こどもが眠ったあとで 3







「なぁなぁ、とおくん」
「慣れ慣れしいのは好きじゃねェ」
「じゃあ、十四郎」

いや、変わねぇし。
その言葉をぐっと飲み込む。部屋に入れない俺の為に風呂を貸して、服まで貸してくれた恩人なのだ。目の前の男は。ひどく不本意なことに。まったくもって気に食わないが、恩人に対して無礼を働けるほど、俺は恩知らずではない。我慢だ、我慢。
坂田は慣れ慣れしく俺の肩を抱くと、嫌そうな俺を無視して、耳元で囁いた。

「お前、ゲイだろ」

あっさりと寄越されたその言葉に、一瞬言葉に詰まる。押しやることすら忘れて呆然とする俺を、張本人である男は俺の顔を満足そうに見やっていた。

「なんでって顔してんな」

小さく笑った坂田は、そっと俺の頬に手を伸ばした。つ、と頬を辿る指先の動きに、ぞく、と背筋に覚えのある感覚が走った。
まるで、誘われてるみたいだ。思って、いや、と否定する。同じ同性愛者ならともかく、普通の男がいきなり同性である男をそういう目で見れるわけがない。だが、だとしたらこの頬に伸ばされた手の説明がつかない。
軽く混乱する俺をどう見たのか、今度は頭へと手を伸ばして、軽く撫でた。その、優しい手つきが心地よくて、つい、そのまま身をゆだねてしまった。
坂田はクスリと笑って、ゆっくりと俺の髪を梳く。

「まず最初に思ったのが、独身のお前がこの1DKの部屋を買ってるってことは、所帯を持つつもりがねぇってことだ。んで、昨日ちらっと見たお前の部屋は綺麗に片付いてたし、部屋の雰囲気が洒落てたからな」
「……まさか、それだけで?」
「あー、まぁ、そうだな。つーか、それだけで十分だろ。リーマンのお前にハウスキーパーを雇う余裕はなさそうだし、片付けてくれる女がいたとしても、あそこまできっちり片付けることはできねぇよ。部屋のセンスにしても、だ。俺の知人もそうだが、ゲイの奴らは総じてセンスがいい」
「ンなの、偏った偏見じゃねーか」
「ま、これだけならそうかもな。だけど、俺がお前のことゲイだって思った決定的なモンがあるんだけど、聞きたい?」

二ィ、と意味深な笑みを浮かべた坂田を、俺は胡乱気に見た。何となく、坂田の言いたいことが分かってきたのだ。
ここでもし、その「決定的なもの」を聞いて俺が肯定すれば、ベッドに誘うつもりなのだろう。いや、もしかしたら否定したところで無駄なのかもしれない。人のセクシャリティについてズバズバと不躾に聞いてくるような男だ。他人に対する思いやりというものを持っているとは思えない。

「もし俺がゲイだったとしても、テメェには何の関係もねぇだろ」
「そんな警戒すんなって。もしかして、俺のこと意識してんの?」
「誰が、誰のことを意識してるって?」
「おー、怖いな、その目。お前さ、マジでただのリーマンかよ?どっかのヤーさんみたいな面してやがる。ま、俺には通用しねぇけどな。つーか、やっぱり俺のこと意識してんじゃねぇの?」

お前は目が正直だからな、と坂田は得意げに笑った。

「これが、俺がお前をゲイだと思った決定的な理由だ。お前、俺のこと物欲しそうな目で見てたからな。俺の顔、お前の好みなのか?一瞬でも俺の服の下、想像しただろ?」
「……」

坂田の言葉に驚いたが、同時に呆れもした。どんだけ自意識過剰なんだ、と。しかもそれが当たっているから性質が悪い。
確かに、坂田の姿を見た時に考えなかったわけじゃない。だが、それとこれは別だ。体だけの関係を結ぶのは簡単だが、隣人という近すぎる距離は軽い付き合いをするにはリスクがありすぎる。

「自惚れンな。誰が物欲しそうな目で見てただ。ただ単に、テメェの天パが珍しくて見てただけだろうが」
「ふぅん?本当に?……本当に、俺の自惚れか?」

坂田がぐっとこちらに近づいてきた。不思議な赤色の瞳が、こちらを覗き込む。そのまま膝を足の間に入れられて、ぐ、と腰を押し付けられた。その感触に、カッと頭に血が上った。しまった。こんな反応を示しては、自分がゲイだと言ったようなものだ。
現に、坂田は我が意を得たり、という顔をして笑っていた。

「なぁ、さっき会ったとき、捨てられた猫みたいな顔してたけどさ、なんかあったのか?」
「な、んだよ、捨てられた猫みたいな顔って」
「ん?途方に暮れたっていうか、飼い主が急にいなくなって、寂しいって顔だよ」

どきり、とする。寂しい。その言葉が、的を射ていたからだ。だがそれを素直に認めるのは尺なので、否定する。

「誰がンな顔するかよ。部屋の鍵を失くしたんだし、途方に暮れるのは当然だろ?」
「それだけであんな顔するかよ」

すっぱりと切り捨てられて、もう抗議するのも面倒になった。この体勢から抜け出したいのもあって、半ばヤケクソ気味に近藤さんとのことを話した。

「失恋したんだよ、最近。悪りぃかよ」
「や、別に悪くはねぇよ?でも、失恋かぁ。そりゃご愁傷様」
「別に、落ち込んでるわけじゃねぇし」

言いながら、自分でも強がってるのが分かった。ということは、目の前の男にも伝わっているに違いない。妙に敏い坂田のことだ、自分の強がりなど一発で見抜くだろう。案の定、坂田は頭を撫でていた手に力を込めて、ぐっと引き寄せてきた。

