初☆Kiss





「なぁなぁ、ファーストキスの平均年齢って、男子は十六歳なんだって」
「は?」

一体何を言い出した、このボゲは。





部活が終わり、自転車通学の日向と徒歩通学の俺は、一緒に帰路についていた。途中の別れ道まで、一緒に帰る。短い時間だけど、俺はこの時間が好きだった。
バレーのことは勿論、それ以外のことも、たくさん話す。今日の晩御飯はカレー、だとか、そんなくだらないことが多いけど、でも、くだらない話をしながら一緒に帰るなんていう友人は今まで居なかったから、なんだか新鮮で。
日向と話すのは、すきだ。喧嘩することも多いし、お互い負けず嫌いだから、言い合いなんてしょっちゅうだ。でも、どんな言い合いをしても、日向は最後には笑っていた。
俺と話すと、威圧的だ、とか、偉そう、だとか、よく言われてきた。俺の口調は、相手によっては喧嘩腰に聞こえるらしい。俺はそんな風にしたつもりはないし、普通に話しているつもりなのに、周りは俺と話すのを避けるようになった。
別にそれを、嘆くつもりはない。俺にはバレーがあって、それだけで十分だと思っていたからだ。
日向とだって、最初は喧嘩ばかりしていた。今でもそれは変わらないけれど、日向はどんなにキツイことを言っても言い返してくるし、他人が言い難いこともスバスバ言ってのける。それが逆に心地よくて、気付けば日向と会話をするのが好きになっていた。
の、だが。

「なぁなぁ、ファーストキスの平均年齢って、男子は十六歳なんだって」
「は?」

止め処ない、いつものようにくだらない会話をしていたはずの日向の口から、聞きなれない言葉が飛び出した。え、なに。ふぁーすときすが、なんだって?

「このまえ、イズミンが言ってたんだよ。雑誌かなんかに載ってたって。ちなみに女子は十四歳なんだってさ」
「…………へぇ」

俺は他になんて言っていいのか分からずに、適当に相槌を打った。なんていうか、俺と日向の間でそういう恋愛まがいの話題が出るなんて思っても見なかったし、日向からそういう言葉が出ること自体、意外に思った。
何か、不思議な感じを覚えつつ、橙色のつむじを見下ろしていると、日向は勢いよく顔を上げて。

「でさ、おれたちまさにその十六歳じゃん?」
「あぁ、まぁ、そうだな」
「けど、彼女とかいないわけじゃん?」
「………はぁ、」
「だからさ。………―――、影山、おれと、キスしよう」
「は、はぁあっ?」

真っ直ぐに、真剣そのものの眼差しで見上げてくる日向に、俺はぎょっとして隣から飛び退いた。な、なに? いま、こいつ、なんて言った? き、きすしよう、とか言わなかったか?

「お、おま、な、何言ってんだ! おっ、男同士でんなの、するわけねーだろ!」
「えー、だって、おれ彼女いないし。影山だって彼女いないだろ? なら、いいじゃん」
「よくねーよ!」

何が悲しくて、男同士でキスをしなければならないんだ。馬鹿か。俺は断固として否定するものの、日向は持ち前の諦めの悪さで食らいついてきた。
じりじりと近づいてくる、俺よりも身長の低い男。なのに、足が竦んだように動けない。射抜くような橙色の瞳から、目が、逸らせなくなる。無意識に唇に目がいって、慌てて目を逸らす。

「影山は、おれとキスするの、いや?」
「い、いや、とかじゃなくて、お、おかしいだろ……っ。男同士で、き、キス、なんて……」
「じゃあ、嫌じゃないんだな?」
「だ、だからっ、嫌とかじゃなくて………っ!」

近づいて来る日向に、俺は何か身の危険を感じて、動かない足を叱咤しながら後退する。だけど背中に、どん、という感触がして、壁にぶつかったことに気付いて、ハッとする。しまった。壁側に逃げてしまった。慌てたときにはもう遅くて、目の前には日向が立っていた。

