耳を澄ますと微かに、聞こえる雨の音。目の前には、真っ白な紙が一枚。少し湿気て、落としたペン先からジワリとインクが染みている。もう何時間もこの場所に座って、白い紙を前に言葉を探している。

手紙なんて、それこそこんなに真面目に書こうと思ったことなんて、今までなかった。だからだろうか、何をどう書いていいのか、分からない。考えて、考えて、書いて、気に入らなくて、消した。何度か繰り返して、書いては消して元通り。一日の半分を使ったけれど、上手い文句なんて浮かんでこなくて、並んでいるのは紙くずばかりになった。

ガラにもないことするもんじゃねぇな、って畳に大の字に寝転がって、天井の木目を眺める。

耳を澄ますと微かに、聞こえる雨の音。静かな世界に響く、雨の、音。




ボクノート





お互い、気の合わない腐れ縁だと思っていた相手に、恋をした。だけど俺はあまりに言葉を知らなくて、何より、アイツの顔を見ればテンパってしまい、いつもいつも自分の気持ちを伝えられずにいた。本当は、すきだって伝えたい。いつだってお前のことを考えて、胸が苦しくて仕方なくて、こんな気持ち初めてで、顔を見れば嬉しくて、会えなくても、今何してるだろうかって考えて幸せな気持ちになる。
胸の奥に宿る暖かな感情は、日に日に膨れていくばかり。なんとか吐きだそうとしても、それを上回る勢いで積もって行く。悪循環だ。

言葉にして伝えようとして、以前はちょっと失敗してしまった。うん。ちょっとだけだ。あの後ばっさり切り捨てられて、それ以来顔合わせてないとか、実は避けられてんじゃねーの、とか思わないでもないけど、ちょっと、失敗しただけだ。

「……………、」

ひじかた、と口の中で呟く。同時に、すきだ、と。だけど、その言葉だけが、喉の奥に引っかかって、痛い。声にならない。本人を前にしていないのに、アイツを想うだけでこんなに難しい言葉になってしまう。
痛い。痛い。だけど、止めたくない。すきだって伝えたい。
だから、ガラでもないけど、手紙を書くことにした。手紙なら、声に出さなくても伝えられる。すきだ、だいすきだ、あいしてる。声にならない想いが、インクに溶けて滲んで、紙に乗ってアイツに届けばいい。そう、考えた。

名案だって自分で自分を褒めて、いざ紙を前にして、半日。俺の周りには、紙くずばかりが溜まって行く。俺の想いの残骸だ。
くしゃくしゃになったそれを手に取って、ぼんやりと目の前にかざす。お世辞にも綺麗とは言えない文字が、さらに歪になっていた。

あぁ、俺、字が書けるようになって良かった。汚いけど、それでも。

雨の音が、遠く、聞こえる。せんせい。俺の声も、遠くに、聞こえる。




机に座って勉強なんてものが、苦手だった。何度か授業を逃げ出そうとしたけれど、先生に見つかってしまう。繰り返していくうちに馬鹿らしくなって、俺は先生の声をBGMに昼寝を決め込むことにした。
柔らかな先生の声。その声が、教科書を読み上げる。まるで子守唄みたいだ。俺は、握りしめた刀を持つ手に、力を込めた。カチリと刀が鳴って、返事を返した。

先生は、基本的に放任主義だった。やりたいことを、やらせる。だけど最低限のルールだけは、きちんと守らせる。そんな人だった。
そんな先生は、授業を寝てばかりいる俺を叱ったりはしなかった。ただ、たった一つだけ、強制的に参加させられた授業がある。それが、文字を書く練習だった。

文字なんざ、書けなくたっていい。刀を振る腕さえあればいい。そう言った俺を、笑顔で先生は威圧した。先生はいつも口元に笑みを浮かべている。だけどその笑顔には種類があって、その時の先生は一番怖い笑顔をしていた。俺はその笑顔が怖くて、文字の練習の授業のときだけは、起きて他の奴らと同じように筆を執っていた。

