Rainy Rain

俺が人間界に降りるに日には、必ず雨が降る。七日間、ずっとだ。だから俺は、晴れた人間界というものを見たことがない。まぁ、だからといって晴れの人間界に別に興味はない。晴れだろうが雨だろうが、俺のやることはあまり変わらないからだ。
俺は、人間で言う死神、というヤツだ。死期の近づいた人間を調査し、「可」か「見送り」かを判定する。まぁ、大概は「可」にすることが多く、「見送り」にすることは稀だ。
そして今日も、人間界には雨が降る。俺は情報部から貰った今回の調査対象を頭に思い浮かべながら、いつものようにCDショップに立ち寄る。そこに立ち並ぶ、CDの群れ。俺はその中の一つ、視聴できるCDを手にとって、視聴コーナーへと向かう。イヤフォンを装着すれば、耳を刺激する音楽が流れ始める。
じっとその音楽に耳を傾けながら、何て素晴らしいのだろう、と思う。人間は嫌いでもなくかといって好きでもないが、人間が作り出した音楽は素晴らしい。俺たち死神は、基本的に人間の作り出す音楽が好きだ。だから、CDショップに行けば大概の死神には会える。何時間も視聴コーナーを占領しているヤツは、ほとんどが死神だからだ。
俺がのんびりと音楽鑑賞に浸っていると、ショーウインドウの向こうに、一人の男を見つけた。真っ黒なコートを着たソイツは、やはり真っ黒な傘を差して歩いていた。まるで死神よりも死神らしい格好だ、と思いながら、俺は耳に付けていたイヤフォンを取る。
……その死神よりも死神らしい格好の男こそ、今回の調査対象なのだ。



俺はその男をゆっくりと追いかける。目の前の男はひどく早足に歩いていて、俺もやや早足にならなければならない。
男が角を曲がる。俺もそれに続いて角を曲がろうとして、ぴたりと足を止める。
目の前には、丸くて黒い目玉。いや、これは人間で言う、銃口、というヤツだろう。それが目の前に突きつけられていて、俺は反射的に両手を上げた。こうすれば、降参の意になるのだと、俺は過去の経験から学んでいたからだ。
調査対象の男は、俺に銃口を突きつけたまま、感情の見えない瞳で俺を睨んでいた。

「お前、何者だ」

唸るような、声。表情はあくまでも動かないが、声に感情が篭って、飽和している。
俺は「いえ、何者と言われても」と困惑した顔を作る。すると男は少し苛立たしげな顔をして、とぼけるな、と言った。

「僕を尾行していただろう。……それに、その姿……。お前、悪魔か……!」
「え?」

ギリ、と苦虫を潰したような顔をして、男はそう言う。確かに俺は死神だが、悪魔ではない。悪魔と死神は、種族からして違う。
俺ははてさてどうしたものか、と思う。銃口はまだこちらに向いたままだ。例え引き金を引かれたとしても俺は死なないのだが、銃に撃たれて死ななかったら、この男はまた勘違いをするだろう。
困った、と思いつつ、男を観察する。真っ黒なコート、黒縁眼鏡の奥の目は垂れ目で、その下に二つ、口元に一つ、黒子がある。そして顔立ちは女好きしそうな顔で、なるほど男前だ。
俺は顔から下のほうへと視線を滑らせて、おや?と思う。胸に見たことのあるバッチを付けていた。確か、このバッチは……。

「お前、祓魔師エクソシストか。」
「……だったらどうした」

男はそう答えて、俺は道理で、と思う。道理で俺の尾行に気づくはずだ、と。
この世界には物質界と虚無界という二つの世界が存在している。まぁ、俺はその間の空間から来たんだけれど、この二つの世界は長いこと対立してきた。物質界を欲しがる虚無界の王サタンによって、物質界は常に狙われてきた。だが、確か数年前にサタンはある祓魔師によって倒されて、今は虚無界の悪魔たちも大人しくしている、と聞くが。
まぁ、それはどうでもいいことだ。それよりも、今は目の前の男だ。この男が祓魔師だというのなら、話は早い。何故なら祓魔師である人間は、一般人よりも知識があり、俺たちの存在も理解しているだろうから。
俺は上げていた両手を下ろして、誤解だ、と言った。

「俺は悪魔じゃない。死神だ」
「……死神」
「そうだ。まぁ、俺が死神だという証拠はどこにもないが、少なくとも、悪魔ではないことは確かだ」
「……」

男はじっと俺を見つめた。穴が開くほど俺を見つめて、やがてゆっくりとその銃を下ろした。ようやく、納得してくれたらしい。男は俯いて、小さく笑っていた。

「死神が僕のところに来たということは、遂に僕も死ぬって事かな……」
「いや、お前が死ぬ予定になっているのは、数日後だ。俺はその前にお前を調査しに来た、というわけだ」
「……」

