なきむし LOVE Plant

俺は今、パトリオット工場の作業場にいる。

「あ、お疲れ様です、土方さん」
「はい、お疲れ様です、志村さん」

休憩時間中、書類を抱えて作業場に現れたのは、参謀兼東方攻略指揮官の志村だ。彼はここの工場の中では二番目に偉い人物なのだが、こんな一作業員の俺にまで気さくに声を掛けてくれる。いや、志村だけじゃない。ここの工場の連中は、皆気さくで良い奴だ。
そんな人たちに囲まれながら、俺はある罪悪感を抱えていた。
それは、俺がこの工場を探りに来た、いわばスパイだからだ。
この工場は、大手企業の末端の末端。ほぼ本社から目に止まることのない、下っ端の工場だ。そんな工場が本社の目に止まったのが、三ヵ月前。どうやらこの工場の工場長が、おかしなものを作り始めたらしい、という噂が広まった。
そして、そのおかしなモノというのが何なのか、そしてそれは会社にとって利になるのか否か。それを調査するというのが、俺が受けた辞令だ。
会社内部の監査、それが俺の仕事だ。その為にこの古びた工場に新入社員として入社したのが、二カ月前の話だった。そして、入社した俺が目にしたのが、パトリオットと呼ばれる代物だった。
ティシュの部分であるソリッド。トイレットペーパーの部分であるネイキッド、そして棒によって構成されたソレは、ハッキリ言ってガラクタと呼べるモノだった。
会社の利にはならないであろう、パトリオット。何に使うのかさえ分からないモノ。そんなモノを作るなんて、工場長は一体何をやっているんだ、と入社して初めの頃はそう思っていた。
本来なら俺はパトリオットを見た時点で、本社に報告すべきだった。それなのに、もう二ヶ月もの間ここにいて、パトリオットを作っているのにはワケがあって。
志村と話していると、作業場の扉から一人の男が入ってきた。フワフワの天パ、死んだ魚のような瞳、そして顎には無精ひげを生やしたその男の姿を見止めて、俺はどきり、とする。
男はガシガシと頭をかきながら、パトリオットを見つめて。

「ダメだ!ソリットとネイキッドがジャックインしていない!」

苛立たしげにそう言うと、パトリオットを地面に叩き付けた。その姿に、志村が慌てて止めに入っていた。
そう、この男。ツナギ姿の彼は、この工場の工場長、坂田だった。
工場長は止めに入った志村に文句を言いつつ、ふ、と顔を上げて俺を真っ直ぐに見た。そして、小さく笑って。

「新人の土方君、どう?この工場には慣れた?」
「あ、はい。おかげさまで」
「そりゃあ、良かった」

そう言って、さっきまでの不機嫌そうな顔を潜めて、工場長は朗らかな顔をした。
そんな顔にでさえ、視線を奪われて。
……馬鹿だな、俺は。
監査すべきその対象に、心を奪われてしまうなんて。



……あれは、俺がこの工場に来て、一週間ほど経ったある日のことだ。全く使い道の分からないパトリオットを延々と作ることに嫌気が差し、俺は休憩がてら屋上へと向かった。
なんなんだよ、パトリオットって。ただのティッシュとトイレットペーパーじゃねーか。
俺はぶつぶつと呟きつつ、屋上への階段を上る。錆びたドアノブに手をかけて扉を開けば、その先には先客が居て。

「……あ」
「ん?」

ぼんやりと空を見上げて煙草を吹かしていたのは、中心人物である工場長で。
俺は気まずい思いをしつつも、お疲れ様です、と頭を下げる。すると工場長は、お疲れさん、と少し笑って。その笑顔に、何故か心臓の音が大きく高鳴るのを感じて、首を傾げた?
なんだコレ?と?マークを頭に浮かべつつも、はい、と返事をする。

「隣、いいですか」
「あぁ、いいよ」

どうぞ、と笑う工場長の隣に近づきつつフェンスに寄りかかって、工場長と同じようにぼんやりと空を見上げた。
正直、気になっていた。この工場長は何のためにパトリオットというモノを作り始めたのか。この工場長という人物は、どんな人なのか。
俺はちらり、と工場長を伺っていると、その視線に気づいた工場長が、仕事はどう?と聞いてきた。だから俺は、まだまだ慣れなくて、と無難な答えを返した。慣れないも何も、パトリオットの製造過程は結構簡単で、難しいもクソもないんだけど。
思いつつも俺がそう答えれば、工場長は苦笑して。

「君もパトリオットが何なのか、理解できない?」
「え?」
「そんな顔してる」

真っ直ぐに俺を見て、工場長はそう言った。その瞳に、はい、ともいいえ、とも言えずに言葉に詰まる。
すると工場長は目を細めて、土方君は正直だね、と言って、煙草を空に吹かした。

