パンプキン・ハイキング・ゴースト





「ねぇ、パンプキン・ハイキング・ゴーストって知ってる?」
「なにそれ?」
「十月三十一日のハロウィンの日にやってくるお化けで、仮装してる子どもに混じってお菓子をねだりにくるんだって。それで、お菓子をくれないと」
「くれないと? ねぇ、どうなるの?」

十月も後半。吹き抜ける風は冷たく頬を撫でて、ぶる、と肩を震わせる。こんな寒い日は、とにかく早く帰りたい。俯き加減で足早に帰路についていた俺は、オープンカフェに座って賑やかに談笑をしている女子学生たちの会話が耳に入った。
よく見れば、前から来た小さな子どもが変わった服装をしていたことに気付いて、首を傾げる。真っ黒なワンピースに、真っ黒なとんがり帽子。魔女か? と一瞬考えて、その帽子にオレンジ色のかぼちゃが付いているのを見て納得する。かぼちゃには顔があって、何が楽しいのかにっこりと笑っている。この季節になると否が応にも顔を合わせることになるあのかぼちゃが、実は少しだけ苦手だった。
よくよく見てみれば、立ち並ぶショーウィンドウにはどこかしらあのかぼちゃがいて、じっとこちらを見て笑っていた。

「ハロウィンか………」

お菓子をくれなきゃいたずらするぞ! と仮装した子供が大人にお菓子を強請る日。
自分には関係ない行事だな、とショーウィンドウの中のかぼちゃをぼんやりと眺めていると、ガラスにかぼちゃの被り物を被った小柄な少年が、自分の背後にいるのが見えた。少年はじっとこちらを見ていて、ガラス越しに目が合った。底の見えない三角の両目がなんだか不気味で、振り返る。そこにはガラスに映ったとおりの、かぼちゃの被り物をした少年が立っていて、俺が振り返ったことに気付いたのか、たたっとこちらに走り寄ってきた。痩せた体に似合わない、頭の大きなかぼちゃの被り物をぐらぐらさせながら近寄ってきたソイツは、俺の前に立つと勢いよく手のひらを差し出して。

「とりっく おあ とりーと! おい、お前! おれにお菓子くれ!」
「…………は?」

被り物で分からないはずなのに、かぼちゃの下の少年は笑っているような。そんな気にさせる声で、ソイツは高らかに言い放った。


パンプキン・ハイキング・ゴースト


たた、たた、と軽快な足取りでソイツは後を付いてくる。俺よりも十センチ以上は背が低いくせに、若干駆け足になっている俺に喰らい付いてくるソイツに、内心で舌打ちする。

「なぁなぁ、お菓子くれよ! お菓子! お前、持ってるだろ?」
「知らねぇって言ってんだろ! ついてくんな!」
「やだ! お菓子くれるまで付いてくるし!」

ぜったい! と何が嬉しいのかずっと付いてくるソイツに、俺はどうしてこうなったのか分からずに苛立った。
お菓子をくれ! と強請ってくる少年に、俺はこの時期だし小さい子どもが見境なく菓子を強請ってくるのは仕方ないのかもしれないとは思った。だが、生憎俺は菓子を持ち歩くような習慣はないし、素直に持ってない、と告げた。
だが、少年は頑なに、いや持ってるだろ! と言って聞かず、宥めるのも面倒になった俺はその場から退散しようとした。が、予想を超えるスピードで付いてくる少年に、俺はいつしか本気で駆けだしていた。
なんだコイツ。なんでこんなに速いんだよ。つか、なんで付いてくるんだよ! 俺、菓子持ってねぇのに!
息を切らせて走りながら、背後を振り返る。少しは距離を取れたと思っていたのに、ソイツは俺の真後ろにいてぎょっとする。頭が重いのか、ぐらぐら揺れるかぼちゃの被り物は表情を変えずに笑っていて、ぞっとする。

「っ、俺は、菓子なんてもってねぇ! いい加減、諦めろ!」
「やだ! ぜったいいやだ! お前はちゃんと持ってる! だからおれにお菓子をくれ!」
「しるかボゲェ!」

自棄だ。こうなったら、何がなんでもコイツを撒いてやる。俺は走るスピードを上げた。背後で、おっ、と少し驚いた声がした。どうだ、これなら付いて来られねぇだろ。得意げに後ろを振り返って……―――。

「へぶっ!」

頭が大きいせいか、体勢を崩したソイツは、盛大に転んでいた。

「………」

地面に転んだまま、ぴくりとも動かなくなったソイツに、俺の足も止まる。オレンジ色の頭が地面に伏しているのを見ると、本物のかぼちゃが落ちているみたいに見えた。でも、あまりにも動かないので心配になった俺は、おそるおそる、かぼちゃ頭に近づいてみた。

