APOCALYPSE 後




「雪男、俺、明日からお前と一緒に学校に行かないから」

その日、祓魔師として任務をこなして帰ってきたときのこと。兄さんはどこか思いつめた表情で、僕に向かってそう言った。僕は疲れた体に鞭を打って帰ってきたのに、いきなりそんなことを言われて、一瞬、思考を停止させた。だけどすぐにイライラして、何で?と聞いてみたが、何でもいいだろ!と言って、理由を話してはくれなかった。
僕はその時とても疲れていて、兄さんの言葉に納得はできなかったけれど、とにかく一旦落ち着こうと思って、分かったよ、と頷いた。その時兄さんは寂しそうな、それでいて安心したような顔をしたから、僕は余計に理由が気になった。

そして本当にその日以来、兄さんは僕と登下校をしなくなった。朝は僕よりも早く出るし、帰りは僕には祓魔師の任務があるときが多いから、一緒に帰ることもなくて。
それ以上に、学校での兄さんは、どこか僕を避けている節があった。何となく目が合ってもそらされるし、廊下ですれ違っても声をかけてくれなくなった。
僕はその小さな異変に、イライラしつつも安心していた。距離を置こうとする兄さんを引き止めようとしないのは、ひとえに僕が兄さんに対して隠し事をしているからだ。

僕は兄さんを守るために、祓魔師になった。サタンの息子であり、その青い炎を受け継ぐ兄さんを、誰からも守るために。
だけど、兄さんはそのことを知らない。それどころか、自分がサタンの息子であることすら、知らずにいる。
どうせなら、このまま一生知らなくてもいい。僕はそう思う。
自分が本当は人間じゃないなんて知ったら、きっと兄さんは苦しむだろう。それだったら、いっそのこと知らずにいるほうが、ずっといい。
そして、そんな兄さんを守るのが、僕の役目。それは幼い頃からずっと心に誓ってきたことで、これからもずっと変わらない誓いだ。

だけどその為に隠していることも多くて。僕は後ろめたさから、兄さんと距離を置くことを歓迎した。

そんなことがあった、ある日。兄さんのクラスとの合同体育の授業があった。僕は目だけで兄さんを探したけれど、どこにも姿が見当たらなくて、どこかでサボっているのかな、と思った。兄さんのことだから、きっと僕と顔が合わせづらくて休んだんだろうと当たりを付けて、クラスメイトと会話していた。
体育はサッカーで、僕は軽くグラウンド内を走りながら、ふと視線を感じて顔を上げた。すると、兄さんが屋上からこちらを見ていて、あんな所にいたんだ、と思った。そして、僕たちのことを見下ろしながら、どこか嬉しそうに小さく笑って、どきり、とする。
そんな顔、するんだ、と。
嬉しいという感情を隠しもしないその笑みに、心臓を高鳴らせていた僕は、次の瞬間、違う意味で心臓を跳ねさせた。

……兄さんのほかに、誰かいる。

僕の心は、ざわりと騒いだ。兄さんよりも身長の高いその男子生徒は、じっと兄さんを見下ろした後、顔を背けた兄さんの腕を取って。
ぐ、とその腕の中に抱き込んだ。僕はその瞬間、無意識のうちに腰に手をやって、ハッと我に返る。僕は今体育の授業中で、いつも身に付けている愛銃は持っていないのだと。そう思い出して、苦々しく思う。目の前には、兄さんを抱きしめる男がいて、その腕をとにかく外したいと思っていると、男は兄さんの頬に手を伸ばした。

「……ッ!」

やめろ、と叫びかけて唇を噛む。今このグラウンド内で叫ぶわけにはいかない。そんなことしたら、色々と面倒なことになる。僕は理性で自分を抑え付けた。それでも、ゆっくりと兄さんに顔を近づける男を、僕は本気で撃ち殺したくなった。
だけど、兄さんは我に返ったように男を突き放して。僕は力んでいた肩の力を抜いた。それから二人は何やら話をしていたようだけど、先ほどのようなことにはならなくて、僕は気になりながらも飛んできたボールを追いかけた。



しかし、僕が安心していられたのも、その時までだった。気が付けばあの男は兄さんと登下校を共にしているようで、兄さんもあんなことをされかかったのに、無邪気に男に向かって笑いかけている。
僕は二人で帰るその背中を見つめながら、ぐっと手のひらを握り締める。ほんの少し前まで、兄さんの隣は僕の場所だった。だけど今は、僕以外の男がその場所に居座っている。
まるで居場所を取られたような、そんな不快感が込み上げる。僕がギリギリと奥歯を食いしばって二人を見つめていると、ふいに男が振り返って。
に、と笑った。完全に、僕を意識して。
その瞬間、ゾワリと慣れた感覚が体をよぎって、絶句した。

あの男、悪魔にとり憑かれている!?

