神様と祓魔師   中

「僕は、騎士団を抜けようと思います」

淡々とそう言った僕の横で、彼女は飲んでいたものを吹き出した。汚い。顔をしかめれば、盛大に咽ていた彼女が、本気か、と尋ねてきた。

「本気です。もう、騎士団にはいられない」
「…………、そうか」

彼女は何も言わなかった。ただただ、目の前のジョッキを飲み干す。ぷは、と息を吐いた彼女は、それで?とこちらを見上げて来た。

「なんでそれを、アタシに言うんだ?」
「………、誰か一人くらいには、知らせておこうかと思いまして」
「ふぅん?それで、アイツらをアタシに押し付けるのか」
「!」

ハッ、と彼女を見やる。彼女は僕の視線に気づくことなく、新たに注がれたジョッキを仰いでいた。そしてごくりと飲み干すと、ニッと歯を見せて笑う。

「アタシが気づかにゃいとでも思ってたのか?だからお前はビビリ眼鏡なんだよ」
「意味が分かりません」
「んー。でもま、面構えは前よりオトコマエになったんじゃにゃいの」

アタシからすればまだまだだけどにゃー、なんて彼女は陽気に笑う。

「だが、それとこれとは別だ。アタシはごめんだよ。ガキの面倒なんて。それこそめんどくさい」
「……僕は何も言っていませんよ」
「にゃはは、だからお前はまだまだなんだよ。ったく、お前も損な性分だな。もっと楽に生きろよ」
「これが普通です。貴女が楽をしすぎているんですよ」
「アタシほど働き者はいないよ。金さえもらえれば、なんだってする。それがたとえ、面倒なガキのお守りでも、だ」
「………」

ニヤニヤと笑う彼女に、してやられた気分だ。だがそれを表に出すのは尺なので、黙ったまま懐にある封筒をそのまま彼女に差し出した。

「まいどー。さっすが高給取り。羽振りがいいにゃあ」
「…………、よろしくお願いします」

彼らを。
そう言えば、彼女はすっと目を細めた。今まで浮かべていた馬鹿笑いではなく、子どもを見守る母親のような、優しい笑みを浮かべて。

「ほんと、お前は不器用だよ」

馬鹿だな、と彼女は静かに囁いた。




それからの僕は、とにかく必死だった。
騎士団を辞める、とは言ったものの、あそこは一度入団したら途中で抜けることは許されない。守秘義務があるからだ。だから辞めるとなると、必然的に騎士団から逃げる生活を送らなければならない、ということだ。
そして僕には一つの目的があった。それは、騎士団が所有する呪符や防具といったものを、元の主に返すこと。騎士団に集められたそれらは、実は正規の持ち主から奪ったものがほとんどだ。悪魔を祓うためには、協力な呪具がいる。それを集めるため、騎士団の名の下、略奪は繰り返されてきた。
僕はそれを、持ち主に返したいのだ。

自己満足と思われるかもしれない。そんなことで、僕のしてきたことが無になるとは思わない。
ただそれでも、何もしないわけにはいかなかった。無駄だと思われようが、僕にはその責任があると思ったのだ。



「あれ、雪男。なんかいつもと違う……」
「ん?あぁ、眼鏡、してないからかな」

教会に向かうと、燐が不思議そうに見上げて来た。眼鏡を掛けていない僕が、不自然に見えるのだろう。僕自身、眼鏡がないのがいささか奇妙に思えるのだ。

「なんで?なんで眼鏡外したんだ?」
「ん?……ちょっとね」

騎士団から身を隠すため、眼鏡を外したのだ、とは言えなかった。
変装用に用いられる眼鏡だが、それを常にかけている人物が外すと、ぱっと見た印象が違うように映るらしい。それを利用した。気休めくらいにはなるだろう。
コンタクトにしたのはいいが、やはり僕には合わないようだ。僕は苦笑した。

「………雪男?」
「ん?どうしたの?」

むぅ、と難しい顔をした燐が、僕へと手を伸ばした。彼に目線を合わせるようにしゃがみこむと、小さな手のひらが僕の目じりを撫でた。その仕草に、どきりとする。

「ここ、真っ黒になってる」
「……」
「雪男、ちゃんと寝てるのか?すごい顔してる」

正直、驚いた。バレていないと思ったのに。僕は拙い動作で撫でる手のひらを掴んで、笑った。心配そうな、青の瞳。僕はその瞳の揺らぎを失くすためなら、嘘をつくことだっていとわない。

「大丈夫だよ。昨日は仕事が忙しくて、寝るのが遅くなっただけ」

そう、嘘だった。仕事が忙しいのも、寝るのが遅くなったというのも。
ただ、寝れなかったのだ。騎士団を抜けた僕に対する、徐々に狭まってくる包囲網。そして、騎士団から盗んで返した後の、息の詰まるような感情。それが罪悪感と呼ばれるものなのかは分からない。だけど、夜、眠ろうとすると、見るのだ、夢を。
そんなことをしても無駄だ、と囁く、暗い亡霊の夢を。そんなことをしたところでお前の罪が消えるわけではないという、声を。それは夜な夜な僕に囁き、僕は瞼を閉じるのが怖くなった。

分かっていた。これは僕の自己満足でしかないことを。罪を軽くしようとする自分の浅はかさを。
そしてなにより。
そんな自分を、汚い自分を、この子たちに知られるのが、怖かった。

「ねぇ、燐」

……―――かくれんぼ、しよう。


僕は笑った。




僕は結局、弱い人間でしかなかった。
誰も救えないし、救えるとも思っていない。やってきたことは殺すことだけで、それ以外のことなんてしたことなんてなかった。優しさなんて知らないし、与え方なんて分からないまま、僕はあの子たちに手を伸ばしてしまった。
それを後悔することはないけれど、それでも、僕はあの子たちと出会って、更に弱くなったような気がする。


「いーち、にーい、さーん、」

背後で、数を数えるあの子がいる。僕は小さく振り返って、そして、そっと囁く。

「僕といれば、君たちが危ないんだよね」

だから置いて行く。
だから、手放す。
あぁなんて、僕は弱い人間だろう。

あの子たちを思いやるフリをして、その実、僕の本性を知られるのが怖くて、逃げただけなのに。

さよなら。
どうか、どうか。

「………しあわせで」

いつかもらったクローバーの葉を、そっとその場に置いた。これからの僕には、必要のないものだからだ。





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