そんなある日。
好きなものの名を書けと言われ、それぞれが想い想いの物を紙に書いていた。肉球、って書いてた奴は、先生から、猫のですか、それとも犬のですかって聞かれてたし、先生って書いて、先生に、どの先生ですか、って尋ねられてた奴もいた。
そんな中、俺はじっと紙を見下ろす。好きなもの。好きなものって、なんだろう。
刀。いや、刀は「生きるために必要なもの」だ。好きなものじゃない。
食いもん。いや、食いもんも「生きるために必要なもの」だ。嫌いじゃないけど、好きなものじゃない。
あの生徒みたいに、先生、とか。いや、先生も同じだ。嫌いじゃないけど、好きなもの、ではない気がする。
色んなものを頭に思い浮かべたけれど、どれもこれも、好きなものではなかった。

結局、授業が終わるまで紙は真っ白だった。
真っ白な紙を見下ろして、俺はぼんやりと、何も書けなかった俺を、先生は怒るだろうかと考えた。書けと言われていたのに書いてない俺を、怒るだろうか。

だけど先生は、真っ白な紙を見て、笑った。そして、あの柔らかな声で。

「銀時。銀時はきっと、これからたくさんの、好きなもの、を見つけるんでしょうね」

どういうことだろう。俺は、先生の言葉がよく分からなかった。分からないという俺に、先生はひどく楽しそうに笑って、目を細めた。




それから、色んなことがあった。
大切なものが増えて、両手に抱えきれないほどになって、零れて、守れなくて。だけど、抱えるのを止めようとは、不思議と思わなかった。

先生。

俺は、くしゃくしゃの紙を握りしめる。

俺が今いるこの場所は、ずいぶんと窮屈だ。守るものも、抱えるものも多い。だけど、その分だけ、すごく、暖かいんだ。
一人だった万事屋も、今は三人に一匹の大所帯だ。下のババアどもやからくり娘、かぶき町の連中。みんな笑って、この町で生きている。
そして、その中に、アイツもいる。
いつも眉間に皺を寄せて、不機嫌そうな面して町を歩いてて、使えない上司と部下に頭を抱えながら、右に左に上に下にフォローを入れまくる。そんな不器用なアイツが、いる。

先生。
先生、俺は。

微かに身じろきをすると、かさり、と足元から音がした。捨てた紙くずだろうか。どんな言葉を綴ればいいか分からずにもがいた、残骸だろうか。抱えた想いが強すぎて、苦しくて、ひたすらにぐしゃぐしゃにした、俺の感情だろうか。

自分でも思う。不器用だ。人のこと、言えた義理じゃない。そんなの、長年付き合ってきた自分が一番、良く知っている。
だけど、それが、俺、なんだ。俺、なんだよ、土方。
だから………―――。


耳を澄ますと微かに聞こえる、俺の、音。どくん、どくんと、力強く波打つ、俺の、音。
雨音は遠く、仰向けに見た天井に、光が差し込む。


「………、うし、書くか」

ぐん、と勢いよく起き上がる。目の前には、白い紙。何も書かれていない、まっさらな。
じっとその白さを見下ろして、一度、目を閉じる。

先生。
先生、俺は、俺の、好きなもの、は。










土方に手紙を送って、数日後。俺は目的を達成したこともあって、ルンルン気分で町を歩いていた。いつもなら、いい加減ツケを払ってくれよ銀さん! なんて言ってくる団子屋の親父に、いいじゃねーかどうせ売れてないんだし消費すんの手伝ってやってんだから感謝しろよ、と返していたが、今日は気分がいいので、そのうちな、って返した。そしたら熱があるのかって心配された。どういうことだ。俺はいつだって心優しい人間だっての。

