愛してる、の理由




七月、俺は旧男子寮のベッドの上で目を覚ます。
まだ覚醒しきっていない、夢見心地のふわふわとした気分のまま、ごろりと寝返りを打つ。すると、柔らかなものに手が触れて、俺は何となくソレを抱き寄せた。ぎゅ、と抱きつくと、柔らかなソレはもぞりと動いて。

『若君、痛いです』

少し困ったように、そう言った。
は、と目を開けると、吐息が触れそうな至近距離に、精悍な顔つきの男が目の前にいて。

「ぎゃー!」

俺はとっさに、大声で悲鳴を上げていた。
その声に驚いた雪男が、どうしたの!?とベッドから飛び上がった。手には銃がきちんと握られていて、どんな反射神経だよ、と思いつつ、俺は目の前にいる男を見た。
男は俺と目が合うと、その水色の瞳をふ、と和ませて、にこりと笑う。

『おはようございます、若君』
「ってお前、レンだよ、な!?」

俺はがばり、と起き上がって、男、レンを見下ろす。するとレンは嬉しそうに笑いながら、はい、レヴィアタンでございます、と律儀にそう言った。

「レヴィアタンって……、四人の上位王子の一人の、あの?」

雪男が銃を握ったまま、レンを見る。レンは眉根を寄せて、雪男を軽く睨みつける。その視線を受けて、雪男も顔を険しくする。

「いつまで兄さんにくっ付いているつもりだ、離れろ」
『貴様に指図される謂れはない。俺はこの方の命でしか動かない』
「……ほら兄さんも、ぼーっとしてないで早く離れなよ」

なにやら火花を飛ばしあっている二人。俺はその間に挟まれつつ、この状況をどうしようかとオロオロしていた。するとそんな俺に気づいたのか、レンがハッと俺の顔を見て、慌てたように俺から離れた。

『も、申し訳ありません。俺としたことが、貴方を困らせるようなことをしてしまって……!』
「や、いいんだけどさ。今度からいきなり現れるのは止めてくれな?」
『はい、承知いたしました』

こくり、と頷くレンに、俺はよし、と満足する。そしてベッドから降りて、うーんと背伸びをする。するとそんな俺を見下ろして、雪男は銃を降ろすと少し不機嫌そうに顔をしかめて。
コイツ、何で不機嫌なんだ?と首を傾げていると。兄さん、と俺を呼んだ。

「説明してよ。何でここにレヴィアタンがいるわけ?」
「え?や、俺に聞かれても……」
『それは当然、若君をお守りするためですよ』

間をいれず、レンがそう言う。

『虚無界と違って、物質界は悪魔にとって毒でしかないものも数多い。そんな所へ若君を単身で行かせるわけにはいきません』
「は?何を言っているんだ。兄さんは元々物質界に住んでいたんだから、今更危険なんて……」
『黙れ祓魔師が。王となられた若君にとって、この正十字学園そのものが毒でしかないということが分からないのか』
「え……」

どういうこと、兄さん、と言いたげな目線を受けて、俺は気まずげに視線を逸らす。するとレンは、フン、と鼻を鳴らして。

『若君はお優しすぎるのです。そんな気遣いにも気が付かぬとは、それでも貴様は若君の弟か』
「……随分好き勝手に言ってくれるじゃないか」

カチリ、と雪男が銃の安全装置を解除する音が響いて、俺は慌てて止めに入る。こんなところで銃をぶっ放されたら堪らない。

「二人とも、ちょっと落ち着けって」
『……若君』

二人の間に入ろうとすると、レンがきゅっと眉根を寄せて、俺の足元にひざまづく。軽く項垂れたその頭を、俺はじっと見つめる。

『俺は、悔しいのです、若君。貴方がどんな想いで、この物質界に来たのか。それを全く知らずに、若君を独占しようとする。それが、俺にとっては我慢ならないのです』
「レン、俺は……」