「そんな正直者の土方君に、特別に教えてあげるよ。パトリオットが何なのか」

他の奴らには内緒だからね、と工場長は悪戯っぽく笑いながら、密かに語り出した。
自分が、トイレットペーパー職人だった父親の敷いたレールを走るのが嫌で、家を飛び出して工場長になったこと。応援してくれたクラスメイトたち、上京してからの苦労、そして、一ヶ月前にその父親が亡くなったこと。全てを話してくれた。
その、有り触れた話のようで、でも工場長が確かに歩んできた人生の、その一片を聞かされて。
俺は……―――。

「……ぐず、……こうじょうちょう、あんた、ぐず、たいへんだったんだな……ぐす」
「……あー……」

熱を持つ瞼を押さえながら、号泣した。工場長の語り口は上手く、どうも涙を誘われてしまって。
グスグスと泣く俺に、工場長は困ったように頭をかいていた。そりゃあ、自分の過去を話して泣かれたら困るだろう。俺は必死になって涙を止めようとしたけれど、逆にどんどん止まらなくなって、焦った。
どうしよう、と途方に暮れていると、工場長は俺の頭をくしゃりと撫でて、いつも俺たちが作っているパトリオットを差し出した。受け取りつつ首を傾げると、彼は小さく笑いながら。

「パトリオットは、さ。君みたいな泣き虫の為に、作ったんだよ」

そう、言われて。
俺はその瞬間から、この工場長に全てを持って行かれた気がした……。



そんなことがあって、俺はこの工場の報告を本社にすべきか随分と迷った。
俺は今まで会社の為に色々なことをしてきた。こんな小さな工場など、監査で幾つも潰してきた。それなのに、この工場、いや、この工場を守る工場長の想いを聞かされて、俺は迷ってしまった。今でも、迷っている。この工場が作っているパトリオットを、報告すべきかどうかを。そうして迷ったまま、ずるずると二ヶ月も工場の作業員を続けて来てしまって。
このままではいけない。そう思っているのに、工場長の顔を見るたびに、揺らいでしまう。
そして迷っているうちに、とうとうその日がやって来てしまった。



『えぇ!?本社からの監査が!?』

偶然通りかかった工場長室の前で、俺は志村の声を聞いてドキリ、とした。まさか俺のことがバレたのか、と内心で冷や冷やしつつ、扉の前に立って耳を傾けた。中には志村と工場長、そして秘書の神楽がいるのが気配で分かった。

『そうアル。パトリオットのことが本社に漏れたみたいで、近々工場に監査が入るっていう情報が入ったアルよ。……いよいよこの工場も終わりアルな』
『ちょ、何他人事みたいなこと言ってんの神楽ちゃん!コレ一大事だよ!どうするの!』
『まぁ、落ち着けよぱっつぁん。どうにかなるって』
『どうにかって……。策はあるんですか銀さん!』
『いや、なんにも』
『無いんかいぃいいいい!』

どうするんですか!と慌てる志村に、大丈夫だって、と言い張る工場長。でも、俺も志村に賛成だ。恐らく、報告の無い俺に痺れを切らした本社が強行突破にかかったと見て間違いない。だが、それにしても余りに急すぎる。
俺はその原因を思い当たって、ぐっと手のひらを握り締める。
……アイツの思う通りにさせて堪るか。



それから数日後。俺は屋上に来ていた。右手には煙草、左手には携帯を持って。短くなった煙草を吸いながら、あの日を思い出す。工場長と言葉を交わしたあの日を。アレから色々あったけれど、ここでの生活は、悪くなかったように思えて。
このまま、ずっとこの場所に居たいとさえ、思ったけれど。
でも俺は結局、監査役以外には、なれなかった。
短くなった煙草を、最後の最後まで吸い終えて、俺は携帯を開く。表示されたその番号は色々な意味で、掛けたくない相手だ。
だけど、負けられないから。
ゆっくりと通話ボタンを押す。相手は二コール目で出た。

『はい、伊東ですが。……どうかしたのかい、土方君』
「まどろっこしいのは無しにしようや、伊東さんよ。今回の工場の監査、テメェの差し金だろうが」

口元を吊り上げてそう言えば、相手は少し驚いたような素振りを見せたが、すぐに小さく笑い出した。

『さすがは監査第四部、副部長殿。情報が早い。確かに僕はその工場の監査をするように上に進言したよ。監査に行ったきり報告書が提出されないと上が嘆いておられたのでね。それに、副部長ともあろう君が、監査の為とはいえそんな倒れかけの工場にいつまでも拘束させておくのは、忍びないと思ってね』
「ハッ、お気遣い痛み入るよ。だが、今回は過ぎた真似をしすぎたな、伊東」
『それはどういう意味かな、土方君。僕は会社の為を思って行動しているまでだよ。ただのちり紙を作るための工場なんて、会社には必要のないモノだろう?そしてそんな工場に、君のような優秀な人材を割くなんて、会社の不利益でしかない』
「……テメェ」

