Rainy's catman V

「終わったぞ」

数分後、高杉がリビングから顔を出した。肩越しに、ソファーに丸くなっている猫が見えて、高杉をちらりと見やる。
奴は俺の視線に気づいたのか、パタリとリビングの扉を閉じて、その扉に寄りかかった。懐から煙草を取り出して、カチ、とライターを付ける。もったいぶったようなその仕草にイライラしつつも、高杉が口を開くのをじっと待った。
ふぅ、と一息ついた高杉は、まず開口一番、身体的な問題はねぇ、と呟いた。意外なその言葉に、え?と呆気に取られる。

「身体的な問題はないって……おま、アレだけの傷で?」
「あぁ。外傷はほとんど打撲や擦り傷だ。ちゃんとした手当てをすりゃ、二、三日で良くなる」
「そ、そうか……」

俺はホッと一息ついた。俺が見た傷は確かに酷いものだったが、ちゃんと治るのだ。そう思って顔を明るめた俺だが、高杉の顔はどこか浮かない。
何か問題でもあるのだろうか。不安に思い、高杉、と声を潜めれば、どこか厳しい顔つきのまま、ちらりとこちらを見やった。。

「銀時、お前、アイツをどうするつもりだ?」
「どうって。んなこと聞いて、どうすんだよ?」
「…………―――」
「別に、どうもしねぇだろ。怪我が治るまで置いてやりゃいいだけの話じゃねぇか」
「……あぁ、そうだ。そうしたほうがいい」

ふぅ、と煙を吐いた高杉は神妙に頷いて。

「ま、どちらにしろ、アイツはテメェの手には負えねぇよ。ありゃ、人間というよりも獣に近いからな。……クク、精々頑張るんだな」

高杉は楽しげに肩を揺らしながら、診察料は初回だけサービスしてやるよ、と言って出て行った。次はねーから、と言えば、それならいいんだがな、と意味ありげに肩をすくめられて。
何だよ、どういう意味だよ、と問い詰めようとしたものの、その前に高杉はさっさと立ち去ってしまった。
残されたのは、意味も分からず困惑する俺一人。

「…………はぁ」

くしゃり、と頭をかく。もう深く考えるのが面倒になってきた。
とにかく、猫は今治療を終えて寝ているだろう。車を置きに行った新八も戻ってくる頃だろうから、とりあえずアイツに説明して。やることは、とにかくある。

何でもない一日が、急に忙しくなった。たった一匹の、迷い猫のせいで。
だが俺は不思議と、それを不快には思わなかった。




その日の夕方。
まだ猫は眠ったままだった。掛けてやった毛布に小さく包まって、すやすやと眠っている。その姿を見て、さて、と思う。俺の頭を悩ませているのは、夕食のことだ。このままずっと寝てくれた方が助かるのだが、そうもいかないだろう。目を覚ましたら、腹が減っているだろし、何か食わせないといけない。
しかし、獣人って、何を食うんだ?初歩的なところで戸惑ってしまう俺だ。だが、こういう時こそインターネットだ、とPCを開けば、獣人について詳しく載っているサイトを見つけた。

そのサイトいわく、獣人はほとんど人間と変わらない生き物だという。
ただ、半分は動物の血であるため、その辺りには注意が必要らしい。例えば、猫人だったら猫舌だとか、そんな具合だ。
なるほど、猫人は基本的に人間と同じモノを食べるが、ネギやイカ類はダメ。その他の魚類は好物。……お魚咥えたなんちゃらって奴だろうか。
ふんふん、と、とりあえず粗方の注意事項を読んでいた俺だが、そこまで獣人だからと騒ぐ必要がないことを感じていた。
人間も、獣人も、基本的な部分は同じ、とそのサイトには何度も書いてあった。俺も読みながら、それを感じ取っていた。

