買出しを終えて寮に戻ると、さっそくチョコ作りに取り掛かる。俺は二人の様子をハラハラしながら見て、少し手伝う程度にした。二人は一生懸命な顔をしてチョコに取り掛かっていて、そんなに気合を入れなくても、とちょっと呆れてしまった。
チョコを溶かして、固める。
たったそれだけの作業だけど、でも、女の子たちからすれば一生懸命心を込めて作ったものに違いない。
そんなことを考えながら二人を見守りつつ、時計を見やる。もうそろそろ、雪男が帰って来る頃だ。
この様子じゃ、しばらく厨房に雪男は立ち入り禁止にしとかなきゃな、と苦笑していると。
「熱ッ!」
「神木さん?」
「どうした?マロ眉?」
チョコを湯せんにかけていたマロ眉が、小さく声を上げた。駆け寄ってみると、お湯が跳ねたらしく腕が赤くなっていた。
「大変!サンチョさん!」
「その前に水で冷やさねぇと」
俺はマロ眉の腕を取って、シンクの蛇口を捻る。火傷した部分に水を当ててやっていると、マロ眉が顔を真っ赤にしていた。
「お、おい?大丈夫か?」
「………ッッ、な、なんでもないわよ!」
「?」
何だ何だ、と首を傾げていると、マロ眉はぶっきらぼうな声で、ありがと、なんて呟く。
「まぁ、こんなの俺もしょっちゅうやってたし。こういうのは、雪男の専門なんだけどな」
言いつつ苦笑を漏らすと、しえみがアロエを剥きながら驚いていた。
「え?燐もお料理で失敗とかしてたの?」
「当たり前だろ?最初っから上手くできるやつなんていねーよ。昔は失敗ばっかしてさ、ほとんど喰いもんじゃねー代物を、それでも美味しいって言ってくれるひとがいて。それで俺、上手くなりてぇって思ったんだ。そのひとに、本当に美味しいって言って欲しくて」
「……へぇ」
思えば、俺が躍起になって料理を覚えたのは、ジジイに「美味しい」と言わせたかったからだった。ジジイは俺の作ったどんな料理も、ちゃんと食べてくれて、「今度のは上手くできたな」って笑ってくれた。
その次の日に腹を壊してトイレにこもってたときもあったし、実際、喰えたものじゃなかったと思う。でも、それでもジジイは嬉しそうだったから。
だから、俺は料理を必死になって覚えた。ジジイのおかげ、とも言うべきだろうか。
……―――もう、料理を食べてくれることはないけれど。
「……燐は、その人のおかげで料理が上手になったんだね」
「あ?あぁ、まぁな」
ジジイ本人は、そんなつもりは全くなかっただろうけど。
小さく笑っていると、「ただいま」と雪男の声が聞こえた。俺は慌てて、マロ眉をしえみに任せて、厨房を出た。すると丁度、帰ってきた雪男と出くわして。
「あ、雪男!」
「ただいま、兄さん」
雪男は少し疲れた顔をしていた。両手には紙袋が握られていて、中には大量のラッピングされた箱があった。全部、チョコレートだろう。それにしてもすごい量だ。俺がそれをガン見していると、雪男が不思議そうに首を傾げた。
「兄さん?」
「へ?な、何?」
「や、何だかぼーっとしているみたいだったから、どうしたのかな、と思って。それに、何だか甘い匂いがするね」
くん、と鼻を利かせた雪男に、そうだった、としえみたちのことを思い出す。
「ゆ、雪男!とりあえず、しばらく厨房には立ち入り禁止だからな!」
「何で?」
「何でって……。と、とにかく男子は立ち入り禁止!」
「兄さんも男でしょ。……まぁ、別にいいけどね」
僕は部屋にいるから、と雪男は特に気にした様子もなく俺たちの部屋へと向かった。その背中を見送りながら、ふぅ、と一つ息を吐く。
……―――あんなにチョコを貰ってたら、ほんとに俺のなんていらねぇだろうなぁ。
なんて、ちょっと虚しく思いながら。
そして、何やかやとありながらも、しえみとマロ眉はチョコを完成させた。後は、冷蔵庫で冷やすだけ。
二人はへろへろと椅子に座り込んだ。相当疲れているようで、俺は小さく笑った。
「よし!ちょっと休憩しようか。俺の作ったチョコがあるけど、喰うか?」
「……おいしそうだけど、今はいい、かな……?」
「当分は、チョコレートは見なくて良さそうね」
ぐったりとする二人に、だろうな、と思う。あれだけ一生懸命チョコと向き合っていたら、当分は見たくもないだろう。
「ま、だろうな。他にクッキーも作ったから、そっちを喰おうぜ」
