自動販売機の前。ココアを買う。薄っぺらい財布の中の千円が、消えていく。ボタンを押すと、ココアと一緒におつりがジャラジャラと吐き出される。八八〇円。ちゃんと取り忘れがないか、もしくか前の奴が取り忘れていないか、何度も手を突っ込んで確認する。よし、準備はできた。
おつりを持ったまま、俺は意気揚々と歩く。すぐ傍にあるのは、もう随分と前から見かけなくなった電話ボックス。狭いその中に入って、一息つく。何度も息を吸って、吐いて。狭い箱の中は、俺の吐いた息で充満する。
もう一度、吸って吐いてを繰り返して、いざ、手のひらの中を見る。このときばかりは、一番硬貨な五百円玉は無価値になる。十円玉のほうがずっとずっと価値がある。だって十秒ずつ、アイツに会える。
受話器を握る。十円玉を入れる。懐に入れていた小さな紙を取り出して、番号を回す。途端に流れ出す、コール音。
「一、ニ、三………」
無意識の内に、コール音を数えている。七回目のコール音の後、必ず留守番電話になる。おかけになった電話は。残念、いつものお姉さんが出た。
忙しいアイツのことだから、こんな夜遅くでも仕事をしているのだろう。眉根を寄せて煙草を咥えて、悪態をつきながら、それでも一生懸命書類に目を通す姿が、目に浮かぶようだ。
小さく笑っていると、お姉さんにメッセージを促された。発信音の後に三分以内でメッセージをどうぞ。
「あ、もしもし。えーっと、俺、だけど。って、オレオレ詐欺じゃないからねこれ。ちゃんとした電話だからねこれ。えっと、その………、あの、なっ、何か困ったことがあれば万事屋銀ちゃんに依頼してね。今月マジピンチなのよ。だから、その、れ、連絡、その、ま、ま、」
待ってる、と言いたかったのに、一番大事なところだったのに、ピーッと電話が切れてしまった。呆然としつつ、ツーツーと通話の終えた受話器を下ろす。そして軽く凹んだ。
まぁ、でも。肝心なことが言えなくても、別にいいんだ。本当は、少しでも声が聞ければ、それで良かったんだから。
「ちくしょー。十円玉、もっと貯めねぇと」
今までちゃんと最後まで留守電を残せた試しがない。いつあの留守電を聞くか分からないけれど、途中で切れたことに、アイツは笑うだろうか。
コイン
なんやかんやと腐れ縁が続いている相手に恋をした。自分でも笑ってしまうくらい、余裕のない恋だ。いい年こいた大人の男がザマねぇと思わなくないでもない。だけど、それくらいアイツがすきなんだと思うと、くすぐったいやら悶えるやらで大変だ。
俺は、手の中の紙を握り締める。小さな、小さな紙だったが、俺にとっては何よりも大切な宝物だ。
紙には、数字が十一個、並んでいる。たったそれだけの紙。だけど、俺とアイツを繋ぐ、大切な紙だ。
俺はじっと紙を見下ろして、そっと数字を撫でる。
数日前、アイツに手紙を送った。俺なりの、精一杯の気持ちを込めた手紙だった。そしてその返事に、この番号が送られてきた。真っ白な紙に、墨で書かれただけのもの。墨で書くなんて意外だなとも思ったけれど、また一つ、新しい一面を知れた気がして、嬉しかった。
自動販売機の前。ココアを大量に買い占める。取り出し口に溜まりまくって、ガチャガチャと鈍い音を響かせる。しまった。ぼんやりとアイツのことを考えていたら、買いすぎてしまった。
取り出しにくくなったココアに悪戦苦闘しながら、ふと、なんだか今の自分みたいに思えた。必死で、何もかもいっぱいいっぱいで、許容範囲を超えて求めて、つっかえている。情けねぇな。でも、それでもきっと俺は、また、ココアを買うんだろう。アイツに、電話を掛けるために。
俺は自分で自分に苦笑しながら、万事屋への帰路を辿る。
「おーう、今帰ったよーっと」
「あ、銀さん、おかえりなさい」
掃除をしていたんだろうか、白い割烹着姿の新八が出迎えた。その姿はまるでお母さんだ。きっともうすぐ、お小言が始まるに決まっている。
「あーもう、仕事もせずにどこ行ってたんですか? 僕、今月のお給料頂いてないんですけど」
「うっせぇなぁ。この前ちゃんとあげたじゃん」
「あれのどこが給料ですか!? 千円って、今時の中学生の方がもっと貰ってますよ!」
「よそはよそ、うちはうち! 千円貰えるだけマシだと思いなさい!」
ほらな。
ぎゃんぎゃんと喚く新八を何とか宥めようと、俺は懐に忍ばせたココアをそっと差し出した。
「ほら、これでも飲んで落ち着けって」
「あ、すみません。ってこれ、どんだけあるんですか!? こんなに買う金あるんだったら給料に回してくださいよ!」
