Red Box 1111

俺は、赤い箱を握り締めて、うんうんと唸っている。もうかれこれ三十分くらい、この箱を持ったまま、じっとしている。何度か店員が俺の顔を見に来ては、手に持っている箱を見て、何か悟ったような顔をして去っていく。ちくしょう。分かってるんだよ、俺だって。文句の一つも、言いたくなる。

十一月十一日。なんでもないはずのこの日が、実は某お菓子の日だと知ったのが、昨日のこと。やけに張り切っていた志摩が、奥村君知らんかったんや? とやけにニヤニヤとした笑みを浮かべて、教えてくれた。
十一月十一日。ポッキーの日。俺の脳内で、ポッキーのCMが流れる。
そしてこの日は、どうやらポッキーゲームなるものをする日らしい。そして、その内容に俺は衝撃を受けた。
まさか、あのお菓子で、あんなゲームをするなんて。
かなりびっくりしたけれど、その時俺は、これはチャンスなのではないかと思いついた。
この日に乗っかれば、すきな人とキスができるかもしれない、と。

俺には、少し前から、すきな人がいる。気になって、目で追って、声を聞くだけでドキドキするような、そんな相手がいる。だけど、俺がそんな想いを抱えていることなど、相手は知らない。知られちゃ、いけない。
だって、その相手は、双子の弟だからだ。
血の繋がった弟にこんな感情を抱くなんて、俺自身、びっくりだ。だけど、すきになる気持ちは誤魔化せなくて、結局、俺はこの苦しい恋を抱えていくことに決めた。すきならしょうがないじゃんって、諦めたっていうのも、あるんだけど。
だから、俺はただの兄貴のフリをしながら、じっと、家族として傍にいられる幸福と、家族としてでしかいられない苦痛を、抱えてきた。

だけど、この日。十一月十一日、ポッキーの日なら。ポッキーゲームをする日なんだと言えば、一回くらいは付き合ってくれるかもしれない。アイツは、何だかんだいって、優しい奴だから。ちょっとした我がままなら、しょうがないなって顔して、聞いてくれる。そんなところも、すきなんだけど。
だからこそ、この日は絶対、雪男とポッキーゲームをしてやる。そう思って、はりきってポッキーを買いには来たものの、いざ買おうとすると、手が止まってしまう。

やっぱり、兄弟でポッキーゲームとか、おかしいかな、とか。もしかしたら、アイツは付き合ってくれないかもしれない、とか。いろんなことを考えてしまって、気がつけば、ポッキー売場の前で三十分もポッキー片手に立ち尽くしていた。
真っ赤な箱が、じっとこちらを見つめている。買うのか、買わないのか、どっちなんだと問いかけてくる。
実際、俺はとても迷っていた。期待と不安が、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。だけどやっぱり、このチャンスを逃すわけにはいかない。
俺はぎゅっと箱を握り締めて、意を決して、赤い箱をレジの前へと持って行った。
レジの店員が、爽やかな笑顔で会計を進め、俺を送り出す。ようやく決心したか、みたいな顔だった。

レジ袋の中の赤い箱は、ガサガサと音を立てて揺れている。もう買ってしまったのだから、後には引けない。これを持って、アイツに言うんだ。ポッキーの日らしいから、ポッキーゲームをしようぜ、と。

アイツは何て言うだろう。
は、兄さんと? 冗談じゃないよ? とか? それとも、なんで僕が? とか?
あ、もしくは、一回だけだからね、と呆れた顔で笑うかな。

どれもありそうで、俺はどんな返事をされてもいいように、ぐるぐるとシュミレーションを繰り返す。ダメだったとき用と、よかったとき用。どっちも、寮に帰りつく前に考えておかないと。
ガサガサと袋を揺らして、俺はできるだけゆっくりと帰路についた。



「………、よし」

シュミレーションはばっちり。ポッキーは袋の中。俺は寮の部屋の前で、一つ、気合を入れる。とにかく自然に。自然にこの扉を開けて、この際言ってしまおう。勢いで言わないと、俺はたぶん、緊張しすぎて言えなくなってしまうだろうから。
ドアノブに手を掛ける。心臓が口から飛び出そうだ。それくらい、緊張して。

「だいじょうぶ。おれならだいじょうぶ」

はぁ、と深く深呼吸をして、ドアノブを回す。勢いよく部屋に飛び込む。入ってすぐ、こちらに背を向けて、じっとパソコンと睨めっこしている弟は、ドアの開く音で俺が帰って来たことに気づいたらしく、振り返ろうとした。その前に、俺は袋から取り出した赤い箱を押し付けて。

「雪男っ、ポッキーしようぜ!」
「………………。えっと、」

顔の真ん前にある赤い箱を凝視したまま、雪男は困惑したような顔をした。一度、二度、と目をぱちくりさせる。長い睫が瞬いて、ぱさりと揺れる。相変わらず綺麗な顔だよな、と思っていると、雪男は俺から赤い箱を受け取って、そのパッケージをマジマジと見ていた。

