神様と祓魔師 後

あれから、もう随分と時間が経った。あの子たちと別れてから、コンタクトレンズにしていたのを眼鏡に戻した。やはり眼鏡の方が落ち着くし、変装をする意味などもうなかったから。
奪ったものを返し、時には悪魔祓いの仕事をして、それで生活を繋いでいた。騎士団から追われる身だったから、一つのところには長く留まれない。西へ、東へ、転々とする日々。
騎士団が奪ったものはもうほとんど返し尽くした頃、一つの依頼が僕に舞い込んできた。いわく、依頼人の娘に取り憑いた悪魔を祓って欲しい、というものだ。僕は一二もなく頷いた。聞いた話だと、そこまで強い悪魔ではなさそうだし、なによりその依頼主は、騎士団との繋がりがあり、騎士団が奪った呪具を保管している人物だった。騎士団に依頼しないのか、と聞くと、どうやら騎士団には内密にして欲しい、とのことだった。何か理由があるのだろうが、知ったことではない。いい機会だ。依頼のついでに呪具を回収しよう。そう目論んでのことだった。

「………ここが」

僕は屋敷を見上げる。切り立った崖の上に建てられた屋敷は、とても大きくて広かった。西洋の雰囲気漂う屋敷には、ぽつりぽつりと明かりが灯されていて、中に人がいるのだと僕に知らせた。
さっそく、扉の脇に設置されたインターフォンを押す。すぐに、はい、という返事が聞こえた。

「悪魔祓いの依頼で来ました。奥村です」
『あぁ、貴方が。話はご主人様からお伺いしております、どうぞ中へ』

柔らかな男の声の後、ガチャリ、と扉のカギが開く音がした。中へ入ると、いかにも執事然とした、物腰の柔らかな男性が僕を出迎えた。彼は僕の顔を見るなり、そっと頭を下げた。

「わざわざ遠いところを、ようこそお越し下さいました」
「いえ、それが仕事ですから。それで、依頼人は今どちらに?」
「申し訳ありません。ご主人様は現在急な出張で海外におりまして。話は全てお伺いしておりますので、何かございましたら私へ申し付けていただければ」
「あぁ、そうですか。でしたらさっそくですが、悪魔に取り付かれたという娘さんに会わせてください」
「はい。こちらです」

案内されたのは、屋敷の一番奥の部屋だった。どんよりとした空気が辺りに漂い、重苦しく肩に圧し掛かる。僕が眉根を寄せていると、彼は部屋をノックした。

「お嬢様。悪魔祓いの専門の方をお連れしました」
「………、はい」

か細く、震える少女の声が返ってきた。彼が扉を開けると、可愛らしい人形が並ぶ部屋の中心に、天蓋付きのベッドが見えた。あそこに、悪魔に憑かれたという少女がいるのだろうか。カーテンに遮られていて、ベットの中まではよく見えなかった。

「失礼します。お嬢様、お加減の方はいかがですか?」
「…………」

少女は答えない。だけど僅かにベッドの上で身じろきする気配がしたので、僕はゆっくりとベッドに近づいた。そして、失礼します、と声をかけてから、カーテンをそっと引いた。

「………、これは」

うつろな目をした少女が、そこに横たわっていた。痩せこけてしまった頬に、青白い肌、手足はまるで骨と皮だけになってしまったかのように細く、見ているだけでも痛々しい。まるで拒食症患者のようにやせ細った体を見渡して、僕は小さく息を吐く。

「これは、餓鬼憑きの仕業でしょう」
「餓鬼憑き、ですか」
「ええ。山道を歩いている人間に憑いて、身動きを封じてしまう悪魔です。彼女がこうなったのは、何時ごろのことですか?」
「三日ほど前です。学校からお帰りになられて、疲れたからとベッドで休まれてから、お食事も取らずにいらっしゃいまして。さすがに様子がおかしいと様子を見に来たら、このようなお姿に……」
「なるほど。ここに来るまでに餓鬼憑きに憑かれたのでしょう。それから彼女は、食べ物を口にしていないのですね?」
「はい」
「…………」

僕はじっと彼女を見下ろした。ぼんやりとした瞳が、僕を見上げている。その瞳には、どこか見覚えがあった。

『雪男!』

はじけるように明るい、彼の声が脳裏に響く。
あぁ、彼は今、何をしているのだろう?元気にしているといいな。
ぼんやりと感傷に浸りつつ、僕は彼を振り返った。

「今から言うものを、準備して下さい」





ばたん、と扉を閉める。僕はホッと肩の力を抜くと、彼もまた、安心したように笑っていた。

「お嬢様を救っていただき、ありがとうございます」
「いえ、お力になれてよかった。あとはしっかりと栄養のある食事を取って、十分に休んでください」
「はい。本当に、ありがとうございます」

彼は丁寧に頭を下げた。僕は苦笑しつつ、そっと扉を見やった。
……餓鬼憑きを祓うには、とにかく何かを食べさせることだ。米の一粒でもいい、どんなに抵抗されてもその口に食べ物を入れてしまえば、餓鬼憑きは祓える。現に、彼女も食べ物を口に入れた瞬間、顔色が元通りになり、目に生気が戻った。

「ご主人様もお喜びになられることでしょう。そうだ、お礼と言っては何ですが、これからお食事でもどうですか?」
「あ、いいんですが?お世話になっても」
「ええ、勿論です。貴方様はお嬢様の命の恩人ですから」
「じゃあ、お世話になります」

