大人になる僕ら   後

試合開始のホイッスルが鳴り響く。同時に駆け出す俺たち。正直、負ける気はしない。だけど厄介なのは、俺にマークしている連中だ。さっきいちゃもんをつけてきたやつも、どうやらその連中の仲間だったらしい。ということは、あの言葉も俺たちにというよりも、俺に言ったという可能性が高い。そう思うと、少しだけサッカー部員たちに罪悪感が湧いた。だけどそれはもう点数をやらないということで仕返しをしたとして。
問題は、こいつらが繰り出す、イエローカードぎりぎりの行為だ。やはり特進科の連中だ。頭はいいらしく、イエローカードが出るか出ないかのギリギリのプレイを仕掛けてくる。ボールを持つ足を狙って、あからさまに足を出して来たり、蹴ってきたり。何とか避けるものの、あれが当たればちょっとヤバいことになる。それくらい、ギリギリの行為だった。
だけど、そのおかげもあってか、試合は残りわずか。点数は1‐0のまま。ボールは俺たちのチームが持っている。このままいけば、試合終了。俺たちの勝ちだ。
時計を見やる。あと、約三十秒。いける。そう思って、回ってきたボールに集中した、その、とき。

「くそっ!」

悔しげな舌打ちのあと、伸ばされた足。
それは上手い具合に、俺の足に掛かる。ヤバい。体勢が崩れる。前のめりに倒れる俺の眼前に、ボールが横切って、そして、振り上げられた足が見えた。
あ、コイツ、俺の顔面を蹴り上げるつもりか。やけにスローモーションにその動きを捉えて、そして、来る衝撃を耐えるために奥歯を噛みしめて。

次の瞬間。

「兄さん!」

雪男の声が、やけに近くで聞こえた。同時、ゴッという何かがぶつかった音と、力強い手の感触と、熱い体温と、そして、ぐっと息を呑む声が、耳元で聞こえて。

「お、奥村、っ………!」

焦ったような、誰かの声。俺はハッと顔を上げようとして、ぐい、と頭を抱えられた。熱い手のひらが、耳に、触れて。汗の匂いと、激しい呼吸音が、聞こえてきて。

「……………――――――、お前、今、兄さんに何をしようとした…………?」

冷たい、殺意を含んだ声が、静かに響いた。
俺でさえ、ざわりと粟立つほどの冷たい声に、俺を蹴ろうとした生徒はかなり動揺しているのが気配で分かった。

「あ、ち、違う!俺は、ボールを蹴ろうとして………!」
「…………―――」

慌てて弁解するソイツに、しかし雪男は答えなかった。ただ黙って、俺の頭を抱く腕を緩めて、俺の顔を覗き込んできた。その顔は、さっきの声が嘘みたいに、いつもの雪男の顔をしていた。

「兄さん、大丈夫?」
「えっ?あ、う、あ、あぁ、大丈夫!……っ」

慌てて起き上がろうとすると、ずきり、と足が痛んで、顔をしかめた。どうやら転んだ拍子に足を捻ったみたいだ。じん、と足首が熱を持っているのが分かる。ヤバいな、と雪男の顔を見ると、雪男はスッと目を細めて俺の足首を見ていた。ゆるり、とその腫れた部分に触れて、びく!と体を震わせると、雪男は顔から一切の表情を失くした。そして、俺のひざ裏に腕を回すと、一気に引き上げた。急な浮遊感に、一瞬言葉を失くすものの、そのままずんずんと歩きだしてしまった雪男に、俺はオロオロしてしまう。

「ちょ、雪男っ?俺、大丈夫だから!片足だけだし、歩けるから!」
「………」
「雪男?聞いてんのかよ!雪男ってば!」

ぎゃんぎゃん喚く俺にも耳を貸さず、雪男は俺を抱き上げたまま先生の元まで歩くと、保健室に行ってきます、とだけ告げてまた歩き出してしまった。先生の返事を聞く間すらなかった。
俺は何があっても話を聞く気のない弟に早々に観念して、ちらりと背後を見やった。ぽかん、と呆気に取られたようなクラスメイトたちが、呆然とこちらを見ていて。なんだかいたたまれないような、複雑な心境になってしまった。




そのまま保健室に向かうと、俗に言うお姫様だっこという体勢で登場した俺たちを、保健室の先生は驚きに目を見張った後、何やらガッツポーズをとっていた。なんでだ?

