悲鳴。
悲鳴。
悲鳴。
どこまで行っても、悲鳴が響き渡る。
燃え盛る炎。
崩れていく建物。
逃げ惑う人々。
俺はその真ん中で、じっと佇んでいる。
……―――、あぁ。
この世界は、壊れてしまった。
そして、この世界を壊したのは……―――。
「兄さん!」
名を呼ばれて、振り返る。唯一この世界で俺をその名で呼べる、ただ一つの存在。
大切な大切な、血を分けたもう一人の『俺』。
「兄、さん……?」
『俺』は俺を見て、ひどく驚いた顔をしていた。全身をボロボロにしながらも、その手には銃を握り締めて。その固く握られた銃は、『俺』の覚悟の証だ。きっと『俺』は、死ぬまでその銃を手放すことはないだろう。
……それでいい。お前はその覚悟を、
俺はそう思って、小さく笑う。なんて皮肉な話だろう、と。
だけど、『俺』がその道を選んだ時点で、全ては決まっていた。俺と『俺』が供に歩むことなど、もうできないのだと。
分かっていた。
解っていた。
だけどきっと、最後まで判りたくは、なかった。
「 」
俺は、『俺』を呼ぶ。
『俺』は焦ったように、俺を呼ぶ。
そして……―――。
「 」
俺は『俺』に向かってその言葉を、告げた……―――。
「兄さん」
は、と我に返る。
最初に見えたのは、薄暗い天井。ゆらりと揺れる、蝋燭の灯。そして。
「兄さん」
俺を呼ぶ、弟の姿。
どこかぼんやりとしながら、雪男を見つめる。格子の向こう側で、雪男はじっとこちらを見つめていた。目と目が、合う。
俺は笑いながら、どうした?と返す。俺の名を呼んだきり、何も言わない弟に対して。
すると雪男は、兄さん、とまた俺を呼んで、俺と雪男の間にある格子に手をかけた。するり、と指先で格子をなぞりながら、ぽつりと呟く。
「……この格子、邪魔だね」
「……あぁ、そうだな」
いつもと同じ口調、声。
だけど俺には泣き出しそうな声に聞こえて、ゆっくりと起き上がる。黙ったままの雪男に近づいて、格子に触れるその指先に、そっと触れた。
ほんの少し冷たいそれを感じながら、俺は小さく笑った。
「俺は大丈夫だよ。雪男」
「……―――」
そして俺は、悪魔になってから初めて、優しい嘘をついた。
いつもついている誤魔化す為のものとは違う、守る為の、嘘。
「……、大丈夫じゃないよ、兄さん」
雪男が苦々しくそう吐き捨てる。そして、痛いくらいに強く、俺の手を握り締めた。
「全然、大丈夫じゃないよ、兄さん。このままじゃ、兄さんは確実に処刑される。もし、そんなことになったら……僕は……!」
「雪男……」
耐えられない、と雪男は押し殺した声でそう言った。触れた手のひらが、痛いくらいに熱を持つ。きっとこの手のひらの熱は、今雪男が感じている痛みなんだろう。
だったら俺は、この痛みを受け入れる。それしか、俺にはできないから。
俺は項垂れる双子の弟の頭を見下ろして、そっとその頭を撫でる。ゆっくりと髪を梳きながら、ごめんな、と心の中で謝る。
今から口にする言葉はきっと、雪男を傷つける。
それでも俺は、言わなきゃならないから。
「雪男」
だから、なぁ、雪男。
大切な、俺の半身。
「もし、俺の身に何かあった時は、」
俺を。
「俺を、殺してくれ」
ハッ、と雪男が顔を上げて俺を見る。その瞳に目を細めて笑えば、雪男はぐっと唇を噛み締めて。
「そんなこと……僕には……!」
できないよ、と雪男は言う。その目には明らかに傷ついた色を宿していて、俺は少しだけ罪悪感を覚える。
だけど、これはとても大切なことで、きっと雪男にしかできないことだから。
「できないんじゃなくて、やるんだ。……俺は、お前になら、殺されてもいい」
「ッ!」
じっと雪男を見つめて、俺は一つ一つの言葉を紡ぐ。真っ直ぐに告げれば、雪男は俺の覚悟を察してくれたらしい、苦虫を潰したような顔をして。
「……じゃあ、約束して」
「約束?」
「そう。……僕が殺すまで、絶対に死なないって。……約束できるなら、僕も約束する」
「―――」
俺はその時、雪男の考えていることが透けて見えた気がした。
きっと雪男はその約束をすることで、俺を生かそうとしている。自分が殺すまで死なないという約束はつまり、雪男が殺さなければ俺は死なない、ということだ。そして雪男は、絶対に自分が俺を殺すことはないのだと、思っている。その考えが覆ることはないのだと、強く信じている。
俺はその想いが嬉しくもあり、同時に、悲しかった。
その想いが強ければ強いほど、後に来る反動は凄まじいのだと、俺は知っているから。
俺は目を伏せる。だけどそれは一瞬のことで、すぐに雪男を真っ直ぐに見つめて、大きく頷く。
「あぁ……約束する。俺は、お前が殺すまで死なないって。だからお前も、ちゃんと約束しろよ?」
「うん。……分かっているよ、兄さん」
僕は、兄さんを殺すよ、とどこか安心したように、雪男はそう言った。これで俺を守れるのだと、死なすことはないのだと、思っているのだろう。
だけど俺は、知っているんだ。
いつか、必ず。
雪男は、俺を殺す。
燃え盛る、焔の中で。
悲鳴が響き渡る、混乱が渦巻く世界で。
「雪男」
俺は、雪男を呼ぶ。
雪男は焦ったように、俺を呼ぶ。
そして……―――。
「俺を、殺してくれるんだよな?」
俺は雪男に向かってその言葉を、告げた……―――。
約束、だっただろ?と、全身を真っ赤な血で染めて、青い焔を纏いながら。
つづく
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