REQUEST Festival   前

「奥村君!とうとうこの時期がやって来たで!!」
「………。お前さ、いつも思うんだけどさ。無駄に元気だよな」

やけに気合の入りまくった志摩に、俺は額に浮かんだ汗を拭った。








「当り前やん!ここで元気出さんと、いつ出すいうんや!奥村君!今年の祭りは、気合十分で望まなあかん!!」
「祭り……?あぁ、正十字祭りか」

ちらりと見やったカレンダーの日付は、八月二日。もう後二日すれば、正十字祭りだ。やっぱり、というか。何か前にもこんな会話をしたような、と思いつつも、ん?と志摩の言葉に違和感を覚えて、首を傾げる。

「確かに祭りは楽しみだけどさ。別に気合を入れるようなもんでもねぇだろ?」
「……だめや。全然分かっとらんな、奥村君……」

憐れむような、それでいてニヤニヤとした不気味な笑みを浮かべる志摩に、俺は一歩引いた。
だって、ただの祭りだろ?そりゃ、すごく楽しみだけどさ。そう言えば、志摩はがしっと俺の肩を掴んだ。

「祭り自体は、どうでもええんよ!祭りと言えば、恋人同士でいちゃいちゃ手を繋いで、二人で花火を見て!ロマンチックやろ!祭りの夜は恋人たちの花火も燃え上がるっちゅうもんや!」
「あぁ、なんだっけ。そういう歌あったよな。君がいた夏は〜ってやつ」
「そうや!そんな感じや!」
「ふぅん……?」

そういうものなのだろうか。
夏祭り=花火=恋人たちの夜、という図式が俺の頭の中に書き足される。でも正直、普通のデートと何も変わらないんじゃ?と思ったものの、祭り独特の雰囲気を思い出して、とにかく楽しいからかな、と納得する。俺だって、あの雰囲気は好きだ。
うんうん、と頷いていると、志摩が、そんでや!とまたテンション高めに俺にぐいっと顔を近づけてきた。今度は何だと思っていると、志摩は何か重大なことを聞くかのような真剣な顔をして。

「奥村君は、祭りに誰かと一緒に行く予定はあるん?」
「ん?あるけど?」
「!!」

そりゃ、一人で行ったところで面白くないし、と言えば、志摩は衝撃を受けたような顔をしていた。そして、よろり、と後ろによろめいた。

「な、なんや奥村君……。祭りに一緒に行く相手がおるなんて。人ごみの中、「離れないで」出しかけた手をポケットに握り締めたり。金魚すくいしたり綿飴勝ったりしてご機嫌だったのに、見知った友達見つけて少し離れて歩くような、そんな相手がおるんやないの。俺は………出雲ちゃんを筆頭に連敗続きやのに……!」
「あ、思い出した!夏祭りって歌だったよな、それ!つーかさ、そんな相手なんていねぇけど?」
「そんな見え透いた嘘をつくのはやめてもらえます?!何や傷つくんやけど!」
「だーから、一緒に行くのは雪男だよ、ゆきお!」
「……へ?奥村先生……?」

奥村君たち、ほんま仲がええんやな、と志摩はがっくりと肩を落としていた。そうか?なんて少し照れつつ。

「雪男がその日は休みが取れたみたいだから、一緒に行こうと思ってさ。とりあえず、いか焼き食うんだ!いか焼き!んで、りんご飴食べて、たこ焼きを食う」
「なんや、食べ物ばっかやな。……なるほどなぁ。奥村君は、『祭りは誰と一緒に行くの?ランキング』二位の家族ってわけやな」
「なんだよその『祭りは誰と一緒に行くの?ランキング』って。また雑誌か?」
「いや、今俺が考えたんや!……でもまぁ、奥村君らしいと言えばらしいけど、奥村先生は大丈夫なん?」
「へ?何が?」
「や、だって……奥村先生は、モテはるやないですか」
「まぁ、そう、だな……」

何かこの会話、やっぱりどこかでしたような、と思いつつも、改めて、女子に囲まれている弟の姿を思い出す。確かに、雪男はモテる。入学して結構経っているというのに、その人気は落ちるどころか日に日に上って行っているような気さえする。この前の期末テストの結果が発表されたのが、拍車をかけたらしい。雪男は案の定、テストで学年一位をキープしたらしく、奥村君、すごぉーい!なんて女の子たちに騒がれていた。
だけど、それがこの話とどう関係があるのだろう?

