誕生日の特権

七月四日、天気は曇り。どんよりとした雲が空を覆い、湿気を含んだ空気がじっとりと肌に纏わり付く。
鬱陶しいなぁ、と思いつつ、俺は塾の窓から空を見上げた。降り出しそうでいて、降り出しそうに無い中途半端な天気。俺はゆっくりと目を閉じて、水分を含んだ空気を吸い込んだ。

「どうしたんだ?志摩」

俺の後ろで、奥村君が不思議そうな声を上げた。俺は苦笑しつつ振り返る。誰も居ない教室に、奥村君は一人でノートを広げてこちらを見つめていた。俺はその猫のような吊り目を見返して、なんでもないよ、と笑って答えた。
すると奥村君は真っ直ぐな目でこちらを見返して、嘘だな、と言う。その真っ直ぐ過ぎる反応に、俺は困ったように笑うしかない。

奥村君は、いつも無邪気だ。笑ったり、怒ったり、とにかく感情の起伏が激しい。まるで何も知らない幼稚園児のようで、俺は見ていて微笑ましくなったり、ハラハラしたりする。
だけど、その反面、他人の感情には酷く敏感だ。ほんの少しでもイライラしていたら、付き合いの長い坊や子猫丸はともかく、奥村君はまず近寄ってこない。逆に落ち込んだり、悲しいことがあったりしていると、何となく傍に来て笑ってくれる。

たとえば、今だってそう。

塾が終わって、いつもなら坊や子猫丸と帰るのに、一人教室に残った俺をどう思ったのか、奥村君は自分の席から立とうとはせずに、じっとノートをにらめっこしていた。
俺が、帰らないのかと尋ねたら、雪男を待ってるんだよ、と即座に返ってきて。そこから会話もなく、静かな教室で二人、俺は窓の外を眺めて、奥村君はノートに目線を落としていた。
他人が傍にいるのに、沈黙が苦じゃない。それはある意味、すごいことだと思う。そしてそれができるのは、奥村君の出す雰囲気がそうさせるのだろう。

まいったな、と俺は頭をかいて、じっとこちらを見つめる青い瞳に、少し照れくさくなりながら。

「あー、その、実は今日俺、誕生日なんよ」
「へ?」

俺がカミングアウトすれば、奥村君はきょとん、とした顔をした。誕生日?と聞き返す奥村君に一つ頷いて。

「そ、HAPPY Birthday to me なんよ、俺」
「ほんとに?ほんとお前、今日が誕生日なのか?」
「嘘ついてどうするんや。正真正銘、今日は志摩廉造の誕生日」

にっこりと笑ってそう言えば、奥村君はパッと表情を輝かせて、おめでとう!と満面の笑顔を浮かべた。俺がありがと、と素直に返せば、奥村君は次の瞬間には眉根を寄せていて。
本当、よく変わる表情やな、と感心する。

「でも、それならこんなとこに居ていいのかよ?誕生日なら、普通、誕生日会とかするもんじゃねーの?」
「誕生日会って……そんな小学生やないんだから。普通は高校生男子の誕生日会なんてせぇへんよ?」
「へ?そうなのか?」
「そうそう。まぁ、毎年坊や子猫丸とか、家族からはプレゼント貰ってるけどな」

誕生日会はしないな、と俺がそういうと、奥村君はそっか、と納得していた。だけど表情の半分は少し納得していないみたいで、分かりやすいな、と思う。
俺は微笑ましく思いながら、それなら、と話を振る。

「奥村君は、誕生日会するん?」
「あ?あぁ、まぁな。この学園に入学する前は、してたなぁ。皆でさ、折り紙でわっかとか作って、飾りつけしてさ。んで、ジジイが作ったぶっさいくなケーキを食べて腹壊したりしたこともあったっけな」

思い返すように目を細めて話す奥村君は、とても幸せそうなのに、泣き出しそうな顔をしていた。俺はその横顔に、普段は影を潜めている奥村君の感情の底を見た気がして。だけど深くは追求せずに、そっか、とだけ返した。

「そういえば、奥村君は誕生日は何時なん?」
「十二月二十七日だよ。雪男も一緒」
「あ、そうやな。奥村君と先生は双子やもんな」

俺が頷くと、奥村君はちょっと唇を尖らせて、でもな、と言う。

「雪男のやつ、今年は俺にケーキを作れっていうんだぜ?買うのがもったいないからって。でも自分の誕生日に自分のケーキを作るなんて、変だよな?」
「あはは、まぁ、そうやな」

