こどもが眠ったあとで 1







俺は同性しか愛せない。俗に言う、同性愛者という奴だ。
そして、今の俺には同性の恋人がいる。仕事の同僚で、俺の上司にあたる人だ。
彼はとても優しくて、暖かな人だ。一緒にいて、落ち着ける。おおらかに笑うその笑顔が好きで、この人となら結婚はできなくても一生傍にいたい。そこまで、思える人だった。
なのに。

「俺、結婚するよ」

いつものデートの帰り道。ぽつりと恋人である近藤さんがそう言った。
俺はぽかん、と呆気にとられた。だけどすぐにまた性質の悪い冗談を言いだした、と思った。近藤さんは時々こういう冗談を言って俺を驚かせるから、今回もその類なのだと思って、俺は笑った。

「近藤さん。その冗談は笑えねぇよ」
「え?いや、冗談じゃないよ」

本当だ、と何でもないことのように言うその横顔を、今度こそ俺は信じられないとばかりに見上げた。すると近藤さんは俺の視線に気づいたのか、少し居心地の悪そうな顔をして。

「とっつあんの紹介でな。どうしても断れない相手なんだよ。トシへの気持ちが薄れたわけもないし、別に結婚するからって、この関係が終わるわけじゃないさ」

俺はトシが好きなんだ、と。
結婚するよ、と告げたその同じ口でそんなことを言う近藤さんが、信じられなかった。同時に冗談じゃない、と思った。つまり近藤さんは、結婚はするけれど俺との関係は続ける、つまり俺に不倫しろと言っているようなもので。
急に、近藤さんが別人のように思えてきた。今まで隣にいて、あの暖かな笑みを浮かべていた人は、どこへ行ったのか。それとも最初からそんな人、存在しなかったのだろうか?

「俺に不倫しろってのか?冗談じゃない。結婚するなら相手を大事にしろよ」
「いきなりこんな話をしてすまない。な?ちょっと落ち着けよ、トシ」
「俺は十分、落ち着いてる。近藤さんは結婚するんだろ?おめでたいことじゃないか」

俺はふぅ、と煙草の煙を吐く。煙草を持つ手が震えそうだったけれど、強引にねじ伏せて。

「……―――、じゃあな、近藤さん」

俺はまくしたてるようにしてその場を立ち去った。背後でトシ!と俺を呼ぶ声が聞こえたけれど、決して振り返らなかった。





最悪だ。
気分は低底だった。
ずるずると足を引きずるようにしてマンションへと辿りついた俺は、とにかく早く部屋に戻って寝たいと思った。
そしてようやく部屋のある階までたどり着くと、俺の部屋の前に小さな男の子が座っていた。誰だ?こんな夜遅くに、と思って首を傾げる。俺の部屋の隣の住人は、俺よりも早くこのマンションに入っているらしいのだが、挨拶に行った時も留守だったし、家族構成を良く知らない。そのため、男の子が隣の住人の子供なのかも分からない。
だが、マンション内とはいえ小さな子供をそのままにしておくわけにもいかず、俺は取りあえず声をかけてみる。

「……お前、ここの家の子か?」

俺が声をかけると、ハッと子供は顔を上げた。くりくりの赤い瞳がこちらを見上げる。珍しい色だな、とその色を見つめていると、子供はこくん、と一つ頷いた。どうやら隣の住人の子供であることが分かった。サラサラの金色の髪が揺れる。顔立ちは日系なので、ハーフなのだろう。
俺はホッとしつつ、改めて子供の身なりを見てみる。すると、靴に「坂田金時」という名前が書いてあるのを発見した。

「坂田金時?それがお前の名前か?」

こくん、と再び一つ頷く。どうやら人見知りする子供らしい。困ったな、と思いつつも、その場にしゃがみ込んで金時と視線を合わせる。

「俺は土方十四郎。隣に住んでるんだけど……。お前の家には誰もいないのか?」

ふるふる、と首を横に振る。どうやら家に誰も居ないということはないらしい。それならどうして家に入らないのか、と思ったものの、取りあえず何か事情があったらいけないと思い、隣の部屋のインターフォンを押す。だが、いくら待っても返事がない。
弱りきった俺は、とにかく金時に出来るだけの事情を聞いてみることにした。

「母さんはいないのか?」

今度は首を縦に一つ。
どうやら、母親は家にはいないらしい。夜も更けているし、父親がいるのかは分からないが、とりあえず隣の家の住人の子であることは確かだ。
かといって、このまま子供を放置するわけにもいかないので、俺は仕方なく自分の部屋に金時を上げた。
当の金時は落ち着いたもので、玄関先で俺の部屋を見渡した後、ちらりと俺を見上げた。上がっていいのか迷っている様子だったので、入るように促す。