「処置は私より、奥村君の方がいいでしょ?私、これから用事があるから」

何やら急いだ様子で保健室の先生はそう言って、保健室から出て行った。手には携帯が握りしめられていて、相当急ぎの用事があったようだ。ぴしゃりと閉じられた扉をぼんやりと見やっていると、雪男はそのまま俺をベッドに下した。そして冷蔵庫から氷やら何やらを取り出すと、俺の足を取っててきぱきと処置を始めた。その手はよどみなく、すらすらと動いていて、一切の無駄はない。相変わらずすげぇなぁ、なんて感心していると、くるくると包帯を巻いていた雪男の手が、ぴたりと止まった。どうしたんだろうと思って雪男の顔を見やると、雪男は包帯の巻かれた足を見下ろして、ひどく苦しそうな顔をしていた。
どうして、雪男がそんな顔をするんだろう?不思議に思っていると、それまで黙っていた雪男が口を開いた。

「……………―――、兄さん。兄さんは、あの時僕が、どんな気持ちだったか、分かる……?」
「え?」
「兄さんが、蹴られそうになった時だよ。あの時、僕が間に合わなかったらって考えるだけで、ぞっとする」
「雪男?」
「この足だって、そうだよ。本当なら、こんな怪我、せずに済んだはずなんだ。なのに………っ」
「雪男、ちょ、待て、おい、雪、」
「兄さん、僕は、兄さんに守られたいんじゃない。本当は、ずっとっ、」

………―――――守りたかったんだ。

苦しげに寄越されたその言葉に、俺は、息を呑む。そして、唐突に、理解する。
そうか。
俺が、雪男を守りたいと思うのと同じように。
雪男も、俺を、守りたいと思ってくれていたのか。

いつも、俺の後ろにいた雪男。小さくて、守らなきゃって思っていた弟は、いつのまにかこんなに大きくなって、俺の背中を守っていた。

そのことが、なんでだろう?こんなに、嬉しいって、思えるなんて。

俺は何だか急に目の前の弟に触れたくなって、項垂れるその頭にぎゅうと抱きついた。

「に、兄さん?」
「あんな?雪男。俺、今日気づいたことがあるんだ」
「え?」

何、とくぐもった雪男の声の振動が、伝わってくる。それがくすぐったくて小さく笑いながら。

「あんなに小さかったお前が、実はこんなにデカくなってたなんて、俺、初めて知ったよ。そりゃそうだよな、俺よりも身長高いんだし。だけどさ、俺、本当の意味でそんなこと全然気づかなくてさ。だから、ずっとお前のこと守るんだって思ってた。それは、今でも変わらねぇ。だけど…………―――、守りたいって言ってくれて、嬉しかった」
「っ、にい、さ」

顔を上げようとする雪男を、抱き締めることで押さえつけた。今雪男の顔見たらたぶん俺、憤死しそうだし。ぐいぐいと上がってくる雪男を、ぎゅうぎゅうに抱きしめる。
離して!と抗議する雪男に、嫌だ!とさらに抗議して。押し問答と続けていると、突然、離れようと突っぱねていたはずの雪男が、ぐい、と押してきた。まさかそう来るとは思わなくて、俺は後ろのベッドに倒れ込む。ぎし、と軋んだ音がやけに保健室に響いた。

「な、なにすん、」
「…………、兄さん」

文句を言おうとした言葉は、こちらを見下ろしてくるその瞳に、遮られた。やけに真剣に、真っ直ぐに、こちらを見下ろしてくる雪男。その眼鏡の奥の瞳に、自分が写っているのが、見えて。

「兄さん、僕の方こそ、ありがとう」
「ん?」
「今まで、守ってくれて」
「………これからだって、守ってやるよ」
「あはは、うん。そうだね。そして僕も、同じ分だけ、ううん、それ以上に、兄さんを守るから」
「……何だ?今日はやけに、素直じゃねぇか?明日は雨だな」

