REQUEST Festival   中

ざわざわ、と人の気配が騒ぐ。遠くの方で高い笛の音がして、時折、迷子のお知らせです、なんて放送が聞こえてくる。忙しい蝉の声に紛れて、その音はやけに響いた。
俺はそれを、寮の部屋からぼんやりと見下ろしていた。祭りの会場は一際明るくて、こんなに距離があるのに眩しくて、部屋の中がなんだかいつもより暗く感じた。
どん、どん、と太鼓の振動が、俺の心臓を震わせる。開けた窓から、屋台の匂いがして、そわそわと落ち着かない気持ちになる。だけどそれでいて、ほんの少し切なく胸が痛むのは、きっと、隣に雪男がいないからで。

「…………、これ、無駄になっちまったなぁ」

ぽつり、と零す。右手に握り締めていたのは、深い緑色の浴衣だ。メフィストに頼んで、こっそり用意してくれたもの。奥村先生には緑が似合いますよ、なんてメフィストは得意げに笑っていて、俺もその言葉に頷いたのを覚えている。
あの時の自分は、とても浮かれていて。雪男、喜んでくれるかな、なんてワクワクしてて。着方とかもメフィストに習って。準備万端、なんて思ってて。まさか祭り当日にこんな気持ちになるなんて、考えもしなかっただろう。

「ばかだな、俺」

ほんと、馬鹿だ。
小さく笑う。さらりとした手触りのそれに頬を寄せて、ぎゅっと抱きしめた。温かみのない空っぽの浴衣。だけど雪男が着れば、きっと、とても似合う浴衣。
その姿を、隣で見るのは俺じゃない。

「…………ん。よし!」

しばらくの間そうして顔を埋めていた俺は、ぱっと顔を上げた。ちゃんと浴衣を畳んで、雪男の机の上に置く。ちらりと時計を見やると、もうすぐ雪男が帰ってくる時間だ。
きっと一旦寮に戻ってから、祭りに行くはずだ。そうすれば、この浴衣はきっと雪男の目に止まる。未練がましいかもしれないけれど、きっと雪男は、この浴衣を着てくれる。
それだけで俺は、満足だから。たとえこの浴衣を着て、女の子と祭りに行くのだとしても、それでも。

「さて、と。俺も行かなきゃな」

雪男に勝呂たちと行くと言った手前、雪男が帰ってきたときに俺がいたら変に思うだろう。それに、せっかく俺も浴衣を用意したんだ。祭りに行かないと損だろ。
うんうん、と頷いて、俺は勢いよく浴衣から背を向けて、寮を飛び出した。外ではクロが待っていて、はやく!なんて急かしていた。

「さ、行こう!クロ」
『うん!おまつりおまつり!』

ぴょん、と肩に乗ってきたクロに笑みを浮かべながら、俺は走り出した。
クロがいてくれてよかった、と心のどこかで思いながら。




正十字祭りは、文字通り、正十字学園内で行われる花火大会だ。祭り好きのメフィストのおかげか、規模は大きいし、打ち上げられる花火のレベルだってそんじょそこらの夏祭りには負けないくらい、数も規模も豊富だ。
そのおかげか、人は多いし屋台の数だって多い。ぐるりと見渡すだけでも、数多くの屋台が立ち並んでいた。夜の闇にひときわ屋台の電灯が輝いて、眩しいくらいだ。

「すっげぇな!あ、ほら、たこ焼きあるぞ!」
『ほんとだ!たこ焼き!』

近くにあるたこ焼きの屋台に飛びついて、クロと二人で目を輝かせる。ジュウ、と焼ける音と匂いが、食欲をそそる。そういえば、まだ何も食ってなかったな。ぐぅ、とタイミングよく腹が鳴った。それはクロも同じようで二人して顔を見合わせる。

「一つ買って、二人で分けようぜ」
『うん!』
「おっちゃん!たこ焼き一つ!」
「はいよ!四百円ね!」

白い歯を見せて笑った屋台のおっちゃんは、手際よくたこ焼きを回していて、その鮮やかな手腕に惚れ惚れと見惚れた。俺もあの技が使えるようになれば、自宅でもたこ焼きが綺麗に作れるかもしれない。
そんなことを考えているうちに、たこ焼きが完成して、おっちゃんがパックを差し出してきた。四百円を渡して、熱々のたこ焼きをゲットする。

