奥村兄弟の週日




ある火曜日の放課後のことだ。今日は塾もなく課題もすでに終わってしまっていた為、久しぶりにぽっかりと暇な時間ができた。特に何かをするという用事もなかったので、俺は寮を出て散歩に出かけた。
夕方の学園内は、昼間の賑わいを忘れさせるほど静かで、妙な気分になる。しんみりとした雰囲気に何となく感化されそうになりながら、ゆっくりと歩く。そして、中庭に差し掛かったとき、誰かの話し声がして、おや、と思う。聞こえたその声は、何となく利き覚えがあったからだ。

「……、兄さん」

どきり、とする。
その声。その言い方。間違いなく同じ塾生の弟であり、講師である男のものだと分かって、俺は足を止める。いつもと同じ声で、いつもと同じ言い方のはずなのに、その声色が全く違っていて。
まるでこの夕日のような、切なくも燃え盛る焔のような、そんな、声。
俺は何となくそんな声を出すあの男の様子が気になって、そっと影から中庭を覗いて見た。
そして、激しく後悔する。

あの男は、一人ではなかった。
あの男の膝を枕にして、双子の兄が眠っていた。ぎゅっと弟の腰にしがみつくようにして、その体を小さく丸めていた。
そしてそんな兄の頭を撫でながら、弟はじっと兄の姿を見下ろしていた。

なんでこの双子は膝枕なんかしているんだ!と俺はドクドクと忙しい心臓を抑えた。
確かに、この双子は仲がいい。いや、仲がいいという枠を超えていそうな雰囲気でさえ漂っている。それは当人たちの問題で別段俺は気にしていないが、それでもそれを間近で見てしまうと、何となく気まずいような気分になる。
……どうしよう、このまま立ち去るべきだろうか。
俺が迷っていると、ふ、と顔を上げた弟と、ばっちり目が合った。ぎく、と体を強張らせると、彼は目をぱちくりとさせた後、人差し指を唇に持っていって、しぃ、というジェスチャーをした。

兄さんが眠っているから邪魔をするな、とでも言いたいのだろう。

俺はそれを見とめて、ゆっくりと踵を返す。
……本当に仲がええんやな。そうやそうに決まっとる。二人きりの時間を邪魔するなって言われたわけやないし。そうや、仲がええだけや。
何となくそんなことを、自分で言い聞かせながら、俺は寮へと戻った。帰って来た俺を見た志摩が、何やえらい疲れてはりますな、と怪訝そうな顔をしたけれど、はははと笑っておいた。




そんなことがあった、数日後の木曜日。塾が終わって、さぁ、帰ろうかという時に、奥村がいつも座っている机の上に、携帯があることに気づいた。色や形からして、確か奥村が持っていたものだ。
そういえば、今日は塾が終わるのと同時に慌てて帰ってたから、きっとそのときに忘れて行ったのだろう。
しょうがない届けてやるか、と俺は奥村の携帯に手を伸ばしかけて、止める。奥村先生が、じっと奥村の携帯を見つめていたからだ。どうやら、奥村が携帯を忘れていったことに先生が気づいたらしい。これなら、俺が届けなくても大丈夫だろう。俺は安心して教室を出て行こうとして、今度は俺が忘れ物をしていることに気づいた。

「悪い、忘れ物したみたいや。先帰っといてくれや」

俺は志摩と子猫丸にそう告げて、さっき出たばかりの教室に戻った。するとまだ先生は教室に残っていて、じっと手の中のものを見つめていた。
アレ?それって、さっきの奥村の携帯やないか?と俺はそれを見て、瞬時に気づいた。だが、先生は俺が戻ってきたことに気づくと、携帯の画面を閉じて、どうしたました?といつものように笑って。
忘れ物を取りに、と俺が告げると、そうですか、と言って先生は何事もなかったかのように、自然に教室を出て行った。
俺は呆然とその背中を見送って、何となく、頭を抱えたい気分になった。
さっき、奥村の携帯見とったよな……。っていうかアレ、絶対中身チェックしとったやろ……。
普通、双子の兄弟の携帯なんかチェックせぇへんやろ。恋人やないんやし……。