「でも、雪男がモテるからって、何か関係あんのか?」
「関係あるもなにも。アレだけモテてはる先生のことや、祭りに一緒に行く相手がおるんやないの?」
「え………、」

何だよ、ソレ。

そう言いかけた言葉は、あまりにも衝撃的すぎて言葉にならなかった。
夏祭り=花火=恋人たちの夜という図式が脳裏に浮かぶ。そしてそれが、雪男にも当てはまるのだということに今更ながら気づいて。

「………なんだよ…………」

どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
祭りなんて、実は数えるくらいにしか行ったことなくて、分からなかったけれど。
頭のいい雪男のことだから、夏祭り=花火=恋人たちの夜、なんていう簡単な図式を知らないはずがない。
だったら、その図式に則って、雪男が女の子たちから一緒に祭りに行こうと誘われないわけがない。

……―――なんだよ、ちくしょう。

それならそうと、言ってくれなきゃ困る。だって、祭りの為に浴衣着なきゃな、なんて考えて、メフィストに頼んで浴衣を貸してもらうようにしていたのに。高くつきますよ、なんて言われて、しばらくの間アイツの昼飯を準備しなきゃならないのに。

なのに。
なのに。
全部、無駄になっちゃうじゃん。

ぎゅう、と胸が潰れそうなほどの痛みを覚えて、俺はぐっと唇を噛み締めた。
だけど同時に、祭りでちょっと浮かれていたのが、ハッと我に返ったみたいな気分になった。

「………、そ、っか。そう、だよな……」

だって、しょうがない。
俺がただ勝手に浮かれて、勝手に準備して、勝手にメフィストの弁当を準備しなきゃならなくなっただけで、雪男は何も知らないんだ。だから、雪男は悪くない。俺が勝手に、勘違いをしていただけ。

祭りは雪男と一緒に行くんだって、俺が、勝手に思っていただけなんだ。

当の雪男は、きっと祭りには可愛い女の子と行くに決まっている。じゃなきゃ、仕事人間のアイツがわざわざ祭りの日に休みを取るなんて考えられない。思えば、その日は休みだから、と言った雪男は、どこか挙動がおかしかった。あれは、俺に女の子と行くから、と言いたかったのかもしれない。

「っ、なんだよ。それならそうと、言ってくれないと………―――」

困る。
すごく、困る。
だって本当に、楽しみにしてたんだ。雪男と、祭りに行くの。

なのに、どうして雪男は言ってくれなかったんだろう?

『夏祭りは、他の子と行くから』

最初からそんな風に言ってくれれば、こんなに、苦しい想いはしなくて済んだのに。




モヤモヤとした心境のまま、俺は帰宅した。当の雪男は仕事で帰ってきていなくて、クロが出迎えてくれた。

『おかえり、りん!』
「うん、ただいま、クロ」

嬉しそうに見上げてくるクロにそっと笑いかけつつ、どさり、と鞄を置いた。重たい足を引きずってベッドまで歩くと、その上にダイブする。ギシ、とベッドが抗議の悲鳴を上げたけれど、無視して枕に顔を埋める。

『りん?どうかしたのか?』

背中にわずかな重みを感じる。クロが乗っているのだろう。小さな肉球の感触に、なんだかくすぐったい気持ちになって、ごろりと仰向けになった。その衝撃で、ころん、とクロが背中を転がって、ベッドに落ちる。

『うわ!いきなりうごくな!』
「あはは、ごめんごめん」

胸の上に飛び乗って抗議するクロの頭を撫でながら、俺はぼんやりと天井を見上げた。
本当は、今日の夜にでも言おうかと思っていたんだ。一緒に、夏祭りに行かないかって。
メフィストに浴衣を借りたんだ。ちょっと高くついちゃったけど。でも、きっと雪男によく似合ってるはずだ。
…………、でも、それも全部無駄だったんだ。

「…………、ほんと、馬鹿だな、俺」

勘違いにもほどがある。よくよく考えてみれば、兄貴と夏祭りに行ったって、楽しくともなんともないだろう。可愛い女の子と一緒に行ったほうが、絶対楽しいに決まってる。
それに、雪男の隣には、可愛らしい浴衣の、女の子の方が似合ってる。
あの浴衣を着て、女の子と並ぶ雪男の姿を想像して、きゅっと胸が苦しくなった。苦しい。寂しい。だけど、雪男は笑ってる。楽しそうに、女の子と。
だったら。

