奥村兄弟の日常


候補生になるための強化合宿中。女子風呂に屍が現れるという事件があり、女子風呂が使えなくなった為、とりあえず男子風呂に女子が先に入り、男子が後から入る、という形を取ることになった。まぁ、ことがとこだけに、誰も文句は言わず、女子が全員(というか朴さんを除いた二人だけだが)が入った後、俺たちが入ることになった。
だが、またグールが出る可能性だって否めないのだから、男子はとりあえず全員一緒に入るようにしようと相談していると、奥村が少し困ったように。

「あー俺、後から入るわ」

と言った。何でや?と俺が聞くと、うっ、と言葉に詰まった奥村は、その、えっと、としどろもどろになっていた。なんやコイツ、と首を傾げると、奥村の双子の弟が「兄さん!」と奥村を呼んだ。

「あ!雪男!」

奥村は弟の出現にあからさまにホッとした顔をして、じゃあそういうことだから!と逃げるように弟の傍に走っていった。俺たちがその背中を見送っていると、志摩が感心したように。

「ほんま、あの兄弟は仲が良いんやな。俺んとことは大違いや」
「……そうか?」

どこの兄弟も同じようなものじゃないのか?と俺は志摩の兄弟たちを思い出してそう思ったけれど、実際に兄弟のいない俺には兄弟のいるヤツの心境なんて分かるはずもなく。
……仲が良い、ね。
弟の傍で無邪気に笑う奥村を見て、俺は何となく走った違和感に、首を傾げた。


風呂に上がると、奥村兄弟が揃って風呂へ向かう姿を見かけた。奥村が先生に向かって何か言うと、先生の方は呆れたように眼鏡を押し上げながらも笑っていた。
奥村の方もそうだが、特に先生の方は、奥村と居る時は年相応な顔をする。授業中にはきっちりと教師然とした態度の先生が見せる、十五歳の顔。俺はそれを見るたび、この兄弟の在り方にほんの少し違和感を覚える。それが何なのかは分からないけれど、志摩の言うとおり、双子だから仲が良過ぎに見えるだけなのだろう。

そんなことを考えていると、奥村の方が風呂から上がった様子で部屋に入ってきた。
この旧男子寮は普段は使われておらず、奥村兄弟のみが生活しているらしい。だが、今回は強化合宿ということで、奥村も自分の部屋じゃなくこの大広間に一緒に眠る。グールの件もあるから、一緒の方がいいだろうということもあるし。

「あっちー」

奥村はシャツの首元をぱたぱたさせながら、いつの間に買ったのか、アイスを口に含んでいた。奥村の黒い髪がしっとりと濡れていて、ぽたぽたと雫が落ちてシャツの肩を濡らしている。俺はそれを見かねて立ち上がる。そのままにしていたら風邪を引きそうだと思ったからだ。
だけど。

「あ!兄さん、何でそのままにしてるの」

奥村よりも遅く入ってきた先生が目敏く奥村の様子に気づいて、手に持っていたタオルを奥村の頭に被せてわしわしと拭き始めた。

「あー、ごめん、アイス食うのに夢中になってた」
「だろうね。ほら、僕が拭いてあげるから、早くアイス食べちゃいなよ」
「おう!」

奥村の背後に座り込んだ先生は、そう言ってアイスを食べる奥村を見下ろして、仕方ないというように笑った。奥村の頭を拭く先生の手つきはどこか優しく、まるで犬や猫を相手にしているようにも思えて。だけど、それにしては先生の目に浮かぶ感情が、やけに熱っぽい。アレでは、まるで……―――。

「何や、恋人同士みたいですなぁ、あの二人」

ずばり、と俺の心境を言い放った志摩。俺は、そんなわけないやろ、と言い返しながらも、何となくそれ以上の反論をすることができなかった。


そんなことがあって。
何故か先生の方も自室に戻ることなく、俺たちと一緒に眠ることになった。グールが出るかもしれないので、と先生は眼鏡を押し上げつつ、どこか威圧的にそう言った。何となく全ての事柄をグールが出るかもしれないから、で片付けられているような気がしないでもないけど、俺は薮蛇になりそうだと黙った。

明日は朝が早いし、と話もそこそこに眠ることになった。俺自身、いつも五時くらいには起床しているので別段変わりはないけれど、他の皆にとっては早いのだろう。皆に合わせる為に、俺も眠ることにした。
そして、うとうととまどろみ始めた頃。うぅ、という誰かの呻き声が聞こえた気がして、俺はそっと目を開けた。気のせいかとも思ったけれどすぐにまた声が聞こえて、俺は起き上がろうとした。だけどそれよりも早く、「兄さん?」という声が聞こえて、俺は慌てて起き上がるのを止めた。

「兄さん」
「う、はぅ……!」

徐々に声が大きくなって、呻き声の主が奥村だと気づく。奥村はひどく苦しげな声を上げていて、恐らく魘されているのだろうと検討を付けた。
奥村が呻いている間も、先生はずっと「兄さん」と呼んでいたものの、奥村の声は酷くなる一方で。