「はは……」

忘れ物を取りに帰っただけなのに、なんでこんなに疲れたんだろ、と思いつつ、俺は乾いた笑みを零した。
忘れ物だったノートを持って志摩と子猫丸に合流すると、志摩が不思議そうな顔で、なんや気分でも悪いんですか?と聞いてきたので、そうかもしれへんな、と笑いながら答えた。




奥村先生の奥村携帯チェック目撃事件から、更に数日後の土曜日。いい加減、俺も学ぼうと思った。前回の強化合宿以降、どうも俺は奥村兄弟との遭遇率(主に弟の方に)が高い。だからこそ、余計なモノを見たり聞いたりする。
だったら余計な動きはせずに、じっとしているに限る。俺は寮の自分の机に向かって、そう固く決意していた。
もくもくと勉強をする俺に、志摩は呆れたような、それでいて感心したような声で、休日まで勉強なんてほんと真面目ですなぁ、と笑っていて。
まさか外に出ない為に勉強しているなんて言えなくて、俺はお前も勉強しろや!と怒鳴っておいた。

そうして勉強を始めてから、一時間後。俺は一休みしようと背伸びをした。すると同時にいいタイミングで携帯が鳴って電話に出た。

「はい、勝呂ですけど」
『あ?俺、奥村だけど』

その時の俺の心境を、きっと誰も分かってくれないだろう。
避けようと思ったその人からいきなり電話が掛かってくれば、驚くよりもまず、諦めが来るなんて。

『アレ?坊?どうした?』
「……なんでもない。それより、どないした」

俺はぐったりとしつつも、そう返した。電話口の奥村はそんな俺の様子に気づいていないのだろう、それがさ、と話し始めた。

『今、雪男から連絡があってさ、今度の月曜日の講義は実技に変更だってさ。他の皆にも、そう伝えておいてくれよ』
「あぁ、分かった」

休日なのに、先生のほうは忙しいみたいだ。まぁ、あの人は優秀な人だから、当然と言えば当然だろう。先生がいないのなら、俺は別に出かけても良かったよな、と思っていると、奥村が少し言いにくそうな声で。

『あのさ、今さ、暇……?』
「……まぁ、手が空いてると言えば、空いてる、けど?」

答えて、何となく嫌な予感がした。俺の答えを聞いた奥村は、パッとその声色を明るくさせて。

『じゃあさ!勉強教えてくれよ!俺、全然分かんなくて困ってんだ』
「先生に習えばええやろ?一緒に住んどるんやし」
『だって雪男は忙しそうだし。それに、雪男より勝呂の方が全然教え方上手いし!』

おい、それ奥村先生本人には言ってないやろうな?と冷や汗をかく。真意は定かではないが、言っている確立は大いにありうる。俺は頭を抱えつつも、きっと電話の向こうで満面の笑顔を浮かべているであろう、その能天気な頭を一発叩きたくなった。




「やー悪いね、坊!」
「……」

いっそ憎憎しいほど爽やかな笑みを浮かべて出迎えた奥村に、俺はひくりと口元を引きつらせた。だが、コイツは全く悪気がないのだ。気にするほうが馬鹿というもの。
俺は内心でため息を付きつつ、部屋を少しだけ見渡した。
そういえば、コイツの部屋に来るのは初めてやな。
ぐるりと見渡した室内は、主に二つに分かれていた。入って右側が奥村、入ってすぐの左側が先生という風に分けているのだろう。何となく置かれている家具だとか、散らかり具合がその性格を現していて、奥村の方は服や本が乱雑にされているのに対し、先生の方はきちんと整頓されている。その、あまりにも分かりやすい部屋の状態に、俺は若干呆れてしまった。

