歩いていた足を止めて、そこは水溜りだった。 Side:銀時

しとしと。
しとしと。

地面に叩きつけられる、雨の音。
それをどこか遠くのことのように聞きながら、俺はただ、目の前に佇むその背中を見た。

満身創痍。

その言葉がぴったりくるような、その背中を。
微動だにしない真っ黒な背中。漆黒の髪を滑る、雫。ゆらりと揺らめく、白い煙。
その表情は見えないし、今、彼がなにを考えているのかなんて、彼本人じゃないから分からない。

ただ、ひとつ。俺に分かることといえば。

いま、彼の頭の中には、俺はいないということだけだ。



ざぁぁ、と雨が降り続く。
ぴちゃり、と音を鳴らして、彼は右足を引きずりながら一歩足を進めた。
背後にいる俺や、慌しく動き回る彼の仲間を見ることなく、また、一歩。

そして、一歩二歩と更に足を進めた彼は、唐突に足を止めて。

「総悟」

ぽつり、と彼は俺の傍にいる彼の部下を呼んだ。そして、振り返ることなく言い放った。

「ここは他の奴らに任せて、お前は帰れ。……副長命令だ」

「……。俺は、必要ねぇっていうのかィ」

「あぁ、そうだ。後始末は俺がしておく。お前は先に帰ってろ」

「……そうさせてもらいまさァ。雨に打たれながら仕事なんて、やってられるかってんだ。そんな物好きは、アンタだけで充分だ」

「―――あぁ、そうだな」

ふ、と彼は口元を吊り上げて笑った。それを見止めた総一郎君は、何も言わずに踵を返した。その足取りがいつもより少し速いのは、きっと気のじゃない。
ゴリラが総一郎君を呼んでいる。総一郎君は駆け足になってゴリラの元へと急ぐと、そのまま車に乗って行った。物言いたげなゴリラがこちらを見ていたが、俺も彼もそれを無視した。

うぉん、と音を鳴らして去る車と、赤い光。それを見届けて、俺は周囲を見渡した。

雨に紛れて香る、濃い血の匂い。この雨だ。きっと全てを洗い流してくれるだろう。
忙しなく動き回る隊士たちは、ほとんどが無傷だ。それは目の前の男が、敵の大半を一人で請け負ったからに過ぎない。
たった、一人で。

「……副長」

そっと、彼の部下のジミーが彼に近づいてきた。手には救急箱が握られている。

「副長。まずは傷の手当をしましょう。仕事はそれからです」

「……あぁ、そうだな」

彼は煙草を吹かしてそう言いながら、しかし、一歩もそこから動こうとはしなかった。どこかぼんやりと、虚空を見つめている。

「副長。とりあえず、車へ。ここにいては、風邪を引きますよ」

「……―――」

「副長!」

動かない彼に焦れたのか、ジミーは鋭く彼を呼んだ。しかし、彼は。

「なぁ、山崎」

「はい」

「俺は、副長失格だな」

「……―――え?」

自嘲気味にそう吐き捨てて、ゆっくりと足を引きずりながら歩き出した。その背中が、どことなく全てを拒絶しているようで、ジミーは戸惑いながらも彼を追わずにいた。
降りしきる雨の中、彼は何を思っているのか。

俺はただ、その背中を見つめていた。
だが、ぐらりとその身体が傾くのを見て、俺は反射的に彼に向かって走り出していた。

「……ッ、ひじか……」

「……―――」

地面に叩きつけられる寸前に、その身体を支える。熱い。手の平から伝わる温度は、尋常じゃなかった。

「お前……、無理すんな!」

「……―――ぁ」

ぐっと掴んだ肩が震えて、俺をぼんやりと見上げた。いつもの鋭い光が、今は消えかけの蝋燭のような弱々しさを宿していた。それを見て、あぁ、コイツの火は消えていないと安心するのはおかしいだろうか。

「すまねぇ……」

搾り出すような、声。それは俺に対して言っているのだろうか、それとも。

「……、すま、ねぇ」

「……あぁ、分かった。分かったから、もう何も言うなよ」

触れた指先が、震える。強く抱きとめたその身体の熱を、奪ってしまいたいと思った。
今の彼の心の中に自分はいない。強く、強く、ただに、あのひとのことを想っているに違いない。

それを邪魔する権利は、俺にはない。
彼と俺との関係なんて、それこそちっぽけなモノでしかなくて。今回のことも、総一郎君が俺を呼ばなければ、きっと関わることなんてなかった。

偶然でしか、彼と関われない自分。
当然だ。普段なら、望んで彼と関わろうなんて考えなかっただろう。
でも。
あのひとと顔を合わせた時の彼の表情が、目に焼き付いて離れない。
ひどく驚いたような。動揺したような。それでいて、瞳の奥に灯る、隠しきれていない優しい光。いつもの鋭さを、ほんの少しだけ緩ませた、その色。

あまりにもその色が柔らかくて温かかったから、俺は内心で動揺していた。
決して、普段見る事のできないモノだったから。

「………、ごめん」

ぽつり、と零した彼。
じっと俯いたまま、顔を上げることもなく。

祈るように、そっと。



落とした視線の先には、満身創痍の黒と。
唇をかみ締めた彼の表情が、赤く燃える火に照らされて、水溜りの上に映っていた。









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