REQUEST Valentine   前

「奥村君!とうとうこの時期がやって来たで!!」
「………。だから何が?」

やけに気合の入りまくった志摩に、俺は呆気に取られつつも首を傾げた。







「何が?じゃあらへんよ奥村君!バレンタインやバ・レ・ン・タ・イ・ン!!恋人たちの聖戦や!!」
「ん?あぁ、バレンタインかぁ……」

ちらりと見やったカレンダーの日付は、二月十日。もう後四日すればバレンタインだ。何か前にもこんな会話をしたような、と思いつつも、ん?と志摩の言葉に再び違和感を覚えて、首を傾げる。

「あれ?バレンタインって、確かローマの司教が死んだ日じゃなかったっけ?なんで恋人たちの聖戦なわけ?」
「……奥村君。ほんまになんでそういう情報は知ってはるん……?」

またお父はんに教えてもらったん?と肩を落とす志摩に、いいや、雪男が、と返す。この前テレビでバレンタイン特集があっているのを見て、雪男がそうぼやいていたのを聞いたからだ。俺がそう言うと、へぇ、と志摩は納得して、せやけど!と固く拳を握り締めた。

「バレンタインの本位なんかどうでもええんよ!バレンタインと言えば、女子が日ごろの思いを込めてチョコを男子に渡す日!まさに!恋人たちの為の日なんや!」
「あぁ、バレンタインディ・キッスってやつ?」
「……なんか違う気もするけど……、まぁ、そんな感じや!」
「ふぅん……?」

そういうものなのだろうか。
バレンタイン=バレンタイン司教の死んだ日=恋人たちの聖戦、という図式が俺の頭の中に書き足される。なんで死んだ日が聖戦なんだ?と疑問に思うけれど。まぁ要するに、特別な日なんだな、と足りない頭で答えを導き出す。
すると志摩は、そんでや!とまたテンション高めに俺にぐいっと顔を近づけてきて、今度は何だと思っていると、志摩は何か重大なことを聞くかのような真剣な顔をして。

「奥村君は、バレンタインにチョコをもらう予定はあるん?」
「ん?あるけど?」
「!!」

俺もいろいろと準備があるし、と言えば、志摩は衝撃を受けたような顔をしていた。そして、よろり、と後ろによろめいた。

「な、なんや奥村君……。チョコ貰う相手がおるなんて。赤らんだ頬と差し出される可愛いラッピング!少し潤んだ瞳で見上げられて、「実はずっと、好きだったんです」なんて言われる相手がおるんやないの。俺は………出雲ちゃんを筆頭に連敗続きやのに……!」
「だからなんだよその妙に具体的な内容は……?つーか、そんな相手なんていねぇけど?」
「そんな見え透いた嘘をつくのはやめてもらえます?!何や傷つくんやけど!」
「だーから、告白される相手なんていないんだよ!雪男だよ、ゆきお!」
「……へ?奥村先生……?」

なんで奥村先生?と首を傾げる志摩。

「雪男がこの前のクリスマスプレゼントのお礼にって、チョコくれることになってんだよ。その……誕生日は結局仕事で一緒に祝えなかったからって。それに俺も、雪男に渡すことにしてるし」
「な、なるほど……。奥村君は、『バレンタインに誰に渡すの?ランキング』三位の家族ってわけやな」
「なんだよその『バレンタインに誰に渡すの?ランキング』って。また雑誌か?」
「そうそう。……でもまぁ、奥村君らしいと言えばらしいけど、奥村先生は大丈夫なん?」
「へ?何が?」
「や、だって……奥村先生は、モテはるやないですか」
「まぁ、そう、だな……」

何かこの会話、やっぱりどこかでしたような、と思いつつも、女子に囲まれている弟の姿を思い出す。確かに、雪男はモテる。嫌味か!と思うくらい。アイツもアイツで真面目で優しいヤツだから、ちゃんと向き合ってあげている。だから、女子が付け上がるんだ。ちょっとそれがムカつくところではあるけれど、でも、それが雪男のいいところだもんなぁ。
だけど、それがこの話とどう関係があるのだろう?

