「奥村燐君は、いますか」
「……―――、来ると思っていたぞ」
突然やって来た俺を、男は静かな目で迎え入れた。そうして目だけで、入れ、と促した。俺はそれに従いながら、さて目の前の男はどこまで知っているのかと疑問に思った。
俺が、あの人を監視していたのを、この男は知っていた。知っていて、そ知らぬふりをしていた。何故かは分からない。どうして俺を、放置していたのか。そして今もなお、今まで結界を張っていたこの場所に、俺を入れたのか。
「なぜ、俺が来ると思ったんですか」
「なんとなく、かな。深い意味はないさ。ただ……―――、お前はいつか、アイツにとって必要な存在になると、俺が勝手に思っていただけの話だ」
「……―――」
彼にとって、必要な存在。
それはあまりにも、甘美な言葉だった。だがその誘惑を抑えて、俺はただ、そうですか、とだけ返した。すると男は意外そうな顔をしたあとに、なるほど、とニヤリと笑った。
「お前、「青い夜の子」だろう?」
「ッ……!」
いきなり確信を突かれて息を呑むと、男は飄々とした態度で、ひらひらと手を振った。
「あぁ、別に俺は騎士団にお前たちのことは報告していないぜ?俺も色々と事情ってヤツを抱えているもんでね。元々、燐や雪男の存在は騎士団には伏せているしな」
「そう、なんですか」
「そうそう。……それで?「青い夜の子」の長男が、いったい燐に何の用だ?」
す、と目を細めた男は、どこか挑発するように俺を見た。俺は真っ直ぐにその瞳を見返して、きっぱりと言い放った。
「俺は、兄弟たちを守る義務があります。その為に、貴方も知っている通り、あの人を監視していました。もし炎の予兆があれば、殺すつもりでした。……ですが……―――俺は、あの人を殺したくないと思いました。あの人なら、俺たちのことを分かってくれると。だから……」
「……燐に、「青い夜の子」のことを話す、か?」
「……―――はい」
男はじっと俺を見つめたあと、ふぅ、と一つ息を吐いた。どこか虚空を見つめて、何かに思いを馳せているように思えた。そして再び俺を見返すその瞳は、何を考えているのか分からない光が宿っていた。
「正直に言おう。俺はお前の意見には反対だ」
「……何故」
「燐は、悪魔やら青焔魔やら、そんなものとは無縁の世界にいる。少なくとも、今はな。だから、お前たちのことを話すのは、まだ早いと思うんだ。それに………俺は、アイツは普通の人間として、生きていて欲しい」
「……―――ッ、それは……!」
ギリ、と奥歯を噛み締める。
この男は、何を言っているのだろう。彼が普通の人間として生きていくことなどできないと、理解しているはずなのに。どうして、彼に一番辛い道を進ませようとするのか。
「貴方は自分勝手だ。自分の意見を押し付けて、あの人に一番辛いほうへ進ませようとしている」
「それは分かってるさ。だけど、それが俺の願いだ」
何を血迷ったことを、と。
愚かだ、と。そう口にしようとして、しかし、できなかった。
男の横顔は、とても真摯だったからだ。そして俺は理解する。この男は全てを分かったうえで、そう願っているのだと。
「………しかし、それでもしあの人が覚醒したら、どうするつもりなのです?あの青い炎からは逃げられない。絶対に。そして、覚醒したあの人を青焔魔は絶対に逃さない。それだけじゃない、あの人の力は、色んなものを引き寄せる。……それが分かっていて、何故……!」
「だから、お前のことを黙っていたんだ」
男は、静かな声で言い放った。迷いもなく、ただ、真っ直ぐに。
「俺は物質界最強の祓魔師だなんだと言われちゃいるが、全能じゃあない。いつか、死ぬときが来るだろう。それがいつになるのかは分からないが、まともな死に方ができるなんて思っていないさ。だからお前や、お前たち兄弟のことを教団に黙っていたんだ。お前たちが、アイツと一番近い場所にいる。アイツを本当の意味で守っていけるのは、お前たちだけだと俺は思ってるんだ」
「……そ、れは………―――」
俺は、言葉に詰まった。
男の話したことは、俺にとっても願ってもみないことだった。「青い夜の子」たちとあの人が和解すれば、きっとお互いにとっても良いだろうと、そう思っていたからだ。
だが、実際は違う。「青い夜の子」たちは、青焔魔を憎み、そして、その息子であるあの人もその対象になってしまっている。
そう男に告げると、しかし男は目元を緩めて笑った。
「だが、お前はアイツを分かってくれてるじゃねぇか」
「!」
「だから、確信したんだ。「
「………―――」
俺自身が証明した、と男は言う。
そんなこと、考え付きもしなかった。だが思えば俺も、最初は彼を憎んでいたはずで。