『うまそうな匂い!』
「あぁ、ほんとだな!熱いうちに食っちまおうぜ」

じゅる、と涎を垂らすクロに頷きつつ、屋台から少し外れたところでたこ焼きを開ける。かつおぶしがたこ焼きの上で踊っていて、ソースの匂いが当りに充満する。
熱いたこ焼きを冷ましてやりながら、二人でたこ焼きを食べていると、見知った集団が前を通ろうとした。
勝呂たち京都三人組だ。

「おーい!勝呂!」
「!なんや、奥村やないか」

声をかけると、三人は立ち止まってこちらに近づいてきた。三人とも浴衣を着ていて、やはり京都人というか、とても似合っていた。
勝呂はたこ焼きを頬張る俺を見て、もう喰っとるんかい、とちょっと呆れていた。

「いいじゃん、別に。おいしそうだったんだし。つーか、勝呂たちは今から屋台を見て回るのか?」
「あぁ、そうや。にしても、この祭りはえらい豪勢やな。さすが理事長」
「だろ?俺も昔ジジイに連れられて来たときは、迷子になるかと思ったぜ」
「この人の多さやったら、間違いなく迷子になるな」

だろ?なんて勝呂と会話をしていると、それまで黙っていた志摩は、あれ?と首を傾げた。

「そういえば奥村君、今日は若先生と一緒に来る言うてましたよね?先生、どっか行ってはるん?」

何気ないその言葉に、ぎく、と肩がはねる。そうだ、志摩とはそういう会話をしたんだった。
俺は誤魔化すように、そういうお前は女子と行くとか言ってたじゃん、と返す。途端に言葉に詰まった志摩は、ほっといてください!と涙目になっていた。どうやら、誰も一緒に行ってくれなかったらしい。
うまく話を逸らせた、とホッとしていると、何やら勝呂が納得したように頷いていた。

「最近、先生がなんやそわそわしとると思ったら、そういうことか」
「え?雪男が?そわそわしてたか?」
「何や、気づかんかったんか?奥村先生、めっちゃ挙動不審やったぞ」
「え………」

そう、か?
そうだったような気もしないでもないような。確かにここ数日、俺に何か言いたそうな顔をしていたし、何か言いかけていたような気もする。
だけど多分その原因は………―――。

「……今日は、雪男と一緒に来てねーよ」
「え?」
「俺一人だ」

少し拗ねたようにそう言えば、三人とも大きく目を見開いて驚いていた。
………なんだよ。やっぱり、そうだったんだ。雪男のやつ、やっぱり女の子と夏祭りに行くつもりだったんじゃん。そんな、数日前からそわそわするほど、楽しみにしてたのかよ。
ぶす、と唇を尖らせると、勝呂が複雑そうな顔でこちらを見ていた。

「奥村、お前………」
「なんだよ?」
「………。いや、なんでもない」
「んだよ。何か言いたいことがあるなら言えよ」
「や、その………、それやったら、俺たちと一緒に回るか?屋台」
「え?」
「一人で回るより、大勢で見た方が楽しいやろ」

ぽかん、と呆気に取られて、口を開けたまま勝呂を凝視した。
一緒に、回るか?
その言葉がぐるぐると脳内を巡って。

「………いい、のか?一緒に、行っても」
「あぁ。ええよ」

躊躇いなく頷かれて、それが、とても嬉しかった。緩む頬を誤魔化しつつ、よし!と立ち上がって。

「それなら、一緒に行ってやらんこともない!」
「なんで上から目線や!」

いいじゃんいいじゃん、と勝呂の肩を抱きながら、俺はうずうずと疼く胸を押さえた。


それから、四人で色々な屋台を見て回った。さすが竜騎士を目指している勝呂、射的の腕は中々で、俺なんて全然当らなかったのに、見事に景品を当てていた。
すごい!と褒めると、勝呂は苦笑して。奥村先生やったら、全弾命中させとったやろな、なんて言っていた。
でもやっぱり勝呂はすごいと思う。

それからリンゴ飴を買っていると、可愛らしいもん買うね、なんて志摩が言っていた。別にいいじゃん。リンゴ飴、美味しいし。そう反論すれば、リンゴ飴食べてる女の子ってエロいやん、っていう志摩の言葉に、お前の脳内はいつもそれだろ、なんて笑った。

金魚すくいで、みんなでどれくらい金魚がすくえるか競争した。そしたら、意外にも勝呂と子猫丸が同じ数で一番多くすくっていて、驚いた。子猫丸、すげぇ。ひょいひょいとすくっていく姿は惚れ惚れするくらいで、実はこっそり金魚を分けてもらったことは内緒だ。(ちなみに志摩は、金魚すくいが出来る男子はモテる!と人一倍張り切っていたけど、全然すくえていなかった)