俺は笑いながら、きっと先生は奥村君の手作りケーキが食べたいんやろな、と思った。そんな複雑な男心を分かってないなんて、奥村君はそういったことにはとんと鈍いみたいだ。
だってそうだろう?もし鈍くなければ、俺と教室で二人っきりになんて、きっとなろうとは思わないだろうから。

だろ?と拗ねたような顔をする奥村君。まるで子供のように無邪気で、それでいて時々びっくりするくらい大人びた顔をする、この青い瞳の同級生に、俺は最近気づいたことだけれど、恋をしている。
俺、女の子が大好きやったんやけどな、と思い返したこともあったけれど、今ではこの感情を素直に認めているし、自分に素直に行動している。

俺はそうやなー、と返事をしながら、ゆっくりと奥村君に近づく。奥村君は近づいてくる俺に何の警戒もしていなくて。俺は内心で苦笑しながら、奥村君、と彼を呼ぶ。奥村君は俺を見上げて、首を傾げた。

「?何だ?」
「俺、今日誕生日やから、プレゼント欲しいなぁ、と」
「え?でも俺、何も用意してねぇよ?」
「せやから……」

これで、ええよ?

俺はそう言って、無防備なその顔に、その唇に、ちゅ、と軽く自分の唇を寄せた。
一瞬だけ触れたねつ。俺はそれに満足して、そっと奥村君から離れた。

「へ?」

呆気にとられる奥村君。何が起きたのか理解していない様子だったので、俺は、プレゼントありがとな、と笑う。すると奥村君は、バッと自分の唇に手をやって、顔を真っ赤にした。その初心な反応に俺はひどく満足して。

「な、ななななな……!」
「じゃあ、俺は帰るわ」

混乱したままの奥村君を置いて、俺はそのまま教室を後にした。俺が教室を出て行った後も、俺のことを思い出してワタワタと慌てたり、困ったりしていればいい、と思いながら、フッと口元を吊り上げて笑った。教室の扉を閉めて、廊下を右へ一歩二歩を足を進めて、ぴたりを歩みを止める。

「……覗きはいかんと違います?奥村先生」

俺の背後で奥村先生が表情を固くしているのが、振り返らなくても分かった。今にも腰に下げている銃に手をやりそうな雰囲気が、ヒシヒシと伝わってくる。だけど、きっと撃てやしない。俺はそれが分かっていて、多分そのことを先生自身も理解しているだろう。

全く、この兄弟は似ているんだか似ていないんだか。

いつも冷静沈着、めったなことではその表情を崩さない先生だが、双子の兄のことになると一変する。奥村君のことになると、途端に短気になる。それは良い方にも悪い方にも作用していて、その短気は兄自身に向けられることもある。それゆえに奥村君がちょっと落ち込んだり、怒ったりしているのを、俺は何度も見てきた。
そしてそれを、歯痒く思っている先生がいることも、また。

俺は笑みを深める。そして、沈黙したままの先生に向かって。

「聞いとったんなら、分かりますやろ?俺、今日は誕生日ですから、これくらいの特権使わしてもろても罰は当たらんと思いますけど」
「……、そうですね。今日は貴方の誕生日に免じて、今は何も見なかったことにしましょう」

先生は、ただ淡々とした口調でそう言った。それは同時に、早くここから立ち去れ、と言われたも同然で。俺は軽く手を振って、その場を後にした。この後先生が奥村君に対してどんなことを言うのかを、ほんの少しだけ想像しながら。

負ける確立は高いけれど、でも、そんなのやってみな分からんやろ。

いつになくポジティブな自分の思考回路に、そっと自分の唇に手をやって小さく笑った。



次の日。
塾に向かうと、俺の机の上には大量の参考書が置いてあって。俺が顔を引きつらせていると、奥村先生が爽やかな笑みを浮かべて。

「志摩君、昨日は誕生日だったそうじゃないですか。だから、僕からのささやかなプレゼントです」

受け取って、くれますよね?
笑顔の裏側の真っ黒な何かを感じ取って、俺は何度も頷いた。

「志摩、お前先生に何かやったんか?」

がっくりとうな垂れて机の上の参考書を眺めていると、坊が憐れそうな顔でそう尋ねてきた。俺はそれにきょとんとしたものの、ちらりと奥村君の背中を見つめて。

「そうやなぁ。誕生日プレゼントを奪ったって、ところやろか」
「はぁ?」

俺の答えに坊はしきりに首を傾げていたけれど、俺は自分の答えに満足して、目の前の参考書に手を伸ばした。



HAPPY BIRTHDAY SHIMA!





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