いつもの団子屋で団子をもっちゃもっちゃと頬張りながら、手紙のことを考える。土方にちゃんと届いただろうか。住所は間違ってなかったはずだし、宛名も間違ってなかった。何度も何度も確認したから、大丈夫だ。
だとしたら、もうそろそろ土方の手元に届いているはずだ。ちゃんと読んでくれただろうか。俺の、ありったけの想いを込めた手紙だ。うん。きっと読んでくれたに違いない。

俺は上機嫌のまま、鼻歌なんぞ歌ってみる。
土方は、あれでいて律儀な奴だ。わざわざ寄越した手紙を、無碍にすることなどしないだろう。それに、思いのほか嫌われてないかもしれないって、この前確認したばかりだ。最後ちょっとトチったけど、でも、土方は俺のこと、そんなに嫌ってない。はず、だ。
だから、そんな奴からの手紙を読まずにポイするような、そんな男ではないはずだ。捨てるとするなら、読んだ後だ。読んだ後に捨てられたら、そりゃショックだけど。でも、全く見られないよりマシだ。うん。俺もずいぶん進化したよ。あの土方に手紙を送れるようになったんだ。そのうち、電話とかできるようになれるだろうか。うわ、電話越しの土方の声とか、何か、緊張するんですけど。絶対、途中でどうにかなりそう。

そんなことをつらつらと考えながら、ぼんやりと人の行き交う姿を目で追っていた俺は、ふいに視界の端に映った黒に、心臓を跳ねさせる。そうだ、この時間は見回りだ。
土方かな、と、ちらっと期待に満ちた目でそちらを窺えば、相手もこちらに気付いたらしく、足を止めていた。あ、土方だ。やった。今日は待ち伏せてないのに会えた。嬉しくて、内心で小躍りする。

「………万事屋」

土方は何やら困惑気味だ。そんな土方の様子に、俺は心臓が飛び出しそうなくらい高鳴っているのを感じた。土方のあの様子、きっと、あの手紙を読んだに違いない。そうだ、そうに決まってる。
どくん、どくん。心臓、煩い。俺の音、煩い。心臓が口から出てきそうなのを我慢して、何だよって、取りあえずいつも通りの気だるそうな感じで返す。すると土方は、ごそごそと懐を探り始めて、何だろって不思議に思えば。

「この前、これがお前から届いたんだが、一体何なんだ?」

ひらり、と。
公衆の面前で。
土方は俺の送った手紙を広げて見せて、俺は沸騰した薬缶みたいに、カーッと頭に血が上るのを感じて。

「っ、っ、ひ、っ土方のっ、はっ、恥知らずぅううううう!」
「ッ、ハァ!?って、ちょっと待てコラああああ!」

俺はとにかく、脱兎のごとく、逃げ出した。




残されたのは、呆気に取られた土方と、その手に残された紙が一枚。土方は去って行く銀時の背中を見送って、首を傾げる。

「恥知らずって、これ、お前が送ってきたんだろうが……」

何なんだよ、と土方は改めて、手の中の紙を眺める。しかし、やはり意味が分からない。なんだって銀時は自分に、こんな紙を送ってきたのか。意図が読めずに、気が付けばこの紙を眺めている自分に気づいていた。意味の分からない、紙を。だがそんな自分の心も、ちゃんと土方は理解していた。

雨上がりの、湿気の多い空気に触れて、紙は少し湿気ていた。だけど、どうしてだろう。意味も分からないのに、この紙はいつだって、暖かい気がした。
土方は紙が破けてしまわないよう、そっと、折りたたんで懐に入れる。

「………ったく、小学生かっての」

苦笑を漏らす。そのまま、銀時が去って行った方向へと、のんびりと歩いていく。巡回がまだ、残っているからだ。だがやはり、懐は温かい気がして。
土方は、笑った。




「        土方         坂田 銀時         」




白い紙に、大きく己の名と、左端に小さく書かれた男の名。
まるで小学生が習字の授業で書くようなその手紙を、胸に。