照れ隠しの為にそう茶化せば、そうかもしれないね、なんて返ってきて。なんだ、マジで素直じゃね?と雪男を見やれば、小さく笑っていた。

「兄さんが、嬉しいこと、言ってくれるからだよ」

ぎゅう、と抱きついてくる体の大きな弟に、ばーか、と言って、その背中に腕を回した。






背中に回された腕が小さく震える。あぁ、どうしよう。いとしくてたまらない。ぎゅう、と抱きつく腕に力を込めながら、ぐっと唇を噛みしめる。
……―――違和感を覚えたのは、兄さんがグラウンドに上がった直後からだった。明らかに兄さんに対するマークが厳しくなったのもそうだけど、兄さんに向けられた視線が敵意そのものだったから、嫌な予感はしていた。だけどまさか、倒れた兄さんを蹴り上げようとするなんて。
違和感を覚えて、さりげなく兄さんの近くにいて本当に良かった。もしあの足が兄さんの体を傷つけでもしていたら、僕は多分、あの生徒を殴るなりなんなりしていたかもしれない。
……―――守れて、本当に、良かった。
この小さな体が、理不尽な暴力で傷つくのを見るのが、僕は一番耐えられない。
祓魔師をしている身で、悪魔を祓うということがどういうことなのか、ちゃんと理解している。同じ道、いや、それ以上に険しい道のりを行こうとしている兄さんだから、無傷でいられるなんてそんな甘い考えは持っていない。だけどそれは、悪魔祓いをしているときだからこそ、だ。だから僕は厳しく在れるし、正直、今の兄さんのやり方じゃ傷が絶えないだろうと覚悟している。
だけど、今回のはダメだ。兄さんには何の非もない、ただ相手の感情をぶつけるだけの暴力で、兄さんが傷つくなんて許せない。

だから。

「………多少の報復は、許されるよね………」

小さく笑うと、兄さんが、どうした?と怪訝そうな顔をしていたので、なんでもないよ、と言っておいた。








「あーもうっ、やんなる!」

少女は頬を膨らませて、癇癪を起したように悪態をついた。だんだん、と足を踏み鳴らす様はまるで子どもだ。そしてそんな彼女の周りには、数人の少年たち。

「ほんっとムカつくんだけど、あの兄貴!バカなくせに雪男君の双子の兄弟とか信じらんない!それに、見た?今日の体育のとき!雪男君に抱えられちゃってさ。兄貴だからって弟使っていいと思ってんのかって感じ!」
「ま、まぁ、落ち着けよ。アイツら兄弟なんだし、仕方ないと思うけど」
「うるさいっ。だいたい、アンタたちも何やってんのよ!私、あの兄貴をどうにかしてって言ったのに、全然相手にされてなかったじゃない!」
「だってさ、あいつ、何をされても平気ですって顔しやがってよ、全然堪えてねぇ様子だったから……」
「あーっもう!マジありえないんだけど!」

甲高く喚く少女。そしてそんな彼女に呆れながらも、うんうん、と頷いている少年たち。彼女は同意を得たことで調子に乗ったのか、次々と雪男の兄である燐の罵倒を吐いた。それは少年たちが怪訝に思うまで続いて、密かに彼らが眉根を寄せた、その時。
ピルル、と少女の携帯が鳴った。彼女はそこで口を閉ざし、携帯を弄り始めた。やっと止まった罵声に、ホッと安心していた彼らは、彼女から飛び出した悲鳴に肩を震わせた。

「ど、どうしたんだよ?いきなり大声だして……」
「こっ、これっ!これ!!」

少女は興奮したように携帯の画面を彼らに見せた。そして、覗き込んだ彼らは、おっと声を上げた。

「お前、これ、奥村雪男からじゃん!」
「しかも、今度の昼は一緒にどうですか?って、マジ、やったじゃん!」

自分のことのように喜ぶ彼らに、少女も無邪気に笑って頷いた。そしてぎゅっと携帯を握り締める。まるで、携帯が宝物ののように。

「やった……。まさか、雪男君本人からメールが来るなんて……」

登録、登録、といそいそと携帯を弄る彼女を、少年たちは微笑ましそうに見つめていた。
ただ一人、ひどく顔色の悪い少年を除いて。




次の日の昼休み。暖かな日差しが差し込むとあるベンチに、一人の少年が座っていた。手にはぶ厚い本を持っていて、眼鏡の奥の瞳は本の文字を追っている。伏せられた瞼に縁取られた睫は長く、一つ瞬きをするたびに揺れた。
ほぅ、とどこからともなくため息が漏れた。彼を遠巻きに見ている女子生徒たちの誰かが漏らしたのだろう。しかし彼はそんな女子生徒の視線を気にした様子もなく、ただ文字を追っていた。
その時。

