強がり子どもとずるい大人


さよなら
前を向いて、生きていけ

後ろなんて、振り返らずに



強がり子どもとずるい大人






三月、薄桃色の桜が舞い散るこの季節は、ほんの少し胸が痛む。
もうあれから二年になるのか、なんて、桜の花を見るたびに思い出す。

綺麗な黒髪が、その桜と映えて。
泣き出しそうに揺れる瞳は、だけど決して、涙を流すことはなくて。
さよなら、と告げた言葉は、風に溶けて消えた。

二年前の今日、アイツは俺から去って行った。



生徒と教師。年の差。同性同士。いくつものタブーを破って、俺は一人の生徒と恋をした。まだ幼さが抜けていないのに背伸びをして、強がって、精一杯俺に手を伸ばすアイツが、俺は好きだった。
大人の汚いところなんて見せないで、押してみたり引いてみたり。そんな駆け引きに翻弄されて、それでも真っ直ぐに向かってくるアイツが、好きだった。

『先生は、さ………、ずりぃよ』

時々、アイツはそんな言葉を口にした。その度に、そうだよ、大人なんてもんはみんな裏を返せば汚いんだよ、なんて言い聞かせる。
そうだよ、大人は汚いんだ。試すようなことをしたり、優しくしたり。そうして、ずっとこちらを見ていればいい、なんてことを考えるのだから。

そうして、誰にも内緒で付き合っていた俺たちだけど、俺は自宅にアイツを呼んだことはなかった。アイツは来たそうな顔をしていたけれど、気づかないふりをした。
まぁ要するに、俺は怖かったんだ。

今はこうして、先生、と慕ってくれるアイツが、卒業して旅立っていったら。
置いていかれるのは、どう考えても俺だから。
そうなった時に、自分の部屋に少しでもアイツの匂いがあれば、苦しいだけだ。だから、呼ばなかった。

本当、大人ってずるいよなぁ。

しみじみ、そう思う。
勝手に引きつけて、勝手に引き離すんだから。

たくさん、傷つけたと思う。
たくさん、苦しめたと思う。

それでもあの日、アイツは真っ直ぐ前を向いていたから。
泣くまいとしながらも、ちゃんと俺に、さよならを告げられたから。

俺は、ひどく安堵したんだ。




少ししんみりとしながらも、ボロアパートへ帰宅する。真っ暗な部屋に明かりを付けて、手に持っていたコンビニの袋を置いた。がさり、と袋が音を立てる。
俺は座りながら、さて弁当でも喰おうかと思っていると、ふいに、視界の端に何かが横切った。机の下、積み重ねられた本の中にあるそれを手にとって、ふ、と笑う。
それは、二年前に卒業していった、3Zの卒業アルバムだった。

懐かしさに、俺はページを開く。

一枚一枚の写真には、皆笑って、時には泣いて、眩しいくらい生き生きとしていた。
その中に、アイツもいた。
沖田君に悪戯されて、真っ赤になって怒ってるその顔を見て、俺は笑みを零す。

「卒アルに載せられちゃって。これじゃ、一生沖田君のネタにされるだろうなぁ」

そんなことを呟きながら、写真の中でアイツを探す。
ふいに、俺はある写真に目が止まった。それはいつの間に撮ったのか、俺が廊下を歩いている写真で。だらだらと歩く俺の背後に、小さく、黒い影が写っていた。

「…………――――、ひじかた」

アイツは、俺の見ていないところで、こんな風に、俺を見ていたのだろうか?
真っ直ぐに、熱を帯びたその視線で、見つめていたのだろうか。

「………バカだな、ほんと……」

俺は誰にともなく呟いて、そっとアルバムを閉じた。

『先生は、俺のこと、好きですか』

桜の舞う中、アイツはぽつりとそう問いかけた。手には卒業証書。胸には花を差して。
先生、と俺をそう呼ぶことなんて、もうしなくてもいいのに。アイツは先生、と俺をそう呼ぶ。
俺は内心で苦笑しつつ、笑いながら答えた。

『……好きだったよ』

ほんとうに。

『………、そう、ですか』

瞳を伏せたアイツの頭を撫でたいと思ったけれど、伸ばした手はそのまま、口元の煙草へと。
ほんとうに、好きだよ。今でも。
そう言いたいのを、煙草の煙と共に空へと飛ばす。

『………先生、……やっぱり、アンタはずりぃよ』

震える声で、アイツは俺を罵倒した。だから俺は、いつものように。

『そうだよ。大人なんてもんは、みんな裏を返せば汚いんだよ。………卒業おめでとう、土方』

さよならの代りに、おめでとう、と。
そう言えば、アイツは肩を震わせて。
それでも、ぐっと顔を上げて俺を見る。

『…………、さよなら、先生』

ほんとうに、お前はまだ子どもだね。
大人の俺には言えない言葉を、簡単に、言えてしまうのだから。

アイツはそのままくるりと背を向けて、歩き始めた。
その背中を、いつまでも見送っていたかったけれど。でも、その資格は俺にはないから。
俺はゆっくりと、踵を返した。




ピンポーン、と。
インターフォンの鳴る音に、我に返る。
時計を見れば、夜の八時で、こんな時間に誰だろうと思いつつ、玄関へと向かう。

「はいはい、どちらさ、」

扉を開け、そこにいた人物を見て、俺は固まった。どくん、と心臓が大きく高鳴って、煩い。
声も出ない俺に、ソイツは真っ直ぐに俺を見つめて。

「………お久しぶりです、先生」

律儀にそう挨拶する。その態度は相変わらずで、なんで、と余計にパニックになる。
さっきまで俺の脳内を占めていたその人が、いま、目の前にいる。そのことが、信じられなくて。

「………先生は、言いましたよね。大人はずるいって。だから、会いに来ました」

ずるい大人になったから、会いに来ました。

真っ直ぐにこちらを見て堂々とそう言い切った土方は、ニッと笑った。

「今度は俺が、アンタを振り回す番だ」

覚えとけ、と楽しそうに笑うそいつを、俺は、めいいっぱい抱きしめた。

「ほんと…………大人はずるいよね」

ぽつり、とそう囁きながら。



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