この手で殺してやりたいと、確かに思っていた。それなのに今では、守りたい、だなんて思っている。
「悪いほうへと考えることは簡単だ。だけど、その中でも笑っていられるように考えることだって、実は簡単なことなんだよ。分かったか?若造」
「……俺はもう若くはないです」
ニッと歯を見せて笑う男に、俺は俯いた。
もし。もしも。
俺たちの近くに、この男のような人間がいてくれたら。
きっと俺たちは、あの人のように笑って生きていけたのかもしれない。
そんな、どうしようもないことを、少しだけ思った。
すると男は、俯いたままの俺に向かって、ところで、と話を変えた。
「ものは相談なんだが、」
「?」
なんだ?と顔を上げれば、男の悪戯っぽい輝きを持つ瞳と、目が合って。
そして。
「と、いうわけで。訳あって今日から一緒にここで暮らすことになった、
「よ、よろしくお願い、します………」
俺がしどろもどろになりつつ挨拶をすれば、パチパチと拍手が起こった。そして、驚いた顔をしてこちらを見る彼と、目が合った。そして俺に近づいてきた彼は、俺を見上げて目を輝かせていた。
「兄ちゃん、司教見習いだったのか?」
「え、あ、そ、そうです………」
「そうなんだ!あ、俺は奥村燐!よろしくな!」
「あ、はい……、よろしく、お願い、します」
無邪気に笑いかけてくる彼に、俺は上手く笑い返せているかどうか分からないけれど。
彼の傍にいることで、何かが変わるのなら。俺はその未来を、信じたい。
兄弟たちも、彼も。
俺が守ってみせる。
絶対に。
そして、それから月日は流れた。
彼は成長とともに、その青い炎の気配をますます強めていった。このままでは、確実に彼は悪魔として覚醒してしまうだろう。何かあるたび、何度そのことで藤本と対立しただろう。焔の力がすでに外に漏れ始め、一部の悪魔どもの噂になっていると聞いた。それが青焔魔の耳に入るもの時間の問題だ、と。
だが、それでも藤本は諦めなかった。あの人を人間として育てていくのだと、何も心配することはねぇよと笑っていた。それが彼の強がりでもなんでもなく、心の底から、そう思っているのだと、俺は短くはない付き合いで分かっていた。
俺がこの教会に来て、早、二年。色々なことがあった。力の加減を分からず勢いで物を壊して、学校から呼び出された。その時はちょうど藤本は祓魔師の仕事で教会におらず、俺が彼を迎えに行った。進路指導室に入ると、渋面を作った男の教員とぶすりとしたあの人がいて。
教員は、困りますね。学校の備品を壊してもらっちゃあ。と文句を垂れた。それからあの人の授業態度がなっていないだの、誰それと喧嘩しただの、本人を前に堂々とあの人の素行の悪さを詰った。
彼はその間、じっと口元をつぐんだままだった。違うとも、そうだ、とも言わずに。俺はその姿に、ぎゅっと胸が痛んだ。そしてそんな彼を無視して汚く罵る教師を、心の底から汚いと思った。
これだから人間は、と。
俺たち「青い夜の子」は悪魔を嫌っているが、同時に人間も憎んでいる。それは心の奥底に根付いていて、ふとした瞬間に這い上がってくる。今がまさに、その時だった。
何も知らないくせに。
俺たちのことを何も知らないくせに。
俺たちを汚いと罵るお前らが、一番、汚い。
もやもやとした心のまま、しかし俺は彼のために言葉を飲み込んだ。ここで俺が彼を擁護すれば、更に彼への非難が集中するのは目に見えていたし、自らの体験から学んでいた。
ここはひたすら、耐えるのみ。俺が唇を噛み締めた、その時。
「ほら、お前もせっかく迎えに来てくださったんだから、謝ったらどうだ!」
男はそう言って、彼の頭を掴むと、強引に頭を下げさせた。よろめく体。今まで一度も動かなかった彼の青い瞳が、ゆらり、と揺らいで。
ぷつん、と、俺の中の何かが、切れた。
そして同時に、拳をその男へと突き出していて……―――。
ドゴォ!とコンクリートの壁が壊れる音と、俺の顔を見上げて、恐怖のあまり固まっている男を見下ろして。
「彼は、何も悪いことなどしていませんよ。ただちょっと、力が強いだけなんです」
俺と同じなんです、と笑えば、男は額に汗を滲ませて、しかし負けてたまるかと言いたげに、弁償はきちんとしていただきますからね!と吼えた。勿論、と頷いてから、ぽかん、と呆気にとられている彼を見て、小さく笑って見せた。
その日の帰り道。
学校を出てからずっと、あの人は黙り込んだままだった。こういう問題があったとき、いつも迎えに行っていたのが藤本だったから、俺が来て戸惑っているのだろうか。それとも、気まずい重いでもしているかもしれない。