「どうかしたのか?」
「いや……」
「?」

軽く頭を振って、思考を切り替える。先生は任務でしばらくは帰って来なさそうだが、早くココから退散する必要がある。奥村の部屋で先生と鉢合わせとか、嫌な予感しかしない。
俺は奥村に近づいて、どれが分からんのや?と聞く。すると奥村はえっと、と机に向かって教科書を広げる。ぎこちなく動くシャーペンを見下ろしつつ、時折ここはこうだ、と教える。すると奥村はうんうん、と素直に頷いて、さらさらと答えを書く。
その姿を見下ろして、俺は思う。奥村は確かに勉強は苦手だが、できないわけではないのだ、と。現に今だって、かなりの集中力を持って勉強に取り組んでいるし、例え答えが全部間違っているとしても、次に間違えなければいいだけの話だ。
それなのに、奥村自身も弟である先生も、奥村のことを馬鹿だと言う。奥村はやればできるヤツやと思うけどなぁ、と思いつつ奥村を見下ろすと、その視線に気づいた奥村が不思議そうにこちらを見上げてきて。
その青みがかかった瞳と目が合って、俺はふっと笑う。

「お前、やればできるやん」
「へ?」
「ほら、ここ」

俺は奥村の解いた問題の一つを差した。

「ちゃんと合うてる。これ、前のテストで出た問題や。前は間違うとったやろ?でも今はちゃんと解けとるやないか」
「……勝呂……」

俺がそう言えば、奥村は目をキラキラとさせて俺を見上げてきた。嬉しいという感情を隠しもしないその表情に、俺も小さく笑みを浮かべる。すると奥村はすぐろー!と俺を呼んでぎゅっと腰に懐いて来た。俺はぎょっと驚いたものの、嬉しそうな奥村を見てしょうがないな、と諦めた。
が、その時。
がちゃり、と扉の開く音がして。

「ただい………、ま……?」

帰ってきた先生と、ばっちり目が合った。
先生は俺と奥村の状態を見て、す、と目を細めた。若干、部屋の温度が二、三度下がったような気がして、俺はぶるりと背筋を震わせる。
するとそんな俺たちに気づいたのか、奥村が顔を上げて、おかえり、雪男!と俺の腰に懐いたまま先生に向かって笑いかけて。
先生は、ただいま、と奥村に笑いかけながら、冷たい目で俺を見るという器用なことをやってのけながら、部屋に入って来た。
ただ淡々と祓魔師のコートを脱ぎつつもこちらを意識しているのがヒシヒシと伝わってきて、俺は慌てて奥村から離れた。
勝呂?と不思議そうにする奥村に、先生も帰ってきたし俺はもうそろそろお暇するわ、と早口に告げて部屋を出て行こうとした。えー!まだいいじゃん!と引きとめようとする奥村。そしてその背後で俺を睨みつける先生。
……俺に、どないせぇっちゅうんや!
双子の合間に挟まれつつ、俺は内心でそう怒鳴っていた。

結局、俺は奥村と先生の間に挟まれて奥村に勉強を教えるという苦行をやってのけ、ありがとな!と満面の笑顔を浮かべる奥村と、またお願いしますね、と笑いながらも完全に目が据わっていた先生に見送られながら、俺は双子の部屋を後にした。
寮に戻った俺の顔を見て、ぎょっとした顔をした志摩に言葉を掛ける気力もなかった俺は、そのまま倒れ込むようにしてベッドに入った。




そんなことがあった、休日明けの月曜日。
奥村が連絡してきたとおり、塾の講義は実技に変わっていた。どうやら奥村先生に祓魔師の任務が入ったらしい。俺はそれを聞いてホッとした。さすがにあんなことがあったすぐに顔をあわせるのは、何だか気まずいような、胃が痛いような気がしていたのだ。
俺が肩の力を抜いて気を楽にしていると、奥村が近づいて来た。