どこまでも、俺とは気が合わない野郎だ、と舌打ちしたいのをぐっと堪える。そして相手に気取られないように、小さく息を吐いた。

「伊東。俺はこんな話をする為にテメェに電話を掛けたわけじゃねぇよ」
『おや、それなら何の為に?』
「……監査を中止しろ。テメェが言い出したんなら、テメェが止めれば監査は中止だろ」
『何を言い出すかと思えば……。それは無理な話だよ土方君。それに今監査を止めたところで、いつか別の誰かが監査をするだけの話だ。……それとも、君が報告書を提出するというのかい?その、ゴミのようなモノを作っている工場のことを』
「……あぁ、上にはきっちり俺から報告するつもりだ。だから、今回の監査から手を引け」
『あぁ、なるほど?君が上に掛け合って工場を存続させるようにするつもりかい?』
「……」
『はは、まさか君ともあろう者が、落ちたものだな。それとも、そうまでして守りたいものが、その工場にはあるとでも?』

俺は脳裏に工場長の顔を思い浮かべて、フッと笑った。

「落ちてきたんじゃねぇ、降りてきたんだ。それに、この工場には世話になったからな。……それだけだ」
『……―――なるほど』

伊東が電話口の向こうで笑う気配がした。全く、仕草の一つ一つが嫌味だ。それでいて、見ていなくても分かるから、尚更。

『そこまで君が言うのなら、仕方ない。今回の監査からは手を引くよ。……そうだな、君がその工場から戻ってきた暁には、どこか食事でも行かないかい?』
「……まぁ、機会があればな」

俺はいつもの文句を言って、電話を切る。いつもいつも何かしら俺にちょっかいを掛けて、最後には食事にでも、と誘う伊東。その神経が俺には理解できないし、まず、伊東との食事は疲れそうで嫌だ。
俺は自然と入れていた肩の力を抜いた。これならパトリオットを作っていた方がまだ楽だ、と思いつつ、新しい煙草に火を付ける。
ふぅ、と空に上る煙。それを目で追いながら、もうこの景色を見ることはないんだな、と思う。
監査が終わったら、速やかにその現場から離脱する。それが監査役のルールだ。余計な感情を持つ前に、報告書を書き提出する。後はその報告を受けた上の連中が判断を下す。それが、今まで俺がしてきたことだ。
だからこんな風に、監査が終わった後に感傷的になることなんて、まずなくて。

「……ちくしょう」

ぐず、と鼻を啜りながらぼやく。ちくしょう、何でこんなに泣けてくるんだ、と誰にともなくぼやいて。でも、今はこの屋上には誰もいないから、今のうちに泣いてしまおうと思った、その瞬間。

「ほら、使いなよ」
「え……」

背後から聞こえたその声に、慌てて振り返る。そこに居たのは、パトリオットを差し出す工場長で。
工場長は俺の顔を見て、大洪水だね、と笑う。

「こ、工場長、あんた、いつから……」
「ん?いつからここに居たのかってこと?そうだね……。土方君が携帯を開いて、『まどろっこしいのはナシにしようや』って言ってる辺りから、かな」
「……ッ」

さ、最初からじゃねぇか!と内心で叫ぶ。だけど、もしかしたら工場長は、最初から何もかも知っていたのかもしれない、と思う。
俺が本社の監査役であることも、そして、それが今日で終いだということも、全て。
知っていながら、黙っていた。その真意は分からないけれど、でも、差し出されたこのパトリオットは本物だと思うから。
俺はパトリオットを受け取りながら、じわり、と浮かぶ涙を拭いた。そして、ゆっくりと工場長を見つめる。

「工場長、今まで、お世話になりました」
「……」
「短い間だったけど、俺、この工場に来れて、良かったです」

ありがとうございました、と頭を下げる。すると工場長は、あー、とかうー、とか唸りだして。
どうしたんだろう?と頭を上げると、少し困ったような顔をした工場長がいた。なにか不味いことを言っただろうかと不安になっていると、工場長はいつもは死んだ魚のような瞳を煌かせて。

「困るんだよ、君に辞めてもらったら。……言っただろ?このパトリオットは、君の為に作ったんだって。……だから、ずっと俺の傍にいて、パトリオットを使って欲しいんだ」
「……!」

