「兄さん、すきだよ!だいすき、あいしてる!」
「……、頭大丈夫か、雪男」
深夜の一時過ぎ。帰ってくるなりそう叫びながら抱きついてきた双子の弟に、俺は驚きすぎて逆にそんな風に問いかけられるほど、冷静に返していた。
俺の弟は、とにかく優秀だ。頭もいいし、何をやらせてもそつなくこなす器量もある。そんな弟が俺は誇らしいし、自慢だった。
対する兄貴である俺の頭が悪いっていうのもあるけど、体が弱くて気も弱かった弟が立派になった姿に、どこか母親のような、父親のような、そんな気持ちになるのが正直なところで。
そんな完璧といえる弟は、いつも気張って生きている。周りに弱みを見せることもせず、ピンと背中を伸ばして颯爽と廊下を歩く姿に、少しくらいは気楽に生きてもいいのに、と常々思っていた。
思っていたが、これはちょっと、気を抜きすぎじゃないのか。
俺は、ぎゅう、と俺を抱きしめて懐く弟の頭を見下ろして、どこか遠い目をした。
優秀な弟は多忙だ。今日だって、
大変だな、と急がしそうな弟を見るたびに思う。きっと他の塾の先生だとか、
「……酒臭いぞ、お前」
くん、と
全く誰だよ、雪男に酒飲ませた奴、と悪態を付きながら、俺はとりあえず懐く雪男を離そうと雪男の肩を掴んだ。だって、一人用のベッドに二人はキツイし。
すると雪男は、イヤイヤというように頭を横に振って。
「離れちゃいやだよ、兄さん。兄さんはぼくと離れてへいきなの?」
「平気っつーか。ちょっと今は落ち着こう?な?」
「やだ。兄さんにくっついていたいんだもん」
「……」
誰だ、この酔っ払いは。
俺は呆然と、弟(と思われる奴)を見下ろした。ぎゅう、と嬉しそうに俺に抱きつくソイツの顔は、間違いなく俺の大事な弟で。眼鏡もほくろも、見慣れたものと一緒だ。
あれ?じゃあこの酔っ払いは俺の弟か。
「ちょ、雪男君?あんまり抱きつくと苦しんだけど?」
「んー……。兄さん、いいにおいする……」
「お前は酒臭いけどな。……って、そうじゃなくて……」
「ふふ、だいすき」
何がおかしいのか、雪男は終始楽しそうだ。楽しそうに、兄さんだいすき、と繰り返す。ふにゃりと緩んだその顔は、何だか久しぶりに見た雪男の気の抜けた顔で。
……何か、可愛いなぁ。
兄さん、兄さん、と舌足らずで呼ばれると、小さかった頃のことを思い出す。あの頃は雪男もにいさんにいさん、って言って俺に付いて回っていたっけ。
そんな風にしみじみ思い出にふけっていると、ちょっとむっとした顔をした雪男が俺を見上げていて。
「にいさん。にいさんは、ぼくのことすき?」
「……あぁ。好きだよ」
「ほんとに?ほんとにすき?だいすき?」
「うん。好き、大好きだよ、雪男」
「えへへ、ぼくもだいすき!」
兄さん!とぎゅうぎゅうに抱きついてくる弟に、俺はしょうがないな、とその背中に手を回して、ぎゅうと抱きしめ返した。するとまた嬉しそうな顔をするから、俺も嬉しくなって。
「すき、だいすき、あいしてる。世界で、いちばん」
「うん」
「だから、ずっとそばにいるよ、兄さん」
「……、うん」
そう言って、笑うから。
何だか俺は泣きたくなって、それを誤魔化す為に雪男の肩に顔を埋めた。
あいしてるよ、とくぐもった雪男の声が聞こえて、ただ、うん、とだけ返して。
酒臭いその匂いを、めいいっぱい吸い込んだ。
「う、うわああ!」
「な、なんだ!?」
すぅすぅと気持ちのいい睡眠をむさぼっていた俺は、隣で聞こえた悲鳴に飛び起きた。何だ、何が起きた、と周囲を見渡せば、呆然としている弟の姿があって。
「な、何だよ?何かあったのか?」
「……、兄さん。……その………。なんで僕、兄さんのベッドで寝てるの……?」
「……――――」
だらだらと汗をかきながら、そう問いかける弟に。
俺は何だか、疲れてしまって。
「お前、もう飲酒禁止な」
俺は、ため息を付いてそう返すと、ベッドに潜り込んだ。布団を頭まで被って、完全に拗ねた態度を見せて。
えええ?とそんな俺の態度に慌てた雪男が、ちょ、兄さん?僕、もしかして昨日なんかやっちゃった?だの、兄さんお願い教えて、と懇願するような声で俺に迫るのを聞きながら、被った布団の中で小さく笑う。
『兄さん、すき、だいすき、あいしてる』
昨日、無邪気にそう言った弟の声を、思い出しながら。
「すきだよ、ばーか」
そう、呟いて。
END