「お、おい? だいじょうぶか……?」

声を掛けてみるが、返事はない。ただのかぼちゃのようだ。
え、もしかして、打ち所が悪かったとか? んな馬鹿な。でも、それじゃなんで動かないんだよ。
俺はじーっとかぼちゃ頭を見下ろして、そっと手を伸ばした。すると、ぴくんっと肩を震わせたかぼちゃ頭が、がばりと勢いよく顔を上げたかと思うと、伸ばしていた俺の手を取った。

「つかまえた!」
「ってめ、卑怯だクソが!」
「えへへ。ごめん。でも、お前はやっぱりお菓子を持ってるよ」
「? なんだそれ。どういう意味だよ」

意味が分からなくて首を傾げると、かぼちゃ頭は笑った顔のまま、ぎゅっと俺の手を強く握り締めてきた。俺よりも、少し小さな手。でもどこか、暖かな手。俺はその手を見下ろして、胸の奥がぎしりと音を立てたのを聞いた。

「………お前、なんで俺が菓子を持ってるなんて、思うんだよ」
「だって、持ってるもん。ぜったい」
「持ってねぇよ。お前が望むもんは、何一つ」

俺は、何も持っていない。
呟いた言葉は、空っぽの俺を表しているかのようだった。ひゅう、と冷たい風が吹き抜ける。空っぽの俺を、通りぬけて。
いらないと言われた俺は何も持っていないのだと、証明された気がした。

………―――試合に、負けた。

中学最後の試合。勝てば全国に行けた。それなのに、負けた。俺はその光景を、コートの外側から見ていた。こちら側のコートに転がったボールの、その一瞬まで、ずっと。
お前はいらない、と言われた。王様はいらないと。今でも、その言葉はよく分からない。だって俺は、ただ勝ちたかった。勝って、勝って、全国で優勝する。そうするだけの力が俺にはあった。それなのに、お前はいらないと言われて、結果的に負けてしまった。
悔しい。どうして。俺の頭の中はずっとそのことでいっぱいだ。俺が、俺なら、あの時あぁした。こうすれば勝てた。そう思うのに、上げた先には誰も居ない。何も、ない。

「俺は………―――、」
「持ってるよ」

しっかりとした声色で、かぼちゃ頭は静かに言った。何も持っていないはずの俺に。

「お前はちゃんと持ってる。ただ、お前が気付いてないだけだよ。そして、それに気付かせてくれる奴と、ちゃんとまた出逢うから」
「え、」
「だから、だいじょうぶ!」

な、とかぼちゃ頭は笑う。俺の手をしっかりと握り締めて。真っ直ぐ見上げてくるかぼちゃ頭の手はやっぱり暖かくて、じわり、じわり、とぬくもりが伝わってくる。空っぽの俺を、満たすように。

「ぁ……―――」

あまりにも温かすぎるその温もりに、じわり、と視界が緩んだ。元から変な顔をしていたかぼちゃ頭が、さらに可笑しな顔に見える。笑おうとして、失敗した。

「っ、ふ」

泣きたくなんて、なかったのに。泣いたら、いらないと言われた自分を認めることになるから、いやだったのに。俺の意思を無視して、ぽろぽろと雫が落ちていく。泣き顔を見られるのが嫌で、乱暴に涙を拭っていると、かぼちゃ頭があっと声を上げた。

「やっと見つけた!」

嬉しそうに声を上げたかぼちゃ頭は、涙を拭う俺の両手を取って、ぐい、と顔を近づけた。ドアップになったかぼちゃ頭の顔に驚く間もなく、ちゅ、と目尻に柔らかな感触がして。

「な、」
「ん、あまい」
「てめ、いま……―――」

何を、と言いかけて、それを遮るようにかぼちゃ頭が再びあっと声を上げた。

「行かなきゃ!」
「え?」
「ごめん、おれ、もう行かなきゃ!」

するりと離れる手のひら。すると、途端に寒さが襲ってきて、ぶるり、と震える。寒い。いやだ。もう少しだけ、触っていて欲しい。そうじゃないと、俺は寒さで死んでしまう。
かぼちゃ頭を引き止めたくて、じっとその手のひらを見つめた。すると、かぼちゃ頭は小さく笑って。

「その手を握るのは、おれじゃないよ。言っただろ、気付かせてくれる奴とまた出逢うって。だから、『寂しい』なんて思っちゃダメだよ」
「―――……でも、俺は、」

お前に傍に居て欲しい。俺の手を握ってくれるのは、お前しかいない。だって、こんなにも冷たい手を、誰が握ってくれるというのか。
そう言えば、かぼちゃ頭はふるふると首を横に振った。ちがうよ、と。そして、たんったんっと踵を二回鳴らした。途端に、ぐにゃり、と視界が歪んで、意識が急速に遠のいていく。なんで、どうして。手を伸ばした先にいたかぼちゃ頭は、やっぱり笑っていた。

