恋色病棟

深夜の一時頃、携帯が鳴った。こんな夜更けに誰だよ、と軽く舌打ちする。一旦書類整理していた手を止めて、携帯の画面を確認する。表示された名前を見て、きゅっと眉根を寄せる。
『万事屋』
脳裏に、銀髪天パの死んだ魚のような目をした男を思い浮かべる。複雑な心境だが、あの男と「お付き合い」なるものをしている。勿論、恋人、という意味で。
いい年した男が二人で何やってんだと思うときも多々あるが、まぁ、でも、アイツとそんな関係であることに不満はない。これがいわゆる、惚れてる、ってヤツなのだろうか。
そんなことを考えつつも、鳴り止まない携帯を見下ろす。そんな男がこんな夜更けに一体何の用だと首を傾げつつ、通話ボタンを押す。

『あ、ひじかたくん?おれ、おれだけど』
「俺俺詐欺なら切るぞ」
『ちょ、ま、まって!おれです!ぎんさんです!』

切らないで、と言った瞬間、相手が激しく咳き込む。その声に、ん?と違和感を覚える。心なしか、声が違うような気がして。ゴホ、と苦しそうな堰に、ピンときた。

「お前……風邪引いてンのか?」
『そ、そうです……』
「だったら電話なんてしてねぇで早く寝ろ。じゃあな」
『ま、まって!』

電話を切ろうとすると、万事屋は慌てて声を上げた。同時に再び咳き込み始めたので、ふぅとため息を付きつつ、携帯に耳を傾ける。

「んだよ、何の用だよ。風邪引いてるくせに」
『あー……うん、そうなんだけど、さ。その……ひじかたくん、今から寝るの?』
「あぁ、もう少ししたらな。それがどうした」
『うん、だよね。そうだと思ったんだけどさ。その……お見舞いに、来てくれねぇかな、と思って』
「はぁ?今から?つーか、何で俺が」

冗談じゃない。明日の朝だって早いし、何より風邪菌だらけの場所にむざむざ飛び込むなんて真似、誰がするか。
そう文句を言えば、だって、と万事屋はぼそぼそと呟く。

『風邪引いたら人恋しくなるっていうじゃん?なんか、きゅうにひじかたくんに会いたくなったっていうか。その……だめ、かな?』
「…………」

こちらを伺うような声に、ぐぐっと眉間の皺が寄るのを感じた。
だめかなって、そんなこと俺に聞かれても困る。なんで俺がわざわざ万事屋の見舞いになんて行かなきゃいけねぇんだ。そんなん、なんか、恥ずかしいし。

俺はしばらくの間考えたあと、口を開いた。




軽く舌打ちする。
絶対行かないし、絶対無理だし、絶対、絶対、見舞いになんて行かないし。
ちくしょう、と悪態を付いていると、ガサリと手に持ったレジ袋が音を立てた。中には、スポーツドリンクと適当に選んだ桃のゼリーが入っている。

「………クソッ」

なんで俺が、と思いつつも、足は万事屋に向いていた。これは、別にアイツが心配だからとかじゃないから。
アイツがどうしても、って、死にそうな声で言うから、だから俺が仕方なく行ってやってるんだ。
だから、これは俺の意思なんかじゃないんだ。
ガサガサとレジ袋を振り回しながら、俺は誰にともなく言い訳をする。あの角を曲がれば、アイツの住む万事屋が見える。俺はふぅ、と一つ大きく深呼吸をする。
病魔の巣窟に行くんだ、今のうちにしっかり深呼吸をしておかないと。それに、アイツに巣食う病魔はかなりの大物らしく、熱が38.5度も出ているらしい。俺からしてみれば、そのくらいの熱、と思うけれど、世間一般的に見れば結構な高熱らしい(山崎談)。
骨が折れようが背後から切られようが余裕面しているアイツが、あんな風に死にそうな声を出すのだから、きっと相当な強敵に違いない。
俺は意を決して、万事屋の扉を開く。
中はしん、と静まり返っていて、僅かにアイツの寝室(らしき場所)から光が零れていた。
もしかしたらチャイナがいるかもしれないと思い、そろりそろりと廊下を歩いて、寝室へと向かう。
襖を開ければ、布団がこんもりと山になっていた。そっと中に入って、布団へと近づく。
寝てるのか……?と顔を覗き込もうとして。
いきなり、布団から伸びた手が、俺の腕を掴む。そのまま引き寄せられて、気がつけば天井が目の前に広がっていた。

