Rainy's catman U

そのまま車を走らせて、自宅であるマンションへと向かう。幸い、俺の住むマンションはペット可だ。まぁ、獣人がペットの枠に入るのかどうかは謎だが。
つらつらとそんなことを考えつつ、マンションへと辿り着いて、さっさと車を降りる。その間も一度も目覚めなかった猫人を、ひょいと抱え上げる。大の男を抱えるなんざ、本当なら無理なはずなのに、この青年は男とは思えないくらい軽い。最初に倒れたときに支えた肩は細くて、驚いたくらいだ。
獣人ってのは、皆こうなのだろうか。少し、疑問に思う。

「それじゃあ、僕は車を止めて来ますので、先に上がってて下さい」
「あぁ、悪いな」

青年を抱えたまま謝ると、新八は苦笑しつつ、いつものことですから、と言う。おいおいそりゃどういう意味だよ、と問おうとしたものの、車は駐車場に向けて出てしまった。
俺もこれ以上雨に濡れるのはごめんなので、さっさとマンションへと入る。誰にも会わないように気を使いつつ、最上階へ。
上っていくエレベーターの中で、ふぅ、と一つだけ息を吐く。

腕の中の青年は、頑なに瞼を閉じたままだ。ぴくりとも動かない。抱いた場所から分かる体温だけが、青年が生きているのだと俺に教えた。
あまり酷いようなら、医者に連れて行かなければならない。だが、獣人となると専門の医者が必要になるだろう。このあたりにそんな医者は、ただ一人しかいない。
俺はソイツの顔を思い浮かべて、げっそりとする。正直、できることなら、会いたくない。頼ってしまえば、あとでどんなことになるのか分かったものではないからだ。
しかし………―――。

「………―――」

目の前で倒れた青年の、薄墨色の瞳を思い出す。何かに怯えながらも、キッとこちらを鋭く見返す瞳。自分以外の全てが敵だというような、そんな、強い意思を感じた。
ピク、と意識の無い青年の、黒い耳が小さく動いた。毛並みの良さそうな黒いそれは、しかし人間ではないことを示す証だ。

獣人、ね。

厄介な拾い物をした、と思っていると、軽い衝撃を感じた。チン、という音とともに、扉が開く。俺は迷い無くエレベーターを出て、絨毯の敷き詰められた廊下を歩く。すぐに扉があって、青年を抱えたままドアノブを回す。
部屋へと辿り着いて、ホッと息を吐く。とりあえず、怪我をしているのかだけでも確認しておかなければ、と思い、リビングのソファーへと青年を下ろした。くたりと無防備に投げ出された体は、心なしか先ほどよりも白い。
こりゃあ、ちょっとヤバイかも。青年の様子を見て、冷や汗をかく。とにかく、怪我をみなければ、と青年の着ているシャツに手をかけ、ボタンを外した。
その、とき。

「………ッ!?」

現れたその体を見て、ハッと息を呑んだ。

真っ白な肌に走る、無数の赤い線。縄のようなものでキツく縛られていたのか、線の周りはかすれたような跡が残っていた。そして、その他にも殴られたような青痣や、鬱血まであって。正直、直視するのも憚れるような傷跡が体中に刻まれていた。

明らかな、暴行を受けた傷跡。俺はザッとそれを確認して、シャツのボタンを留めなおす。そしてすぐに、携帯を取り出した。
アイツに連絡を、とボタンを押そうとした、その時。

「いッ!?」

シャッ、と頬に熱が走った。そして目の前には、爛、と光る薄墨色の瞳。ギラギラとした殺意を宿した瞳が、キツくこちらを睨んでいた。そして、熱を帯びた左頬には、その青年の腕が伸びている。
爪で、頬を斬ったのだ。

ふーッ、と荒い息を吐く青年は、苦しそうにしながらも真っ直ぐにこちらを睨んでいる。お前には従わない。そう、顔に書いてあった。
俺はじっとその瞳を見返して………、小さく笑った。鋭い瞳の中に、困惑が混じる。

「……………、あのね」

ゆっくりと口を開けば、ビク!と肩を震わせた。ぎり、と奥歯を噛み締めて、必死にこちらを警戒している。しかしその姿は、俺からしてみれば猫が必死になって警戒しているのと同じに見えた。

「お前、怪我してるでしょうが。手当てしてやるから大人しくしてな」

俺の言葉に、しかし猫は警戒を強める。信じられるか、と目が訴える。
それを認めて、俺は殊更ゆっくりと目の前の猫に言い聞かせた。

「俺のことは信じなくてもいい。だがな、どうせお前はその怪我で動けねぇだろうが。だったら手当てしてやるっていう言葉だけ信じて、俺を利用すればいいさ」

そう言えば、猫はぐっと押し黙った。そしてふいっと視線を逸らせて、ソファーに沈み込む。
勝手にしろ、とそう言われた気がして、苦笑しつつ携帯へと手を伸ばした。
コールすれば、相手はすぐに出た。