「じゃあ、俺が慰めてやるよ。こういうときこそ、セックスが一番だ」
「は?」

何を、という間もなく、腰をがしりと掴まれ、寝室へと引っ張られてしまった。抵抗するものの、どこにそんな力があるのか、もがいても腕を振りほどくことができない。

「ちょ、冗談はよせって!」
「冗談?何言ってんだ。俺は本気だぜ?こういうときこそ、人肌が恋しくなるもんだろ?一発ヤってぐっすり寝れば、明日には元気になってるって」
「なるわけねぇだろ!ちょ、マジで止めッ……!」
「いいからいいから。物は試しだって。別に減るもんでもねぇだろ?」

冗談じゃない。だってまだ、近藤さんのことを引きずっている自分がいるのだ。そう簡単に諦められるわけじゃないし、ましてや他の男と寝るなんて、そんなこと、できるわけがない。
そう思ったものの、体はしっかりと反応を示している。ちくしょう。男って厄介な生き物だ。そう思わずにはいられない。

「騙されたと思ってさ、試してみなって。寂しさは、人肌で埋まるもんだよ」
「………騙されたら終めぇだろうが。……ッ、くそ………ッ」

坂田は言いながら、俺の服を脱がしていく。手際の良さに、感心するやら呆れるやら。どうやらすっかりその気になった坂田に煽られて、俺も徐々にその気になっていく。はぁ、と熱い息を吐けば、坂田は満足そうに笑った。
そして、己の来ていたシャツに手をかけ、豪快に脱ぎ捨てる。現れたのは、完成された男の体だ。だらしない生活を送っていそうな坂田だから、体なんてダルダルだろうと思っていたのに、しっかりと鍛えられた体つきをしていて、ぼんやりと見惚れてしまった。

「ど?俺の身体。予想以上だろ?」

ふ、と男くさく笑いながら、坂田が俺の手を取って、己の体に這わせた。しっかりと引き締まった筋肉が、手のひらから伝わってくる。触れたところから熱を持って、汗が滲む。やばい。かなり、興奮している。自分でもそれが分かって、いたたまれない気持ちになった。

「十四郎の身体は、予想通りだな。肌白いし、綺麗だ。そのクールでストイックな顔が快楽で歪むのを想像しただけで、イケそうだわ」

ぺろり、と舌なめずりをする坂田は、まるで肉食の獣だ。ということは、俺はそれに食われる獲物といったところか。情欲に濡れた赤い瞳がこちらを射抜いて、背筋がぞくりとした。
正直に言えば、今まで付き合ってきた男は、どちらかと言えば年上で、一緒にいて落ち着ける人がほとんどだった。自分自身がそこまで性欲を感じないせいもあるが、デートして一緒に泊まったとしても、セックスをしない日だってあるくらいだった。元々が人付き合いが得意でないこともあってか、会話のテンポが合いそこから恋人になれたとしても、本当の意味で結ばれることはないのだと分かっていたので、そこそこの線引きをしていたこともある。
だが、目の前の坂田は今までのタイプとは全く違う。むしろ正反対と言うべきだろう。しかし、その坂田につられて、ムラムラとしているのも事実だ。獣のようなその瞳に、食われたいと思ってしまう。
完全に、ペースを乱された。内心で、悪態をつく。

「さ、どうする?お前の好きなようにしてやるぜ?」

挑発的に笑う坂田に、つい、負けん気が沸き起こる。二ィ、と口元を吊り上げて、上等だ、と笑い返す。

「テメェこそ、男相手にできるのかよ?」
「大丈夫大丈夫。俺、お前なら全然イケるわ」

だからいいだろ?と顔を寄せてくる坂田に、しかし顔を背けて見せる。不服そうな坂田を見上げて。

「テメェ、相手はどうした」

真っ直ぐに、問いかけた。
坂田には、子供がいる。ちゃんとこの目で確認したし、疑いようもない。子供がいるということは、既婚者だということだ。既婚者を相手にするつもりはないわけで、もしここで坂田が「いる」と言えば、どれだけ体が煽られていようと中断するつもりだ。
だが、何となくだが、坂田には妻がいるとは思えなかった。部屋は汚いし、女が好みそうな家具や衣服が見当たらない。掃除だって業者に頼んでいるというし、家庭的な部分は皆無に等しい。おおよそ、女の匂いというものがしないのだ、この部屋は。
そう思っていたが、やはりというか、坂田は飄々と。

「どう見たって女がいる部屋じゃねーだろ。もう何年も顔合わせてねぇし、完全に他人だよ」

小さく肩を竦めて見せた坂田に、俺の中でのハードルが一つ下がった。現金だと思う。正直なところを言えば、今回の近藤の件で、女も愛せる男を相手にするのは少し抵抗があったが、それを吹き飛ばすほど、坂田は男としての色気があった。
抵抗をなくした俺を、坂田は満足そうに笑って、ベッドへと押し倒した。ぎし、と軋む音と、反転する視界。そして入ってくる、銀色の髪。
その色が徐々に近づいてくるのを見て、そっと、目を閉じた。




つづく

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