俺は思う。
「兄さん!」
美しさは罪だ、と。
誰もが振り返る綺麗な顔が、俺へ満面の笑みを浮かべている。回りにいた女の子たちが彼をちらちらと見やる中、全然気づいていない様子で俺へと手を振るその人。
奥村雪男。俺の双子の弟で………―――、一応、恋人だ。
『一応』というのも、まぁ、言葉のアヤというか何というか。双子の弟と、確かにそういうことをしているわけだし、一般的に言えばそういうことをする関係を「恋人」と呼ぶのだろうけど。果たして兄弟同士で恋人と言っていいものなのか、未だに迷っているからだ。
「兄さん?ごめんね、待った?」
雪男は、少し眉を下げて申し訳なさそうな顔をした。その声にもぐっと言葉にできない想いが胸に込み上げてきて、そんな自分にげっそりとする。
どんな顔をしても、キラキラとしたオーラが眩しい。あまりにも眩しくて、それが俺の隣にあるというだけで、落ち着かない気持ちになる。
俺は同性しか好きになれない同性愛者で、しかも面食いだ。そんな俺が双子の弟とそういう関係に落ち着いたのは、少し前の話。今では、祓魔師の仕事で忙しい雪男の合間をぬって、こうして出かけることも多くなった。一緒に住んでいるのだから、別にわざわざ出かけなくてもいいのに、と言ったけれど、「僕は兄さんと一緒に出かけたいんだよ」とあのキラキラ笑顔で言われたら、否定することなんてできなかった。
俺は、雪男の顔が好きだ。
顔だけ、と言えばそれまでなのだが、そこは双子。性格なんてお互い知り尽くしているし、いい所も悪い所も全部知っている。それでも俺は、雪男が好きだった。
「……はぁ」
でもなぁ、と最近では少し思うようになってきた。こう、ぐるぐる悩むのはよくないって分かってはいるけど、でも、双子でこういう関係って、実際のところどうなのよ?と。
だって、雪男は祓魔師として優秀で、俺よりもハードな生活を送ってる。時間とか、そういうのがすれ違ったりすることなんてよくあるし、だからたまに休みができたとしても、俺も雪男も男だから、結局、やることは決まってる。
普通の恋人同士だったら、どっかに出かけたり、一緒に飯食ったり、そんなことをする。でも、そういう時間さえ惜しいくらいに、お互いのねつに溺れて。
………―――これじゃ、今まで俺がやってきたことと、同じじゃん。
心があるのに、やってることは爛れてる。
これでいいのかよって、雪男に言いたいのに。でも、余裕のない雪男の顔を見たら、何か言い出せなくて。
結局、言葉を飲み込む俺がいる。
「………おーい、奥村君?」
ぼんやりと考え事をしていると、ピンク色の髪が目の前に広がった。ビク!と肩を震わせると、志摩も驚いたような顔をしていた。
「び、びっくりした!きゅ、急に話しかけんな!」
「や、さっきから何度も声かけてたんやけど?」
「え。マジで?」
「マジで、や」
「……」
苦笑を漏らす志摩に、ごめん、と返す。志摩は、ええよって笑いながら、俺の顔をマジマジと見下ろした。
「でもまぁ、ここ最近ぼんやりしとること多いなぁ、奥村君。何か悩みでもあるん?」
「悩み、というか………」
俺は言葉を濁す。まさか双子の弟との恋愛について悩んでました、なんて言えない。言いよどんでいると、志摩がピンときたような顔をして、にやりと笑った。
「何や、奥村君、恋愛のことで悩んではるんやろ?」
「な、なんで分かったんだよ!?」
「そりゃあ、この恋愛マスターにかかれば恋する女子も男子も一発や!」
「す、すげぇな志摩!」
さすが!と目を輝かせれば、それほどでもあるよ、なんて照れながら頬を掻いていた。
そして俺の隣に座ると、それでそれで、と顔を近づける。
「恋する男子の奥村君に、恋愛マスターから助言!押してダメなら、引いてみろ!作戦や!」
「お、押してダメなら、引いてみろ?なんだ?それ……?」
「恋愛の鉄則や!相手の気を引きたいんやったら、押すだけはダメや!たまには引いて見せて、なんで?って思わせることも大事ちゅーことや!奥村君だって、仲よくしてたのに急に冷たくされたら気になるやろ?それと一緒や!」
「…………、」
想像してみる。
いつも、いつも、俺ばっかりが好きで。
頭がいっぱいになるくらい、好きで。
でもそれは、俺だけだって思ってた。
でも、もし。
雪男も俺のことで、ちょっとくらい悩んでくれたら?
「そしたら相手の子も、会いたい、とか言ってくれたり。まぁ、度を過ぎるとあかんけど、ちょっとくらいなら、ヤキモチ焼いてくれるかもや!」
雪男が、俺に、会いたいって?
