神様と祓魔師   前


とある日曜日の昼下がり

「かーくれんぼするもの、よっといでー!」
「はーい!」

廃墟と化した教会で

「あはは、鬼は燐だね!」
「隠れるわよ!早く!」

かくれんぼしている間に


「……………、雪男?」


神様は、消えた







幼い頃から、僕の見る世界は汚れていた。目にする全てのものが汚くて、そしてその汚いものの中に自分もいた。生きていくために必死だった。なんでもやった。初めて銃を持って悪魔を殺したのは、確か七歳のとき。僕の撃った弾が悪魔に当って、甲高い悲鳴を上げるのを、僕はただただ見下ろした。目の前で奪われていく命。奪ったのは僕。何の感慨も浮かばなかった。
生きる為に殺す。それは僕ら人が、家畜を食べるのと一緒だ。だから悪魔を殺すのにも、さして抵抗はなかった。殺さなければ、殺される。そんな世界が僕にとっては当然だった。


「素晴らしいです奥村先生。さすがですね」
「………お褒めに預かり光栄です、フェレス卿」

騎士団本部の一室。僕の前には、僕の上司である男が一人。ニヤリと口元に笑みを浮かべて、提出した報告書を読んでいる。
内容はいつもとさして変わらない。殺した悪魔の数と、死んだ人間の数。それだけだ。だが目の前の男は数が多ければ多いほど、口元に歪んだ笑みを浮かべた。それがどっちの数か、なんてことは気にしない。

「さて、これはいつもの報酬です。またよろしくお願いしますよ」
「ありがとうございます」

手渡された茶色の封筒には、ずっしりとした重みがある。恐らく中には数えるのも面倒になるほどの金が入っているのだろう。最後まで数えたことがないから、分からないが。
僕はそれを懐に仕舞いながら、一度頭を下げて踵を返す。もうこの部屋には用がないからだ。
だが、部屋の扉の前に立ったとき、背後から声がかかった。立ち止まる。振り返る。フェレス卿は相変わらずの笑みを浮かべている。この男が笑み以外の表情を浮かべているところを、僕は見たことがない。ただそこに、好感が持てるかどうかは別だ。

「そういえば、奥村先生。先日の違法実験施設についてですが、」

ぴくり、とわずかに指先が反応する。だが、表情は変えない。そんな僕に、フェレス卿は何が楽しいのか鼻歌でも歌いだしそうな声色で。

「あの施設にいた研究員のほかに、人体実験と称して悪魔が数体収容されていたようです。ですが貴方の報告にその悪魔の存在はなかった。……どういうことでしょうか?」
「悪魔は見つけ次第始末しています。報告書になかったのは、すでにいないものを報告したところで意味がないと思ったからです。……それだけですが」
「そうですか。それならばいいのです。いえ、もしかしたら逃げ出したのではないかと懸念していたものですから」
「それはありえません」

きっぱりと言い切れば、そうですか、とフェレス卿は頷いた。だが、こちらをじっと見据える瞳には、なにか言いようのないものが浮かんでいた。僕はそれをじっと見返したあとに、すっと視線を外した。

「失礼します」
「ええ。お引き止めして申し訳ありません」

帰りを待っているのでしょう、と呟いたその言葉には、何も返さなかった。
ぱたん、と閉じた扉。懐に仕舞った報酬が、やけに重かった。だがそれを振り切るように、僕は歩き出す。

あの子達が、待っているのだ。




「あ!おかえりなさい!」
「おかえりなさい」
「うん。ただいま」

街の外れにある、小さな教会。もう廃墟と化したその場所に向かうと、外で遊んでいた彼女たちがぱっと顔を上げた。たたた、と駆け寄ってきては、おかえり、と笑う。僕はその声に返しながら、ふと、一人少ないことに気づいた。

「あれ?燐は?」
「あ、燐はね、」

あっち、としえみさんが指を差した先に目を向けると、何やら彼はしゃがみこんで一心に地面を睨んでいた。一体、何をしているのだろう。僕はじゃれてくる二人に構いつつも、そっと彼の傍に近づいた。

「燐?」
「っ、あ!」

そっと背後から声をかけると、びくりと肩を震わせた彼が振り返る。青い瞳と、目が合う。晴れた空のようなその色に僕が映っているのが見えた。
僕はしゃがみこんで、彼と目を合わせる。

「何してるの?」
「え、っと」

できるだけ優しい声で話しかける。昔の僕なら信じられない。今だって、本当に自分の声なのか戸惑うことがある。だけど僕の声で彼らがホッと肩の力を抜く姿を見て、これでいいのだと分かった。
彼はきょろきょろと視線を彷徨わせたあと、意を決したように顔を上げて。

