LOVE MY SNOWMAN

十二月も中盤に差し掛かった、身も芯から凍るような寒い日。俺は空を覆う真っ白な雲を見上げて、はぁ、と白い息を吐く。
今年もまた、この季節がやって来た。少しだけ浮き足立つ心を抑えながら、ひゅうと吹き抜けた冷たい風に、ぶるると身を震わせた。
今日の晩御飯は鍋がいいな、とぼんやりと想像しながら、自宅の冷蔵庫の中を思い浮かべる。
白菜、ある。ねぎ、ある。そんな感じで鍋の具と冷蔵庫の調子を照らし合わせつつ、さくさくと帰路につく。
途中にあるスーパーで足りない具材を買って外に出れば、ちらり、と視界に白いものが過ぎった。

「あ……―――」

ひらり、ひらり、ゆらり、ゆらり。
風に揺られてふわふわと空中を漂うそれらを見つめて、この調子なら明日には積もるかな、と予想を立ててみる。一面真っ白になった景色を思い浮かべて、小さく笑った。

今年も、アイツは来るだろうか?

そんな期待をしつつ、俺はガサガサとスーパーの袋を揺らしながら、駆け足で自宅である古ぼけたアパートを目指した。




俺は奥村燐。今年で二十歳になる。とはいえ、大学には行っていないし、バイトはしているけど社員じゃないから、俗に言うフリーターって奴だ。
親はいない。育ての親であるジジイはいたけど、俺が十五歳のときに事故で死んでしまった。そして高校を卒業して、ジジイと住んでいた教会を出て、このボロアパートに一人暮らしをしている。元々家事は得意だったし、ジジイの紹介で始めたバイトは思いのほか上手くいって、給料もちゃんと貰っている。おかげさまで、生活には困ってはいなかった。
一人暮らしは何かと大変だけど、最初の頃に比べたら随分とマシになったし、それなりに充実した日々を送っているように思う。

そして、そんな俺にも唯一の楽しみがあって……―――。


コンコン、と窓のガラスを叩く音が聞こえてきた。

……―――来た!

鍋の準備をしていた俺は、どきり、と心臓を高鳴らせる。急いで窓へと近づいて、窓に掛かっているカーテンを引く。
窓の枠にはもう雪が積もっていて、外と中の温度差によって窓にはぼんやりと白い結露が出来ていた。そしてその向こう側に、真っ白な姿が見えて、慌てて窓を開ける。
ガラリ、と窓が開いたのと同時に、ひゅう、と冷たい冷気が頬を撫でる。一瞬身を竦ませた俺だったけれど、すぐに顔を上げた。
そこにはふわりと宙に浮かんだまま、こちらを見てにっこりと笑う青年が一人。

「こんばんは。今年も寒くなったね」

彼は毎年同じ台詞を口にして、その眼鏡の奥の瞳を緩ませる。
そして俺も、毎年同じ台詞を口にするのだ。

「あぁ、今年も寒いなぁ。ちょっと寒すぎるんじゃねーの?」

内心の嬉しさを誤魔化しつつ、そう悪態をつく俺に、彼はクスリと笑う。
そして、ごめんね、と嬉しそうに笑うのだ。



この冬の時期になると、決まって俺の部屋の窓を叩く音がする。それは冬を告げる音で、同時に彼がやって来たことの証。
俺は毎年、この窓の叩く音を、待っていたりする。
そんなこと、彼本人には言ったことはないけれど、夏が過ぎて寒さが厳しくなってくると、その冷たさとは逆に、心が熱く熱を持つようになった。寒くなって雪が降れば、彼に会えるからだ。

「今年は温暖化で寒くなりきれないかなって思ってたんだけど……。心配いらなかったね」
「だよなぁ。今年は十一月まで温かかったし」
「うん。でも、今年もちゃんと降りてくることができたから、本当に良かった」
「……ん」