「とりあえず、俺の部屋にいろ。俺はお前の家のポストに書置き置いてくるから」

いいな?と聞けば、こくん、と頷く。
子供は苦手だったが、この金時はやけに大人しくて聞き分けがいい。俺は内心でホッとしつつも、こんな大人しい子を外に放り出したままにするなんて、と見たこともない隣の住人に憤慨した。
イライラしつつ、俺は会社の名刺の裏にメモを残す。
自分は隣の部屋の住人で、子供を預かっている、と。そしてその名刺をポストへと入れて、再び部屋へと戻った。
中では金時はぽつりとしょげなさげに立っていた。座っていいのかも分からなかったようだ。
俺は妙な違和感を感じつつも、とりあえず金時を座るように促した。
すると金時はもじもじと落ち着かない風で、俺と部屋を交互に見ていた。同時に、ぐぅう、という盛大な腹の音が鳴って、金時はハッと顔を赤らめた。
何だ、そういう顔も出来るじゃないか、と俺は微笑ましくなる。

「腹減ってんだろ?何か作ってやるよ。まぁ、大したモンはできねぇけどな」

そう言いつつ、冷蔵庫を開ける。飯は少し残っているし、卵もハムもある。これでチャーハンでも作ってやればいいだろう。そう思って、俺はとりあえず冷蔵庫から卵を取り出したのだった。





即席で作ったチャーハンを、金時は最初は恐る恐るというように口にしていたが、やがて堰を切ったようにガツガツと勢いよく食べ始めた。よほど腹が減っていたのだろう。
そういえば、いつから金時はあそこに居たのだろう?この様子じゃ、かなりの長い時間外に放置されていたに違いない。俺は再び、親に対しての怒りが込み上げてきた。
俺は同性愛者だから、子供は望めないし、望んでなどいない。暖かい家庭なんてものは作れないと最初から分かっているからだ。
だけど、それでもいいと、傍に居れればそれで十分だと思う人に、確かに出会えたはずだったのに。
再び、近藤さんのことを思い出して、気が滅入り始めた。はぁ、と深くため息を付いて、ぼんやりと金時がチャーハンを食べている様子を眺めていると、部屋のチャイムが鳴った。もしかしたら、書置きを隣だろうか。俺は金時を見やりつつ、玄関へと向かう。

「すいまっせーん。隣の坂田ですけどぉ」

扉の向こうで、間延びした男の声がする。やる気のかけらも感じさせない声に眉を寄せつつ、扉を開ける。そして、その向こうにいる人物を見上げて、絶句した。

「あの、この書置きみたんだけど。えーっと、隣の多串君?だっけ?」
「誰ですかそれ」
「アレ?違ったっけ?」

アレ?と首を傾げる男。俺は不躾だとは思いつつも、彼の姿をまじまじと見つめた。
ぼさぼさとした、好き勝手跳ねまくった銀色の天パ。死んだ魚のような赤い瞳は、銀縁の眼鏡が掛けられている。青いシャツをだらしなく着ているその男は、見るからに胡散臭い。年は俺と同じくらいか、少し上くらいだろう。
この男が、金時の父親だろうか。目の色が同じだから、多分そうだろう。

「土方だ。それよりアンタ、どういうつもりなんだよ」
「どういうつもりも何も。この書置きがあったから来ただけなんですけど。うちの、預かってくれてるみたいだし?」
「だから!そのことでどういうつもりなんだって言ってンだ。こんな夜遅くまで外に子供を放置するなんて、親のやることじゃねーだろ」
「あー、俺、仕事しててさ。全然気がつかなかったわ」

何、と俺はその言葉を信じられない思いで聞いていた。いくら仕事に熱中していたからと言って、子供のことを忘れる親がどこにいる。
ダメだコイツ、まるっきりのメな親だ。略してマダオだ。
俺が額に青筋を浮かばせていると、ととと、と軽い足音がして、金時が部屋から顔を出した。そして、父親の姿を見て、こちらへと歩いてくる。

「あー、ごめんな、金。俺もすっかり忘れちまっててさ」

坂田がそう言うと、金時は黙ったままふるふると首を横に振る。気にするな、ということだろう。この男の父親とは思えないほど良くできた子供だ。だが、あまりにも聞き分けがよすぎるのが、少し気になる。
だが、これは隣の家の事情だ。ただの隣人が口を挟んでいいことではない。今回はたまたま金時を預かったが、もう関わりになることはないだろう。

「ま、預かってくれたことには礼を言うわ。えーっと、隣の多串君」
「土方だっての!ったく、ほら、早く帰れ」

じゃあな、とイライラしつつ玄関の扉を閉める。その直前に金時かこちらをちらりと見たので、金時にはじゃあな、というように軽く手を振っておいた。

全く、なんだってんだよ、今日は。

バタンと閉じられた扉を見つめながら、疲れを覚えて小さくため息を吐いた。
明日出勤したときに、近藤さんとどんな顔をして向き合えばいいのだろう、と途方に暮れながら。







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