「ッ!?」

何、と目を白黒させると、視界に銀髪天パが入り込んだ。何故か知らないけどマウントを取られて、赤い瞳がこちらを見下ろしている。

「つーかまえた」
「!て、てめ……んッ!」

にぃ、と楽しそうに笑った男は、俺が文句を言う前に唇を塞いできた。抵抗するものの、圧し掛かってる男はびくともしない。

「ん、……!ふ、」

ちゅう、と散々口の中を好き勝手されて、呼吸が出来ない。苦しくて、抗議するように肩を叩けば、ようやく唇が離れた。
肩を上下させながら、俺は男を睨む。

「て、てめ、風邪は、どうしたんだよ……?」
「ん?そんなの、土方の顔見たら治った」

しれっと言ってのけた男に、軽い殺意が湧いた。
なんだよ。人の気も知らねぇで。あんなに死にそうな声してたくせに。それで俺が、どんな気持ちになったと思ってるんだ。
くそっ、心配して損した。あ、いや、心配なんてしてないけど。

「………だって、こうでもしないと、土方君は会いに来てくれないじゃん」
「だからって、仮病使うなよ……。仕事休むために親戚殺すサラリーマンかテメェ」

性質悪りぃ、と毒づけば、男は無邪気に笑った。

「そ。俺、どうしようもねぇの。だから直して?俺の白衣の天使」
「…………台詞がいちいちAV臭いんだよ、マダオが」

悪態を付きながらも、落ちてくる顔にそっと目を閉じる自分がいて。
どうやら俺は、こいつの風邪が移ってしまったらしい。じゃなきゃこんな風に、素直に瞼を閉じるはずがないんだから。



ちゅ、ちゅ、と顔中に唇が落ちてくる。少しくすぐったく思いつつも、それを受け止める。すると今度は、ぺろ、と唇を舐められた。

「口、開いて」

囁くような声に、万事屋の顔を見上げてキッと睨んだ。だけどそんな俺を宥めるように、ちゅ、と頬に唇を落として。

「そんな顔しても、だめ。ほら、口、開いて」

早く、と甘ったるい声でせがまれて、つい、体が反応してしまう。おずおずと口を開けば、するりと舌が入り込んできた。

「ん………ふ、あ」

ちゅう、と舌を吸われる。びり、と軽く痺れるような刺激が、腰に走り抜ける。
びく、と反応すれば、万事屋は赤い瞳を細めて、にんまりとした。

「感じる?可愛いね、土方君」
「うっせ……」

じわ、と顔が熱を持つ。それを誤魔化すようにそっぽを向いて悪態をつけば、クス、と小さく笑われた。

「ほんと、かわいい」

ちゅ、と唇を落としてくる銀色の男を、熱に犯されたようにぼんやりと見上げる。時折、くるくるの天パが頬を掠めて、くすぐったい。小さく笑えば、ご機嫌だね、と万事屋も笑った。

「いつもは俺のこと、不機嫌そうに睨んでくるくせに」
「そりゃ、テメーが残念な天パだからだ」
「どういう意味、それ」

む、と顔をしかめつつも、弄ってくる手は止めない。する、と着流しの合わせから手が入り込んできて、腰を撫でる。いつも思うが、あの木刀を握る手がこれだけいやらしく動けるから、不思議だ。ドSを公言しているし、もっと乱暴なセックスをするのかと思っていたけれど、実際のコイツは、優しく愛でるように触れてくる。まるで、本当に愛しいというように。
その度に居た堪れない気持ちになって、ついつい、万事屋の顔を見れずにいる俺を、目の前のコイツはどう思っているんだろう?
そんなことをぼんやりと考えていると、唐突に万事屋の手が下着の中に入り込んできて、ハッと我に返る。
きゅ、と中心を握りこまれて、びく、と体が反応する。

「……っ!」
「何、考えてるの」

少し不機嫌そうな万事屋の声が降ってくる。同時に上下に扱かれて、腰が跳ねてしまう。

「シてる最中に考え事なんて、余裕じゃん。俺、手加減しすぎちゃったかな?」
「……っ、て、てめ……っ、あ……っ」

キッと睨みつければ、ふぅん?と目を細めて、万事屋は笑う。そのまま先端をぐりぐりと弄られて、ぐち、と先走りの濡れた音が響いた。

「……ふ……っ」
「ここ、好きだよね。俺も男だから分かるけど、土方君は敏感だから余計に感じちゃうのかな」
「っ、だ、まれ……、く、ぅ……あぁっ……!」
「強情」

素直になりなよ、と言いながら、後ろへと指先が回って、目を見開く。滑った指先が、ゆるゆると入口を撫でる。入りそうで、入りそうにない。中途半端なその感覚に、焦れてしまう自分がいて。ゆる、と自然と腰が揺らぐ。そんな俺を、ニィ、と性質の悪い笑みを浮かべて見下ろす万事屋がいて、小さく悪態をつく。