「雪男君!」

甲高い少女の声が響いた。その瞬間、『雪男君』だって!?と周囲が騒いだ。本を読んでいた彼はパッと顔を上げて立ち上がると、やってきた少女と目が合うとにこりと微笑んだ。はぅ!と遠巻きに見ていた女子生徒が、何人かその笑顔を見て胸を押さえた。

「ご、ごめんね、待った?」
「いえ、僕の方こそ、いきなりすみません」
「う、ううん!大丈夫!メール、ありがとね」

何あの会話!と、女子生徒たちが喚く。その声と、羨望交じりの視線を受けて、少女は得意げな顔をした。しかし目の前の少年には、無邪気な笑顔を浮かべて見せた。その笑みを受けた少年も、返すように笑って。

「とりあえず、座りましょうか」
「う、うん!」

少年と少女はベンチに腰を降ろした。こうして並んでいると、傍から見れば待ち合わせをしていた恋人同士のように見える。少女は内心でガッツポーズを取った。そして今日の秘策であるソレを、鞄から取りだす。それは、可愛らしい包みの弁当だ。それを、やや上目遣い(※ポイント)で少年に差し出す。

「あの、これ………。また、お弁当、作ってみたんだけど……」
「………―――」

少年は、弁当の包みを無言で見下ろした。そして、にっこりと微笑む。よし、受け取れ!と少女が再びガッツポーズを取りかけた、その瞬間。

「いえ、僕は自分のがありますから」
「え?」

すっぱり、と。何の迷いも無く、少年は言い切った。ぽかん、と呆気に取られた少女は、弁当の包みをおずおずと引っ込めた。

「あっ、そ、そうなんだ……。ご、ごめん」
「いえ、僕の方こそ、せっかく作って下さったのに、すみません」

申し訳なさそうな少年に、しかし少女は諦めなかった。

「自分のって、購買か何かで買って来たの?それなら、お弁当の方がいいよ!」
「いえ、兄が作ってくれたお弁当ですから」
「………お兄さん」
「ええ、兄は料理がとても上手なんです。僕のお弁当も、ほとんど毎日作ってくれていますし、夕食も兄の手料理なんですよ」
「へ、へぇえ、そうなんだー。すごいねぇ」

少女は抑揚のない声で返事を返した。心なしか、目が笑っていない。だが、それに気づいていないのか、少年は鞄から弁当の包みを取り出した。青い包みのそれを、少女は忌々しげに睨みつける。

「でもぉ、男の人が作ったお弁当って、なんか栄養とか偏ってそうだよねぇ。見た目とかぁ」

あはは、と笑う少女に、少年は無言で弁当の包みを開ける。少女もその中を見て、ぎょっとした。
少年の持ってきた弁当は、色とりどりの具材の入った見目も鮮やかな弁当だった。
焦げのない真黄色の卵焼きに、黄色や赤がところどころ見え隠れするポテトサラダ、ひっそりと主張するタコさんウィンナーに、四角く切られた鮭にはタルタルソースが掛かっている。綺麗に並べられたそれらは無駄なく、弁当の中に鎮座している。そしてご飯は赤いチキンライスに、黄色のコーンがまぶされていた。
完璧である。気取って、見目を良くしようという意図は全く見えないが、逆にそれが家庭的な弁当の形を作り出している。
少女はその弁当を凝視したまま、固まっている。少年は少女の様子に気づいていながら、しかし綺麗に笑って見せた。

