BLOODY BLUE 1




目覚めはあっけなく、それこそ、閉じていた瞼を開くくらい、簡単なことだった。
十五年間人間として育った俺は、ある日唐突に、自分が悪魔で在ることを知った。
……いや、それには少し齟齬がある。
正しくは、思い出した、という方が懸命かもしれない。

俺、奥村燐、という存在が生まれる、少し前のこと。
俺は悪魔として、覚醒していた。まだ姿も不確かであり、魂と呼べるモノさえ作られていなかったけれど、俺は確かに悪魔として自我を持ち、同時に、自分が何者で在るのかも知っていた。
虚無界の王、絶対の炎を纏うその悪魔、青焔魔の息子であり、その炎を継ぐ者である、と。
そして自我のある俺は虚無界に存在し、父親である青焔魔の元で、自分がどういう経緯で生まれようとしているのかも、教えられた。
青焔魔いわく、物質界を手にするための武器だ、と。


『……、武器』
「そうさ、物質界を手に入れるための、器、というべきかな。オレサマは物質界が欲しいが、その為には色々と問題がある。それを解決するために、お前が生まれる」
『そう、か。なら、俺は父さんの為に何をすればいい』
「話が早くて助かるよ、さすがオレサマの息子だ。そんなお前にはまず、普通の人間として育って貰う。自分が悪魔であることも、オレサマの息子であることも、お前の焔と共に記憶を封じておく。身体は物質界のモンだから、オレサマの焔には耐えられない。お前の器が大きくなるまで、お前は普通の人間だ」
『じゃあ、器が大きくなれば』
「お前は覚醒する。っつてもまぁ、オレサマのこと、この虚無界のこと、全部思い出すだけなんだけどな」

ぎゃはは、と何が可笑しいのか、青焔魔は話の合間によく笑う。だけど、そんな父親が俺は嫌いじゃなかった。
快楽主義。それは悪魔に共通するもので、つまり俺も『そう』なのだから。

「ん、で。お前には覚醒した後に、正十字騎士団に入団してもらう」
『正十字騎士団……』
「そうだ。物質界に存在する、対悪魔祓いの能力を持つ祓魔師の集団。忌々しい、悪魔の敵」
『敵』
「そう、敵、だ。その敵の腹の中に入って、お前は焔の力を完全に自分のモノにする。そうして、内側から奴らを喰ってやるっていうのが、オレサマの計画」

素晴らしいだろ?と青焔魔は酔ったようにそう言う。俺は素直に、さすが父さんだ、と思った。それを口にすれば、ますます青焔魔は気を良くして、ニヤリと哂う。

「正十字騎士団の中には、お前の兄が居る」
『兄?』
「まぁ、実質的な兄ではないが。まぁ、ソイツがお前のフォローをしてくれるだろうから、お前は適当に、物質界を愉しむといいよ」

そういうことで、よろしく息子、と適当な所で話を切られて、俺の意識は混濁とした。
青い、焔。そして、甲高い笑い声。
それが、俺の、奥村燐の、最初の記憶だ。




「……奥村君?」

ハ、と我に返れば、少し怒ったような弟の顔。それを見上げて、そういえば塾の授業中だったな、と思い出した。
隣でしえみが困ったような顔をしていて、後ろの席の勝呂からは、苛立たしげに俺を見る視線を感じた。

「僕の授業、ちゃんと聞いてました?」
「えーっと……」

俺は口ごもる。本当は、授業なんて聞いていなくても既に知っていることだったけれど、俺は最近になって祓魔師の勉強を始めた、ということになっているから、分からないフリをするのが得策だ。
それに何を考えていたのか、詮索されるのは不味い。

「……聞いてませんでした」
「……そうですか」

弟の雪男は、俺の答えに盛大なため息を漏らした。ごめんな、雪男。俺のせいでお前の胃に穴が開いたら、もう少し真面目な態度を取るように努力するから。
俺が内心で雪男に合掌を送っているなんて露知らず、雪男は眼鏡を押し上げて。

「じゃあ、奥村君には特別に宿題を多めに出しましょうか」

そう言って、晴れやかに笑う。嘘だろ。俺は顔を引きつらせる。
たとえ塾に通っているとはいえ、俺は十五年間普通の人間として育った。だが、悪魔の本性を完全に隠すことはできず、人とどこか孤立していた。それ故に、あまり学力がいいほうではなかった。
だから、あまり学力のよろしくない人間が、いきなり勉強ができるようになるなんて、余りにも不自然、ということで、メフィストから注意されているのだ。
……馬鹿を、演じろ、と。
それゆえに、課題やら何やらを適当に間違えるのが常だ。だが、これも結構疲れる作業で。
答えが分かっているのに、わざと間違えるなんて、通常の二倍の手間がかかる。
毎日の課題でさえ苦しんでいるのに、それが二倍になるなんて、死にそうだ。