「でも、雪男がモテるからって、何か関係あんのか?」
「関係あるもなにも。アレだけモテてはる先生のことや、バレンタインにいっぱいチョコもらいはるんやないの?」
「え………、」

何だよ、ソレ。

そう言いかけた言葉は、あまりにも衝撃的すぎて言葉にならなかった。
バレンタイン=バレンタイン司教が死んだ日=恋人たちの聖戦という図式が脳裏に浮かぶ。そしてそれが、雪男にも当てはまるのだということに今更ながら気づいて。

「………なんだよ…………」

どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
バレンタインなんて、チョコを貰ったこともなかったし今まで関係なかったから全然気づかなかったけれど。
頭のいい雪男のことだから、バレンタイン=バレンタイン司教の死んだ日=恋人たちの聖典、なんていう簡単な図式を知らないはずがない。
だったら、その図式に則って、雪男が女の子から沢山のチョコを貰うことは必須で。

……―――なんだよ、ちくしょう。

それならそうと、言ってくれなきゃ困る。だって、バレンタインの為に本を買ったり器具を買ったりしたから、元々すっからかんだった財布はやっぱり空っぽだし。アイツ甘いのキライだから、ビターテイストにしなきゃな、なんて考えてたのに。

なのに。
なのに。
全部、無駄になっちゃうじゃん。

ぎゅう、と胸が潰れそうなほどの痛みを覚えて、俺はぐっと唇を噛み締めた。
だけど同時に、バレンタインでちょっと浮かれていたのが、ハッと我に返ったみたいな気分になった。

「………、そ、っか。そう、だよな……」

だって、しょうがない。
俺がただ勝手に浮かれて、勝手に準備して、勝手に財布を空にしただけで、雪男は何も知らないんだ。だから、雪男は悪くない。俺が勝手に、勘違いをしていただけ。

バレンタインは雪男にチョコを渡すんだって、俺が、勝手に思っていただけなんだ。

当の雪男は、きっと当日いっぱいチョコを貰って。それぞれ女の子たちに、ありがとう、なんて笑顔でお礼を言って。その中にはきっと可愛い子もいるはずで。
そしたら、もしかしたら付き合おうなんてことになるかもしれないし。そしたら、兄貴がくれたチョコなんていらないに決まってる。
いや、もしかしたら優しい雪男は、『ありがとう兄さん』とチョコを受け取ってくれるだろう。
でもきっと、本当は、可愛い子からもらったチョコが一番だって思うはずで。


「っ、なんだよ。それなら、そうと言ってくれないと………―――」


困る。
だって俺、そんな優しさなんていらないし。
雪男に無理をして笑って欲しくなんて、ないのに。

なのに、どうして雪男は言ってくれなかったんだろう?
バレンタインにチョコをあげるねって言ってくれた雪男に、じゃあ俺も、って返したときに。

『嬉しいよ。兄さん』

なんであんなに、嬉しそうな顔をしたんだよ、ばかほくろめがね。




そうして向かえた、バレンタイン当日。
結局俺は、チョコを作ることにした。作るって約束したわけだし、もし雪男が沢山のチョコを抱えて帰ってきたら、「失敗した」とでも嘘をつけばいいと思ったからだ。
前日の夜はたまたま任務がなかったらしく、用意する俺を見ながら、楽しみにしてるね、と笑ってくれた雪男には悪いけれど、でも、可愛い女の子が作ったものと、兄貴が作ったものを比べられるのは、やっぱり嫌だ。

「……我侭だって、分かってるんだけどなぁ」
『りん!おいしそうなにおいがする!』
「ん?まぁな。でも、クロは食べちゃだめだぞ。猫だし」
『ねこじゃないもん!』

拗ねるクロを宥めながら、いそいそとチョコを作る。まぁ、市販のチョコレートを溶かして、型に入れて固めるだけの単純な作業なんだけど、でもそれじゃあんまりなので、トリュフにしてみた。こっちの方が本を見たら美味しそうだったし、数を多く作れるから、塾の皆におすそわけもできそうだからだ。

「……にしても、すっごい匂いだな」

甘い匂いがそこらじゅうに漂っている。これじゃ、服とかにも匂いがついているに違いない。それに、悪魔として覚醒してから、どうも匂いには敏感になってしまっているようで、噎せ返るような甘い匂いに気分が少し悪くなってきた。