ダメ?と俺の肩を掴んで聞いてくる工場長に、俺はふるふると頭を横に振る。それはできない、と。だって俺は会社の監査役だ。そして、俺が戻らなければ、この工場は監査が入って潰されてしまう。それを止めたくて、俺は本社に戻るのだから。
ダメだ、と頑なに首を横に振る俺に、工場長はほんの少し苛立ったような顔をして、俺の肩を引き寄せて抱きしめた。

「こ、工場長!?」
「いいから。君は何も考えずに、俺の傍にいればいいの。……OK?」
「……ッ」

工場長命令だからね、と耳元で囁く工場長のその優しげな声に、俺は誘われるようにして、一つだけ頷いていた。すると、工場長はいい子だね、と言ってゆっくりと俺の頬に手を伸ばすと、そっと顔を寄せてきて。
俺が驚く暇もなく、唇を塞がれた。
「……んん!……ふ」

突然のことに体を硬直させる俺。そんな俺に気づいているのかいないのか、工場長は作業服のジッパーに手を掛けていて。ジジ、という音がやけに大きく響いて、その音で我に返って工場長の肩を叩く。

「ちょ、工場長、ダメです……!こんな……」
「何がダメ?ウソはダメだよ、土方君」

するりと下ろされたジッパーの隙間から入りこんできた手のひらが体を撫でて、びくん、と体を跳ねさせる。すると工場長は小さく笑って。

「ほら、素直になりなよ」

言いながら、工場長の手が胸を這う。きゅ、と胸を摘まれて、腰がゾクゾクする。
なんで、こんなことに……?
工場長の手のひらを感じながら、俺はパニックになった。工場長の考えていることが分からなくて、でも、その手のひらに撫でられたら、頭が真っ白になりそうで。
怖い、と。そう思ってぎゅっと目を閉じた。その時、ぴたりと工場長の手が止まって。

「土方君?」
「……ふ」

情けないけれど、感情がオーバーヒートした俺は、ぽろぽろと泣いてしまって。それを見た工場長がぎょっとした顔をした。

「ひ、土方君ッ?も、もしかしてホントに嫌だった?」
「……ッ」

おろおろと俺を伺う工場長に、首を横に振る。

「ちが……、います。いや、じゃなくて……。こうじょうちょうが、なんでこんなこと、おれにするのか、わかんなくて……」

怖かったんです、と素直に告げれば、工場長はあちゃーと頭を抱えて。困らせた、と反射的に体を竦ませる。すると工場長は、ぎゅっと俺を抱きしめてきて。

「ごめん。最初に、ちゃんと言っておけば良かった」
「……はい」
「俺、土方君のこと、好きだよ」
「はい。……って、え?」

俺が驚いて顔を上げると、少し照れくさそうな顔をした工場長がいて。

「俺の話をちゃんと真面目に聞いてくれて、それに、……俺の為に泣いてくれた。俺はね、君の泣き顔に惚れたんだ」

すきだよ、ともう一度言い聞かせるように囁く工場長。俺はその言葉を聞きながら、これは夢じゃないかと思った。だけど、確かに伝わるぬくもりは、本物で。
じわり、と瞼が再び熱を持つのを感じた。

「……ふ、……ぐず」

ぎゅう、と工場長に抱きつきながら、俺はその熱を誤魔化そうとした。だけど工場長はそれを許さなくて、俺の頬に手を伸ばして顔を覗き込むと、小さく笑って。

「ほんと、泣き虫だね」

そう言って、ちゅ、と目元に唇を落とすから。俺はまた熱くなる瞼を、閉じることで誤魔化した。
そして、すぐに降りてくる唇。触れるその熱は、ほんのすこし、塩辛い涙の味がした。

「パトリオット、使う?」

唇を離した工場長は、ほんの少し意地の悪い顔をしてそう聞くから。
俺は、首を横に振って。

「いえ、今は、まだ……―――」

こうしていたいです。と工場長にキツク抱きついた。
そうして、工場に残ることにした俺は、本社に辞表を書いて提出した。勿論、パトリオット工場のことは、『問題なし』というウソの報告をして。
いや、実際ウソは付いていない。何故なら、俺にはもう、パトリオットが無駄なものだとは言えないからだ。





「ぐす……、こうじょうちょう、すみません、パトリオット下さい……」
「また泣いてるね。一体今日はどうしたの」
「だ、だって、ぺどろが……!」

グスグスと泣く俺に、そっとパトリオットを差し出す工場長。
そう、パトリオットは悲しい涙も拭き尽くす、最高のチリ紙で。

「泣き止んだ?」
「……はい」

泣き止んだあとに、また笑う為のものだから。

そして、今日も俺はパトリオット工場で、パトリオットを作っている。


おわり。


  • TOP