「なるほどなぁ。ま、これなら何とかなるだろ」

パタン、とPCを閉じつつ、今日の夕食は魚だな、と呟いた。

夕食が出来上がるころ、ピク、と猫の耳が動いた。目覚めたのか、と近づくと、俺の気配に気づいたのか、ハッと顔を上げて、傷に疼いたのか顔をしかめていた。

「無理すんな」

声をかければ、おそるおそるというようにこちらを伺っている。懐かない猫そのままの仕草に、俺は苦笑した。

「別になんもしねーよ。それより、飯食うか?一応お前の分も作ったんだけど」
「………」

ふるふる、と首を横に振る猫。いらない、ということなのだろうか。腹減ってないのか、と尋ねようとして、ぐぎゅううう、と猫の腹が盛大に悲鳴を上げた。
一瞬、呆気に取られる俺。そして猫は、きゅっと唇を固く結んで、小さく震えていた。どうやら、腹はすいているらしい。
内心の笑いを殺して、キッチンから猫用の飯を持ってくる。まだ怪我が治っていないだろうから、とおじやにした。炙った鮭入りだ。
猫はホカホカのおじやに興味を示した。ゆっくりと顔を近づけて、しきりに匂いをかいでいる。
警戒心むき出しの様子に笑いながら。

「意地張ってんじゃねーよ。別に毒なんざ入れてねぇからよ」

ほら、と目の前に一口食べてみる。ごくん、と飲み込むのをじっと見つめていた猫は、害がないと分かると、のそりと起き上がった。
どうやら、食べてくれる気になったらしい。俺は安心しつつ、座った猫の前に小さなテーブルを持ってきて、そこに盆を置いた。

「ほら、熱いから良く覚まして食えよ」

ぼんやりとおじやを見下ろす猫に、スプーンを差し出した。猫はじっとスプーンを見つめた後に、おずおずとそれを受け取った。すると猫は、きゅっと眉根を寄せた。怒ったような顔をして、スプーンをひたすらに見つめている。
一体どうしたんだろう、と様子を見やってた俺は、猫の様子にハッと思い至った。

「もしかして、使い方が分からないのか?」
「………」

返事はなかったが、恐らく間違いない。
猫はむすっとしながらも、しゅんと耳が垂れていた。少し、申し訳なく思っているのだろうか。表情では分からないが、態度が素直だ。俺はなんだか微笑ましくなりながら、もう一つスプーンを持ってくる。

「これはな、こうやって使うんだよ」

目の前でスプーンを握って、使い方を説明する。猫はじっと俺の動作を見て、己の持つスプーンとを交互に見ていた。そして、見よう見真似で、おずおずとおじやを掬っている。慣れないせいかプルプルと体を震わせつつ、掬ったおじやに口を近づけて、ぱくりと食べる。スプーンを口元に持っていけばいいのに、と思ったものの、口には出さない。
猫は上手くできたことに驚いたのか、目を大きくしていた。ぱちくり、と瞼を瞬かせて、耳がピルピルと動いていた。

「うん。よくできました」

偉い偉い、と褒めてやると、猫はスプーンとおじやと俺を見て、きゅっと唇を噛んでいた。

拙いながらもスプーンを使ってゆっくりと食事をする猫に安心して、俺も自分の食事を開始した。少し離れたテーブルに座って、猫の様子を伺いつつ、食事をとる。
俺の方は、鮭の塩焼きだ。そしてホカホカの白ご飯に大根の味噌汁。家庭的な料理だが、全部あの地味な担当の手作りだ。俺自身、料理ができないわけではないが、面倒臭がって料理をしない俺を見かねて、アイツは時々料理を作りに来る。ほんと、いいお母さんだアイツは。時々小煩い姑になるが。

さすが新八、と舌鼓を打っていると、カラン、と固い音がした。猫がスプーンをテーブルの上に置いていた。おじやは半分よりも少し多めに残っていたが、もうこれ以上は食えないのだろう。
食が細いのかもしれない。体つきが細いのはそのせいか。ぼんやりと猫を見やっていると、顔を上げたソイツと目があった。
薄墨色の瞳が、ゆらりと揺れる。綺麗な色だ。瞳孔が開いているのは、猫人だからだろうか。
サラサラの黒髪と、整った顔立ち。まだ幼さの残る線の細さは、どこか頼りなくも見えて。
何となく、小動物を拾ってくる人間の気持ちが分かった気がした。守ってやりたくなるような、そんな気持ちになる。

だが、それはこの猫の怪我が治るまでの、短い間に過ぎない。それは十分に理解していた。

「腹いっぱいになったか?」
「………」

話かけてみると、ふいっと視線を逸らされてしまった。そのままごそごそと毛布に包まって、こちらに背を向けて寝てしまった。毛布から出てしまった黒い尻尾がゆらりと揺れて、しばらくすると動かなくなった。
完全に寝入ってしまったわけではなさそうだが、少なくとも多少は俺に気を許してくれたのだろうか。
向けられた小さな背中を見て、ほんの少し、笑った。








つづく



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