「Trick or treat.………―――本当は、お前を連れて行こうかと思ったけど。あまいお菓子をくれたから、やっぱり止めにするよ」
「な、に?」
「だいじょうぶ。『寂しく』ないよ。おれと会った記憶は消えちゃうから、心配しないで。――――――Trick!」

たんっ、とかぼちゃ頭が踵を鳴らす。消える意識の向こうで、ばいばい、と手を振るかぼちゃ頭の姿を見たような気がした。





「かげやまー!」

少し高めの声に呼ばれて、ハッと目を覚ます。どうやら、一瞬意識が飛んでいたらしい。何か懐かしい夢を見たような気がしたけれど、よく覚えていない。
ふぅ、と息を吐けば、白い吐息となって空気に溶けた。十月ももう終わり、寒さがぐんとひどくなった。指の先まで冷たくなった手のひらを擦りながら息を吹き掛けていると、駆け寄って来た日向が、寒いのか? と俺を見上げてきた。

「さむいに決まってんだろ」
「んー、わっ、ほんとだ! めっちゃ冷たいじゃん!」

擦り合わせていた俺の手を取って、日向は驚いた。日向の手は暖かくて、氷を握っていたかのような手に温度が戻る。

「……―――あったけぇ」
「そりゃこれだけ冷たくなってれば、あったかいに決まってるじゃん。お前、手袋してきてねぇの?」
「忘れた」
「ばっかじゃねーの! あーあ、ほら、こんなに真っ赤になっちゃって。セッターの手は命なんだろ? ちゃんと大事にしろよ」

はぁ、はぁ、とまるで宝物を扱うように、日向は俺の手を握り締めて、吐息を吹き掛けている。じわじわと温もりが手のひらを包み込んで、……―――なぜか分からないけれど、泣きたくなった。

「よしっ。だいぶあったまったろ?」
「………ん」

日向の体温と吐息で、俺の手の温度は戻った。日向は満足そうに笑って俺の手を離したけれど、途端にまた寒くなってきて、ぶるっと体を震わせた。
日向、手、つなぎたい。
そう言いたいのに、言えない。俺の手はすぐに冷たくなるから、いくら日向でも、寒い日に冷たい手を握るのは嫌かもしれない。我慢して、でも、どうしても寒くて、じっと日向の手を見つめていた。すると日向は俺の視線に気づいたのか、きょとん、と大きな目を瞬かせた。

「影山? まだ寒い?」
「別に、」
「んだよー、寒いなら寒いって言えよな」

人の話を聞かない日向は、しょうがないなーと笑いながら俺の手を取った。戻ってくる温もりに、文句を言おうとした唇を閉じる。あったけぇ。日向の手には、太陽が宿っているみたいだ。名前の通り、日なたにいるような気分になる。
黙ったままの俺に、日向は寒さで赤くなった頬を緩ませて、ニッと笑った。

「な、影山。まだ寒い?」
「当たり前だろさむいんだよボゲ。だから、」

もう少し、握ってろ。
ぼそりと呟けば、りょーかい、と日向は返事を返して、握る手に力を込めた。

「影山ってほんと手ぇ冷たいよなー。冬の影山に触れんのっておれだけかも」

えへへ、とちょっと得意げな日向に、しばらく考えたあと。

「………そうでもないぞ」
「え?」
「お前で、二人目だ」

ぽかん、と日向が大口を開けて呆気に取られている。さっきまでの得意げな顔が、え、え、と戸惑いに揺れる。

「えっ、ま、マジで? えっ、それ、だれっ? おれの知ってるひと? ねぇ、影山!」

わたわたと慌てる橙色のつむじを見下ろして、まるでかぼちゃみたいな色の髪に、小さく笑う。なに笑ってんだよ、と不思議そうな日向の目を覗き込んで。

「なぁ、日向」

パンプキン・ハイキング・ゴーストって、知ってるか?






「ねぇ、パンプキン・ハイキング・ゴーストって知ってる?」
「なにそれ?」
「十月三十一日のハロウィンの日にやってくるお化けで、仮装してる子どもに混じってお菓子をねだりにくるんだって。それで、お菓子をくれないと」
「くれないと? ねぇ、どうなるの?」

「逃げたりあげなかったりすると、くれるまで追いかけてきて、そのままあの世に連れてっちゃうんだって」
「え、なにそれ怖い!」
「うん。でもね、」

「……―――お菓子をあげると、その人の『寂しい』っていう感情を食べてくれるんだって」




Happy Halloween?




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