こくり、と頷く。心から。
春のような日和が続く日々に、焦った記憶があるからだ。今年は、彼に会えないかもしれない、と。だけど全然そんな心配は無用だったみたいで、本当に良かった。

彼は窓の枠に座って、俺と話をしている。
俺はそんな彼を見上げながら、窓の枠に腕を乗せて、時折真っ暗な外の世界を見つめている。
はぁ、と俺が話すたびに白い吐息が空気に混じる。

「……寒くない?」
「ん。大丈夫だ」

彼は話の合間に、伺うようにそう聞く。それに頷きながら、また他愛もない話をする。
その繰り返しを、もう一時間も続けている。窓を開けているせいか、身体は冷え切っているし、指先もジンと痛む。それでも、話を止めようとは思わなかった。

「……なぁ、雪男」
「ん?」
「………。何でもねぇ」

俺は彼の名を呼ぶ。それに答えてくれる彼だけど、その先の言葉を言えなくて、ぐっと唇を噛む。

彼は、名前の通りの存在だった。
雪の日にしか会えない、雪の精霊。
だから俺が触れたら溶けてしまうし、温かな暖房の効いた部屋に入るなんてもってのほか。だから、この窓の枠に座って話すのが、彼にとっての精一杯だった。
何年か前に俺が部屋の外に出て話そうか?と聞いたけれど、何故か怒られてしまって。それ以来、こうして窓での会話が続いている。

たとえ俺が彼に触れたいと思っても、その触れた先から彼は消えていく。
たとえ俺が雪の日だけじゃなく、春の日も夏の日も会いたいと願っても、この温かな世界は彼を存在すらさせてくれない。

春なんて来なければいいのに。そうすれば、ずっと一緒にいられるのに。

どうにもならない感情を抱えながら、俺は空を仰ぐ。ひらりひらりと落ちてくる雪のひとかけらが、窓枠にかけた俺の手に落ちて、じわりと解けていく。

「……、ねぇ」

その様を二人で見ていると、彼がぽつりと俺を呼んだ。何だ?と首を傾げながら彼を仰げば、やけに真剣な顔の彼と目が合った。
どきり、と心臓が高鳴る。顔が熱くて、耳が痛い。

「僕はずっと、君に触れたいって、思ってた」
「!」
「でも、無理だって、ずっと、そう、思ってた」
「……ん」

彼も、同じ気持ちでいてくれた。
それだけで、涙が出そうなくらい嬉しくて、でも、触れられないときっぱり告げられて、胸が軋むように痛んだ。

触れたい。
でも、触れられない。

俺はそんな矛盾した感情が苦しくて、俯いた。すると彼は静かな声で、顔を上げて、と囁いて。
その優しげな声に、ゆっくりと顔を上げる。思いのほか近い場所に彼の顔があって、あっと声を上げたその瞬間。

ふわり、と。

空から舞い降りた一つの雪が、唇に、触れて。

「僕は、雪だから。だから、君に降る雪は、全部僕だよ」

じわり、と熱に解けて、消えた。

「………ッ!」

たとえばこの、窓に積もる雪も。
たとえばあの、街に降り積もる雪も。

たとえばいま、俺の頬に、手に、頭に、全部に触れては消える雪が、彼だというのなら。


きっと、彼はいま、俺の全部に触れていて。

そう思った瞬間、カッと顔に血が上る。

「ば、ばかやろ!ンなこと言われたら……!」

雪の日は外を歩けない、とそう言えば、その時は僕が会いに行くよ、と返された。
そして、にっこりと微笑んで。

「僕は、君の心にいつでも降っているよ」

彼の言葉がまた一つ、俺の心に積もる。
一つ、一つと降り積もるそれは、まるで俺の心を白く染め上げるようで。
俺の心は北極か南極のようだ。

「……っ、じゃあ、お前そっくりの雪だるま作ってやるよ!!」

黒子がいっぱいあるやつ!とそう照れ隠しにそう言えば、期待してるよ、と彼は苦笑をした。








おわり

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