アオハルのにおい 2




それから、俺たちはときどき、昼飯を一緒に食べるようになった。昼下がりの快晴の空の下、お決まりになりつつある定位置のベンチに座って。ほんとに、ときどき、だけど。日向はクラスの奴と食べるときもあるらしく、中庭に来ない日もあった。その日は妙に隣が静かで、昼寝するにはもってこいだな、と誰も居ないベンチをぼんやりと眺める。
空は雲ひとつない青。今日は、日向は来ない日。もそもそと弁当を食い終えると、かげやまー、と覚えのある声がした。顔を上げると日向が走って来た。手には、見慣れたボールが一つ。俺が食い終わっているのを見て、ぱっと表情を輝かせて走り寄ってきた。

「影山、飯食い終わった? だったら、トス上げてよトス!」
「あ? いきなりなんだよ。つかこのボール、どっから持ってきたんだよ」
「いいじゃんいいじゃん、細かいことは! な? な? いいだろ? トス上げて!」

はい! とボールを渡されて、つい、受け取ってしまった。まだ、やる、とも、いいぞ、とも言っていないのに、日向は嬉しそうに俺のトスを待っていた。今、コイツに尻尾が生えていたら、千切れるくらいにぶんぶん振っているに違いない。オレンジ色で、ふわふわしたやつ。想像して、違和感のなさに笑いそうになる。
だが、なんとなく、このまま素直にトスを上げてやるのは癪で、少し考えたあと。

「別に、俺じゃなくてもいいだろ」
「へ?」
「トス上げんの。別に俺じゃなくても、菅さんとかいるじゃねぇか」

ぽかん、と間抜けにも口を開けたまま呆ける日向に、俺は少し、自分で言ったことを後悔した。別に、深く考えたわけではなかった。この前、日向があんなこと言うから。中学時代、仲間がいなかった、とか、そんな話を菅さんにしているのを聞いたことを、とっさに思い出したんだ。だから、あんときみたいに、菅さんがいるだろ、と思った。お前にはもう、仲間と呼べる奴らがいるだろ、と。たぶん、少し、拗ねた気持ちがあった。
日向は、俺の言葉に、少し考える素振りを見せた。あ、悩んでる。もしここで「そうだよなー、菅さんがいたよなー、おれ、菅さんに上げてもらうよ!」とか言われたら、俺はどうしたらいいのだろう。そうか、と去っていく背中を見送ればいいのだろうか。そしてまた、独りになるのだろうか。
小春日和の、温かな季節のはずなのに、真冬のような冷たい風が吹いたような気がして、ぶるりと肩を震わせた。? さむい? なんで? 首を傾げていたら。

「んー、でもさぁ、おれ、なんか知んないんだけど、お前にトス上げてほしいんだよね」
「は?」
「お前のトスって、こう、スバッてしてて、ビュッって感じで、菅さんのふわっとしたのとは全然違うんだけど。んー………、でも、なんか好きだなーって思うんだ。うん。おれ、お前のトス、好きだなー」
「………」

うんうん、と納得したように何度も頷く日向は、きっと知らない。俺の心臓がさっきから、ずっと、うるさいくらいに鳴りっぱなしだってことに。
どく、どく、と耳の奥で心臓の音が響く。どうしてこんなに心臓が煩いのか、自分でもよく分からない。なんだこれ。ボールを持つ手が震えて、手汗が滲んで、するっと滑った。コロコロと転がるボールを拾う余裕すらなくて、代わりに日向がボールを拾い上げた。

「? どしたの。ボール、落としたよ」
「…………、」
「かげやま?」

おーい、と目の前で俺を見上げながら眼前で手を振る日向。決して大きくはない、だけど、俺のトスを打つ手のひら。あの手から放たれたスパイクが床に叩きつけられて、点数になる瞬間の、あの高揚。

あ、そうだ。それに似ている。この、感覚。

なんだ、そうか。あれか。それなら分かる。俺は内心で納得して、でも、すぐに首を傾げた。? でもなんで、今この感覚がしたんだ?

「おーい、かーげーやーまさーん! トス、トスくれよ!」
「っ、うっせぇなボゲ! 分かったよ!」

考えごとをしていたのに、日向の声で中断されてしまった。イラッとして、ちょっと乱暴なトスを上げてみる。日向の位置からは遠く、届かないだろ、と思ってしまうようなトス。
でも、俺は知っている。

「!」

上がったボールをじっと見上げた日向が、次の瞬間には、橙色の残影を引いて消える。あ、と思った瞬間には、ボールの傍にアイツがいて、一番高い打点の位置で、不意に、目が合う。
ほらな、とその瞳が言う。嬉しそうに。そして次に瞬いたときには、日向の手がボールを床に叩きつけていた。バンッ、と跳ねるボール。

「っしゃあ! ど? ど? いまの? いい感じじゃなかった!?」
「まぁまぁだな。もうちょいレフト側に打たねぇと取られるぞ」
「マジかー。いい感じだと思ったのになー。ちぇっ。な、な、もっかい! もっかいしてみれば何か分かる気がする!」
「ほんとかよ……」

そんな簡単にできるかよ、と疑いつつも、俺はどこかに行ったボールを探そうと振りかえって――――、あっ、と声が漏れた。

「ん? どうかし、………ッ!」

日向が俺の背中からひょいっと顔を覗かせて、同じように声を失くしていた。
見慣れたボールの傍には、一本の植木鉢が倒れていた。鉢自体が倒れたときに割れたのか、中の土が盛大にぶちまけられている。

「あっ、あれっ、も、もしかして……っ!」
「………教頭の、」

数日前、昼休みに中庭にやってきた教頭が、上機嫌でここに植木鉢を置いて世話しているのを見た。そしてそれは、今目の前で倒れているそれと、全く同じ……。
そして教頭は、必ず昼休みになると、あの植木鉢を見にやって来る。それは、そう、昼休みが半分くらい過ぎた、今の時間帯で――――。

「……………、君たち」

ごうっ、と背後から暴風雨のような声が聞こえた。二人して、びくっと肩を震わせたが、振り返るのが何となく怖い。そのままでいたら、ぽんっと肩を叩かれた。

「放課後、職員室に来なさい」

いいね、と肩に置かれた手に力がこもって、有無を言わせないその静けさが逆に怖かった。




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