「俺は、邪魔、だよな」

ちゃんと笑って、送り出さなきゃ。雪男は女の子と行って来いよって言わなきゃ。
俺の選んだ浴衣を着ていけよって、ちゃんと、笑顔で。

「言わなきゃ………」

息苦しさに胸元をぎゅっと握り締めていると、苦しいのか?と心配そうに胸から降りて、頬にすり寄ってくるクロがいて。俺は大丈夫、と言いながら、ぎゅっとその小さな体を抱きしめた。




かたん、と小さな物音がして、意識がぼんやりと覚醒した。ゆっくりと目を開けると、クローゼットの前でコートを脱ぐ雪男がいて、あ、帰ってきたんだ、と思った。
ゆっくりと体を起すと、クロが目をしょぼしょぼさせながら起き上がった。同時に雪男が振り返って、起きた?と小さく笑った。

「随分とぐっすり寝てたね。疲れてるの?」
「んー……だいじょうぶ」

目をこすりつつ、時計を見やる。夜の八時。夏場は太陽が沈むのが遅いものの、この時間になるとさすがに外は真っ暗だった。部屋の中も同様で、雪男は俺を起さないよう、電気を付けないでおいてくれたらしい。
俺は立ち上がって、暗い部屋の電気を付けた。急に明るくなった部屋に目を細めつつ、着替えを済ませる雪男の背中をぼんやりと見つめた。
普段着に着替えた雪男は、くるりとこちらを振り返って、眠たそうだね、と笑う。俺は頷きつつも、雪男に笑顔を向けた。

「おかえり、雪男」
「うん、ただいま、兄さん」
「飯は?」
「ごめん、食べてきちゃったよ。兄さんは?」
「俺は、まだだ」

待ってたのに、と言えば、寝てただけでしょ、と返された。図星だ。言葉に詰まる。
これから食べようかとも思ったけれど、どうにも腹が空いていない。寝てしまう前に色々と考えていたから、脳みそもそうだけど腹もいっぱいになってしまったみたいだ。

「………兄さん?」

しゅん、と力なく俯いていると、雪男が目ざとく声を掛けて来た。なんだろう。雪男の顔、見れない。俯いたままでいると、雪男が近づいて来るのを気配で感じた。

「どうしたの?なんだか元気がないね」
「………ん。なんだか、疲れた……」
「夏バテかな。今日は早く休んだほうがいいよ」
「………そうする」

それ以上会話をするのも億劫になってきて、俺はゆっくりと頷くと、ベッドへと向かった。あ、でもその前に、ちゃんと着替えないと。俺はのろのろと制服を脱いで着替えを済ませた。
その間ずっと黙ったままだった雪男は、俺がベッドに入ろうとすると、兄さん、と声を掛けて来た。なんだよ、と振り返ると、やけに真剣な顔をした雪男がいて。

「ごめん、少しだけ話、いいかな」
「……ん。何?」
「………その、今度の夏祭りのこと、なんだけど」

どくん。
心臓が、大きな音を立てた。
それまでぼんやりとしていた頭の中が、一気にクリアになる。
どうしよう。聞きたくない。雪男が、他の子と夏祭りに行くなんて、そんな言葉。
嫌だ。嫌だ。そんなの聞いたら、絶対、ダメだって言いそうになる。言ってはいけないって分かってるのに、言ってしまいそうになる。それは、ダメ、だから。
だから。

「あ………俺、夏祭り、勝呂たちと行くことになってるから」
「……………、え?」

とっさに、嘘をついた。雪男の、先の言葉を聞きたくなくて、吐いた嘘。
ぎゅ、と手のひらを握り締めて、震える声を誤魔化した。俯いたままで雪男の顔は見れなかったけれど、少し驚いているようだった。呆然としたような声が聞こえた。
なんで?お前は他の子と行くのに、なんで俺が勝呂たちと行くって言ったら、驚くんだよ。
むっとしていると、雪男はなんだか気の抜けたみたいな声で、そっか、とだけ言った。そのまま雪男は黙ってしまって、俺も何だか話す気力がなくて、その場はそれで終わった。
終わって、しまった。

そっか。何も、言ってくれないんだ。僕も一緒に行くって、言ってくれないんだ。
じゃあやっぱり、他の女の子と一緒に行くんだ。
そっか、そう、なんだ。
やっぱり俺が一人で、空回ってただけなんだ。
……―――そのことが、息が出来なくなるくらい、苦しくて悲しかった。




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