本当は数日後ではなく、一週間後と分かっていた。だが、何となくそれは伝えない方がいいような気がして。
俺が淡々とそう言うと、男はそうか、と眼鏡の奥の瞳を伏せて。

「まさか、死神がその姿だったなんて、知らなかった。……もしかして、死神っていうのは、会いたい人物の姿で現れるものなのか?」
「いや、これは俺が適当な姿をしているだけだが……。気に入らないのなら、変えようか」
「……、いや、いいよ。そのままで」

男は少し複雑そうな顔をしながらも、そう言って俺を見た。その目は俺を通して違う誰かを見ていて、俺は首を傾げる。

「この姿は、お前にとって何だ?」
「……たいせつな、ひと、かな。それを本人に言ったことは、なかったけれど」
「そうか」

俺は男が、過去形で話していることに気づいていた。だけど、気づかないフリをした。
男は小さく苦笑を漏らしながら、頭上を仰ぐ。雨が降っているのに、さっき差していた傘を放って雨に打たれる目の前の男は、どこか泣いているようにも、笑っているようにも見えた。

「僕が死んだとしても、きっと僕らは同じ場所には行けないって、分かってた。でも、それでも、あの人のいないこの世界は、僕にとっては息苦しくて仕方ない」
「……」
「ようやく、僕は……―――」

死ねる、と男は呟く。雨に、泣くように。
俺はその姿に、ただ、淡々と。

「……、それは、この姿の男も、望んでいることなのか?」
「……ッ!」

息を呑む男。その姿を見つめながら、思う。
人間とは、さも不可解で、理解しがたいものだ。数え切れないほどの人間を「可」にしてきた俺は、数え切れないほどの人間と死を見てきた。
だからこそ、思うのだ。人間とは、単純でありながら複雑なイキモノなのだ、と。

「……、あの人は、きっと望んでなんていないだろうね。……あの人は大馬鹿で、優しい人だから……。だから、僕を置いて一人で逝ってしまった」
「……」
「でも、そんな優しさなんて僕はいらなかった。僕はただ、あの人の隣に居れれば、それだけで良かったから。あの人の傍が、僕にとっての世界だったから」

だから、と男は笑う。邪気のない、まっさらな笑顔で。

「僕の世界は、もう終わっているんだよ。あの人が居なくなってしまった、あの日から」

死んでいるも同然なんだ、と。

「………、そうか」

男は雨に、笑う。

俺は答えながら、人間というイキモノは本当に不可解で、理解できないと思った。どうしてそこまで、一人の人間に対して執着できるのだろう、と。
だけど、俺にとってそれは仕事の範囲を超えていて、別に無理をして知ろうとは思わなかった。

「死神。最後に、頼みたいことがあるんだ」
「何だ?」

男はコートのポケットから、一枚の写真を取り出した。幼い子供が二人、無邪気な笑顔を浮かべていて、その間には、一人の男が満面の笑顔を見せている、古ぼけた写真。

「……それを、僕が死んだ後に、燃やして欲しい。それが唯一、僕とあのひとと、父さんが映っていた写真だったから、持って逝きたいんだ」
「……、分かった」

俺はじっと写真を見下ろしたまま、頷く。すると男はありがとう、と笑って、俺に背を向けた。真っ直ぐに伸びたその背中は、ゆっくりと遠ざかって、最後には見えなくなった。
俺は最後までその背中を見送って、さて、と思う。手の中の写真。雨に濡れて少ししんなりとなっているものの、大事にされてきたのだろう、汚れどころか破れている部分が一つもなくて。

「どうしようかねぇ……」

俺は、雨に歌う。
調子外れなメロディを口ずさみながら。

「全く、人間というのは分からないもんだ。……なぁ?」

雪男、と男の名を呼んでみて、何だか可笑しな気分になった。
はてさて、今回は「可」か「見送り」か。どちらにしようか?

俺は少し楽しくなりながら、再びCDショップに立ち寄るために、歩みを進めた。
音楽を聴きながらどちらにするのかを考えるのもいいかもしれない、と我ながら名案を思いついて、足を速める。

雨は、止まない。
だけどきっと、一週間後には晴れるだろう。
雨が降った後には、必ず晴れるものだから。
まぁ。
俺がその晴れ間を見ることは、ないだろうけれど。
あの男が見る景色は、きっと……―――。





END

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