俺はとにかく、その間中、ずっと笑ってた。とにかく、楽しくて仕方なかった。
だって、初めてなんだ。友達と呼べる人たちと、夏祭りに来たのは。
夏祭りなんて、実はジジイと来たとき以来だ。雪男は体が弱くて人ごみがダメだったし、ジジイも忙しい人だったから、たった一回の夏祭りが、俺の最後の思い出だ。
そのときも、すごく楽しかったのを覚えている。ジジイが俺たちを肩車して、三人で屋台を回って、花火を見た。
だけどそれ以降、俺が夏祭りに来たことはない。一緒に行く人がいなかったからだ。家族ではない、一緒に行ってくれる友人が、俺にはいなかったから。
だから、こうして友人と一緒に祭りに来られて、とても、とても嬉しくて。

だけど、どうしてだろう。
楽しいと思えば思うほど、隣がなんだか寂しく思えるのは。




ひとしきり屋台を見て回った俺たちは、一休みするために俺がたこ焼きを食っていた場所に戻ってきた。最初の頃よりもずいぶんと人も増えていて、花火が上がるまでにはもう少し時間があった。
勝呂達は、花火を見る場所の確保に行ってくれている。クロは子猫丸に拉致されてしまって、俺は一人でとりあえず皆の荷物の番をしている。
皆が帰ってくるのを待ちながら、ぼんやりと人の行き交う姿を見つめる。色とりどりの着物を着た、可愛い女の子たちの集団が、目の前を通る。時には手を繋いで歩く恋人たちもいて、皆すごく楽しそうだ。
俺だって、さっきまではあの流れの中にいて、あの笑顔の一つになっていた。だけど今は、少し離れた場所にいるだけなのに、遠い場所のことのように思える。
俺は小さく溜息を吐きながら、そっと浴衣の袖に手を這わせた。
………雪男、浴衣、着てくれたかな。
きっとこの会場のどこかに、女の子と二人でいるのだろう。
こんなに人が多いんだ。その姿を見ることはない。それがちょっと残念だけど、同時に安心した。だってやっぱり、雪男の隣に誰かいるのを見るのは、辛いから。

「…………、ゆきお」

ぎゅ、と袖を握りしめる。皺が寄ってしまったけれど、気にする余裕なんてなくて。
やけに遠くに、人の声が聞こえる。女の人の声、屋台のおっちゃんの声、子供の声。たくさんの声が、遠い。

雪男。
俺、お前のこと、やっぱりすきなんだ。

双子だとか、男同士だとか、そんなこと以前に、俺は、雪男のことがすきで。
いつだって一緒にいたくて、雪男の声を聞くだけで、嬉しくなるときだってある。
俺は悪魔で、この世界では嫌われ者だってことは分かってて。でも、それでも、雪男が「兄さん」って呼んでくれるだけで、俺はここにいてもいいのだと、思えるから。
なんてお手軽なんだと、お前は言うかもしれないけどさ。
俺は、ほんとうに、お前がすきなんだ………――――――。

だから。

ぐ、と手のひらを握り締めた、その時。

「奥村くーん!」

甲高い女の子の声が聞こえて、ハッと顔を上げる。目の前を通り過ぎる、可愛らしい花柄の、白い浴衣の女の子。そして彼女が向かった先を見て、心臓が大きく高鳴るのを聞いた。
こちらに背を向けているけれど、分かる。沢山の人がいるけれど、それでも。俺の目にはハッキリと分かった。
彼女は慣れない草履に苦戦しつつ、満面の笑顔を浮かべていて。もう一度彼女が呼ぶと、アイツはゆっくりと振り向いた。そして彼女を認めると、少し驚いた顔をした後。
ふ、と小さく微笑んだ。

「…………――――、」

その笑顔は、何だか、俺の胸を苦しくさせた。
あぁ、そうなんだって思った。あの子が、そうなんだって。
ちゃんと分かっていた、はずなのに。どうしてだろう。
いざ目の前にすると、こんなに、苦しいなんて。

二人は何やら話し込んでいた。そして彼女が、俺のいる場所とは正反対のほうを指差す。雪男は頷いて、彼女と二人でそちらに向かって歩き出してしまった。

ざわ、ざわ。

人が騒ぐ。アイツの背中が、遠くなる。
俺はそれをぼんやりと見送って、ふ、と笑った。

「浴衣、似合ってんじゃん」

さすが俺。
そう呟いた俺の声は、騒がしい人波の中に、消えた。







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