「……っ、こ、の……っ、ドSが……っ、や、……っ」
「最高の褒め言葉だね。……ほらここ、どうしてほしい?」
「っ、ん!……ふぁ……や、ぁっ」
「ちゃんと言いなって。『ここにおっきなお注射して欲しいです坂田さん』って」
「っ、ぜ、って、いわ、ねぇ……っ、ん!」

唇を噛んで抵抗すれば、爛、と目を輝かせた万事屋が、ぺろりと舌なめずりをするのが見えた。げ、と内心で冷や汗をかく。どうやら俺は、この男のドSスイッチを押してしまったらしい。
とっさに逃げようと引いた腰を素早く掴まれて、ひっ、と情けない声が漏れた。

「………ひじかた、」

伸し掛かってきた万事屋が、低く唸るような声で俺の名を呼ぶ。獲物を見つけたような獣の声に似ていて、ひくりと喉が鳴る。
食われる、と思ったその時。
ピピピ、と。
聞き慣れた音が響いて、あ、と我に返る。俺の携帯の着信音だ。
一気に現実が戻ってくるのが分かる。そんな俺を、万事屋は少し眉根を寄せて見下ろしていた。文句を言いたげな顔を無視して、携帯に手を伸ばす。

「……―――俺だ」

電話の相手は、数日前からある組織に潜入させていた山崎からだ。どうやら動きがあったらしく、今から屯所に報告のために戻るらしい。

「分かった。………あぁ、じゃあな」

会話を終わらせて体を起こすと、雰囲気で察しているのか、万事屋は伸し掛かっていた体を浮かせた。がしがし、と頭を掻いている。

「あー……、戻るの?」
「あぁ。仕事だ」

肌蹴た着流しを戻す。複雑そうな顔をする万事屋だったが、何も言わない。正直、ここまで高められた体は辛かったが、仕方ない。ふう、と息を吐いて熱を押し殺す。
黙って立ち上がると、万事屋はぼんやりと俺を見上げてきた。俺はその顔を見下ろしたあと、ふい、と逸らした。
すまねぇ、とも、また、とも言えない。
確かに、素直じゃねぇな、俺は。
内心で苦く思いつつ、俺はぱたん、と襖を閉めた。



万事屋からの帰り道。俺は、まだ熱に浮かされたような心地の中にいた。一度我に返ったはずなのに、体の奥に燻っている熱がぶり返して、アイツの吐息だとか声を思い出して、ずくり、と疼いた。

「……チッ」

疼く体に、盛大に舌打ちをする。そして最後に見た万事屋の不満そうな顔を思い出す。
俺だって、我慢してるんだ。それなのに、なんだってアイツはあんな顔をするんだ。こんな中途半端にされて苦しいのは俺なのに。不公平だ。
ちくしょう、と口の中で悪態をつく。だんだんイライラしてきて、余計に体の疼きは強くなった。
ちくしょう、と何度目かの悪態をついたその時、ピピ、と携帯が鳴った。山崎だ。イライラしつつ電話を取る。

「俺だ。くだらねぇ内容だったら三秒で斬る。…………はぁ?てめ、何言って、ちょ、てめ、山崎ィ!」

プー、という通話の切れた音に、呆然とする。そしてすぐに、山崎に電話を掛けなおしたが、『電源が入っていないか―――』のアナウンスに、ぴく、と口元を引きつらせた。
山崎からの電話は簡素なもので、報告は明日にする、というものだった。報告のために抜けようかと思ったが、どうにも抜けられない状態にあり、早急なものでもないから、というなんとも身勝手なものだった。くそ。
俺はイライラしつつ、道に立ち尽くした。そしてすぐに、どうしよう、と我に返る。
体の熱は覚めない。しかし、屯所に戻らなくてもよくなった。ということは、万事屋に戻ったところで何の問題はないということで。

「……」

戻るのか、否か。この熱を収めるには、悔しいが万事屋が必要だ。しかし、いいところで出て行った挙句に、良くなったから戻るのも気まずいし、何より、なんか、嫌だ。
素直になりなよ、というアイツの声が脳裏に蘇る。ギリッと奥歯を噛み締めた。
素直になれって?無理だ。冗談じゃない。それができないって、アイツだって分かってるはずだ。
どうすることもできずに立ち尽くしていた俺は、イライラしつつ懐に手を伸ばした。煙草を口に咥えて、ライターを、と思ったその時。

「……あれ?」

ない。肝心のライターが。懐のどこを探っても。どこかで落としたのか?でも、いったいどこで……―――?

「あ……」

もしかして、万事屋に?あのとき、懐からライターが落ちたのだとしたら?

