しらないひと。


全部知っていると、思っていた。





真っ黒なコートを身に纏う背中を見るたび、心のどこかで何かが軋む音がする。

……これは、何の音だろう?

首を傾げてみるけど、分からない。そうしていると、聞いていますか、奥村君、なんて雪男の声が聞こえて、聞いてるって!と返事をする。
ほら、また。
きしり、きしり、と古びた廊下を歩いた時みたいな、鈍い音がするんだ。
俺はそれを感じながら、雪男の背中をぼぅと見つめ続けた。

天才、と呼ばれた、双子の弟。
体が弱くて、泣き虫で、いっつも俺の後を付いて歩いていた雪男。
そんな弟が、正十字学園という名門学校に通える、と聞いたときは、純粋に嬉しくて。
離れてしまうけれど、俺とは違って優秀な弟の旅立ちを、ほんの少しの寂しさを伴いながらも、笑顔で送り出すつもりだった。
それが予期せぬ事態になって、一緒に学園に通えるようになって。
新入生代表として挨拶をする雪男を、驚きと感動で見つめていたのに。

まさか、祓魔師としても、天才と呼ばれていたなんて。

知らない、と思った。
こんな弟は知らない、と。
だけど同時に、なら俺の知る弟っていうのは、何だ?と思った。

もう体も丈夫になって、勉強ができて、身長も俺より大きくなって。
体の弱い、泣き虫で、小さな雪男は、もうどこにもいないのに。
……俺の知る彼は、どこに居る?

そんなの、目の前に居るはずなのに、何でこんなことを思うのだろう?
きしり、とまた、軋んだ音がした。



冷たい声を聞くたびに、怖くなって。
優しい声を聞くたびに、安心する。
冷静な態度を見るたびに、苦しくなって。
暖かな笑顔を見るたびに、嬉しくなる。

しらない雪男の中にある、しっている雪男。
どれが本当で、どれも本当で。

『置いて行かないで、兄さん』

そう言った小さな雪男の声が、いつまでも俺の耳に響いていた。
だから。





「兄さん」

真剣な表情で、俺の上に圧し掛かる、一人の男。

「兄さん、すきだよ。……愛してる」

そう俺に囁く男を、俺は、しらない、と思った。








END

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