「かげやま」
「っ」

とん、と日向が壁に向かって手を置いた。俺を囲うように伸ばされた腕に、自分がもう逃げられないことを知る。

「なぁ、しようよ。何がそんなに気になってんの?」
「だ、だって………、」

おかしい。どう考えたって、おかしいだろ。だって、俺と日向、だぞ。そりゃ、日向と一緒にいるのは気が楽だし、バレーしてるときはついついあの橙色の髪を目で追ってしまうこともあるけど、でも。

「や、やっぱ、おかしいだろっ! 男同士でキスなんて、」
「そうかな、別にいいじゃん。他に誰も見てないし。気にすんなって」
「お前は気にしろよ!」
「えー、おれは気になんないよ? それにさ、他のみんなは済ませてるかもしんないのに、自分だけまだとか、いやじゃん」
「それは……」

そうかも、しれないけれど、でも。

「お、俺はっ、そんな理由ですんのは、…………いやだ」

ファーストキスの平均年齢がどうとか、とか、そういうのでするのは、なんか、嫌で。だって、そんな理由でするってことは、別に、相手は俺じゃなくても誰だっていいんだろうって、考えてしまう。俺がもしここで断っても、新しい奴に同じこと言うんだろうって。
そう言えば、日向は大きな目を瞬かせたあと、困ったように眉根を寄せていた。

「あのさ、別におれ、誰だっていいってわけじゃないんだけど。だって、ファーストキスだよ? そういうの、大事にしたいじゃん」
「嘘つけ! なら、なんで俺なんだよ! 大事にしたいんだったら、もっと別の奴とすればいいだろ!」
「いやだ!」

思わずカッとなって怒鳴れば、同じ分、いや、それ以上に強気に返された。驚く俺に、日向は俺の両腕を掴んで、真っ直ぐに俺を見上げて来た。

「いやだ。別の奴となんて。おれは、影山、お前とがいい。お前と、ファーストキス、したい」
「っ、な、なんで、そこまで……」

俺にこだわる? どうして? だってお前は、俺よりも友達がいて、明るくて、社交的で、いつも誰かと一緒にいて、俺じゃなくたって、きっと、可愛い女子とキスしようと思えばできるはずで。
それなのに、なんで、俺………?
戸惑う俺に、日向は。

「そんなの、決まってんじゃん。だっておれ、お前のこと、すきだから」
「は?」
「キス、っていうか、それ以上のこともしたいって思うくらい、お前のこと、すきだ」
「え、あ、」
「だから、ファーストキスも、お前がいい。お前じゃなきゃ、いやだ。………なぁ、だめ? おれとすんの、そんなにいや? お前がホントに嫌だって言うんなら、止めるから。だからちゃんと、言って欲しい」

頼む、と震える声で日向はそう言った。
日向は、俺のことがすきだと言った。キスも、俺じゃなきゃいやだと言った。正直、日向の言う「すき」の意味は、俺にはよく、分からないけれど。
でも、日向が他の奴とキスをするのは、いやだ、と思った。俺がいいと、俺じゃなきゃいやだというその熱が、他の奴に向かうのは、いやだ、と。だから。

「…………―――、してやっても、いい」
「ま、マジで!?」
「あぁ。その代わり、約束しろ」
「や、約束………?」

パッと表情を輝かせた日向は、約束、という俺の言葉に、怪訝そうな顔をした。何を約束させられるんだろう、と僅かな不安を浮かばせるその瞳を、真っ直ぐに見つめて。

「………俺以外のやつと、しないって、約束、しろ」
「!」
「そしたら、してやっても、」

いい、と言いかけた俺の言葉は、日向の口の中に、消えて。
合わせた唇は思った以上に柔らかくて、俺は驚くことしかできなくて。
ゆっくりと離れた唇が、ニッと弧を描く。

「………―――当たり前だろ。そんなの。おれは、お前以外の奴とする気なんて、これっぽっちもないんだからさ」

だから。

「もう一回、」

強請る小さなケモノに、俺は負けじと睨み返した。ボゲ、調子のんな、ばか。そう悪態をつこうとしたけれど、噛み付くように合わせてきた唇の中に消えて、結局俺は、その小さな肩に縋るように手を伸ばすことしか、できなかった。





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