俺ががくりと頭を下げていると、隣にいたしえみが「が、がんばれ!」と応援してくれる。
俺はそれに「おう」と力なく笑って答える。
回りの人間を騙すことなんて、もう、慣れてしまった。



俺の育ての親、藤本神父は、とても良い人だった。
騎士団最強の祓魔師、聖騎士でありながら、俺と雪男を育て、守ってくれた。
俺が悪魔の仔で、青焔魔の息子であると知りながらも、俺の見捨てたりはしなかった。
もし俺に虚無界の記憶が無くて、ごくごく普通の人間として育って、ある日突然、自分が悪魔の息子であると知らされたのなら。
きっとこの人のように、強くてカッコいい、祓魔師になると真っ直ぐに言えただろう。
それが藤本神父の狙いだったのかもしれない。

だけど、その狙いは的を外れて。

騎士団の武器とすべく生かされている俺は、実は騎士団を殺す武器として、淡々と刃を磨いている。
それを知るのは、俺と青焔魔、そしてメフィストだけ。
つまり、俺は血を分けた双子の弟にでさえ、自分が悪魔として完全に自覚していることを告げていない。
その理由を、俺は自分で理解している。
……俺は、雪男を巻き込みたくなかった。

幼い頃から、ずっと一緒で。
体の弱い雪男の面倒を見たり、いじめから守ったり、とにかく俺にとって双子の弟は、とても大切な存在だ。
本来なら雪男はただの人間だから、虚無界のことや悪魔のこと、焔のこと、何も知らずに生きることだって、できた。だけど、雪男はそれを捨てて、祓魔師になっていて。
それは悪魔として自覚を持っている俺にとっては、予想外のことだった。
藤本神父が何を思い、雪男を祓魔師として育てのかは知らない。ただ、祓魔師として優秀な雪男の存在は、俺にとってはあまり好ましくない存在となっていた。




「ただいま」
「おぅ、おかえり」

夜も更けた頃、雪男が帰ってきた。相変わらず、暑苦しいコートをぴっしりと着こなした雪男は、課題は済んだの?なんていつもの小言を言う。
俺はそれに、ちゃんとやりました!と、半分以上間違えた課題を雪男に突きつけた。案の定、目を通した雪男は眉間に皺を寄せて、兄さん、と唸る。
弟を悩ませるのは俺の本意ではないけれど、これは不可抗力なんだよ、雪男。

「これ、ほとんど間違ってるよ」
「え?マジで?」
「うん。後で間違えたとこ教えてあげるから」

うげ、と俺が唸ると、何か文句でもあるの?と爽やかな笑みを浮かべる雪男。俺はそれに、なんでもないです、と答えて、少し肩を落とした。
ごめんな、雪男。
双子の弟であり、この世界のたった一人の家族。その存在にさえ嘘を付かなければならない現状が、少しだけ心苦しかった。
きゅ、と眉根を寄せる俺に、雪男は珍しく、兄さんは頑張ってるよ、と笑った。

「この課題も、前はほとんど間違いだらけだったのに、今じゃ半分くらいは正解だし。兄さんはちゃんと、成長してるよ」
「……そうかな」
「そうだよ。ほら、元気だしなよ」
「……、ん」

俺が小さく頷くと、雪男は眼鏡の奥の瞳を和ませた。
泣き虫で、弱かった雪男。それが今じゃ、天才なんて呼ばれて立派に成長している。
それが誇らしくて、でも、俺は自分の立場を思い出して、ほんの少し寂しかった。




夕飯が済んで、俺たちは早速課題に取り掛かった。答えが分かっているのにもう一度しないといけないなんて、苦痛以外の何者でもないけど、せっかく雪男が教えてくれるんだし、ちゃんと聞かないと、と思う。

「それで、この問題は……」

雪男の説明は、いつ聞いても分かりやすいし丁寧だ。知識として理解している俺でも、感心してしまうくらいだ。

「ちょっと兄さん、ちゃんと聞いているの?」
「聞いてる聞いてる。それで?」

疑わしい目つきで雪男は俺を見たけれど、すぐに、それで、と話を続けた。
ふんふん、と聞いていた俺は、途中で違和感に気づく。
あれ?この問題って……。

今雪男が解説してくれている問題の答えが、どうも間違っている。俺はわざと間違えたから分かるけど、雪男は完全に間違えたまま俺に解説している。
……どうしようか、これは、告げるべきだろうか。
でも、間違えてるぞ、と言えば、何で分かるの?と聞かれるだろう。それは困る。

「というわけだよ。分かった?兄さん」
「……ぇ、あ、あぁ、うん……」

俺は曖昧に返事を返した。すると雪男は、分かってないね、と眉間に皺を寄せて、いい?ここはね、ともう一度同じ説明をしてくれた。やっぱり、もう一度聞いたけれど間違っている。
雪男自身、この間違った答えのまま覚えているのだろうか?いや、もしかしたら今だけ勘違いしているのかもしれない。
一生懸命俺に間違った答えを教えてくれる雪男に、俺はぐるぐると悩み続けた。



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