「大丈夫だよ、兄さん」

先生の動く気配。布の動く音がやけに大きく聞こえて。
俺は薄目を開けて奥村の居るほうを見た。暗くぼんやりとした闇の向こう、微かに体を起こした先生の姿と、胸元を押さえる奥村の姿が微かに見えた。

「う、は……、ッ」
「兄さん、兄さん、僕が兄さんを守るよ。大丈夫」

大丈夫、と何度もそう言い聞かせるように囁いた先生は、スッと胸元を押さえる奥村の手を取って、床に押し付けた。上から奥村を覗き込むような格好をした先生に、何故かドクン!と心臓が音を立てて。

「兄さん……」

そっと、優しく囁くように、先生は奥村を呼んで。その声がどことなく甘さを含んでいるように聞こえて、俺は更に心拍数を上げる。そして、なんでこんなにドキドキするんや?と自分で疑問に思っていると、先生はスッと顔を奥村の顔に近づけた。そっと、聞こえないくらいの小さな声で囁いて。

「兄さん……、燐」

その瞬間、奥村の呻き声が不自然にくぐもって聞こえて、俺は体を硬直させた。目の前には、やけに近い距離にいる双子。
え?は?えええええええ!?

「……ん、ふ」

くぐもった奥村の声に、俺は更に緊張の度合いを高くした。え、ちょ、待て。落ち着け自分。え?コレ、まさか……!いやいやいやいや、そんなまさか!
俺は混乱する思考を落ち着かせようとするものの、双子の距離はまるで大きな一つの影のように近すぎて、目を逸らしたいのに逸らせない。

「……ふ。……ゆ、き……?」
「うん、兄さん」

そのうち、奥村が目を覚ましたのか、先生が少し奥村から離れて、ホッと息を付く。奥村は寝起きの少し舌足らずな声で先生を呼ぶ。

「おれ、またやっちまった……?」
「……うん」
「そう、か……」

二人が沈黙する。会話から、どうやら奥村が魘されるのは今晩が初めてではないようだ。
いつもウザったいくらいに無邪気で明るい奥村。そんな奥村が夜になると魘されているという事実に驚きつつも、色々と事情があるんだろうな、と思った。
魔神サタンを倒す、という夢を笑わず、それどころか俺が先だ!と言ってのけた奥村。同じ夢を持つ俺でさえ呆気に取られるくらい真っ直ぐに。
俺はその姿に、救われていた。どうしてそんなに真っ直ぐにいられるんだろう、とほんの少し眩しくも思っていた。

「ゆき、……おれ、ッ……!」
「ん。大丈夫、僕が付いてる。安心して、寝ていいよ」
「……ごめ、……ゆき」
「ほら、明日は早いんだから」

震えるような、それでいて縋りつくような声でごめん、と言った奥村は、ふ、っと力を抜いた。そして少しすると、すぅすぅという規則正しい寝息が聞こえて、奥村が眠ったことを俺に教えた。
俺は何となく、見てはいけないものを見てしまったような心境になって、どうしよう、と戸惑っていると、先生が。

「さて、今何人起きているのか分かりませんが。今夜のことは他言無用です。特に兄さんには、ね」

分かりましたか?といつものように言った先生だけど、声が全然違っていて。俺は背筋をぞくりとさせた。多分、俺のほかにも志摩辺りは起きてそうだったから、俺と同じように背筋を凍らせているに違いない。それくらい、先生の声には温度がなかった。


結局、俺はその日あまり寝付けなかった。色々なことが脳裏にめぐって、妙に頭が冴えてしまったからだ。
朝、ぼんやりと目を覚まして、ぼーっとする頭を起こすために顔を洗う。冷たい水をばしゃばしゃと浴びて少しすっきりした俺は、昨日の夜ことは忘れることにした。人にはそれぞれ事情というものがあるし、それに、触らぬ神になんとやらと言うではないか。

「そうや、それがいい……」

俺は自分に言い聞かせるように、何度もそう呟いていた。
そうしていると、おはよう!とやけに爽やかな先生の声が聞こえて、俺は大袈裟に肩を跳ねさせた。ゆっくりと振り返れば、先生が笑顔で立っていて、いつもと変わらないそれに、少し肩の力を抜いた。

「おはようございます、先生」
「はい。勝呂君は早起きなんですね」

感心です、と言いながら、先生は蛇口を捻って眼鏡を外すと顔を洗い始めた。その姿を見ていた俺は、ふとあることに気づいた。

「先生って、眼鏡を外せば奥村に似ているんですね」

俺がそう言うと、先生はタオルで顔を拭いた後、眼鏡を掛けなおして。

「当たり前でしょう?僕たちは双子ですからね」

にっこり、とそんな音がつきそうなくらいの笑顔を浮かべて、先生は去っていった。多分、奥村を起こしに行ったのだろうか。自然とそう考えてしまった自分に、頭を抱えて。

いかん、色々と、このままじゃあかん気がする。

俺は自分が泥沼に嵌っていることに気づくことなく、しばらくの間悶々とすることになった。





END

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