「アンタ、合間に何をしてるかと思ったら、そんなことしてたの?」
信じられない、とばかりに拗ねるマロ眉に、何で怒ってんだ?と首を傾げる。でも、焼けたクッキーを美味しそうに食べてくれたから、あまり気にしないことにした。
「燐。ほんとうにお料理上手だね。雪ちゃんが羨ましいな」
「え?なんで雪男?」
「だって、こんな美味しい料理、いつも雪ちゃんは食べてるんでしょ?羨ましいよ」
「あー……まぁ、そう、かな……?」
雪男も少しは、嬉しい、とか、思ってくれてるのかな。
そうだといいな。俺が役に立てそうなのって、今のところ料理だけだから。
俺が頬を掻きながら自信なさげにしていると、しえみはうんうん!と満面の笑みで頷いた。
「もちろん!雪ちゃんだって、絶対そう思ってるよ」
「……うん。ありがとな、しえみ」
今日、一人でチョコ作りをしなくて良かった。一人だったらきっと、暗いほうへ考えてしまいそうだから。
俺がお礼を言えば、しえみは嬉しそうに笑っていた。
そうして、二人のチョコが完成した。完成したチョコを綺麗な箱にラッピングして、これから皆に渡しに行くようだ。志摩のやつ、きっと喜ぶだろうな、なんてあれだけ期待していたクラスメイトを思い出して、小さく笑う。
すると二人はできたチョコの箱の中から、一つ取り出して、ずいっと俺の前に差し出した。
「え?」
「はい、燐の分!」
「教えてくれたお礼も入ってるんだから、ちゃんと味わって食べなさいよね」
「……お前ら……」
小さな可愛い箱が二つ。俺はそれを見下ろして、ぐっと言葉を飲み込んだ。
バレンタインなんて、今まで誰からも貰ったことはなかった。だって、アレは、相手が居て初めて成立するものだから。
生憎修道院はみんな男だったし、小・中、と女子からは遠巻きにしか見られなかったから、こんなものを貰ったのは、実は、初めてのことで。
「……―――あぁ、ありがとな、二人とも」
大事そうに箱を受け取る。小さなそれは、なんだかとても暖かかった。
あぁ、もしかしたら。
あんな風に女の子たちに囲まれていた雪男も、貰ったときはこんな風に思ってるのかな。
そんなことを考えて、嫉妬していた自分が何だか馬鹿みたいだった。
二人を見送って、厨房に戻る。すると雪男が待っていて、俺が戻って来たのを見て小さく笑っていた。
「二人とも、帰った?」
「あぁ、今さっき。………ごめんな、立ち入り禁止なんて言って」
「いいよ、別に。僕は厨房には用はないし、それに、兄さんたちの邪魔をしちゃ悪いと思ったしね」
「………―――」
どうしよう。
今、渡すべき?
でも、雪男はあんなにたくさんのチョコを貰ってて、正直、俺のなんていらないんじゃないのか。
ぐるぐると思い悩んでいると、兄さん、と雪男が俺を呼んで。何だ?と顔をあげれば、はい、と手のひらに四角い箱が渡された。
「雪男、コレって………」
「約束したでしょ?バレンタインにはチョコレートあげるって」
「で、でもこれ………買うの、大変だったんじゃねーの?」
俺はチョコ売場の惨状を思い出して、眉根を寄せる。あんな女子だけの世界に、雪男は入っていったのだろうか?
信じられない、と言えば、苦笑が返ってきた。
「まぁ、確かにちょっと目立っちゃったけど。……人の少ない売場に行ったし、それに、最近じゃ男性から女性に送る人もいるみたいだよ」
「え、そ、そうなのか?」
バレンタイン=バレンタイン司教の死んだ日=恋人たちの聖戦という図式が咄嗟に浮かぶ。女子から男子にやるのが普通だって思ってたから、雪男の言葉にとても驚いた。
「うん。本当は、花を贈るんだけどね。兄さんには、食べ物の方がいいかなって」
「……どういう意味だよ、それ」
ムッとしつつも、嬉しさに緩む口もとを必死に堪えた。なんだか、居た堪れない。顔が上げられなくてじっと俯いていると、兄さん、と雪男が俺を呼びながら、箱を持つ手を箱ごとぎゅっと握り締めてきて。
「兄さん、受け取ってくれる?しえみさんや神木さんから貰ったチョコのほうが、いい?」
「………―――」
雪男の声が、少し震えていた。俺の手を握り締める手が、ちょっと緊張しているように見えて、あれ、と思う。
もしかして、雪男も。
俺と同じように、考えてた……―――?