「兄さんは、僕のためにいつもこんなお弁当を作ってくれるんです。自分が食べたかったから、とか言って、色々具を変えてくれたり。……そんなことをする暇があったら、勉強した方がいいのにって思うんですけどね」

言いながら、しかし表情は柔らかい。まるで、うちの嫁は気が利かなくて、と文句を言いながらも惚気てみせる男そのものだ。
少女もそれに気づいて、ひくり、と口元を引きつらせる。

「さ、食べましょうか」

笑いながら、少女を促す。自分の弁当を開けて見せろ、と言いたげに。だが、少女はぎゅう、と手のひらを握り締めて、俯いた。
冗談じゃない。あんな、あんな弁当を見せられて、自分のなんて開けられない。見比べられるに決まっている。可愛らしい包みの弁当を握る手に、力がこもる。
中々動こうとしない少女に、少年は。

「あなたの作ったお弁当は、きっと兄さんのよりすごいんでしょうね。なんせ、女性が作ったお弁当ですから」

にっこり、と笑って見せた。




悔しげに、泣きそうな顔を隠すように立ち去った少女の背中を見送って、さて、と思う。もうそろそろ本格的に腹がすいてしまった。いただきます、と行儀よく手を合わせ、箸に手を伸ばそうとしたその時、目の前に影ができた。なんだ、と顔を上げると、同じ特進科の少年たちが、じっとこちらを見下ろしていた。

「一体、何の御用ですか?」
「お前さ、ちょっとは空気読んだら?普通女が弁当持って来てたら、自分のがあったとしても受け取るのが普通だろ?何考えてんだよ。あいつ、泣きそうになってたじゃん」
「まぁ、普通はそうでしょうね」

さらり、と肯定されて、少年たちの顔が歪む。なんだこいつ、と。だが、そんな彼らに気にした風でもなく、雪男は淡々と。

「ですが、そうしなければならないという決まりはないでしょう?別に僕は彼女にお弁当を作ってくれと頼んだわけではないので、拒否権はあるはずです」
「そ、それはそうかもしれねぇけど」
「それに、」

雪男は、少年の言葉を遮るようにして言葉を続ける。有無を言わせないその口調に、自然と彼らの足が、圧倒されたように後退する。

「貴方たちからそんな文句を言われる筋合いは、ありません。………―――あぁ、それとも。この間から兄さんがお世話になっていた件で、謝罪でもしてくれるというのなら、聞きますが」

ひやり、と温度の無い声が、少年たちの間に響いた。声を無くす彼らに、雪男は眼鏡を押し上げて。

「まぁ、例え謝罪があったとしても、許すつもりはありませんが」

ねぇ?と無表情のまま、雪男は彼らに口元だけの笑みを吐いた。




俺と雪男が色々あった次の次の日。特進科の生徒数名が、腹痛などを訴えて病院送りになった。原因は不明らしい。金持ち学校の生徒が腹痛で倒れることなんてあるんだな、なんてことを思ったけれど、恐らく食べたものが偶然悪かったのだろう、ということで落ち着いたようだ。
食あたりか。気をつけないと。雪男が腹でも壊したら大変だ。
うんうん、と頷いていると、隣にいた雪男が、どうしたの、と不思議そうな顔をした。

「ん?や、食あたりに気をつけようって思ってさ。腹壊すの、すっげぇ苦しいじゃん?」
「そうだね。昔兄さんがアイスの食べすぎでお腹壊して、神父さんに怒られてたのを見て、僕も気をつけようって思ったことあるし」
「ちょっ、そんな昔のこと引っ張り出してくんなよ!」

少しバツが悪くなって、唇を尖らせる。すると雪男は苦笑しながら、ごめん、と謝った。おい、顔が全然謝ってる顔じゃねぇんだけど。文句を言ったけど、ごめんごめん、と相手にされなかった。ちぇ、なんだよ。人がせっかく。拗ねた気持ちになったけれど、にこにことやけに機嫌のいい弟の顔に、ま、いっか、と。
そう思いながら、くい、と雪男の腕を引いて。

「雪男、今日の晩飯は何がいい?」

引いた腕は昔と比べてずいぶんとたくましくなったけれど。

「魚がいいな、兄さん」

返ってくる笑顔は、何も変わらない。






おわり




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