僕は頭を下げつつ、内心で小さく笑った。チャンス到来だ。
彼は食事の準備が住むまで、屋敷を自由に歩いていていいと言って、その場を去った。まさにこれ以上の好機はない。僕はゆっくりとした足取りで、屋敷の奥へと足を進めた。
脳裏に、下調べしてきた屋敷の間取り図を広げる。金庫のある部屋は、餓鬼憑きに憑かれていた少女の部屋の反対側の、一番奥の部屋だ。
きょろり、と周囲を見渡して、人の気配がしないことを確認。ドアノブを回す。鍵が掛かっている。コートの懐から取り出した針金を曲げ、差し込む。くいっと引くと、カチャリと鍵の開く音がした。
そんな一連の動作に手馴れてきた自分に苦笑しつつ、そっとドアを開けると、素早く中へ入る。暗い室内には、所狭しと調度品などが置かれ、その奥に金庫が鎮座していた。おそらくあの中だ。
僕は眼鏡を外して、懐から取り出したスコープを嵌める。暗い室内に浮かび上がる、赤色の線。それは部屋中に張り巡らされていて、僕の行く手に絡み付いていた。僕はぐるりとその線を見渡して、かいくぐれるルートを探る。ギリギリのラインで通れる道筋を決めると、ゆっくりと慎重に、その赤色の線をくぐる。

おおよそ十分の時間をかけて、金庫の前に辿り着く。金庫はダイヤル式になっていて、聴診器で音を聞きながら、金庫のダイヤルを回す。六、〇、二、とダイヤルを回せば、解除される音がした。
一つ息を吐いて金庫を開くと、ペンライトを取り出して中を照らした。恐らく何かの権利書か何かだろうか、書類の束の中に、青い色の水晶玉があった。コレだ。僕は手を伸ばす。
つるりとした手触りのそれは、恐らく封印具の一つだろう。空のような、海のような、そんな綺麗な青色をしていた。

「……、綺麗だ」

ぼんやりとその青色に見惚れていた僕は、背後から聞こえてきた微かな音に、ハッと肩を強張らせた。振り返るのと同時、一歩引いた右足に、赤い光が走って。

「っ!」

しまった、と思ったその瞬間、

ドン!という何かが爆ぜる音が、響く。
体が中に浮いて、背中に衝撃が走る。
ガシャン!とガラスの割れる音と共に、僕の視界には真っ暗な夜の闇が映った。
とっさに手を伸ばす。ザリッと砂の感触。右手には青い色の水晶玉。割れた眼鏡越しに、自分の置かれた状況を把握する。

どうやら、さきほどの爆発で外の崖まで飛ばされたらしい。そして今、左手一本で崖っぷちにぶら下がっている。
眼下には、黒い森が手招きするように揺れている。落ちろ。落ちろ。そう呼んでいる。
顔を上げれば、数人の気配がこちらに近づいて来る。

僕はぐっと唇を噛み締めた。
罠、か。
もしかしたら、あの依頼から騎士団の罠だったのかもしれない。騎士団と繋がりがあると分かった時点で、僕はこの依頼から手を引くべきだったんだ。
……―――放っておけないと思ったのは、僕の弱さだ。
小さく苦笑を漏らす。思えば、あの子たちを施設から救ったことも、僕の弱さの一つだったんだろう。
だけど、不思議と後悔はしていなかった。

『雪ちゃん、見てこのお花、すごく綺麗だよ』

施設から出てすぐは、声を出せなかったしえみさんの、柔らかな声。

『ちょっと!また無茶してるんじゃないでしょうね?』

人一倍気が強くて、だけど心優しい神木さんの、眉根を寄せた難しい顔。

『雪男!なぁ、これは何ていうものなんだ?』

………―――誰よりも真っ直ぐに、前だけを見ていたあの子。
綺麗な青い瞳が印象的なあの子の名前だけが、どうしても思い出せない。
あんなにも無邪気に笑ってくれていたのに。

びり、と左腕が痺れる。血の気が引いて、岩肌を掴んでいる感覚さえ消えていく。

『かーくれんぼするもの、よっといでー!』
『はーい!』

遠いあの頃が、脳裏に過ぎる。
幸せで、温かくて、そして、短すぎるあの日々を。

『もういいかーい?』

弾けるような笑い声に、僕はそっと目を閉じた。

「………、もう、いいよ」

いいよ。もう、十分だ。

揺らぐ視界。もう感覚のない腕。下には闇が広がっていて、ひっそりと僕を待っている。
ロクな死に方はしないだろうと思っていた。あっけない終わりだなとも思った。だけど、僕が想像していたのとは、少し違っていて。それはたぶん、あの子たちのおかげで。
奪って、殺して。そんなことしかできなかった僕に、与えて、与えられることの意味を教えてくれた。
それだけで、もう、十分だ。

「……、ありがとう」

離れる左手。ふわりと浮く体。近くなる闇。

あぁ、僕の人生は、ここで終わった。














ふわり、と。


「見つけた。………長いかくれんぼだったな」


低い声。痺れる左手に、込められた力。急停止する僕の身体。見上げたその先には、青い色。
ゆらりと揺れて、とても、綺麗で。小さな滴が一つ、僕の頬に落ちた。
暗い、闇に消えそうな黒のコート。見覚えのあるバッチ。あぁでも、確かに面影はある。

「次は置いて行くなよ。………手を貸せ」

さぁ。

「しえみ!出雲!手伝ってくれ!」

地に足の着いた神様を、

「引き上げるんだ!」

引き上げられる身体。闇が遠くなる。繋がれた左手に、温もりが戻る。
あぁ、そうだ。思い出した。この子の名前を。


「…………―――、燐」


僕が呼ぶと、彼は、燐は、小さく笑った。

覚えていたとおりの、眩しい笑顔だった。









おわり

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