「……っ」

『ライターを落としたから』という名目で、戻れる。そこでさりげなく、もう屯所に戻らなくて良くなった、と言えば、アイツのことだ。なんだかんだと俺を言いくるめるに違いない。
そうだ。そうしよう。別に俺は戻りたくて戻ってるわけじゃないし。ライターの為だし。うん。
俺は妙に清々しい気持ちになりながら、万事屋へ足を向けた。
少し小走りになった。別にこれはアイツに早く会いたいとかじゃないから。ライターがなくて困ってるだけから。
万事屋の看板が見えてきて、俺は少しゆっくりめに歩いた。アイツは妙に勘がいいから、少しでも走ってきた素振りを見せたら、『ライターを取りに来た』っていう俺の言葉を都合よく解釈してしまうからだ。
ふぅ、と近くなる万事屋を見上げて、ため息を吐いたその時。

「銀時」

どきり、とする。女の声だ。しかも、万事屋の玄関から聞こえる。俺はとっさに足を止めて、路地裏へと体を潜ませた。ゆっくりと見やった先、万事屋の玄関に一人の女が立っていた。綺麗な金色の髪、スリットの開いた服を着た、少しきつい目元が印象的な、美人だ。
あれは、確か吉原の自警団の女頭領だ。以前、どっかのバカ野郎が吉原を仕切っていた男をうち倒したと聞き、密かに調査していたときに知った顔だ。女ながらにして、その強さは随一だと。

「銀時、おらんのか?」

女が、また玄関の戸を叩いた。また、どき、と心臓が高鳴る。なぜかあの女がアイツの名を呼ぶと、心臓が痛い。いや……、本当の理由は分かっている。これは……そう、おそらく……―――。

「あー、はいはい。こんな夜更けに誰ですかぁ?って、なんだ、月詠か」
「すまないな、こんな夜更けに。少し、話があって……」
「オイオイ、女がこんな夜更けに男の家に来るもんじゃありませんよ?急用じゃねーなら早く帰りな」
「……っ、銀時、わっちは……っ!」

追い返そうとするアイツに、女は切羽つまったような顔をしていた。俺はそれ以上聞いていられなくて、この場を去ろうとして、ざり、と地面がことのほか大きく響いた。ヤバい、と思ったそのときには、ハッと二人がこちらを見やっていて。
大きく目を見開いた赤い瞳と、目が合って。

「……っ!」
「土方ッ!?」

俺は慌てて、踵を返すと走り出した。背後でアイツの、俺を呼ぶ声が聞こえた。だけど振り返るのが怖くて、無心に足を動かした。

俺は、バカだ。

アイツのことを、疑っているわけじゃない。
アイツのことを、信じていないわけじゃない。
ただ、ただ………―――。

「……っ、は……」

どこをどう走ったのかも分からず、俺は息を切らせて、その場に立ち尽くした。見上げた月は綺麗で、ぐっと唇を噛む。
ひどく、惨めな気分だった。そもそも、俺はアイツが熱を出したから、会いたいからって言ったから会いに行った。でもそれは嘘で、でも、そんな嘘をつかれても許してしまう自分がいて。
苦しい。苦しくて、仕方ない。どうすればいいんだよ。なんか新しい病気か何かか?そうだ、そうに決まってる。
息を整えながら、ぎゅ、と胸元を握りしめた、その時。

「土方!」

月の光に反射する銀色が、俺の前を横切って。強い力で引き寄せられたかと思ったら、熱い身体に包まれていた。

「……は、っ、土方……、おま、走るの、早すぎ……」
「っ、は、はな、せ……!」
「だめ」

ぎゅう、とさらに強く抱き込まれて、息が止まる。触れたところから熱くなって、病魔が侵攻してくる。

「ねぇ、なんで逃げたの?」
「に、げてねぇ……」
「じゃあ、どうして戻ってきたの」
「……っ、それは……、」

ライターを、と言いかけて、ぐっと言葉を呑む。俺が万事屋から踵を返した時点で、その言い訳が通用しないことに気づいたからだ。
ぐっと言葉に詰まった俺をどう見たのか、万事屋は小さく息を吐いて。

「ほんと、素直じゃないね」
「………、っ、じゃあ、っ」

素直な奴と一緒になればいい、とそう言いかけた俺を遮るように万事屋は、でも、と俺の耳元に唇を寄せて。

「そんなお前が、俺ぁいいんだ」
「!」
「お前じゃなきゃ、ダメなんだよ」

専属ナースだからね、と笑みを含んだ声でそう囁かれて、ぐっと体温が急上昇した。ばかやろ、と罵る自分の声も、どこか震えている。そんな俺に絶対気づいているはずの万事屋は、そこには触れずにただただ、俺の肩を抱いて。

「ね、また俺の病気を診てくれねぇ?どうにも、体がおかしくて仕方ねぇんだ」
「……ばーか、テメーの病名は決まってらぁ」

触れた唇の熱は、熱いくらいで。
それでも、俺もきっと、同じくらいの熱を帯びているはずで。

たぶん、この熱を、人は、きっとこう呼ぶ。









恋の病だ、と。








おわり


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