Rainy's catman T

降りしきる雨。アスファルトの濡れる匂いと、ザァサァという忙しい音が響く中、俺は小さく舌打ちした。

「……ったく、ツイてねぇな」

ちょっと気分転換がてらにパチンコ屋に行って、マリンちゃんが微笑みながら去って行くのを玉が最後になるまで見届けた。華麗に消えて行く玉とマリンちゃん。フラれたことにむしゃくしゃしつつ店を出れば、随分と雲行きが怪しかった。少し鼻につく雨の匂いに、俺は足早になって帰宅しようとした矢先、とうとう雨が降り出してしまって。慌てて近場の軒先に身を滑らせたのが、ほんの三〇秒前ほど前のこと。服や体が濡れるのは防げたものの、雨が止む気配はなく、どちらかと言えば激しくなる一方だ。
俺はどんよりと広がる空を見上げて、さて、どうしようか、と思う。このままここで雨宿りするわけにもいかないし、かといって傘はない。傘を売ってそうな店もなく、ただ閑静とした住宅街が広がっている。
俺はいつもよりも二割増になった天パを掻く。しっとりとした髪は十分に空気中の水分を吸いこんでいて、絶対今は誰とも会いたくない。きっと爆発にでもあったような、人には絶対に見せたくない大惨事になっているに違いないからだ。
だがこのまま雨が止むのを待つのも、実は面倒だ。しかし、雨の中を走って帰るのも、また面倒。どっちにしても面倒だな、と自分で結論付けしながら、ぼんやりと雨の滴る空を見上げた。
ザアザアと頭上から降りてくる水の玉が、まるで弾丸のようだ。そう思って、小さく苦笑する。まるで物語の一文のような文句を思いついた自分が、何だか可笑しかった。

「職業柄、ってやつかね」

俺は、物書きだ。俗に言う「小説家」という職に就いている。ちまちまと部屋にこもってPCの前でただ淡々と文字を書く。それが俺の仕事だ。
そして本当は、明日〆切の原稿が一つ残っているのだけれど、書こうと思って書ければ誰も苦労はしない。書けないものは書けないんだよコノヤロー、と地味で眼鏡な担当と喧嘩して飛び出して、くさくさしていた矢先にパチンコで負け、雨に打たれる羽目になった、というわけだ。

「ほんと、ツイてねぇな」

俺が何かしたんですか、と頭上を見上げる。相変わらず雨が止む気配はない。あーもう、やってなんねぇ。
原稿は進まねぇし、担当は姑みたいに煩いし、天パは自由奔放でちっとも言うこと聞いてくれねぇし。
俺はブツブツと誰にともなく文句を言いながら、その場にしゃがみ込んだ。
その時、僅かに雨音とは違う音が耳に紛れ込んできて、俺は顔を上げる。
小さな子供のようなその声に、寒くもないはずなのにゾクリとした何かが背中を駆け抜けて、意味もなくきょろきょろとしてしまった。

「オイオイ冗談じゃねーよ。何?ツイてないついでに憑いちゃった的な?そんなノリ?ちょ、勘弁してくれよ。そんなヒッチハイカー、こっちからお断りだバカヤロー」

早口でまくし立てていると、また、子供の泣き声が聞こえた。オイイイ、と冷や汗をダラダラと流しながら、忙しく周囲を見渡していると、パシャン!と水の跳ねる音が響いた。ビク!と体を硬直させつつ、怖いもの見たさも手伝って、そろそろと音のした方に眼を向けて……―――、俺は違った意味で目を見開いた。

降りしきる雨の中、ずぶ濡れになった青年が一人、こちらに向かって歩いてきていた。
年は俺よりも年下だろうか。俯き加減で歩く彼は、ふらふらと覚束ない足取りで歩いている。
誰だ、と思う間もなく、俺はその頭にあるものを見て納得した。
雨に濡れた真っ黒な髪と同じ色の耳が、その頭から生えていた。

猫人キャットマン

猫と人とのハーフで、その耳としっぽが特徴的な人種だ。
最近では動物と人とのハーフ、獣人が増えているものの、まだそこまで数がいるわけではない。現に、俺は生まれて初めて獣人というものを見た。それくらい、獣人の数は少ないのだ。
その獣人の中である猫人が、目の前を歩いている。俺は呆然とその姿を眼で追っていたものの、どこか危なっかしい歩き方をするので、どこか体調が悪いのだろうか、と思う。よくよく見てみれば顔色は真っ青で、右足を引きずっているようにも見える。
おかしい、と思った瞬間、びちゃり、と猫人の青年がその場に倒れこんだ。俺は慌てて、その青年に近寄った。

「おい、大丈夫か?」
「ッ!」

青年に声を掛けると、ビクリ!とその線の細い肩を震わせて、ハッとこちらを見上げて来た。どこか怯えたようなその薄墨色の瞳と目が合うと、青年は俺の姿を見止めて、キッとその瞳を鋭く吊り上げた。