「えーっと、 もしかして兄さんは、ポッキーゲームしようって言ってるのかな」
「そうだ! それ以外に、何があるんだよ」
「……………。ふぅん」

こくこくと頷けば、それっきり雪男は黙ってしまった。ただじっと、赤い箱を見下ろしている。
あれ、どうしたんだろ。なんか、難しい顔してる。やっぱり、兄貴とポッキーゲームとか、嫌、なんだろうか。ずき、と胸が激しく痛んだ、その時、雪男がパッと顔を上げて。

「いいよ」
「え?」
「ポッキーゲーム、してもいいよ。したいんでしょ?」
「え、あ、うん………」

あっさりと頷かれて、俺は呆気に取られてしまった。なんだろう、ここまであっさりしていると、逆に何だか不安になる。だけど、せっかく雪男がしていいって言ってるんだから、これに乗らない手はなくて。

「じゃ、じゃあ、すっ、するぞ………?」
「うん、いいよ」

はい、と赤い箱を渡されて、俺はゆっくりと箱を開く。少し、指先が震えていた。バリバリ、といつになく丁寧に箱を開けて、銀色の袋を二つ、取り出す。その内の一つを、これまた丁寧に開けて、中から一本だけ、ポッキーを取り出す。すると雪男が、そのポッキーに手を伸ばして、俺から奪うと、クッキーの方を口に咥えた。そしてそのまま、じっと俺を見上げてくる。差し出されたチョコの部分を前に、俺は無意識のうちに、ごくりと唾を飲み込んでいた。

ゆっくりと、ポッキーに顔を近づける。すると雪男の顔も近くなって、俺の心臓はかなり大変なことになりつつあった。心臓の音が、体中を震わせて、雪男に聞こえてしまいそうだ。近づくにつれて、目を開けていられなくなって、俺はぎゅっと瞼を閉じた。
唇の先に、ポッキーのチョコが触れる。口を、開かないといけないのに、緊張のし過ぎで、上手く開けない。ちょっとだけ、開ければいいはずなのに。開け、開けよ、俺。じゃないと、雪男とポッキーゲームできないじゃん。
だけどどう頑張っても、唇は開かない。まるで接着剤でくっつけられたみたいに、上と下の唇は動かなくて。どうしよう。どしたらいいんだろう。俺は緊張と混乱で、一気に訳が分からなくなって、そのままじっと動けずにいた。その時。

「………―――、もういいよ」

呆れたような、それでいて突き放すような、そんな雪男の声がして。ハッと目を開けると、少し苛立ったような顔をした雪男が、いつの間にかポッキーを手に持っていた。そしてそっと俺から離れると、深く椅子にもたれかかった。

「無理をしなくていいんだよ、兄さん。十一月十一日にポッキーゲームをしなきゃいけないって思ったのかもしれないけど、わざわざ僕を相手に選ばなくてもいいんだよ。それこそ、しえみさんとか神木さんを選べば良かったんだ」
「え……………?」
「顔、近づけるだけでそんな風に嫌がるんなら、最初から、僕じゃない人を選ぶべきなんだよ」
「ゆき、お? なに、言って、………?」
「ッ、だから………!」

雪男は、何か苛立ったように何かを言いかけた。だけどぐっと唇を噛んで、ふい、と俺から目を逸らした。その横顔を見て、俺は雪男をひどく傷つけたことを知った。

「僕とするのが嫌なら、しなきゃ良かったんだ」
「ち、ちが………!」

吐き捨てられた言葉に、俺は慌てて首を横に振る。違う、そうじゃないんだ。俺は、俺はただ、今の状態がすごく、苦しくて。双子の弟をすきになって、向けられる笑顔が、手のひらが、温かすぎて、辛くて。だから、今日がポッキーの日だって知って、この日なら、少しくらい、雪男に触れても大丈夫かなって思っただけで。
そう言いたいのに、声が出てこない。ただ首を横に振る俺を見て、雪男は眼鏡の奥の瞳を、冷たく細めた。

「違わないよ。どうせ兄さんは、手短な僕で済まそうとしただけなんだ。僕だから、しようとしたわけじゃない。そうでしょ?」
「っ、そ、じゃな、い…………違う、俺は……!」
「言い訳は聞きたくないよ。今更、弁解されたって、惨めなだけだ」

きっぱりと吐き捨てた雪男は、そのまま立ち上がると、スタスタと部屋の扉へと歩き出してしまった。どうしよう。何か、何か言わないと。じゃないと、雪男は誤解したままだ。誤解したまま、傷つけたままになってしまう。そんなの、いやだ。俺は、俺が、ただ…………!