ずらずらと机に並んだココアを前に、新八が激しく突っ込みを入れる。しまった。逆効果だった。
俺は新しい缶に口を付けながら、とろりと甘いココアにゆるりと頬を緩めた。そうだ、今日も夜に電話を掛けてみよう。そうだ、そうしよう。
口笛を吹いて、ゆっくりと夜道を歩く。時折、ヘッドライトが足元を照らして、俺の影を作る。ザアァ、と車の通り過ぎる音に、口笛が掻き消されて、流れていく。曲名は知らない。テレビで良く聞く、CMのBGMだ。本当は洒落たラブソングなんぞ吹いてみたかったけれど、照れ臭くて吹けない。変に力んでしまって、調子はずれの音しか出なくなるんだ。
チャリチャリと、口笛に混じって、懐から小銭のこすれる音がする。今日はいつもよりたくさんの十円玉を持ってきた。これなら、きっと大丈夫。あ、でも今日もまた仕事だろうか。ほんの少しでいいから、今日は声が聞きたい。
実は、俺には、ある作戦がある。それは、さりげなく土方の週末の予定を聞きだして、こっそり偶然を装って会いに行こうというものだ。あくまでも偶然、たまたま、ってことにすれば、土方も不振に思うことはないだろう。
そのためにも、気づかれないように、さりげなく。会話の中でかすかな糸口を掴んで。きっと長くなるだろうから、たくさんの十円玉が必要だろうと、大量に持ってきた。
いつもの電話BOXが見える。よし、大丈夫。やれる。きっと、上手くやれる。そそくさと中に入って、受話器を持ち上げる。懐から掴んだ十円玉を、一個一個、丁寧に入れる。そして、大事に仕舞っていた紙を取り出す。番号を覚えているくせに、じっと睨みつける。そして、震える指先で、ダイアルを回す。
「0、9、0、………、っと」
番号を回し終えると、受話器の向こうからコール音が響く。プルルル、プルルル、プルルル、プルルル、プルルル、プルルル、プルルル。七回目のコールを数え終えて、今夜も留守電に切り替わる。あぁ、やっぱり、いつものお姉さんだ。
俺は少し肩を落としながら、ピーッと言う発信音の後に、メッセージを残す。あ、俺、その、坂田、だけど。えーっと、その、あの、これ、この電話さ、ちゃんと繋がってるか心配で掛けてみただけだから。と、とくに用事って用事はねぇから。………んじゃ、その、……また、
な、と言いながら、受話器を置こうとして。
『………―――、もしもし?』
受話器から、声。
聞きたくて、しょうがなかった、声。
俺は慌てて、受話器に噛り付く。え、うそ、なんで? 出てくれた? うそ、マジで? え、なにこれ、ヤバいどうしよう。何か、何か言わないと………!
「あっ、あっ、明日の予定、どうなってんのっ?」
ひっくり返ったまぬけな声が、電話BOX内に響く。同時に、シン、と静まりかえる電話の向こう。あぁああああああどうしようやっちまったああああああ。間抜けにもほどがあるだろこれ。なんでこんな時に限って、声が裏返ったりすんの? これじゃ、俺、ほんとに馬鹿みてぇじゃん。つーか、さりげなく予定を聞きだすはずだったのに、ストレートに聞いてんじゃん、俺。意味ないじゃん。どうしよう、土方、変に思ったかな。何でンなことテメェに言わなきゃなんねーんだよ、とか返ってきそう。どうしよう凹む。ずん、と肩を落とした、その時。
ぷっ、と吹き出す声が受話器の奥から聞こえてきて。
『く、くく、……ほ、んと、お前って奴は………』
心底楽しいと言わんばかりの笑い声が、俺の耳に心地よく響く。あ、土方、笑ってる?
『毎回電話してくるくせに、内容は変なのばっかで、何が言いたいのかさっぱり分かんなかったけど、今のは、ちゃんと分かったぜ』
明日だろ? 明日は非番だ。
さらり、と寄越された言葉に、俺は、は? とまた、間抜けな声を上げてしまった。だけど土方は気にした様子もなく、楽しげに笑って。
『明日は、最近封切になった映画でも観に行こうと思ってる。そうだな、その後はいつもの定食屋行って、健康ランドでサウナに入るのもいいな。…………つまり、俺の明日の予定はいっぱいだ』
ほら、答えてやったぞ、と土方は笑う。
「あ、え、あ、えっと…………、土方、その、それって………」
『この間みてぇに、行く先々で会うかもな?』
くく、と笑みを含んだ声でそう言われて、じゃあなって電話が切られた。ブツ、ツー、ツー、ツー。機械音が、耳元で木霊して。
「え、えーっと、その……………―――――――、まじ、で?」
カラン、と。
十円玉が落ちる音が、した。