「……誰だ」

低い、唸るような低音。まるで猫が威嚇しているようなその声に、俺はひょいと肩を竦めた。

「他人に名乗らせる前に、自分から名乗るのが礼儀だろうが。っていうか、俺の方こそお前は誰なの?って聞きたいんだけどね」
「……、俺は……――――」

青年が戸惑ったように口を開いて、何かを口にしようとした。だがその前に、ぐらりとその体が傾いて。また濡れた地面に激突してしまう前に、その肩を抱きとめた。

「ちょ、オイ!」

慌てて揺さ振ってみるものの、閉じられた瞼は開くことはなくて。見た目よりも細い肩を抱いたまま、俺は呆然とした。

「オイオイ、コレ、どうするよ……」

呟きながら、そっとその顔を見下ろした。端整な顔立ちは、瞼を閉じているせいかどこか幼い。時折、小さく揺れる睫は長くて綺麗だ。女が好みそうだな、なんてその顔を見やって、果てさてどうしようかと悩む。

半分は猫とはいえ、半分は人間だ。捨て猫を拾うのとはワケが違う。かといってこのまま放置していくのは、もっとマズい。現在の日本の法律では、獣人は保護の対象となっている。それを犯したとなれば、それなりの罰が科せられる。
まぁそれ以前に、このまま放っておくなんてこと、できるわけもなく。

「ったく、ほんっと、今日は厄日か何かか」

面倒なことになった、と呻きながら、携帯を取り出す。電源を入れると、途端に携帯が喧しく喚いた。へいへい分かってると、と言いながら、通話ボタンを押す。携帯の変わりに、今度は電話口の向こうが喧しくなる。
どこにいるんですか!戻って原稿して下さい!印刷所待ってるんですから!とやはり姑かお母さん並みに煩いその声を一通り聞いた俺は、電話口の向こうの相手にへらりと笑った。

「あー、ぱっつぁん?すまねぇけど、車回してくれねぇ?ちょーっと、色々あってよぉ」

お願い、と言えば、向こうで盛大なため息が聞こえた。しかしすぐに、どこですか、と言ってくるあたり、あの眼鏡は優秀だ。
俺は今いる場所を告げると、電話を切った。もう少ししたら、眼鏡が車を回してくれるだろう。
それまで、この腕に抱えた存在をどうするのか、決めなければならない。

「さーてと、どうしましょうかね」

俺は小さく苦笑を漏らしながら、眼鏡が来るまでの間、鼻歌を歌っていた。
曲はもちろん、迷子の子猫ちゃん、だ。




「あのですね、銀さん。捨て猫拾うのとはワケが違いますよ。どうするんですか、ソレ」

車を飛ばしてやってきた眼鏡は、一緒に乗り込んだ存在を見て、少し口調を荒げた。まぁ、その気持ちは分からんでもない。しかしどうしろというのだ。

「しらねーよ。コイツが勝手に目の前で倒れたから、仕方なく?みたいな?目が覚めたら出て行くだろ。猫は薄情だからな」
「………まったく。………知りませんよ、どうなっても」
「どうもなりゃしねーよ。コイツを飼うわけじゃねーんだし」

どうだか、と新八は言いながら、運転に集中し始めた。そっと落とされたラジオのボリュームは、俺の為というよりも、意識のない猫人の為だろう。なんやかんや言いながら、人がいいのだ。この眼鏡は。

「それにしても………、綺麗な猫人ですね。僕、獣人を見るのは二回目ですが、最初に見たのはゴリラとのハーフでしたから、まんまゴリラでしたよ」
「猿と猿掛け合わせてどうすんだよ。どうせ猿しか生まれねーじゃん。つーか、お前獣人見たことあったのかよ」
「そりゃあ、ありますよ。獣人も大分増えましたからね。銀さんは、初めてですか?」
「ん?まぁな。でも、コイツが綺麗な猫人だってのは、分かる。なんか、血統書付きの猫みてーな面してらぁ」
「あはは。確かに。ですが、本当に血統書付きだったら、こんなところで倒れたりしませんよ」
「……それもそうだな」

軽く笑い飛ばす新八に頷きながら、しかしどこか違和感を覚えた。
血統書付き、というのは、獣人の中でも、より優れた遺伝子を持って産まれた存在のことだ。もともと獣人というのは、人間よりも知能が高く、運動能力も高い。しかしそれ以上のものを持って産まれた存在を、血統書付きと呼び、国が完全に保護している。こんな街中に血統書付きがいるなんてことは、まずありえない。
なのに、何故か分からないが、この黒猫は血統書付きなのではないか、と心のどこかでは思っていた。

「とにかく、急いで帰りましょう。そのままだと、二人とも風邪引きますよ」

そう言って、新八は車のスピードを上げた。




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