自分の意思で物質界に戻ってきた。それは誰かに指図されたワケでもないし、自分で望んで、今この場所にいる。
だから、レンが心を痛める必要はないのだと言おうとしたけれど、それよりも早くレンが口を開いた。

『分かっています。若君がご自分の意思で、物質界にいることを選んだことも。だから今の状態を甘んじて受けていらっしゃることも、全て。分かっていても、俺は貴方を独占する存在を許せない』

レンは、真摯な瞳でそう言った。俺は虚無界にいた時から、その目が少し苦手だった。真っ直ぐに、こちらを射すくめるような、その瞳が。
やや目線を逸らしつつ返答に困っていると、レンがきゅう、と眉根を寄せて、俺の手を取った。そして、指先に軽く唇を寄せて。

『申し訳ありません。俺は、貴方を困らせたくはないのです。これは俺のエゴ。……貴方様がお気になさる必要はないのです』
「レン……」

や、そう言われても、とタジタジになっていると、背後で嫌な気配がして、ビクリと肩を震わせた。あ、振り返りたくないな、と思ったものの、振り返らずにはいられなくて。

「に、い、さ、ん……?」

爽やかな笑みに怒気を滲ませる、というとても器用なことをやってのけている弟が、そこにはいた。ヤバイ、かなり怒ってる。
俺が顔を引きつらせていると、雪男はツカツカと俺の方に近寄って来て、レンが握っていた俺の手を強引に掴んで、歩き出した。

「ちょ、雪男!?」
「……」

驚いている俺を無視して、雪男は部屋を出てしまう。手を引かれている俺も同様で、レンの呆気に取られたような顔を視界の端に映ったけれど、何か言う前に扉が閉まってしまった。



雪男は、ずっと前を向いたまま、ずんずんと歩いていく。俺はそれに何とか付いて行きながら、黙ったままの雪男の横顔をちらりと盗み見た。
雪男はちょっと怒った顔をしていて、いつも冷静な雪男にしては珍しいな、と思った。
すると、俺の視線に気が付いたのか、ちら、と俺を振り返った雪男は、何?と不機嫌そうな声でそう言った。

「や、……、その、怒ってる、よ、な……?」
「……」

おずおず、とそう尋ねると、雪男はピタリと足を止めた。そして、はぁ、と盛大にため息を付いて。

「怒ってないように見えるの?」
「いや、見えないけど……。でも、レンがこっちに来たのは俺も知らなかったし……」
「……―――」

俺が雪男の様子を伺うようにそう言うと、雪男はじっと俺を見つめた後、スッと目を細めた。

「兄さんは、ほんとに馬鹿だね」
「なんだよ、それ」
「僕が何に対して怒ってるのか、全然分かってないでしょ」
「え?」

どういう意味だ?と問いかけようとしたけれど、やけに真剣な眼差しの雪男に、グッと言葉に詰まる。こちらを見透かすような視線に、どき、とする。

「……レヴィアタンが言ってた、正十字学園そのものが兄さんの毒、ってどういう意味?」
「……!そ、それ、は……」

俺が口ごもると、雪男は、兄さん、と強い口調で俺を呼ぶ。誤魔化すな、と言うように。

「僕はね、兄さん。レヴィアタンがいきなり現れたこととか、アイツが兄さんのベッドにいたこととか、やけに兄さんにくっ付いていたこととか、兄さんを若君、なんて呼んでいたこととか、そんなことで怒っているわけじゃないんだよ」
「や、お前、ソレには怒ってるだろ……」
「……それは、それ。だけどね、僕が一番怒っているのは、兄さんが僕に対して、隠し事をしていたことだよ。……一番、大事なことを」
「……」

