やけに機嫌がいいな、とは思ったものの、弟の機嫌がいいのは、いいことだ。
俺は内心で首を傾げていると、雪男はぽつりと呟いた。

「……―――……それに、」

……―――、約束だったからね。

「?何が?」

俺がきょとんとしていると、なんでもないよ、と雪男は笑う。
何が何だか分からなかったけれど、あまり深く考えることはしなかった。どうせ雪男は、何も答えちゃくれないだろうし、聞いても無駄だと長い付き合いで分かっていたからだ。

「兄さん」
「ん?」
「……―――、なんでもない」

呼んでみただけ、と、雪男は嬉しそうにそう言った。





片瀬様からネタを提供されたので、嬉々として書いてみました。
実は志摩でしたな夢落ちの方も書こうかと思っていたのですが、それはまた今度ということで!

おわり

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