ハッと顔を上げれば、珍しく顔を赤くした雪男がいて。その眼鏡の奥の瞳が緊張したように揺れているのを見て、俺も何だか、頭に血が上ってしまって。
「…………―――貰うに決まってんだろ」
ぼそり、と呟く。すると、ホッとしたように力を抜いた雪男が、うん、なんて嬉しそうに返事をするから。俺はやっぱり顔を上げられずに、俯いたままだった。
「ゆ、雪男……は」
「うん」
「いっぱい色んなヤツからチョコとか貰ってて、可愛い子とかから告白されたりとか、してるかもしれない、から」
「?うん」
「正直、兄貴が作ったのなんて………いらねぇだろ?」
「!そんなことないよ。どうして、そんなこと言うの」
「だ、だって、志摩が……」
バレンタインは聖戦だって言うから、と呟けば、雪男は口を閉じてしまった。あ、やっぱり俺からのなんて迷惑なのかな、とちょっと凹んでいると、がしっと肩を捕まれた。なにやら真剣な顔をしてこちらを覗きこんでくる弟に、少し圧倒されてしまう。
「あのね、兄さん。よく聞いて」
「え、あ、うん」
「僕は、兄さんからチョコを貰ったら嬉しいよ。だって、兄さんが僕のために作ってくれたものなんでしょ?だったら、僕がそれを迷惑に思うはずがないよ」
「そ、そうなのか?」
「うん。兄さんは馬鹿なくせに、どうしてそんなとこには気を使っちゃうかな」
「一言余計だ一言!」
はぁ、とため息を吐かれて、ムッと唇を尖らせる。そしたら雪男は、そうそう、とにっこりと笑って。
「兄さんはそのくらい元気がなくちゃ。僕が困るよ」
「……なんでお前が困るんだよ」
「ん?………―――、秘密」
「な!?なんで秘密なんだよ!教えろよ!」
「じゃあ、僕にチョコくれる?」
「………ッ!やるよ!やればいいんだろ!」
待ってろ!と叫びながら、俺は厨房の冷蔵庫に走る。その背中を、雪男が目を細めて見つめていたことなんて、気づきもせずに。
「ほんと……―――兄さんは単純なんだから」
クス、と小さく笑って、Happy Valentineと雪男は呟いた。
正直に言おう。僕は、バレンタインを非常に楽しみにしていた。何故なら、兄さんが僕にチョコをくれるからだ。たったそれだけだけど、くれるって約束したその日から、密かに楽しみにしていたのだ。任務で一緒になったシュラさんからは「機嫌がいいにゃあ」なんてからかわれたけれど。まぁ、人の少ない穴場のチョコレート売場を教えてくれたのはシュラさんなのだ。彼女は何もかもお見通しかもしれないが。
まぁとにかく、僕はこの日を指折り数えて待っていたのだ。
だが、どうやら兄さんはまたあのピンク頭に余計な知識を植え付けられたらしく、一人で空回っていたらしい。余計なことにならないようにって、前から「バレンタインはローマの司教が死んだ日だよ」って教えていたのに。本当、あの男は兄さんにいらぬことを吹き込んでくれる。
だって志摩が、と兄さんが言った瞬間、僕は密かにホルスターに入れた拳銃を心の中で抜いていたのは言うまでもない。まぁ、その抜いた銃をどうするかなんて、決まっているけれど。
頭の足りない兄さんは、バレンタイン=バレンタイン司教が死んだ日=恋人たちの聖戦、なんていう図式ができあがったはずだ。去年のクリスマスが良い例だ。
だから、チョコを貰ってきた僕を見て、自分のはいらないんじゃ?なんて思ったに違いない。そんなの、見当違いもいいところだ。
たとえ可愛い女の子からチョコを貰おうとも。
どれだけ沢山の想いが込められたものを贈られようと。
僕が一番嬉しいのは、たった一人から貰った、たった一つのものだけなのに。
「………―――兄さん」
僕が女の子たちに囲まれているとき、しえみさんたちと一緒にいる兄さんを見かけた。三人とも楽しそうで、僕はついヤキモキしてしまった。もしかしたら、しえみさんや神木さんからチョコを貰ったのだろうか、と。
兄さんのことだから、きっととても喜ぶ。僕も、嬉しそうな兄さんを見るのは好きだけど、それが女の子から貰ったチョコだっていうのは、ちょっと複雑だ。
でも、それでも。
兄さんは、僕のためにちゃんと用意してくれていたから、よしとしよう。
「……ありがと、兄さん」
僕は、兄さんから貰ったチョコを口に含む。僕の好みを分かっている兄さんが作ってくれたそれは、甘さ控えめのはずなのに、何だかとても、甘かった。
Happy Valentine!
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