「っ、くらくらする……」

このままじゃヤバイと思い、空気の入れ替えをしようと窓を開ける。新鮮な空気が入り込んできて、ふぅっと息を吐いた。その時。

「りーん!」
「し、しえみ?」

おーい!と手を振って旧男子寮の前に立っていたのは、同じ塾仲間のしえみとマロ眉だった。
二人とも私服を着ていて、何の用だろう?と首を傾げる。

「と、とりあえず入って来いよ!」
「うん!」

お邪魔します、としえみたちが中に入ってくるのを確認して、俺は厨房を飛び出した。



「……それで?今日は二人でどうしたんだ?」

珍しい、と言えば、しえみが少し頬を赤くして、あのね!と話を始めた。

「今日、バレンタインでしょ?だから、燐にチョコレートの作り方を教えてもらいにきたの。燐、お料理上手でしょう?燐に聞けば失敗しないで済むかなって、神木さんが」
「ちょ、私はそんなこと言ってないわよ!ただ、料理上手な人に聞けば?って言っただけで……!」
「……お前ら、俺が男だって忘れてるだろ……」

俺が突っ込めば、ハッとした顔をする二人。おいおいそれはどういう意味だよ、と思ったものの、確かにあの壊滅的な料理の腕を思い出して、なるほど、と納得する。マロ眉も料理が得意そうではなさそうだし、俺に白羽の矢が立ったもの頷ける。

「しょうがねぇなぁ。ま、俺もちょうど作ってたところだし。お前らにも教えてやるよ」
「ほんと?良かった!」
「………―――あ、ありがと……」

無邪気に手を叩くしえみに、ちょっと赤くなりながらもお礼を言うマロ眉。
俺は二人を見ながら、こういう女の子たちから貰ったら嬉しいよなぁ、としみじみ思っていた。



こうして俺としえみとマロ眉の三人でチョコレート作りが始まった。俺のほうはもうあらかた出来上がってしまっていたので、とりあえず三人で買出しから始めることにした。

「そういえば、チョコ作ったら誰にあげるんだ?」

俺が何気なく二人にそう聞くと、しえみは嬉しそうに笑って。

「塾のみんなと、雪ちゃんと、お母さんにあげるの。あ、もちろん燐にもあげるよ!」
「あぁ、ありがとうな。それで?マロ眉は?」
「べ、別に誰だっていいでしょ?」
「いいじゃん、教えろよ!チョコの作り方教えてやってるんだし、誰にあげるか気になるじゃん」
「……っ、クラスとか塾のみんなよ!文句ある?」
「いや、別に?いいんじゃねーの?」

ただクラスメイトにあげるだけでそうカッカしなくてもいいのに、と思ったものの、そういえば志摩がマロ眉はツンデレだとか言っていたから、こういうのがツンデレっていうのかな、とちょっと納得した。
マロ眉は真っ赤になりながらも、義理よ義理!なんて言ってる。義理ってなぁに?と無邪気に首を傾げるしえみ。

二人の会話を聞きながら、雪男はどうしてるかな、と思っていると、しえみが、雪ちゃんだ!と声を上げてどきりとする。
ハッと顔を上げれば、やっぱり女の子たちに囲まれて少し困った顔をしている雪男がいて。

「雪ちゃん、なんだかすごいことになってるね」
「まぁ……奥村先生だもの、仕方ないわよ」
「……―――」

そんな光景を、納得した様子で見つめる二人。俺はなんでアイツはあんなにモテるんだよ、なんてちょっと拗ねた気分になる。

「なぁ、なんで雪男ってあんなにモテるんだろうな」
「顔良し、性格良し、おまけに頭も良くて運動もできる、それに、将来もし結婚したとしても安泰そうだもの、奥村先生」

にべもない言葉が返ってきて、なるほどな、と納得する。

「雪ちゃん、優しい人だもんね」

そしてそんな雪男に恋心を抱いているはずのしえみまで、女の子に囲まれる雪男を見て笑っていた。辛くないのか、と喉まででかかったけれど、口に出せなかった。言いたくないとそう思ったからだ。

……なんで、俺がこんな想いしなきゃなんないんだよ。

少し悔しく思いながら、俺は二人を急かして雪男から視線を外した。雪男を囲む女の子たちのなかの誰かと、もしかしたら付き合うことになるのかもしれない、なんて少し怖く思いながら。







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