僕は騒ぐ胸を押さえながら、とにかくこのことを神父さんに知らせようと、携帯を手に取った。
連絡を受けた神父さんは神妙な声で、今日は早く帰るように、と言った。僕はそれに返事を返して、兄さんよりも早く家に着くために、走り出した。

急いで帰宅したせいか、兄さんはまだ帰ってきていないみたいだった。僕はとりあえず神父さんに報告して、至急、その男にとり憑いた悪魔を祓う準備を整えた。
いつものように、銃に弾丸を詰める。それだけのことだったけれど、僕はこの瞬間を大事にしていた。
兄さんは、僕が守る。
その決意をいつも胸に秘めている僕の決意を、銃に込めるために。



僕がそんな風に準備をしていると、兄さんが帰ってきた。僕の知らないうちに悪魔に気に入られた兄さんを、僕はほんの少しだけ怒っていた。まぁ、何も知らない兄さんからしてみれば理不尽かもしれないけれど。そんな思いで出迎えると、敏感に僕の雰囲気を察したのか。不機嫌そうだな、と聞いてきた。僕はそれにイライラしつつ、いつも帰ってきているあの男の素性を聞いた。兄さんはただの友達だと返したけれど、いい奴なんだよ、の言葉に僕は機嫌がさらに急降下した。

なんだよ、なんで兄さんはいつもそうなんだ。少し優しくされただけで、いい奴なんて言って。そんなんだから、僕は気が気じゃないんだよ。

僕がイライラしていると、兄さんは首を傾げていたけれど、何かを悟ったような顔をして。

「あのさ、まさかと思うけど。お前、俺が夜羽と一緒に帰ったりしてるから、妬いてんの……?」
「……」

僕はその言葉に、少しだけ頭を抱えた。まぁ、正直に言えば遠からずなその言葉だったんだけど、兄さんはその言葉の本当の意味を理解しているとは思えない。
僕があの男に妬いている?当たり前じゃないか。僕はイライラしたまま、そうだよ、と答えた。すると兄さんはすごく慌てたような、困ったような顔をしたから、僕は少し冷静になることができた。
馬鹿だな、僕は。兄さんに八つ当たりしたところで意味ないのに。

僕は少し落ち着いて、冗談だよ、と誤魔化した。すると兄さんは安心したように笑った。そして、バタバタと自分の部屋に向かう兄さんの背中に向かって、僕はポツリと呟く。

「……兄さんは、僕が守るよ」

ねえ、兄さん。と僕はその場を立ち去った兄さんを思った。



深夜、夜の帳が降り、深い闇が支配する時間。
少年は一人、夜の街を歩いていた。街灯の光に銀色のピアスが反射して、キラリと輝いた。
コツコツと緩やかな足取りで歩いていた少年は、ふと、足を止めた。同時に、カチリ、という固い音がして。

「こんばんは、いい月夜ですね」

少年の真後ろから、もう一人の少年の声が聞こえた。どこか冷たさを帯びたその声に、しかし少年は落ち着いた態度で、そうだな、と返した。
そして、背後に立つ少年、雪男を軽く見やって、ふっと笑った。

「お前は、あの人の弟か。祓魔師だったんだな」
「……、何故、兄に近づいた?」
「……―――それをお前に答える義理は無い」

少年はそう言って、バッとその場から飛び退いた。同時に、ぱぁん!と乾いた破裂音が響く。雪男は軽く舌打ちして、再び銃の引き金を引く。だが、どれも目標には当たらずに、空を裂いて終わる。

「そんなもので、俺を祓えるとでも?」

にやりと哂った少年は、しかしすぐにハッと表情を強張らせて、背後を振り返った。カツン、と固い足音を立てて、暗い夜の闇の中から現れたのは、一人の男。男は少年を見やるなり、ニッと口元を吊り上げて、ゆっくりと少年の方へと歩みを進めた。一歩、二歩と足を動かした男は、朗々とした口調で。