「おう、俺だ。ちょーっとばっかし、診てほしい奴がいるんだけどよ」




「よぉ、銀八。珍しいこともあるもんだな。テメェが俺を呼び出すなんざ」
「うっせーな。俺だって呼びたくなかったよ、テメーなんか」

ニヤニヤとした笑みを浮かべてやってきたソイツ、高杉は、咥え煙草に黒のスーツとワインレッドのシャツという、およそ医者とは思えない格好で現れた。まるでホストかヤクザだ。片目は包帯をしているし、唯一残った目も堅気とは思えないほど鋭く、周囲を威圧している。睨まれれば、たいがいの人間は戦くだろう。
そんな高杉だが、腕はいい(らしい)。ただ、ちょっとばかし非合法の医者の為、公にはなっていないらしいが(ヅラ談)。

高杉は悪態をつく俺を楽しげに見やっていたが、俺の肩越しにリビングを見やって、スッと目を細めた。

「んで?俺の患者はどこだ?」
「………ソファーの上だ」

察しのいい高杉は、俺の家なのにまるで自分の家のようにズカズカと上がりこんだ。慌ててその後を追うと、高杉はリビングの出入口で固まっていた。

「おい、どうしたんだよ?」
「…………銀八、テメェ………」

高杉は苦虫を潰したような顔をして、俺を振り返った。恐らくソファーの上で丸くなっている猫を見たんだろうが、一体どうしたというのか。
もしかして、やはりあの猫は何やらいわくがあるのか、と内心で冷や汗をかいていると。

「テメェ、いつから男に蔵替えしたんだ?」
「ばっ、ちげぇよ!」

大真面目な顔をして問いかけてきた馬鹿医者を、俺は盛大に罵っていた。すると高杉は、冗談だ、と淡々と返して、リビングへと入った。ったく、なんだよ。内心で悪態をつく。
高杉は大股でソファーの上の猫へと近づく。猫は高杉の気配を察したのか、ハッとソファーから顔を上げた。だが体が痛むのか、きゅっと眉根を寄せて、小さく体を震わせていた。

「無理すんじゃねぇ」

俺はそっと猫に近づいたが、やはり警戒を露に睨まれてしまった。
その間も、高杉は猫の傍に座ると、じっと猫の体を見つめていた。その視線が気になるのか、猫は俺と高杉を交互に見やっては、ぎゅっと唇を噛んでいた。

ややあって高杉は、なるほどな、と小さく呟いた。何か分かった様子の高杉に、ぴくりと猫の肩が震えた。何かに怯えるように、高杉を見る薄墨色の瞳。
なんだ、とその瞳に違和感を感じていると、高杉は真っ直ぐにその瞳を見返して。

「お前、『番号付きバーコード』だろう?」
「!」

ぴくん!と大げさなほど、猫の耳が動いた。ジリッ、とひどく怯えたように高杉から距離を取ろうとする猫の姿は、どこか尋常じゃない。
俺は慌てて、高杉の肩を掴んだ。これ以上、猫を刺激するのは良くない。あの気丈な目が怯えた色を見せると、なんだか見ているこちらの胸が痛むのだ。
肩を掴まれた高杉は、しかし俺に頓着することなく、淡々と続けた。

「安心しろ。俺は別にお綺麗な人間じゃねぇよ。お前ととっ捕まえようなんざ、思っちゃいねぇ。俺は医者だ。患者がいりゃ、それを直すのが俺の仕事だ。だがな、医者を信じちゃいねぇ患者に治療を施したところで意味がねぇ。分かるか?テメェは俺を信じちゃいねぇ。なら、俺はテメェを治療することはできねぇってことだ」
「おい、高杉」
「テメェは黙ってな。俺はコイツと向き合ってんだ」

邪魔すんな、と肩に置いた手を払われて、俺はしょげなさげに立ち尽くすしかなかった。
猫は、真っ直ぐに高杉を見ていた。高杉の言葉をどう受け止めたのか、その瞳には怯えというものはなかった。ただただ、目の前の男を見つめる、瞳。
その色に、高杉が鋭い眼光を緩ませた。

「俺を信じろ。いいな?」
「…………―――」

真っ直ぐな高杉の言葉に、猫は一度だけ、小さく頷いた。




治療中は部屋に入るな、と、リビングから締め出された俺は、廊下にぼんやりと佇んで、ふぅ、と一つ息を吐いた。何はともあれ、猫は治療を受けているし、あの様子なら治療中に暴れ出すことはないだろう。
もしかしたら高杉は、分かっていたのかもしれない。あのまま強引に治療をしようとすれば、益々猫は怯えてしまうことを。

ジン、と猫に引っかかれた頬が痛んだ。俺もあんなふうに言えば、良かったのか。そんな風に考えて、軽く頭を振った。
別にいいだろ。どうせ、すぐに居なくなる存在なんだから。

そう言い聞かせつつも、口の中に何か苦々しいものが広がって、ひどく不快だった。



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