『兄さん、今すぐ兄さんに会いたい』
「っ!」
あの声で、あの顔で、そんなこと言われたら………!
俺、絶対死にそうだ……!
「し、志摩……!お前、すげぇな!」
「ま、まぁ、これくらいお手の物や!」
あはは、と笑う志摩に、俺はぐっと手のひらを握りしめる。
これなら、雪男の考えてることも分かるかもしれない、と。
「あ、兄さん。今日は任務ないから、早く帰れるけど?どっか外食でも行く?」
「……わ、悪い、俺、ちょっと約束が……」
塾の終わり、雪男が近づいて来てそう言った。「押してダメなら引いてみろ作戦」中の俺としては、嬉しいお誘いだけど我慢してみる。
これでちょっとでも怒ったり、嫌だなって反応が返ってくるだけでも、満足できそうだ。俺は少しドキドキしつつ、雪男の反応を待つ。
すると、雪男は。
「そっか、ならしょうがないね。あまり遅くならないでよ?」
「へ?」
にっこりといつものように笑って、颯爽と去って行ってしまった。
ぽかん、と呆気に取られる俺。
「ゆき、………?」
なんで?
なんでそんな簡単に「いいよ」って言うんだよ?
せっかくのお前の休みに、なんで?って思ってくれないのかよ?
俺はもやもやした気持ちを抱えつつも、もしかしたら雪男にも何か事情があるのかもしれない、なんて都合のいいことを考えた。
それから、俺は頑張った。
とにかく、雪男を避け続けた。雪男はそのたび、不思議そうな顔をしていたけれど、でも必ず最後には、「いいよ」って言う。
「気にしてないから」とか。
「友達は大切にしなよ」とか。
笑って、許してくれる。
もしこれが普通の恋人同士なら、なんて物分りのいい彼氏だろうって感動するところなのかもしれないけれど。でも、なんだか物分りが良すぎて不安になる。
なんで怒ってくれないんだろう?なんでダメって言ってくれないんだろう?
………というかもしかして俺、そんなに好かれてない?
そんなに好きじゃないから、一緒にいなくても平気なのか?
『兄さん?今日のお昼ご飯、一緒にどうかな?』
毎日のように掛かってくる、四限目の休み時間の電話。耳に聞こえる、柔らかな声。そしてその向こうでかすかに、騒いでる女の子の声が聞こえて。
『奥村君、今日はお昼ごはん一緒にどう?』
『あ、すみません、先約が……』
電話の途中で、相手の女の子に断りを入れる雪男の声が聞こえる。少し前は、それが嬉しくて仕方なかった。モテモテな雪男を独り占めしてるみたいだったから。
だけど何だか、今はモヤモヤしてしまって。
「あ、えっと、ごめん。今日は勝呂たちと、食べる約束、してて……」
また、うそをつく。
でも俺は携帯をぎゅっと握りしめて、祈ってみる。
また?って怒ってほしい。今日は僕と、って言ってほしい。そしたら、こんな不安も一気に吹き飛ぶのに。
なのに、返ってきたのは。
『……。そっか、それなら、仕方ないね』
「っ、」
柔らかな、それでいて、俺が一番望んでいない言葉で。
つい、カッと頭に血が上ってしまった。
「仕方ないね、じゃねーよ!このホクロ眼鏡!」
怒鳴って、乱暴に携帯を切る。同時に鳴る、授業を告げる鐘の音。
しばらく頭に血が上って興奮していた俺だけど、すぐに我に返った。
仕方ねーの、俺じゃねーか。
どうしよう、謝らないと、と机に隠れて携帯をいじっていると、メールが来た。雪男からだ。
『From:雪男
ごめん
授業始まっちゃったけど、また夜にでも話をしよう 』
「………」
どうしようもない。
ほんとう、どうしようもない。
自分でもおかしくなるくらい、本当に雪男のことが好きなんだ。
だから、このままじゃダメなんだ。
「押してダメなら引いてみろ」作戦中だけど、でも、このままじゃ作戦どころじゃなくなってしまう。そんな気がして。
俺は結局、四限目が終わるとの同時に、教室を飛び出した。
とにかく、雪男に会いたい。
会って、話をしたい。
難しいことは、それからでもいいから………―――。
俺が雪男の教室にたどり着くと、ちょうど雪男が出てくるところだった。俺はパッと顔を輝かせて、雪男に近づく。
「ゆき………!」
「あ、待って、雪男君!」
教室を出る雪男に声をかけようとした俺の声を遮るように、少し高めの声が響いた。同時に教室の中を振り返る雪男。その腕に絡む、細い腕。
「用意するの早いね。少しくらい待ってくれてもいいのに」
「あ……ごめん……」
「ふふ、いいよ!行こう?」
無邪気に笑った彼女に、雪男もふっと笑い返していた。そしてそのまま二人は、廊下を歩いて行ってしまって。
「…………え、」
呆然とした俺の声だけが、その場に響いた。
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