聡い弟はきっともう、あらかたの検討を付けているのだろう。レンが言った言葉の意味を。
……この正十字学園は、理事長のメフィストによって強力な結界で守られている。そのせいで中級以上の悪魔は、絶対に入り込むことはできない。勿論、例外はある。それはメフィスト自身、それに手騎士が呼んだ悪魔だ。過去に対決したアマイモンは、これに該当する。
だが、それなら悪魔の王である俺はどうなる?ということだ。
青焔魔として完全に覚醒してしまっている俺は、本来ならこの学園に入ることすらできない。それなのに、俺は今この学園で生活している。
それは、つまり。

「兄さんは、青焔魔の炎の力を封印して、中級レベルまで力を落としている。前と同じように、その降魔剣にね。でも、それは余りにリスクが高すぎる。……悪魔の王である兄さんの力が中級まで下がっているとなれば、他の悪魔だけじゃない、正十字騎士団も動くだろうね。……焔の力を求めて」
「……―――」
「でも、僕が一番許せないのは、そのことを、僕に話してくれなかったことだ」

きゅ、と雪男は俺の手を掴んでいる手に、力を込めた。
そして、スッと俺の手を持ち上げて、指先に唇を寄せる。レンが、そうしていたように。
ちゅ、と軽く触れる熱に、ゾクリ、と背中が疼く。

「ゆ、きお……?」
「兄さん、僕は……―――」

真剣な表情で、俺を見下ろす雪男。何か、大切なことを告げようとしている。そんな雰囲気を感じ取って、俺はただじっと雪男を見つめた。
その時。

『若!こんな所にいたんですかー!』

甲高い少年の声が廊下に響き渡って、俺たちは瞬時に離れた。誰だよ、と俺が周囲を見渡すと、廊下の向こう側に一人の少年が立っていた。
俺はその姿を見て、あっと声を上げる。

『わかー!』
「お、お前……ッ!?」

俺がその名を呼ぶ前に、彼は猛然とこちらに向かって走ってきて、がばっと俺に抱きついた。

「ちょ、離れろって、ベル!」
『嫌ですー。久しぶりなんだから、少しくらい良いじゃないですかー』

すりすりと擦り寄ってくる少年、ベル。緑色の髪が頬に当たって、くすぐったい。まぁ、コイツは虚無界にいた頃からこんな感じだったから、俺は好きにさせていた。
すると満足したのか、ベルはにっこりと笑って離れると、スッと俺の足元にひざまづいた。

『お久しぶりです、若。ベルゼブブ、参上致しました』
「おぉ、ほんと久しぶりだな、ベル」
『お元気そうで何よりです。……ですが、』

ちら、と自分の背後を見たベルは、ゆっくりと舌なめずりをして。

『後ろの祓魔師には、銃を下ろしてもらいましょう。……目障りだ』

クス、と無邪気に嗤う。俺はその顔を見て、ヤバイ、と感じて、慌てて雪男を見る。
雪男は険しい顔をしていた。恐らく、ベルの背中に銃を突き付けているに違いない。

「雪男!銃を下ろせって」
「兄さん、コイツ、誰」
『祓魔師ごときがボクをコイツ呼ばわりされる筋合いはないんだけど?』

ベルは物騒な笑みを浮かべたまま、キロリと背後を睨む。雪男は雪男で、銃を下ろそうとはしない。
俺は弱ったな、と思いつつ、雪男を見て。

「雪男。コイツは八候王の一人、『蟲の王』ベルゼブブだ。怪しい悪魔じゃないから、銃を下げろって」

そう説明すると、しぶしぶといった様子で銃を下ろす雪男。それを見届けて、俺はベルを見る。

「ベル。コイツは俺の双子の弟、雪男だ。祓魔師だけど俺の弟だから、あまり好戦的にならないでくれよ」
『……はい、若』

ベルは少し渋ったような顔をしたものの、こくりと頷く。よし、これで取りあえずは大丈夫だな、と一安心した。
内心で、結局雪男は何が言いたかったのだろう?と首を傾げたけれど、後で聞けばいいや、と開き直った。








とことん邪魔される雪ちゃん。まだまだつづく(笑


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