「雪男っ」

手を伸ばして、雪男の腕を掴む。払われるかもしれないと思った手は、しっかりと雪男を掴んでいて。拒まれなかったことに安堵しつつ、俺は雪男を見上げた。だけど雪男は、頑なにこちらを見ようともせず、俺に背を向けていた。それでもいいから、俺は必死に雪男に言い募った。

「雪男、聞いてくれ。俺は、確かにポッキーゲームがしたかった。だけどそれは、誰でも良かったわけじゃねぇんだ」
「だったら、それこそしえみさんとすれば良かったんだ」
「っ、聞けよッ!」

雪男は、頑固だった。頑なに、ポッキーゲームは他の奴としろと言う。俺はそれが切なくて、許せなくて、気が付けば怒鳴っていた。

「俺は! 俺は雪男としたかったんだよ! 他の誰でもない、お前と! お前とポッキーゲームしなきゃ、意味ねぇんだよ!」
「………、え?」

ぐっと雪男の腕を握り締めると、呆気に取られた雪男が、じっとこちらを見下ろしていた。ひどく驚いた顔をする雪男に、俺の方が驚いた。なんだよ、俺、そんなに驚くこと、言った、っけ………、って。

「あ、れ………?」

今、俺、何て言った?
雪男とポッキーゲームがしたいって、言った。だけど、それは誰でもいいわけじゃなくて、雪男だからしたい、とも言った。でもどうして雪男だからしたいのかと言えば、俺が雪男のことをすきだからで。
って、あれ、これって、つまり?

「えっ、あ、そ、その、こ、これは、あの、えっと」
「兄さん、」
「うぇっ、あ、や、これは別にその深い意味はなくて、えっとだから、」
「兄さん、落ち着いて」

大丈夫だから、とぎゅっと両手を握り締められて、ぴゅっと尻尾が立った。ぶわわ、と先の方が大きくなったのが分かる。あ、どうしよう。尻尾隠さないと、バレバレだ。だけど両手が塞がっていて、隠すに隠せない。落ち着いてなんていられなくて、うろうろと視線を彷徨わせる。

「えっと、その、雪男君? て、手を、離してもらえると、助かるんですが」
「どうして?」
「どうして、って、言われても、えーっと、困る、から?」
「なんで困るの? 僕は、困らないよ」
「お前はそうかもしんないけど、でも、俺は困るんだよッ」

分かれよ。分かってくれよ。俺は、お前がすきなんだよ。こんな風に、何でもないように、触るなよ。俺がお前に、意識してんの、バレるだろ。そして、お前が俺を意識してないってことが、分かっちまうだろ。
何とか手を離したくて、腕に力を込めるけれど、それ以上の力で雪男が手を握り締めてきて。どうして、と何だか泣きたくなった。離して欲しいのに、どうして離してくれないんだよ。俺は手を離すのを諦めて、そっと俯いた。
すると雪男は、兄さん、とどこか嬉しそうな声で。

「どうして、僕とポッキーゲームがしたいって思ったの? 教えて、兄さん」
「…………、っ、分かって、聞いてるだろ」
「分からないから、聞いてるんだよ。ほら、教えてよ。どうして僕だから、したいって思ったの?」

逃げることは許さないとばかりに、雪男は言い募ってくる。その声は弾んでいて、楽しげだ。軽く笑みを含んだ声に、俺はムッとする。
なんだよ。俺は真剣なのに、笑うことないだろ。もしかして、からかってんのか? ムカついて、顔を上げて、驚く。
雪男は、見たこともないくらい真剣な顔で、俺を見下ろしていた。眼鏡の奥の瞳が、どこか縋るように俺を見つめていて。

「兄さん。お願いだから、教えてよ。そうじゃないと僕は、勘違いしそうになるんだ」
「勘違い………?」
「そう、勘違い。…………――――――、兄さんが、僕をすきなんじゃないかって」

そうだったらいいなって、期待してしまうから。
雪男は、何だか苦しそうな顔で、そう言った。
どういう、ことなんだろう。雪男は、どうしてそんなこと言うんだろう。だって。

「勘違い、じゃ、ない」
「…………兄さん」
「勘違いじゃない。期待、していい。俺、雪男のこと………、すき、だから」

するりと、言葉が、俺の口から滑り出た。自然に。当たり前のように。言った直後、俺自身が驚いたくらいに。
あ、言ってしまった。と思った直後、俺は雪男の胸辺りに顔をぶつけていて。早くて分からなかったけれど、俺はどうやら、雪男に抱きしめられていることらしいことは、分かった。
ぎゅうぎゅうと、痛いくらいに雪男が腕を回してきて。

「…………―――、うれしい」

僕も、すきだよ。兄さん。

心の底から嬉しそうな囁きが、耳元で聞こえてきた。それは痛いくらいの熱を帯びて、全身がビリビリと総毛立った。
どくん、どくん、と心臓が煩い。これは俺の心臓の音だろうか、それとも、雪男のだろうか。分からないくらい、煩くて、熱い。
あまりにも熱くて、息が出来なくなりそうで、俺は雪男の胸を押した。ゆっくりと離れた二人の隙間から風が入り込んで、寒い。どうしよう、と雪男を見上げれば、照れくさそうに笑っていた。

「ねぇ、兄さん。僕と、ポッキーゲーム、してくれる?」

ポッキーの箱に負けないくらい真っ赤になったその顔を見上げながら、たぶん、同じくらい赤くなっているであろう顔を隠すように、俯いて。

「………、もう一回、言ってくれたら……………、する」

ちょっとだけ、我がままを言ってみる。すると雪男は、しょうがないねって嬉しそうに言いながら、俺の望んでる言葉を、言ってくれた。


十一月十一日。ポッキーの日。
俺とアイツの、大事な日。






Happy Pokey day!


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