『 あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう 』

夜の街に、その声は朗々と響き渡る。少年はそれまでの余裕の表情を無くし、苦しげに呻きながらその場に膝を付いた。

「お前……、詠唱騎士アリアか……ッ!」

忌々しげに男を見上げる少年を、男はただ、淡々と見下して。

「今回は、相手が悪かったな」

ただ、そう呟いて。
男は淡々と言葉を続けた。

『 あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない 』

「ぐ、……、は、くそッ……!」

少年は自身の胸元を押さえて蹲った。そんな少年の腕を取った男は、アーメン、と十字を切る。すると少年は大きく体を震わせたあと、ぐったりとした。どうやら、憑いていた悪魔は祓われたらしい。
男、藤本神父はふっと体の力を抜いて、雪男に一つ頷いた。雪男もそれに頷き返しながら、ぐったりと横たわる少年を見やる。

……兄さん。

ぽつり、と呟いた言葉は、夜の帳に消えた。



翌朝。
兄さんはいつものように、僕よりも少し早く起きて家を出て行った。僕はそれを見送って、ベッドから起き上がる。僕もいつもよりも少し早めに起きて準備をしていると、神父さんがニヤニヤと笑いながら僕の様子を見て。

「お、今日はお前も早いんだな」
「うん。……ね、神父さん」
「ん?何だ?」
「明日からは、兄さんと一緒に出るよ。これからも、ずっとね」

僕がそう言い切ると、神父さんは少し驚いた顔をしたけれど、すぐに苦笑して。

「……あぁ、そうだな」

それが一番だろうさ、と僕の頭を撫でた。



僕が早足になって学校に向かうと、途中で兄さんの姿を見つけた。兄さんは昨日のあの男に何か言っていたけれど、男の方は鬱陶しそうに兄さんを振り切って、さっさと歩いて行ってしまった。
呆然と、その背中を見送る兄さん。どこか項垂れたその背中に、僕は足を急がせて。

「兄さん」

僕が声をかけると、兄さんは大きく肩を震わせた。そして目元を拭う仕草をしてから、何だ?とこちらに振り返る。その目元は赤くなっていて、だけどそれを誤魔化すように笑う兄さんの姿が痛々しくて。
でも同時にホッとしている自分がいて、苦笑する。
これで、兄さんは悪魔たにんに心を奪われることはない、と。
そして、そんなぼくに気づかずに無邪気に笑う兄さんが、憐れだけど、いとしくて。

「ねぇ、兄さん。今日は一緒に行こうよ」

そう言って笑った僕を、少し渋っていた兄さんだったけど、でも結局、最後には頷いた。
とても迂闊で単純な兄さん。そんな風になるのは、ぜひとも僕の前だけにして欲しい、なんて、なりもしない願望を抱いた。
だってそうじゃないと、今回のようなことになりかねない。そんなの冗談じゃない。兄さんは。


……―――兄さんは、誰にも渡さない。


僕は隣を歩く兄さんに笑いかけながら、僕はそっと笑った。





主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。


END.


というわけで。
リクエストして下さいました、もろろも様、ありがとうございました!
リクエスト内容は「中学生雪→→→燐。燐が雪男と一緒にいると雪男が悪く言われるので離れようとする。その事に隠し事をしてる分ホッとするのと苛立ちを抱えてもやもやする雪男。人間に憑依した悪魔に襲われるけれど覚醒してないのに無自覚に悪魔を従わせてしまう燐(その事を喧嘩から仲直りして友達が出来たと勘違いし)、燐を悪魔に取られてしまうと思い燐のいない所で勝手に悪魔を祓う雪男」という細かい設定を頂きましたので、大筋はその通りに書かせていただきました!リクエスト通りになっているのか酷く不安です。ですが、まぁ、すごく楽しかったです!特に雪ちゃんのターンの時は(笑 こう、悶々としているのが彼はかなり似合いますね。そしてそれを分かっているような藤本神父。彼が雪ちゃんに祓魔師としての道を教えたのは、ひとえに兄を守らせたかったのかなー、とか考えながら書きました。
そして作中に登場した悪魔さんですが、実は「愛してる、シリーズ」と関連のある悪魔さんです。ですが「愛してる、シリーズ」とは世界が違うので、まぁ、パラレルワールド的な何かだと思っておいていただければwwwちなみに、文中で登場した詞はタイトルのあの文を使わせて頂きました。もしその筋に詳しい方がいて、これ違うよ!と思われても寛大な目で許してあげてください。那儀さんの知識不足ですので。

ではでは、リクエストありがとうございました!


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