「勝呂、この前はありがとな」
「……あぁ。別に、構わへん」

本当は文句の一つでも言いたいところだが、多分奥村は気づいていないだろうし、奥村自身に罪はない。俺がこれから気をつければいい話だし、と思いつつ、助かったよ!と笑う奥村に肩を竦める。別にクラスメイトに勉強を教えるのなんて当たり前やろ、と言えば、きょとん、とした顔をした奥村が、少し照れくさそうに笑って。
……本当にコイツは、時々こちらが困るくらいに無邪気な表情をするから。
ほんの少しだけ、奥村先生の気持ちが分かるときがあるのだ。もし自分の兄弟がこんなに無邪気で無防備なヤツだったら、多分先生と同じように心配するだろう。まぁ、先生の場合は心配というよりも、兄を他の人間に取られたくない、という執着心のようなものが見え隠れするが。

……この双子も色々とあるんやろうな。

あの弟がそこまで兄に執着する、何かが。
俺はそう思いながら、まるで幼い子供のようなクラスメイトの顔をじっと見つめていた。



そして塾が終わり、俺は寮に戻った。取りあえず一息ついて後、そういえば、と思い出す。さっきの授業で奥村にノートを貸してたんだった。あれは後で復習しようと思っていた分だから、早めに返して貰わなくては。
俺は携帯を取り出して、奥村の携帯の番号を呼び出す。
プルル、プルル、とコール音が耳元で響く。出るの遅いな、と思っていると、ブチ、と電話を取る音がして。

「あ、奥村?俺、勝呂やけど」
『……―――』
「あれ?奥村?聞こえてるか?」

もしもーし、と電話口に向かって問いかけるものの、奥村からの返答はない。おかしいと思い始めて、俺はもう一度掛け直そうかと思い、耳から携帯を外そうとした、その時。

『……あ、勝呂君?』
「え、」

俺はその瞬間、びしりと固まった。アレ?これ、奥村の携帯電話に掛けてるんだよな、俺。奥村は奥村でも、なんで弟の方の声がするんだ?

俺はぐるぐると悩みながらも、奥村は……?とだけ言うことが出来た。すると先生は、あぁ、となんでもないことのように。

『兄さんなら、今はちょっと席を外してるよ。何か兄さんに用事?』

僕が聞いておくよ、と先生は言う。
……奥村に後でかけ直させるのが普通じゃないのだろうか、こういう場合って。と思わなくもなかったけれど、墓穴を掘りかねないので、ノートのことを先生に告げた。すると先生は、分かった、伝えておくよ、とそう言ってブチリと電話を切った。
ツー、ツー、という通話の切れた音が耳に響いて、俺は電話を切りながら、頭を抱えた。

なんで奥村がいないときに先生が奥村の携帯に出るんだ、とか。
これ、奥村自身は気づいているのか、とか。

色々な疑問が頭を過ぎったけれど。

もう、何か、突っ込むのも面倒になってきたわ。

俺は諦めて、乾いた笑みを浮かべた。

触らぬ奥村先生なし、やな。





END


というわけで。
リクエストして下さいました、水無月様、ありがとうございました!
リクエスト内容は「雪ちゃんが兄に異常なくらい執着していて、兄の携帯を隠れてチェックしている」というものでしたので、「奥村兄弟の日常」の勝呂君に再び犠牲になって頂きました(笑
とにかくこの二人の間に挟まれて苦労している勝呂君というポジションが凄く好きで、リクエストいただいたときも、すぐに勝呂君視点で書こう!と思いついていました。
確かに雪ちゃんなら兄の携帯チェックしてそうですよね。んで、何やかんやで一番頼りにしている勝呂君だとか、妙に気の合う志摩君辺りに嫉妬しているといいです。
でもきっと、携帯の短縮番号「1」は雪ちゃんの番号なんだろうな、と。そんな妄想をしたリクエストでした。少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。

ではでは、リクエストありがとうございました!

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