「あのな、その………、これ……見つけて……」

おずおずと差し出してきたのは、四葉のクローバー。幸せを呼ぶといわれている葉だ。

「これ、見つけて。雪男にこれをあげようと思ったんだけど、そしたらしえみたちの分がなくなる、から。別の、探してた」

でも見つからねぇ、と彼は残念そうにその青い瞳を伏せた。そしてゆっくりと、僕にその葉を差し出した。

「雪男。これ、やる!」
「え、あっ、でもこれは、燐が見つけたものだよね?」
「いいの!やる!」

ぐい、と僕よりも少し小さな手のひらが、僕の手にクローバーを乗せた。僕が受け取ったのを見て、彼はにっと嬉しそうに笑って。

「雪男に幸せがたくさん来ますように!」

お願い!と誰にともなく言って、彼は仲間の下へと駆け出した。
僕はその背中を、呆然と見送った。彼らは甲高い声を上げてはしゃぎながら、くるくると走りまわっている。

「………―――」

手の中のクローバーを見る。
じわりと胸を差す暖かいもの。

しあわせ、と僕はぽつりと呟く。その言葉は舌で甘く、そして切なく溶けた。
なんて甘い。そして、なんて切ない。
僕はそっと、懐の中の茶色の封筒の中に、その葉を仕舞った。ぼんやりと、無邪気に遊ぶ彼らを見守る。その視線に気づいたのか、燐がぶんぶんと手を振る。

「雪男、かくれんぼしようぜ!」

いいだろ!と笑う彼に、僕は頷いた。やったあ、と喜ぶ彼らの輪に混じって、じゃんけんをする。
じゃんけん、ぽん。小さく広げられた手のひらが三つ、少し大きな握られた手が一つ。

「雪男が鬼だ!かくれろー!」

わっ、と彼らがちりじりに飛んでいく。僕は近くにある木に顔を押し付けて、瞼を閉じる、

「一、二、三、」

数を数える。
それはまるで、ここでの日々を数えているようにも思えた。



あの日。
騎士団に、ある組織が違法で悪魔の人体実験を行っているという連絡が入った。騎士団でも規制が厳しく、半ば禁忌とされている人体実験。もちろん騎士団は、それをしているという組織を許すはずもなく、抹消命令が出された。つまり、関わった人間は皆殺せ、というものだ。
悪魔を相手どる騎士団だが、時には人間も対象となる。そのことは良く知っていたし、そういう任務に借り出されることも少なくない。悪魔を殺すのも、人を殺すのも変わりない。ただただ、冷たい亡骸を見下ろすだけ。
その任務も、いつもと同じだった。違法で悪魔の研究をしている彼らを、殺して、殺して、殺した。逃げるその背中を撃った。研究の資材は全て壊した。跡形もなく。

ただ、一つ。

あの真っ白な研究施設の中で、血にまみれた僕を見上げた、青い色の二つの目。

『……………――――、神様』

呆然と僕を見上げて呟かれたその言葉に、僕は眉根を寄せた。
僕は神じゃない。とっさにそう紡ごうとして、唇が震えていることに気づいた。
何故?分からない。ただ、この瞳に見つめられるとひどく落ち着かない。あまりにも澄んだその瞳は無垢で、僕が視線を合わせることで汚してしまうような気がした。
だけど、ただただ見上げてくる瞳は、何よりも綺麗で。首から下げられた番号が、彼のそれまでを思わせて苛立たしく思った。彼にはこの場所は似合わない。そんな、気がして。

『………―――、一緒にいこう』 

気がつけば、彼に手を伸ばしている自分がいた。




閉じた瞼の裏で、僕は苦笑する。一体何をやっているのだろう。
殺すことが僕の生きるすべだった。全てだった。なのにどうだろう?そんな僕がかくれんぼの鬼をしている。自分でも信じられない。
彼らに同情しているのかと思った。実験として色々辛い思いをしただろう彼らに、もしかしたら少し罪の意識を持っていたのかもしれない。あの実験は、実は騎士団の上層部が絡んでいたからだ。
だから引き取って面倒を見ていた。最初のうちは。それなのに、今は、ほんの少し、心のよりどころにしている自分に気づく。

自分が何をしているのかは、自覚している。分かっている。

「このままじゃ、僕の立ち位置は危ないんだよね」

分かってる。だけど。

懐に入れたクローバーの葉は、優しい温かさを僕にくれた。
それだけで、十分だった。






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