そんな年相応の態度を見せる彼を、俺は内心微笑ましく思った。そして同時に、心の奥底から清々しさを覚えた。
俺は自分の力が、ずっと憎らしかった。なくなればいいと思っていた。
だけど……、この力で、誰かを、この人を、守れるのだと思った。
この人を守れる力なら、いくらあっても足りないくらいだ。俺がそんな風に考えていると、彼はいきなり立ち止まった。じっと俯いたまま、地面を睨みつけている。
どうしたんだろう。俺が振り返ると、彼は、ぐっと手のひらを握り締めて。
「……―――、ごめん」
ぽつり、とそう、呟いた。
その瞬間、俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。そして同時に、何を自惚れていたのだと、自分を盛大に罵った。
彼はずっと、自分を責めていた。
俺が学校に呼び出されたことも、責められることも。そして何より、自分のために俺が力を振るったことに。
俺は、愕然とした。
この人を、守れる力が欲しいと思った。だけどその力は同時に、この人をも傷つける。俺のせいで、と思わせてしまう。
俺は何がなんだか分からない感情が込み上げてきて、とにかく胸が苦しくて仕方なかった。
固く胸元を押さえたまま黙り込む俺に、彼はただただ瞳を伏せて。
「ごめんな、夜羽」
ひたすらに、謝っていた。
そうして、落ち込んでしまった俺たちが戻ると、学校からの連絡があったのだろう、怒り心頭の藤本に、二人して怒られた。お前ら、貧乏舐めんなよ!しばらく二人は夕飯抜きだかんな!と。
だけど彼は、物を壊したことには怒っても、それ以外のことは何一つ口にしなかった。あの教師のことだ、色々と話したに違いないのに。
敵わない、と思う。敵わないと思うこと自体、同じ土俵に上れていない証拠だ。
俺はもう二度と同じ過ちを繰り返したりしないと、誓った。むやみに力を使って、あの人を困らせる真似は止めようと。
そんな、苦い記憶もあったり。
だけど思い返せば愛おしい、大切な思い出だ。
このままずっと、なんて、続かないことは分かっていた。
だが、「その日」が訪れたのはあまりにも唐突で。きっと誰もが予想だにしていなかったに違いない。
藤本獅郎が、青焔魔に憑依され、死亡した。
その事実はあっという間に広がった。そしてそれによって、あの人の存在が騎士団に知られてしまった。だが、騎士団の中には藤本の息がかかった協力者がいるらしく、彼はその者の保護下に置かれることになるらしい。
あまりにも唐突で、あまりにも呆気ない、最強と謳われた男の死。それは深く、俺の心に刻まれた。
あの男でさえ、あの人は守れなかった。信じられなかった。あの男をもってしても、青焔魔には届かないのか、と。
そして恐るべきことに、真実を知ったあの人は、祓魔師になると言いはじめた。藤本を殺した青焔魔を、殴る、と。殺すではなく殴ると言ったのは、彼らしいといえばらしいけれど。しかし俺には、その言葉がどれほど困難で、険しい道なのかを理解していた。
止めようと思えば、止めることだってできた。
だけど、俺の口から否定の言葉はでなかった。
あがけ、と藤本は言った。
あがいていれば、いつか、と。
そしてその言葉通り、彼は自分の運命からも、あがこうとしている。
だとしたら、どうして俺が、止められるだろう。
教会からあの人が去る朝、俺はこっそり窓から外をうかがった。本当は一緒に学園に行きたかったけれど、夜羽は存在しない人間だ。それに、俺自身に戸籍は存在しない。学園に入学など、dけるわけもなく。
また、影からあの人を見守ることになるだろう。だが、それでもいい。これから茨の道を行く、彼の道のりの棘を、少しでも除くことができれば……―――。
そう思いつつ、彼が立ち去る瞬間まで見送ろうとした俺は、彼の目の前に止まった車を見て、どくん、と心臓が大きく音を立てた。
じわり、と汗が滲む。嫌な気配。嫌な匂い。間違いない、これは。
車から降りてきたその人物を見て、俺の緊張は最骨頂に達した。何故だ。何故、あの男がここに。
「……―――っ、メフィスト・フェレス………」
原初の記憶にあるその名を呼べば、その男がちらりとこちらを見やった。目が、合う。とっさに声を上げそうになった俺を、この距離からでも見えているのか、彼は楽しそうに目を細めて。
話があります。
そう唇だけで俺に伝えると、彼を伴って車の中へと消えて行った。
車が去ってもなお、俺はその場から動けずに。ただただ、嫌な汗が張り付く不快感に、じっと、耐えていた。
つづく
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